峠★光キリスト教会

横浜から広島県廿日市市へ引越しして 新しく教会を開拓しました
山岳地帯 自然一杯の峠にこの地で初めての教会です

知ろうとする心

2016-11-23 22:25:07 | 聖書
人は 知りたいと言う欲求を持っている。
一生涯をかけて苦労と忍耐を重ね発見したことを発表して下さる方がいて知ることの出来なかった事を知り 余りの素晴らしさに感動を覚える事がある
今を生きる私たちは 先代を生きた人達よりさらに多くの事を知る事が出来るようになった そして四方八方アンテナを張り巡らして遅れないように多くの情報をキャッチしようとしている
芸能人が結婚したとか離婚したとか不倫したとか 今 何が流行しているとか 健康や病気 ネコの話 犬の話 人から聞いて え~知らなかったのーと言われたくないために え~よく知っていてすごいねと言われたいためなのかとにかく知ろうとする心が全開で忙しい

神様は人間の知ろうとする心を知っておられ 私を知りなさいと言っておられる。
詩篇53-2 神は天から人の子らを見下ろして神を尋ね求める悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。
神を尋ね求める人とは神を知りたいと求めている人で 神様はその人を捜しておられそして必ず知ることが出来るように働いて下さる 
私は 出会った人には 救い主イエス・キリストを知って頂きたいと心から願い話すことをこころがけている しかし 心を開いて聞いて下さる方は本当に少なく悲しい
耳のある人は幸いであると主イエスは言われた 神様は人の意志 心を超越されない その人の自ら求める心を尊重される
聖書の多くの箇所には神様からの警告の言葉が記されている

神について知りうることは 彼らに明らかであるからです それは神が明らかにされたのです神の 目に見えない神性は 世界の創造された時からこのかた 被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。というのは、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです 彼らは自分では知者であると言いながら 愚かなものとなり 不滅の神の御栄を 滅ぶべき人間や 鳥 獣 はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。それゆえ神は 彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのため彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。それはかれらが神の真理を偽りと取り代え造り主の代わりに造られたものを拝み、これに仕えたからです 造り主こそ とこしえにほめたたえられる方です。 アーメン ローマ人への手紙 1-20〜25

永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです ヨハネ17-3。       神の子イエス・キリストを知ってこそ神様を深く正しく知ることが出来ます。神を知ろうとしないでまことの神様にそむいて生きるすべての人の罪を許すためにキリストは人となってこられ 人の罪を完全に許し天国への約束を与えるために 罪人が負うべき罪の代価を 代わりに負って無残な十字架の刑を受けて下さいました イエス・キリストを知って 神様の愛を知るのです
父なる神様を 御子イエス・キリストを知らないのは 何も知らないことであり 最高に不幸なことであると私は思っている。

特別な食べ物

2016-11-16 21:50:51 | 聖書
今日も一日が終わった 病のなかにある夫も 一日を積極的に良く動いて 庭にいるかと思ったら、畑の下の方で草を刈っている 次はシイタケの木に水をやって花の手入れと結構忙しい 食欲旺盛で今日も一緒に美味しく夕食を頂いた。畑で採れた大根と里芋にイカを入れて煮た 夫の大好きなメニューの一つである ブロッコリーも収穫してサラダにシイタケの木にかわいい芽が沢山出ている 干し柿ももうすぐ食べごろになる
 秋の収穫の恵みに神様に感謝しましょう
イエス様を信じる家庭の子供たちが、まず覚えるのは 食べ物への感謝の祈りである
どんなにお腹が空いていても感謝の祈り無くして食事が始まらない やっと言葉が出てきた小さな子が 片言で小さな手を組んで祈る姿は本当に可愛いい 家族皆が集まっての食事は 誰が祈るのか決まらないとき じゃんけんで勝った者が代表で祈る 中一の孫娘の祈りはことばが豊かで成長をうれしく思った。
人は健康に注意して長く生きたいと願いながらより良い食べ物を求めている  
神様はすべての生き物に食べ物を与えて下さった 身体は大切なもの春夏秋冬と与えて下さる
すべての食べ物はどれも人間の身体に良い物で無駄なものはない
 
人は食べるために働き労苦する そして 食べたり飲んだり楽しんで自分の働きに満足する
人は感謝しても 感謝しなくても美味しく食べて幸せを感じる
しかし 神様無くして何があるのか 何もない 創造されたのは神様であり人間の知恵を力を借りられたこともない お金で食べ物が買える しかし海に魚がいなければお金があっても魚は食べれない 海の中に魚をつくり 産めよ増えよと祝福されたのは神様である もし海に魚がいなくなるとしたら人間に問題がある 温暖化によって生態系が壊れていくのを私たちは今 見ている これからもっと身近に体験していくようになると思う

