聖書の御言葉
神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された
それは御子(イエス・キリスト)を信じる者がひとりとして滅びることなく
永遠のいのちを持つためである ヨハネ3-16
わたしは天から下ってきたパンです
だれでもこのパンを食べるなら永遠に生きます ヨハネ6-51
人が持っている肉体のいのちは誰でも永遠ではない 死は全ての人に来る
神様は人間に霊を与え霊魂は肉体の死後も永遠に存在するように創造してくださった
人は霊的存在であるがゆえに肉眼では決して見ることが出来ない霊なる神様を求めるこころ 拝するこころ
永遠を思う心を持っている
義母と毎夜いろいろなことを話したが 義母は人は死んで終わりではなく死後の世界があることを信じていた
先日 近所のお年寄りと立ち話をした 何回かその方にイエス様の救いの話をさせていただいたのだが
死んだ人が自分を訪ねてきた体験を語って 死後の世界があって そのような体験をした人は他にもいるのよと
言われた
私は義母に天国に入るいのちを永遠のいのちと言うこと 誰でも罪人であってイエス・キリストを信じなければ
天国には行けないことを繰り返し繰り返し語った
しかし義母は 人は仏になってお釈迦様によって極楽浄土に行けると言った
天地万物を創造されそこで人が生きるようにされた それ以外神はいない その神が人間となってこの地に来られた
人間の罪を赦し 救いの道を与える為にイエス・キリストは来られた
聖書は道徳 倫理の教えではなく 何千年の間に流れている神が人間を救われる 救いの話である
私の心は少し疲れて 思わず義母に 分かりましたこれだけ話しても信じてもらえないなら聞きたくないでしょうから
止めましょうと言ってしまった 今 考えると何と忍耐の無い 愛の無い言葉であったのか恥ずかしく思う
その言葉を受けて義母が それでいいよと言ったらどうなったであろうか まだ人間として未熟な若い私はそれきり
あきらめたであろうと思う しかし義母はそのようには言わなかった
義母は 私の名前をやさしく呼んで 人の心は岩のようではない 人の心は変わりやすい どのように変わるかは自分でも分からない
あんたが一生懸命話してくれることは嬉しい 申し訳ないが続けて話してくれないか と言った
神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された
それは御子(イエス・キリスト)を信じる者がひとりとして滅びることなく
永遠のいのちを持つためである ヨハネ3-16
わたしは天から下ってきたパンです
だれでもこのパンを食べるなら永遠に生きます ヨハネ6-51
人が持っている肉体のいのちは誰でも永遠ではない 死は全ての人に来る
神様は人間に霊を与え霊魂は肉体の死後も永遠に存在するように創造してくださった
人は霊的存在であるがゆえに肉眼では決して見ることが出来ない霊なる神様を求めるこころ 拝するこころ
永遠を思う心を持っている
義母と毎夜いろいろなことを話したが 義母は人は死んで終わりではなく死後の世界があることを信じていた
先日 近所のお年寄りと立ち話をした 何回かその方にイエス様の救いの話をさせていただいたのだが
死んだ人が自分を訪ねてきた体験を語って 死後の世界があって そのような体験をした人は他にもいるのよと
言われた
私は義母に天国に入るいのちを永遠のいのちと言うこと 誰でも罪人であってイエス・キリストを信じなければ
天国には行けないことを繰り返し繰り返し語った
しかし義母は 人は仏になってお釈迦様によって極楽浄土に行けると言った
天地万物を創造されそこで人が生きるようにされた それ以外神はいない その神が人間となってこの地に来られた
人間の罪を赦し 救いの道を与える為にイエス・キリストは来られた
聖書は道徳 倫理の教えではなく 何千年の間に流れている神が人間を救われる 救いの話である
私の心は少し疲れて 思わず義母に 分かりましたこれだけ話しても信じてもらえないなら聞きたくないでしょうから
止めましょうと言ってしまった 今 考えると何と忍耐の無い 愛の無い言葉であったのか恥ずかしく思う
その言葉を受けて義母が それでいいよと言ったらどうなったであろうか まだ人間として未熟な若い私はそれきり
あきらめたであろうと思う しかし義母はそのようには言わなかった
義母は 私の名前をやさしく呼んで 人の心は岩のようではない 人の心は変わりやすい どのように変わるかは自分でも分からない
あんたが一生懸命話してくれることは嬉しい 申し訳ないが続けて話してくれないか と言った
悪い運命の下に生まれた 悪い運命を持っているものはどのように選んでもどこで生きても悪い運命が付いてくる
この言葉がしみますね。
イエス様をもっともっと早く知っていたなら
おばあちゃんからは出なかった言葉でしょうね。