峠★光キリスト教会

横浜から広島県廿日市市へ引越しして 新しく教会を開拓しました
山岳地帯 自然一杯の峠にこの地で初めての教会です

お母さん***3

2010-04-21 16:18:56 | Weblog
私のお父さんは広島県の尾道出身 尾道では結構大きな屋敷の跡取り息子だったが 父が商売や株に失敗して亡くなり 土地も家も人手に渡り 弟は腸チフスで亡くなりお父さんは足の怪我が元で全身に菌がまわって 体のあちらこちらに膿がたまり医者の誤診もあって手遅れになってどうにか命は取り留めたが 足が硬直した状態になり 杖をつかって歩く身体障害者になった 青年になっておじの家に身を寄せながらも 何の役にも立たない自分に失望と将来を悲観して ある日船から身を投じようとしてある人に助けられたらしい 又お金がなくお腹がすいて歩いていると見ず知らずの人が食堂に連れて行ってくれて食事をさせてくれた 食堂から出てお礼を言おうと振り返るとその人はもういなかった 子供の時この話を聞いて涙が出て 子供心にその人に会えたらお礼を言いたいと思ったことを覚えている 時計の修理を学んで広島に出て母親を呼び寄せて 細々と時計屋を営み居をかまえた
この父が母とどのように出会って結婚したのかを書きましょう
父はクリスチャンであったおじの影響も会って 広島に出た時には教会に通うようになっていた その教会の牧師先生が リュウマチの母親と からだの不自由な父の生活を案じて 10年間 お嫁さんのために祈り続けて下さっていた その牧師先生が ある日山陰の米子の教会の集会に招かれ そこで背は小さいけれどとても健康そうな娘をみて ア この人だと直感して早速米子の牧師に話をした 母は牧師からその話を聞いてすぐ断ったそうで その事は忘れていたある日 突然 広島の牧師が その青年を連れて玄関に入ってきた 姉妹 青年を連れてきました一度会ってくださいと言われ しかたなく部屋に上がってもらったが 心の中に怒りが込み上げてきて 不機嫌な顔をして下を向いたまま一言も話さず 青年の伸びた足だけが目に入り 早く帰ってほしいとばかり思い牧師先生の言葉に返事もしなかったそうだ しかしそれから母の心の中に 不自由なからだでわざわざ遠くから訪ねて来た青年とリュウマチで困っておられる母親のことが思われ 消しても消しても心の中に思いが沸いて この話を断ったら神様に申し訳ない 助けてあげたいと思うようになり 決心を牧師に伝えた しかし母の姉と妹は いままで苦労は充分してきたのに何故 苦労する事が分かっているのに行くのか 絶対断りなさいと泣いて泣いて止めた   