マタイ4-4 イエス様は言われた

「人は パンだけで生きるのではなく 神の口から出る一つ一つのことばによる。」

人は肉体を生かす食べ物だけではない 神様の言葉は霊魂を生かす特別な食べ物である

たとえ食べ物が食べれなくなって肉体が死んでも 永遠に生きる霊魂の為に必ず食べなけれならないのが神様の口から出る言葉 イエス・キリストは神のことばを語られた
人は彼の口から出た言葉を食べてこそ天国に入る命を得る

草はしおれ 花は散る しかし主のことばはとこしえに変わることがない イザヤ40-6

聖書の預言

2016-11-08 14:48:46 | 預言
先日 鳥取県の倉吉市に住んでおられる 夫が勤めていた会社の友人を地震のお見舞いに訪ねた 周りにある家のほとんどにブルーシートが掛けられていて 農家である友人の大きく立派な家の屋根も瓦が落ちて窓ガラスも割れていた 片付けのお手伝いをと申し出たけれど家の中は家具が倒れ 物が散らばってガラスが飛び散り 危険なのでまだ中に入れない状態なので・・ と言われた ご夫婦は田で収穫したお米をはぜに架ける途中に大きな揺れが来たそうで家の中にいたら怪我をしていたかも 外に止めていた高級車の上に瓦が落ちて廃車したと屋根のつぶれた車の写真を見せて下さった
ご主人が不思議なことがあったと話して下さった                   「毎朝 庭の池に飼っている鯉に餌をやっている いつも喜んで食べるのに その日はどの鯉も口を閉ざして食べないので 変だなと思った 鯉は地震を察していたのだろうか」
 
 人は誰も明日の事が分からない もっと言えば 一寸先に何が起きるのか分からない
 
聖書は預言の書 神様はこれから起きることを前もって語られた

ペテロⅡ 1-20には
それには 何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち 聖書の預言は
みな 人の私的解釈を施してはならないということです。
なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人達が神からのことばを語ったからです。と書いてある

創世記から新約の最後の預言者ヨハネまで多くの預言者が神からのことばを語った
約3万2千500の神からのことばで これから後に来られる方について語られている
初めは 闇の中にかすかな光を見るようであり 紀元前 2000年前に生きたアブラハムに
一人の男の子をとうしての全人類への祝福が語られ イスラエルに働いた預言者を用いて
闇の中から見える光がさらに大きくなった 後に来られる方を待ち望む信仰が親から子へ孫へ何代にわたり伝えられた

イザヤは紀元前800年に生きた人 神様が選ばれ用いられた預言者
彼は 後に来られる方への預言を多く語った
イザヤ書 53章には後に来られる方がどのような方なのか
何のために来られるのか なぜ苦しめられ辱められ懲らしめられ殺されなければならなかったのか 人が決して知ることが出来ない事を彼は預言した。
800年後 後に来る方は確かに来られ その方への預言は全て成就した

私は終わりの事を初めから告げ まだなされていない事を昔から告げ 私のはかりごとは
成就し 私の 望む事を全て成し遂げる イザヤ46-10

神の子イエス・キリストは来られた そして彼自身の口からこれからのことを預言された
世の終わりに対しての預言である。
又 偽預言者が多く世に出ることも預言された 必ず語られたとおりに成ると私は信じる  

 

初めにことばがあった。

2016-11-01 20:07:09 | 聖書

初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
新約聖書 ヨハネ1-1に書いてある
初めに、神が天と地を創造した。
旧約聖書創世記1-1のことばである
旧約聖書創世記 1章には神様が すべての万物をことばで創造された経緯が書いてある
人間が地の上で生きるための全てが用意されそして人間を男と女に創造された
初めにから時間が存在するようになった
初めにから48億年 地球の年齢である
人間の初めは最近 人の一生は100歳生きてもそれは極短く葉っぱから滑り落ちて消えてゆく朝露のようである。
旧約聖書の創造の経緯を記録したのはモーセである 彼は3600年前に生きた人
新約聖書のヨハネは現在からさかのぼって2000年前に生きた人である
彼は100歳の時 書き残した
聖書は約1500年間に40名の人々が神のことばを記録し残したものが集まったもの
神様が残すようにされ集められて一冊の書物になった もちろん人の手が入っているが
神様が人に働き介入されなければ存在しえない書物である
ヨハネⅠ-1の初めには時間の始まる前 すなわち永遠の前
を意味する 神は本来時間の無い永遠の存在であり モーセに私はあるものであると言われ   ヨハネは霊感によって ことばは神であった。と書いた
人が他の生き物 動物と違うのはことばを持った霊的存在として創造されたことである
神様は選ばれたアダムにいのちの息を吹き込まれた。いのちの息とは神が人に与えた霊であり
人は肉体の中に霊と魂がある霊的な存在になった創世記2-7

神様と人間の関係はことばを通じ1て結ばれる
最初の霊的な人アダムから 神のことばを聞いて従い歩む人と 神のことばを聞くことを止めた人 二つに別れた霊的な人の歴史が始まった

すべての事が、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に
神に栄光がとこしへにありますように。アーメン ローマ11-36