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心に響くあかり①

2017-07-16 16:15:16 | お話
☀️心に響く明かり☀️①


🔹村上、石井先生とはニッポン放送番組審議会で、ご一緒するようになってからのご縁なので、

10年くらいのお付き合いになりますね。

🔸石井、もうそんなになりますかしら。

早いですね。

村上先生は名委員長でいらして、必ず何か面白い話を、しかも知らん顔しておっしゃるから、

ますます面白いんですよ(笑)。

🔹村上、どちらかというと、迷うほうの迷委員長だったかな(笑)。

🔸石井、私は先生が会議の時に何気なくポロッとおっしゃっていたこともよく聴いていたんですよ。

なるほどなって。

つい先日、前から読みたいと思っていた先生の本を買いまして早速読んだのですが、

そこにも、なるほど、と思うことがたくさん書かれていました。

その中で特にこれは実践しようと思ったのが、自分の細胞に向かって

「ありがとう」と感謝を伝えることですね。

いまこうして自分が存在していることが、どれだけ大変なことか、それがとってもよくわかりましたねぇ。


🔹村上、ありがとうございます。

ところで石井先生は照明デザイナーの道に入られて、もうどれくらい経ちますか。

🔸石井、これがなんとですね、もう50年近く照明ばかりやってきました。

いまでこそ皆さんにご理解いただけるようになりましたけど、

最初の頃は照明デザイナーなんて言っても、なかなか分かってもらえませんでしたね。

🔹村上、そういう言葉が、当時の日本にはまだなかったわけだ。

🔸石井、ええ。ですから、シャンデリアをデザインする人ですかとか、
舞台照明をやる人ですかと、よく言われていました(笑)。

私は建築空間の照明から入って、だんだんと範囲が広くなっていくうちに都市空間の照明を手掛けるようになりましたけど、

私の仕事がどういうものかを知ってもらう上で、

1番わかりやすかったのは、東京タワーでしょうね。

あまり人気のなかった東京タワーを平成元年に照明して以来、

すっかり人気スポットになりました。

東京タワーの照明が照明の効果を証明したと言われましたし、

実際のところ、東京タワーの夜景が見えるというだけで、すぐにマンションの借り手や買い手が現れるようになって、

港区内の地価がかなり上がったんですよ。

🔹村上、それはすごいな。

🔸石井、当時は東京タワー現象なんて呼ばれましたけど、

これがきっかけで夜景に価値があるということが、

やっと皆さんにも分かっていただけたと思います。

おかげさまで、その後はレインボーブリッジをはじめ、瀬戸大橋、明石海峡大橋など、

当時盛んにつくられていた大型橋梁の照明をほとんどやらせていただきました。

いま改めて数えてみると、だいたい30橋ぐらいにですね。

それと夜景に関しても1つ言えることは、

夜景を綺麗にすると、その地域一帯における経済的波及効果が11倍にもなるんですよ。

🔹村上、それは大きな。

🔸石井、夜景がきれいになれば、その付近に一泊する観光客が増える。

一泊すれば、当然、晩御飯を食べて、お酒も飲む。

散歩に出たついでにお土産も買うし、翌日は朝食も食べるでしょう。

そうしたことが積み重なって、それだけの数字になるということが

地方都市でもずいぶん認識されるようになって、

例えば市長選挙の時に候補者が公約の1つに、

夜景を整備して観光客を増やします

とおっしゃる方も出てきましたね。


🔹村上、どういった都市でお仕事をされてきたのですか。

🔸石井、例えば倉敷市や函館市、長崎市など日本各地でやらせていただきました。

お話をいただいたら、まずは夜景調査をして、闇の中に埋もれているお宝を探し出し、

次に全体の景観照明の構想を練るわけですが、

最初に手がけたのは横浜市でした。

当時は12カ所を選んで照明しましたけど、

今は50カ所位に増えまして、非常に夜景がきれいになりましたね。


🔹村上、照明に関して僕が思い出すのは、ラスベガスですね。

50年くらい前のことですが、アメリカにおりました時に、

車で西部を旅行していたところ、砂漠の中にパッと竜宮城に来たのではないかと見まがうような、

光に包まれた街が浮かび上がってきたんですよ。

これがラスベガスかと気持ちが高ぶりましてね。

勢い込んでスピードを上げたら、警察に捕まりました(笑)。

🔸石井、私が初めてラスベガスに行ったのは1970年でしたけど、

砂漠の中に忽然と大電飾都市が現れた時は、まるで蜃気楼を見てみるかのようでした。

でも、それ以上に感動したのは、

当時は、まだ白熱電球でしたけど、ものすごい数の電球があるのに、

どれ1つ、切れていない。

後で聞いたところによると、

昼間にメンテナンスしていたようですが、まぁ、すごいところだと思いました。

🔹村上、ちなみに石井先生が照明の勉強されたのは、アメリカではなくてヨーロッパでしたね。

🔸石井、そうです。

もともとは東京芸術大学でプロダクトデザインを勉強していまして、

当時は日本の産業がどんどん発展していた時代ですから、

将来は家電製品とか車のデザインを手掛ける工業デザイナーになりたいと思っていました。

大学卒業後は、小さなデザイン事務所に勤めて、

インテリアからプロダクトのデザインまで色々とやらせていただいていたのですが、

ある時、たまたま照明器具のデザインをするという機会が巡ってきたんですよ。

早速デザインに取り掛かって、試作品を上から吊るして明かりを灯した瞬間、

本当に、びっくりしましてね。

というのも、他のプロダクトは電気を通しても形が変わるわけではありません。

ところが照明器具の場合、

そこに明かりが灯ることで、

照明器具自体の形や色が浮かび上がってくるとともに、

一定の空間をその明かりが支配するわけです。

🔹村上、石井先生はそこに深く感動されたわけですね。

🔸石井、それまで光なんていうのは空気と同じように、ほとんど意識したことがなかったけど、

その日を境に、光というものに目覚めましたね。

もっと勉強したい、と。

ところが当時日本では照明というのは電気工学の1分野で、しかも光源の開発とか照度の計算といったことしか学べません。

もっと光というものをデザインとして捉えることはできないか、

と思っていましたら、

たまたま北欧のデザインをいっぱい集めた立派な本がありましてね。

とてもきれいな照明器具がたくさん載っている。

そうだ、北欧は夜が長いから、きっといい照明があるに違いない。

そう思ったのがは 、北欧に行こうと決めたきっかけです。


(つづく)

(「致知」8月号 村上和雄さん石井幹子さん対談より)