峠★光キリスト教会

横浜から広島県廿日市市へ引越しして 新しく教会を開拓しました
山岳地帯 自然一杯の峠にこの地で初めての教会です

義母の思い出

2011-12-31 16:10:09 | Weblog
今年のクリスマス礼拝は参加者も増えて賑やかで楽しいクリスマスだった
2011年ももうすぐ終わろうとしているこの時 明日の新年礼拝の準備も終えてホッとしている
昨年11月で結婚40年を迎えた夫も広島から帰って来て春が来る頃までこちらにいるそうだ
何とか夫が気持ちよく過ごせるよう いつも優しく笑顔でいたいなと思いを強めて迎えるのだが
二人で障子の張替えをしていて 夫が新しく張り替えたばかりの紙に穴を開けてしまって私の口から早速ため息が出てしまった
明日は礼拝後 みんなで集まるので賑やかで大変 孫達はただただ可愛い 1年間健康に過ごす事が出来て感謝である

義母の思い出を綴ってきたが今日で終わろう                                                                                義母とお別れをして横浜に帰った私の心に義母への思いがめぐり離れない
イエス・キリストを信じて天国へ帰って欲しい それが私のせつなる願いであり祈ってきた 義母はある時
イエス・キリストを救い主と信じる告白を自らした その時の事を以前書いたがしかしその後離れて暮らす事になってしまったので
続けて続けて信仰の話が出来なくなり確認も出来ない状態のままお別れになってしまった
本当に天国へ入る事が出来るのであろうか 充分でなかった私の愛情はどんなに悔やんでも申し訳なく もっと会っておくべきであったと
自分を責める心で痛んだ 
そのような思いを繰り返していた時 イエス様は夢を見させて下さった

高い山があった わたしはゆっくり頂上に向って歩いていった 頂上近くになった時義母が目の前に居た

わたしを見つけて駆け寄って 会いたかった 会いたかったと手を差し出した

義母がその手を開いて私に見せた そこに1枚の紙があって 天国行きと書いてある切符だった

わたしは義母の手を握ってよかった よかったと喜んだ

目が覚めたとき 私の心は喜びと平安で満たされた 神様のあわれみはなんと大きいのであろうか
それから私は義母に対する思いは良い思い出としてだけ残った なにも知らない足らない嫁を優しく受け入れて接してくれた義母に感謝し
義母のようにすべてのことを忍耐できる人になりたいと思っている

神が罪を認めない人は幸いである・・・聖書

赦されイエス様の愛を受け入れた人生は勝利の人生であると思う

 

義母の思い出

2011-12-21 09:21:24 | Weblog
クリスマスが近づきました 小さな教会もいろいろと準備にいそがしく過ごしています
我が教会がある町内の住宅ところどころに今年もイルミネーションが光って綺麗です
例年より少なく感じます 我が教会も毎年飾るのですが今年は節電の事を考えてひかえました
人々は暗闇のなかに光をみて何を感じるのでしょうか 確かに何だか心が暖かくなってホッとした気持になりますね
長い航海に出ていた船が灯台の明かりに帰ってきた喜びと安堵を感じるでしょう 暗闇の中でこそ光が嬉しく感謝です

イエス・キリストは言われました 

わたしは光として世に来ました わたしを信じる者が だれも闇の中にとどまることのないためです

闇があなたがたを襲うことのないように あなたがたは光がある間に歩きなさい やみの中を歩く者は 自分がどこに行くのかわかりません

あなたがたに光がある間に 光の子供となるために 光を信じなさい

☆☆☆光はやみの中に輝いている やみはこれに打ち勝たなかった☆☆☆

義母の思い出を綴ってからはや何ヶ月たってしまった 今年の内に書き終えてしまいたいと思っている
わたしは両親の最後に会うことが出来ないで感謝のことばも伝えられないままの別れになったが
夫は義母の最後にしばらく寄り添い 義母に感謝のことばを言えることが出来幸せだったと思う
自宅で祈っていた私に夫は電話で苦しまないで安らかだったよと伝えてくれた
子供達と一緒に お別れ式のため広島に帰った
お葬式というのは何と慌ただしく過ぎていくのだろう 夫の兄弟 子供達 親戚 村の方大勢の人が集まった
義父は義母の亡骸の側に座って挨拶をしていた わたしは離れたところに座っていたのだが義父の話す声を聞いた
 苦労をかけた 可哀想な人生だった よく辛抱してくれた 
わたしはその声を聞いて 心が叫んだ なぜ生きている間それを伝えなかったのか  どうして他の人にそれを言うのか 今となっては遅い
余りにも愚かだと 悔しさで一杯になった 
しかし義父のその気持に偽りはなく それからしばらく生きる間 時々義母の待っているところに行きたいと言っていた
義父は記憶もしっかりしており身体も健康で娘達の介護を受けて 最後までわがままをとうして まだまだ長生き出来ると本人もみんなも思っていたが
肺炎になって3日間寝て亡くなった 103歳だった 良い妻の助けがあって幸せな生涯だったとわたしは思う

みなさん 良いクリスマスをお迎えください