犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

自分を客観的に見る

2010-01-09 23:34:10 | 実存・心理・宗教
 大学入試センター試験の時に、予備校の先生から、自分を客観的に見ることの必要性を力説されました。ライバルの中に自分を置いて、自分の弱点を客観的に眺めてみる。そして、全国の受験生全体の中で自分の置かれている位置を客観的に把握する。私はこのような熱弁を聞き、何の疑問も感じず、自分を客観的に見るように努めていました。試験の合格にとっては合目的的であり、余計なことを考えなくて良かったと思います。

 大学生になって、色々と考える時間を与えられたとき、自分を客観的に見ることの恐ろしさに気が付きました。自分を客観的に見てみると、自分は群集の中の1人に過ぎず、自分がどこにいるのかわからない。客観的な視点からは、誰も彼もが「その他大勢の1人」であって、別にその人が自分であっても他人であっても変わらない。私にできたことは、自分を客観的に見ることができるのはもう1人の自分だけであり、そのもう1人の自分は主観であると気づくだけでした。

 社会に出て、再び自分を客観的に見ることの大切さを語る人が多いことに気づかされました。人々の中に自分を置き、客観的かつ冷静な眼で、自分に対する社会的評価を把握しなければならない。社会的成功を収めるためには、自分自身を客観的に見る能力が不可欠である。私はこのような訓示を聞き、いつも白けています。自分を客観的に見る大前提として、人生を損得で捉えているのであれば、それは他人を蹴落とすための手法にすぎず、大学入試センター試験の続きで一生が終わってしまうような気がするからです。