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妻の反乱

2016-06-30 12:59:16 | お話
🌸🌸妻の反乱✊🌸🌸


平岩弓枝の小説『女の休暇』は、昭和42年の日本は背景に、農家の嫁のちょっとした「反乱」を描いた物語である。

おそらく戦前から昭和30年代までは、日本の女性は皆「かくあるべし」と、判で押ししたような生き方をしていたのではないだろうか。

それが幸せだったのか、そうでなかったのかは、人それぞれだろうが、

日本の女性たちがその因習から抜け出し、目に見えるカタチで変貌を遂げていくのが昭和40年代ではないかと思う。

いい意味での変貌は主人公・香久子の「反乱」であり、

悪い意味でのそれは東京に嫁いだ彼女の夫の妹・つる子である。

香久子は農家の主婦である。

夜明けと共に起き、義父母と畑でひと仕事。

しばらくすると自分だけ家に戻って朝飯を作る。

それから夜まで「嫁」「妻」「母」の三役を使い分けながらせわしく一日が過ぎて行く。

夏休み前のことだった。

「今年もつる子が子供たちを連れて帰ってくるそうだ」と舅がつぶやく。

7歳と4歳の孫の帰省に舅と姑は歓迎ムードだ。

しかし香久子は面白くない。

前の年もつる子は一ヶ月間も滞在し、

その間、上げ膳・下げ膳で、畑仕事も家事も一切手伝うことはなかった。

「来年は嫌ですよ」と夫に釘を刺しておいたのに、また今年も来るという。

夫は「東京に亭主1人残して一ヶ月もこっちにいるなんて…」と精一杯の反対をしてくれたが、

「たまさかのことだから」と言う両親に押し切られた。

夏休みに入り、つる子が子供たちを連れて帰省してきた。

その夜、香久子はとんでよないことを言い出す。

「私、有紀を連れてしばらく東京に行きます。

普通は家のことが心配でどこにも行けませんでしたが、

つる子さんが来ているので安心して出掛けられます」

つる子は毎年子どもに田舎の生活を体験させてあげたいとやってくる。

自分は娘の有紀に東京を見せてあげたい。

泊まるのはつる子の家だから宿代はかからない。

東京見物をしたがっている親戚の婆さんを連れていくので問題は起こらない、と主張。

さらに「有紀のため」を前面に出したので舅も姑も反対できなくなった。

「してやったり」である。

香久子は随分前から一人でこの計画を立てていた。

しぶしぶ承知したつる子は東京に残してきた夫・均平に電話をする。

「私は少しでも食費を節約するために実家に帰ってきてるんだから、

義姉さんと食事なんかしないでね。

あなた食事を済ませてから帰宅してくださいね」


さて、均平は最初の2日間は、よそよそしくしていたが、家の中がきれいになり、お風呂の黒ずんだタイルも真っ白になり、朝食もすべて手作り。

ゆきとどいた香久子の主婦ぶりに感動し、3日目からは6時に帰宅して香久子の手料理を堪能するようになった。

姪の有紀が母親の手伝いをしているのにも感心した。

「うちの子らはずっとテレビなんですよ」

「朝はフレークだし、夜はスーパーの惣菜ばかりで」。

だんだんつる子への愚痴が多くなる均平だった。

一週間も過ぎた頃、香久子の夫が迎えにきた。

「家が大変なんだ。

つる子は何もしないし、母さんはイライラしている。

それに父さんが

『これからは香久子さんに休暇を与えなきゃな』

と言っている」

かくして、香久子の「反乱」は成功した。

「自分がいなくなったことで家の中が大変なことになっている」

という言葉に充実感を覚え、すっかり気を良くした香久子だった。

この作品が世に出てから40年が過ぎた。

その間、男女の関係も意識も随分様変わりした。

「つる子」のようにしたたかに強くなっただけの女性もいるが、

「香久子」のように一歩踏み出して周囲の意識を変えてきた女性たちも増えた。

男女に関わるいろんな法律や制度もできた。

それでもなお男女の関係がギクシャクしているとしたら、気持ちの問題が大きいと思う。

充実感を与え、気を良くする言葉が足りないのだ。

毎年6月23日から29日は、男女がそれぞれの価値を認め合う社会をつくろうという

「男女共同参画週間」である。

人ごとではない。皆わが家の問題だ。


(「みやざき中央新聞」水谷さん社説より)

