犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

川上未映子著 『乳と卵』

2008-03-07 15:50:57 | 読書感想文
「あたしは勝手にお腹がへったり、勝手に生理になったりするようなこんな体があって、その中に閉じ込められているって感じる。んで生まれてきたら最後、生きてご飯を食べ続けて、お金をかせいで生きていかなあかんことだけでもしんどいことです。・・・それは妊娠ということで、それはこんなふうに、食べたり考えたりする人間がふえるってことで、そのことを思うとなんで、と絶望的な、おおげさな気分になってしまう。ぜったいに子どもなんか生まないとあたしは思う」(p.32)

「受精して、それが女であるよって決まったときには、すでにその女の生まれてもない赤ちゃんの卵巣の中には(そのときにもう卵巣があるのがこわいし)、卵子のもと、みたいのが七百万個、もあって、このときが一番多いらしい、・・・生まれるまえの生まれるもんが、生まれるまえのなかにあって、かきむしりたい、むさくさにぶち破りたい気分になる、なんやねんなこれは」(p.71~72)

「<もしかして、言葉って、じしょでこうやって調べてったら、じしょん中をえんえんにぐるぐるするんちゃうの>とびっくりしたように書いたのをぽんと見せた、続けて<ぜんぶ入ってるってことやの? イミが?>と訊くので、『まあ一応、そういう考え方も、出来るよね』と云うと、緑子はじっと文字群を見つめて考え込み、しばらくして、<じゃ、言葉のなかには、言葉で説明できひんもんは、ないの>と真剣な顔をして訊くので・・・」(p.94)


第138回芥川賞の発表以来、あまりにも多くの書評や賛否両論が飛び交っていたが、やはり実物を読む前に評論家の意見など聞きすぎないほうがいい。川上氏は高校生の時にカントを読み、池田晶子氏や永井均氏に傾倒していたという略歴だけで十分である。「第1回(池田晶子記念)わたくし、つまり Nobody賞」の受賞者として川上氏が選考されたそうだが、恐れ入りましたと言うしかない。池田氏は女性でありながら、その女性性を無視する方向で、男女の性差を超えた存在を探り続けた。川上氏は女性であるがゆえに、テーマとしては女性そのものの視点を取りながら、男女の性差を超えた存在を探っている。結局両者は、突き詰めれば同じことを言っている。ジェンダー論やフェミニズムにとっては不愉快である点も同じである。

川上氏は、ある雑誌の中で「物事は<角度>が大事」というテーマのインタビューに答えている。同氏は、「別の視点を持つことによって、物を見る角度がひとつ増える」というようなことを述べ、インタビュアーが「色々なことに興味を持ち、経験をすることによって、多角的な視点が得られるのですね」といった返答をしている。これを読んだ多くの人が、恐らく川上氏の文体だけを真似て作品を書き、芥川賞を目指すのだろう。しかしながら、川上氏が述べる多くの角度とは、あくまでも「1人称現在形のゼロ地点」を押さえていることが大前提である。人称が2人称から3人称に飛んだり、時制が過去や未来に飛んだり、はたまた前世から来世に飛んだりするのでは、川上氏の文体は生きてこない。単に一文が長くて読みにくいだけである。

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