お母さん

2010-04-17 19:37:50 | Weblog
私の母は山陰の日本海にある隠岐の島で生まれ育った 私は一度母の故郷へ行ってみたいと思っているがまだ実現していない テレビ番組でたまーに隠岐の島が写ると行って見たこともないのに不思議に懐かしいような気持ちになる 母から子供の時の話を度々聞かされた
次女として生まれたとき 今度は男の子ですよと産婆さんに言われてお父さんは喜んで生まれてくるのを待っていたら元気な女の子 お父さんが1週間家に帰ってこなかったそうだ勇と名前を用意していたので イサミと言う名前になった  今は女の子でも男の子でも同じように歓迎されるのに昔は家の跡取りとして 働き手として男の子を願う気持ちが強かったのだろう 三女が生まれたときはどうだったのか聞けなかったがおばさんは女の子らしい名前をつけて貰っている
お母さんは病気で長い間寝ていたので母は小学校のとき学校から帰るとお母さんの看病をした お腹に水がたまる病気だったらしい バケツに水ががたまったのを捨てに行ったと話してくれた 病院にも入らず良い治療も受けられなかったのか 子供ながらどんなに心を痛めたのだろうか 天井に一杯神社のお札が貼ってあってお母さんは天井に向って手を合わせて拝んでいたそうだ お母さんが亡くなってお父さんと姉妹3人 隠岐から米子へ移り住んで間もなく お父さんが脳卒中で倒れ半身不随の寝たきりになって母達はお父さんを6年間看病をしながら働き苦労をしたよと話してくれた お父さんが亡くなって母は自分の将来のためを考えて助産婦になろうと助産院に住み込みで見習いに入った そこの助産院の院長は熱心で敬虔なクリスチャンで朝5時 必ず早朝礼拝から1日が始まり 母は入った日から否応なしに礼拝に出され何がなんだか分からないまま聖書を読んで話を聞いていた その医院の近くに小さな神社があって母は時々行っては自分が耶ソ(キリスト教)にならないように守ってくださいと拝んでいたそうだ  個人主義が重んじられる時代でであるなら宗教は個人の自由ですから私は参加しませんと主張することが出来るのだろうが 先生には従わなければならない時代である しばらくしてある日 先生が母に離れた村で陣痛が始まった人がいるから先に行くように指示し私は後から行きますからと言われて急いで自転車で行ったところ妊産婦の苦しみようがひどくこれはただごとではないと感じて足ががくがく震え なんとか冷静に産婦さんを励まして内診したところ逆子と分かり血の気が引いたそうだ
先生はまだかと待ってもなかなか来ない産婦さんの苦しみように親も赤ちゃんの命も危ない母は心の中で神様あなたが本当におられるのでしたら助けてください 神様助けてくださいと叫んだその瞬間赤ちゃんがくるりと回転して頭が下になって無事に大きな男の子が生まれた この話を母は何回も何回も私達子供に話してくれた それから母は聖書の神様の話を良く聞くようになり教会の礼拝にも出るようになった


お母さん

2010-04-08 08:49:16 | Weblog
桜が咲いて春になりました 長い間ブログをお休みしてしまいました 
日記を書く事が苦手 又それを続けることがもっと苦手な私です 日々神様と共に歩ませて頂くなかで教えられた事感じた事悟った事体験した事               などをまた書き始めましょう
ジェイクは相変わらず食欲旺盛で元気 今朝も青空の下いつもの公園に散歩に行きました
しかし 彼のお友達のゴールデンのりりちゃん アップルくん ラブのジョン君が相次いで亡くなり寂しくなりました 
教会に92歳になるお母様に一週間に一度 車で時間をかけて会いに行っておられる方がおられます 一緒に買い物に行ったり病院に行ったり レストランに行ったり お母様にとって何と幸せな時でしょうか 彼女にとっても幸せな時間です 彼女の話を聞きながら私も嬉しく思います
私は親孝行は親のためではなく子である自分のためだと思うのです 私の母は88歳で6年前 丁度桜が咲き始めるころ天国に帰りました 今私の心に残っているのは年を重ねて体も弱ってきた母を年に何回か訪ねては一緒にゆっくり話をした時の思い出なのです 忙しく過ごしているなかでそのようなすばらしい時と私に親を思う心を与え少しの親孝行をさせてくださった神様に感謝です 孫の可愛さに眼を細める年になって充分に出来なかった親孝行に後悔することも多くありますが許してくださったイエス様の愛に感謝し慰めを受けます 尊敬する人は誰ですかと聞かれたら 多くの人は立派な生涯をおくり名を残した歴史上の人物の名をあげられるでしょう しかし私は 主人の母と私の母 二人の女性の名を言いたいのです そして少しづつ二人の女性の人生を書きたいと思っています 5月に母の日がきます ゴールデンウイークに 教会の姉妹の92才のお母様の所へ私も一緒に行く約束をしました 綺麗な花と贈り物をもってお会い出来たら 昔のお話を一杯伺い 一緒に感謝のお祈りが出来る日が待ち遠しいのです