がんの神様ありがとう、5

2016-06-30 12:57:43 | 病気のなおし方(自助努力)
5「がんの神様ありがとう」

(筑波大学名誉教授 村上和夫さん 育生会横浜病院院長 長堀優さんの対談)

🔸村上 長堀先生は医者としてたくさんのがん患者さんを見てこられたから、余計にそう思われるのでしょうね。

🔹長堀 これは私は10年位前に出会った患者さんの話ですが、その方はお腹の中にがんが広がっていました。

そのことは彼女を知っていたのですが、いつもニコニコされていたんです。

彼女は75歳位でしたが、私が回診で病室へ行くと、

私の足音で近づいてくるのがわかるようで、いつもベットの上で正座して待っているんです。

たぶんどの先生にもそうだったと思うのですが、

「いつもありがとうございます」

と、正座したまま最敬礼をしてくれるんです。

その顔は本当にニコニコで満面の笑みでした。

私はどこからこの笑顔が出てくるんだろうか、
死が怖くないのだろうかと、いつも不思議だったんです。

ある日のこと、いつものように素敵な笑顔を見せてくれた彼女が真剣な顔付で訪ねて来ました。

「先生、私は手術することもあるのでしょうか」

と。

私は正直にお答えしました。

もう手術をしてもがんを取りきれないし、無理をするとかえって大変な結果になると。

そしたら彼女が喜びましてね。

🔸村上 喜ばれたのですか。

🔹長堀 実は彼女には肝硬変の夫がいたんです。

子供がいなくて親戚も近くにいないから、お互いに支えあって生きていかなければいけない。

だから、これ以上入院を続けて、家を空けているわけにはいかないと言うんですよ。

ホントは旦那さんより奥さんの方が病状はよっぽど重いんです。

でも彼女はこう言いました。

「夫のことが私は心配なんです。

あの人は私がいなければどうしようもないから。

だから、いつも、がんの神様に、

『もう少しおとなしくしていてくださいね。
私は、もう少しあなた(がん)と頑張って生きていきますから、

大きくならないでくださいね』

って、お祈りしているんですよ」

って。

私はその言葉にとても感動しました。

🔸村上 それは偉い方だ。

🔹長堀 がんというのも細胞であって、米国の細胞生物学者ブルース・リプトン博士は

「細胞一個一個に感性がある」

という話をしています。

例えば、単細胞のミドリムシは餌があれば寄っていくし、毒が来ると逃げていく。

単細胞ですから、脳みそも神経もないわけですが、そういったことをが全部わかる。

だから博士は

「細胞はそれだけで完璧な生命体である。
しかも生きる感性を持っている」

ということを言っているんです。

そうであれば、がんも細胞ですから生きる感性があるので、当然人間の思いとも関係してくる。

実際、彼女は長く生きたんです。

もって1年という診断でしたが、3年半あまり生きることができた。

私は彼女の思いが、がん細胞に届いたのだと思っています。

🔸村上 つい最近、工藤房美さんという方が本を出しているのですが、この方は末期がんだったんですよ。

医者に診てもらった時は、もう既に手遅れで、余命1ヶ月と宣告されたんです。

彼女には3人の息子がいたので、それぞれに遺書まで書かれていたんですが、
