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信長に学べ

2017-07-22 15:16:24 | お話
🍀信長に学べ🍀


不完全燃焼に終わった三洋でのリベンジをソフトバンクで果たしてみろ。

孫からハッパをかけられた鎌谷はたった1人で、入ったばかりの会社の30年ビジョンを作るという挑戦を始めた。

最初に取り組んだのは孫から託された第一のテーマ。

30年後のコンピューターチップの性能を占うことだ。

これははっきりとした手掛りがある。

ムーアの法則だ。

インテル創業者の1人、ゴードン・ムーアが1965年に書いた論文で提唱したもので、

一般には次の法則で知られる。

「集積回路者のトランジスタの数は18ヶ月で2倍になる」

これが18ヶ月なのか24ヶ月なのかは議論の分かれるところであるが、

鎌谷はとりあえず24ヶ月説をとった。

ムーアの法則と半導体の進化に関しては
孫は常々関心を持っているが、

その捉え方が独特だ。

人間の大脳には300億個の細胞があると言われている。

では、ムーアの法則に従えば、ひとつの半導体チップ(集積回路)の上に載るトランジスタの数は、

いつ人類の大脳を超えるのか。

創業間もない頃に孫が計算したところ、

2018年と出た。

単なる計算上のことだが、孫は人間の知能をはるかに超える「超知性」が出現するターニングポイントが2018年だと考えるようになった。

さらに、これがずっと同じペースで続くと、

例えば100年後にはコンピューターの能力はどうなるか。

現在の1ガイ倍になる。

1億の次の単位が1兆、その次が1京、さらにその次で、ようや1ガイになる。

まさに天文学的な数字である。

「人間は昆虫やアメーバをバカにしてますよね。

でも、100年後のコンピューターから見ると、

たった1枚のチップと比較しても、人間の脳細胞というのは(現在の)我々から見ると、アメーバ以下なのです」

こんな調子で未来の世界を予想していく作業を進めた。

次第にチームのメンバーも増え、もちろん孫も全面的に参加した。

孫は100時間以上を鎌谷ら検討チームとの議論に費やした。

1年という時間をかけて作り上げた孫のビジョンは、その作成過程が実に面白い。

議論や調査は真剣そのものだが、

端から見れば脱線に見えることが多かった。

研究の対象は歴史や生物学にまで及んだ。

例えば、今後30年にいたるまでのコーポレートガバナンスの議論していた時だ。

孫からこんな指令が飛んだ。

「本能寺の変までの織田信長の領土拡大のプロセスを調査しろ」

鎌谷たちは信長がどんなペースで領土を拡大していったか、

横軸に年月、縦軸に領土の石高をとってグラフにしてみた。

すると、ある時点を境に、急激に領土が増え始めたことに気づいた。

いったい、何があったのか。

調べてみると、ちょうどその頃に信長が「天下布武」の印鑑を使い始めていたらしいことが分かった。

それを見て孫は満足げに言った。

「見ろよ、やっぱりビジョンなんだよ」

孫の持論はこうだ。

「ビジョンがないと人間は、本人は一生懸命働いて山を登っているつもりでも、同じところをぐるぐると回ってしまう。

それだと狭い円から抜け出せない。

ビジョンがあれば一目散に高みを目指せる。

最終的に大きな山に登れるというわけだ」


信長はビジョンの重要性に気づいていたという孫の仮説は、

もうひとつの言葉で立証されるという。

信長が旗印にも使った「永楽通宝」だ。

戦国の世では旗印は武勇を鼓舞するものが多かった。

大河ドラマ「真田丸」でもおなじみの真田家の「六文銭」が有名だ。

六文は三途の川の渡し賃とされ、

戦場でいつでも死ぬ覚悟を示したものだ。

武神・毘沙門天を信仰した上杉謙信の例もある。

では、なぜ信長はお金の永楽通宝なのか。

鎌谷はこう説明する。

「孫さんの考えでは、信長はテクノロジーとファイナンスの両方を押さえたから偉大なのだということです」

天下布武が武力によって覇を唱えるビジョンを示すものなら、

永楽通宝は自分に付き従えば豊かになれることを天下に示すビジョンだったということだ。

楽市楽座でも知られる信長が戦上手な一方で、
今で言えば規制緩和を通じて経済活性化政策を推し進めたことは広く知られているところだが、

孫はそれを端的に表現する術に学ぶべきだと言う。

