今年のクリスマス礼拝は参加者も増えて賑やかで楽しいクリスマスだった
2011年ももうすぐ終わろうとしているこの時 明日の新年礼拝の準備も終えてホッとしている
昨年11月で結婚40年を迎えた夫も広島から帰って来て春が来る頃までこちらにいるそうだ
何とか夫が気持ちよく過ごせるよう いつも優しく笑顔でいたいなと思いを強めて迎えるのだが
二人で障子の張替えをしていて 夫が新しく張り替えたばかりの紙に穴を開けてしまって私の口から早速ため息が出てしまった
明日は礼拝後 みんなで集まるので賑やかで大変 孫達はただただ可愛い 1年間健康に過ごす事が出来て感謝である
義母の思い出を綴ってきたが今日で終わろう 義母とお別れをして横浜に帰った私の心に義母への思いがめぐり離れない
イエス・キリストを信じて天国へ帰って欲しい それが私のせつなる願いであり祈ってきた 義母はある時
イエス・キリストを救い主と信じる告白を自らした その時の事を以前書いたがしかしその後離れて暮らす事になってしまったので
続けて続けて信仰の話が出来なくなり確認も出来ない状態のままお別れになってしまった
本当に天国へ入る事が出来るのであろうか 充分でなかった私の愛情はどんなに悔やんでも申し訳なく もっと会っておくべきであったと
自分を責める心で痛んだ
そのような思いを繰り返していた時 イエス様は夢を見させて下さった
高い山があった わたしはゆっくり頂上に向って歩いていった 頂上近くになった時義母が目の前に居た
わたしを見つけて駆け寄って 会いたかった 会いたかったと手を差し出した
義母がその手を開いて私に見せた そこに1枚の紙があって 天国行きと書いてある切符だった
わたしは義母の手を握ってよかった よかったと喜んだ
目が覚めたとき 私の心は喜びと平安で満たされた 神様のあわれみはなんと大きいのであろうか
それから私は義母に対する思いは良い思い出としてだけ残った なにも知らない足らない嫁を優しく受け入れて接してくれた義母に感謝し
義母のようにすべてのことを忍耐できる人になりたいと思っている
神が罪を認めない人は幸いである・・・聖書
赦されイエス様の愛を受け入れた人生は勝利の人生であると思う
2011年ももうすぐ終わろうとしているこの時 明日の新年礼拝の準備も終えてホッとしている
昨年11月で結婚40年を迎えた夫も広島から帰って来て春が来る頃までこちらにいるそうだ
何とか夫が気持ちよく過ごせるよう いつも優しく笑顔でいたいなと思いを強めて迎えるのだが
二人で障子の張替えをしていて 夫が新しく張り替えたばかりの紙に穴を開けてしまって私の口から早速ため息が出てしまった
明日は礼拝後 みんなで集まるので賑やかで大変 孫達はただただ可愛い 1年間健康に過ごす事が出来て感謝である
義母の思い出を綴ってきたが今日で終わろう 義母とお別れをして横浜に帰った私の心に義母への思いがめぐり離れない
イエス・キリストを信じて天国へ帰って欲しい それが私のせつなる願いであり祈ってきた 義母はある時
イエス・キリストを救い主と信じる告白を自らした その時の事を以前書いたがしかしその後離れて暮らす事になってしまったので
続けて続けて信仰の話が出来なくなり確認も出来ない状態のままお別れになってしまった
本当に天国へ入る事が出来るのであろうか 充分でなかった私の愛情はどんなに悔やんでも申し訳なく もっと会っておくべきであったと
自分を責める心で痛んだ
そのような思いを繰り返していた時 イエス様は夢を見させて下さった
高い山があった わたしはゆっくり頂上に向って歩いていった 頂上近くになった時義母が目の前に居た
わたしを見つけて駆け寄って 会いたかった 会いたかったと手を差し出した
義母がその手を開いて私に見せた そこに1枚の紙があって 天国行きと書いてある切符だった
わたしは義母の手を握ってよかった よかったと喜んだ
目が覚めたとき 私の心は喜びと平安で満たされた 神様のあわれみはなんと大きいのであろうか
それから私は義母に対する思いは良い思い出としてだけ残った なにも知らない足らない嫁を優しく受け入れて接してくれた義母に感謝し
義母のようにすべてのことを忍耐できる人になりたいと思っている
神が罪を認めない人は幸いである・・・聖書
赦されイエス様の愛を受け入れた人生は勝利の人生であると思う