私の本を差し入れた方がいたんですよ。

それを読んだ彼女が、細胞一個一個にお礼を言い始めたんです。

がん細胞にも「ありがとう」と10万回唱えた。

🔹長堀 どうなりましたか。

🔸村上 なんと11ヶ月で完全に消えたんですよ、がんが。

アンビリーバブルとしか言いようがありません。

人の思いとか感性で遺伝子にスイッチが入るエビデンス(証拠)を、私は読者の方から教えてもらいました。

🔹長堀 後はそこに法則性が見つかれば、これはもう立派な科学になりますね。

私の外来にも、がんが消えた患者さんがいるんです。

その方もいつもニコニコしてこられます。

ですから、村上先生の言われたように、人の思いががん細胞に伝わるんですね。

🔸村上 工藤さんの話で私がすごいと思ったのは、

彼女は「がんを治してください」とはひと言も頼んでいないことです。

がんも自分の体の細胞の一部なんだから

「いままでよく頑張ってくれたね」

と、むしろ感謝している。

そういう思いが体に、細胞に、遺伝子に影響を与えたということですね。

🔹長堀 東洋には「同治(どうじ)」という言葉があって、

病気が消えなくてもいい、病気とともに生きていこうという態度のことです。

それに対応する言葉に「対治(たいじ)」というのがあって、

これは病気を消してやろう、闘ってやろうという態度です。

鈴木秀子先生が奇跡的に病気の治る人の特徴として、

「愛」「感謝」「受容」

という三つを挙げています。

そのうち「受容」というのが、

「あってもいいんだ」

「闘わない」

という姿勢で、「同治」に繋がる考え方だと思います。

🔸村上 医者に頼るのではなくて、患者にもできることがあるわけだ。

🔹長堀 その通りです。

自立した思いというのがとても大切だと言うことを、
私は「がんの神様」から教えてもらいました。


(つづく)

食前祝詞

2016-06-29 22:51:27 | 祝詞
🌸食前祝詞🌸

豊受大神 御食津大神
(とようけのおほかみ みけつのおほかみ)

天神 地祇 八百萬神祇
(あまつかみ くにつかみ やほよろずのかみがみ)

謹みかしこみて大稜威を祝放り
(つつしみ かしこみて おほみいづを いはいまつり)

此の大御恵を感謝ひ奉る
(これの おほみめぐみを いやまひ まつる)

土穂加身恵身賜命
(とおかみえみため)

を、三回繰り返す。


子どもの病気はゆるめすぎ

2016-06-29 15:49:20 | 病気のなおし方(自助努力)
🍀🍀子どもの病気はゆるめすぎ🍀🍀


大人の病気は、忙しさの中で常に体が興奮状態にあることが原因だと説明しました。

すなわち、自律神経のうち交感神経がいつも刺激されていることに注目する必要があるのです。

ところが、

子供の場合は、が逆に副交感神経に注目する必要があります。

副交感神経が刺激されていると、体内の消化器官が働き、リラックスの状態になります。

飲み込む、呼吸、排泄などは副交感神経の刺激なのです。

大リーガーの選手が試合中にガムを噛んでいるのもリラックス状態を作るためです。

今の子供たちは外で遊ぶ時間が少なく、食べ物が常に豊富な毎日を送っています。

これは副交感神経が刺激されている状態です。

副交感神経があまりに優位だと何が起こるか?