信長は重商政策を推し進めるために寺社が管理していることが多かった関所をとっぱらい、

これに反抗するすれば焼き打ちもいとわなかった。

孫が注目したのは、その政策もさることながら、

自らの考えを分かりやすく世に知らしめたことだった。


もちろん戦闘に勝ち抜くためのテクノロジーも研究対象になる。

孫が注目したのはやはり鉄砲だ。

鎌谷らにこんな宿題を与えた。

「信長は武田勝頼を破った長篠の戦いで鉄砲をどう使ったか」


鉄砲伝来の時期には諸説あるが、種子島に火縄銃が伝わったのは1542年から翌年にかけてとされる。

長篠の戦いは、それから約30年後の1575年。

信長が戦のパラダイムシフトを起こすまで30年もの猶予があったわけだ。

長篠の戦いの実態にも諸説ある。

最も有名なのは信長軍は3000丁とも言われる鉄砲をかき集めて、いわゆる三段撃ちで武田軍が誇る騎馬隊を打ち破ったというものだろう。

鎌谷は文献をあさり研究者の協力も得て、

当時の軍備の常識では多くても数百丁程度だったと仮定した。

信長は合戦に加わらない支配下の大名からも鉄砲を集めて、

当時としてはありえない規模の大鉄砲隊を完成させたと結論づけた。

導き出した結論は、いわゆる「戦力の1点集中」の有効性だった。

武田軍と対峙するその日に限って言えば、鉄砲という最新テクノロジーの「独占」を実現したのだ。


孫の指摘はさらに続く。

「じゃぁ、早くはどうなんだ」

火縄銃の火薬の原料となる煙硝(硝石)は、日本ではほとんど産出しないため輸入に頼っていた。

その貿易を牛耳っていたとされるのが堺だった。

火薬があって初めて鉄砲という兵器が完成する。

なければただのオモリだ。

では信長は、どうやって火薬を手に入れたのか。

その点は異論もあるだろうが、少なくとも孫の考えでは、

信長が傾倒した茶の湯にヒントが隠されているという。

いわゆる茶の湯の天下三宗匠と称される千利休、今井宗久、津田宗及。

彼らには共通点がある。

いずれも信長の寵愛を受け、堺を拠点とし、茶の湯の師匠という一方で別の顔がある。

貿易商、それも武器商人という顔だ。

信長は彼らを利用して煙硝を確保したに違いないというのが孫の考えだ。

武田軍も勝頼の父である信玄の時代から鉄砲は研究していた。

ただ、周囲を陸地に囲まれる武田家ではどうしても火薬の調達量に限界がある。

この点でもやはり長篠の戦いの勝敗を分けた原因だと見る説もある。


一方の信長は「火薬貿易のプラットフォーム」である堺を一足先に手に入れ、これをフル活用した。

言ってみれば信長は鉄砲と火薬という新世代のテクノロジーを一時的にせよ独占と言える程度に手中におさめて、

それを惜しみなく最強のライバルにぶつけたのである。

こう考えれば、孫がなぜ鉄砲にこだわったかが分かる。

それはやはり最新のテクノロジーの存在にライバルより先に気づき、

それを独占する手立てをいち早く講ずることの大切さを学べるからだ。


そう考えるとM&Aチームの仁木勝雅がなぜ英アーム・ホールディングスを「いかにも孫さんが好きそうな会社」と考えたか、改めてその理由が分かってくる。


孫にとってアームが持つ半導体の技術は、来るべきIoT時代の鉄砲なのだ。

日本の通信大手より先にiPhoneの破壊力に気づき、

それを独占するため素早くスティーブ・ジョブズの懐に飛び込んだ時もそうだった。

ジョブズと結んだ独占契約は、孫に言わせればモバイルインターネット時代の鉄砲とは何かを探し続けてきた思索のたまものなのだろう。

孫はiPhoneを手に入れると幹部陣にこう話した。

「いいかお前ら、これからiPhoneで遊びまくれ」

信長が長篠の合戦で採用した有名な「三段構え」の戦術などは、

信長自身が若い頃から火縄銃に親しんでいたからこそ生まれた斬新なアイディアだ、というのが孫の考えだ。

iPhoneをモバイル・インターネット時代の鉄砲だと確信したからこそ、

信長にならってiPhoneを使い込むことでアイデアを生み出そうと考えたのだ。

ついでに言えば1995年にインターネットが爆発的に普及すると予見した際の鉄砲は、

米シリコンバレーで見つけたヤフーだった。

常に先の時代の鉄砲を求める貪欲さや明確なビジョンを掲げることの意味を、

孫は信長から学んでいたのだ。


(「孫正義 300年王国への野望」杉本貴司さんより)