その状態が続くと、筋肉や骨格が丈夫に発達しなくなります。

ですから今の子供たちや若者は骨が細くてあごも細く、筋肉が足りず、その結果疲れやすい体質になっているのです。

また、副交感神経側に偏ると気迫がなくなります。

子供がいろんな困難に出会ったとき、それを乗り越えるためには、

交感神経の刺激により脈を増やしたり血圧を上げながら対処する必要があります。

しかし、副交感神経側に偏って穏やかすぎる子は、そのような気迫が生まれません。

それが不登校や若者の職場離れに結びついているのではないかと思うのです。

子供だけではなくお年寄りもそうです。

いくら年をとっても穏やかでいれば良いのではなく、

ときには交感神経を刺激し、やる気を出しで困難にぶつかったりして、元気に過ごすことが大事なのです。


やたら「塩分は控えた方がいい」と言うお年寄りもいますが、

あまりに塩分を控えすぎると交感神経が働かなくなり、どんどん気迫がなくなっていきます。

中には、初めから介護されることを前提に

「介護費用を払っているんだ」

なんて考え方をするお年寄りもいらっしゃいます。

でも、それでは、やはり、だらしないです。

「介護費用は他人のために払っている。自分はお世話にならないぞ!」

これくらいの気迫が大事です。

塩分を控え過ぎるとこんな気迫も出ないのです。

70歳を過ぎると医療費は1割負担です。

このとき気迫のあるお年寄りはこう考えます。

「9割は国が負担してくれるのだから、自分はめったなことで病院には行かないようにしよう!」と。

一方、穏やかすぎるお年寄りは

「1割負担になったから、これからもっと病院に行こう」

と、こう思います(笑)。

私たちは無理しすぎても体を壊しますが、

楽をしすぎても生きづらくなってしまいます。

漫画家の水木しげるさんは著書「水木サンの幸福論」の中で「幸福の7か条」について書いています。

その第6条に
「怠け者になりなさい」
とあります。

つまり、頑張りすぎず、遊びすぎず、

ちょっと怠け者くらいがちょうどいいと言うことなのです。(^_^)


(「みやざき中央新聞」安保徹さんより)

がんの神様ありがとう、4

2016-06-29 11:25:08 | 病気のなおし方(自助努力)
4「がんの神様ありがとう」

(筑波大学名誉教授 村上和夫さん 育生会横浜病院院長 長堀優さんの対談)

🔸村上 長堀先生は見えない世界について、どのように考えておられるのですか。


🔹長堀 医学の世界というのは長いことを科学的手法、科学的な考え方を大事にしてきましたが、対象としたのは見えるものだけでした。

見えるということは、目で見えることはもちろん、様々な計測機器を使って数値化できるものです。

一方、この宇宙における大本の物質は何かについて考える量子論をドンドン突き詰めていくうちに、

大本の粒子があやふやなものだということがわかってきました。

どういうことかというと、原子の中にある電子や中性子、陽子というのは、

その構成要素であるクオークの回転によって形づくられているということです。

🔸村上 だから実体があやふやだというのですね。

🔹長堀 竜巻と一緒だと考えるとわかりやすいかもしれません。

竜巻というのは回転することによって物体として見えますが、回転が止まった途端、自体はなくなってしまいます。

「この世の事象というのは、幻である」

とは、その昔東洋の覚者が瞑想雨で至った真理だと言われていますが、

その言葉に科学が追いつき始めているのが現代だと私は思うのです。

結局、そのそこにあるのは一元論です。

見えるものと見えないもの、粒子とエネルギー、生と死などもそうですが、これまで二元論的に考えてきたことが、

実は、すべて繋がっているということを指し示しているのだと私は考えています。

「善悪不二」という東洋の言葉も、やはりそういうことを表しているのではないでしょうか。

🔸村上 しかし、世界の科学者たちの多くは、まだ長堀さんのおっしゃるような世界にたどり着いたでいなくて、

目に見えるものだけを追いかけているレベルにとどまっているように思います。

そのレベルを突き抜けた世界を、量子論という最先端科学から見ることができるというのは、面白いところですね。

🔹長堀 東洋の祈りを理解する感性と、西欧の科学技術を理解する感性を併せ持っているのが、私は日本人だと思うんです。

そして、その東洋と西洋の考え方を近づけるきっかけになるのが、先ほど話した量子論、素粒子論ではないかと。

例えば、最近ノーベル賞とられた梶田隆章先生もご専門は量子論ですよね。

これは偶然ではなく、今後日本人の手によって東洋と西洋の統合の時代が開かれていくのではないかと私は思っています。

大事なのはバランスですね。

西洋の科学技術に偏りすぎたからといって、これを否定すべきではなく、

東洋の哲学と西洋の科学とのバランスをうまく取っていけば、もっといい世の中ができるのではないでしょうか。

そして、そのバランスを取る上で、最も大事になってくるのが、

やはり死の捉え方だと思うんです。

先ほどお話ししましたように、人間誰もが死んでしまう以上、

それを敗北だとしたら何の救いもありませんからね。


(つづく)