先日、実家へ里帰りした際、以前から少し気になっていた事を父に尋ねてみた。
簡単に言えば、自分の家の家系がどうなっていたかという事で
今迄はなんとなくの話だけで、詳しい話は一度も聞いた事がなかった。
うちの家は仏教でない為か、お盆や正月といった親戚の集まる機会も
殆ど無かった事も要因していたのかもしれない。
祖母がハワイ生まれで、遠い親戚がアメリカ辺りにいるらしいぐらいの
認識だったので、その辺の所からいきさつを父に聞いてみた所、
曽祖父が、自分の息子の為に、英文で家系図を残してくれていた物が出てきた。
詳しい内容は割愛させていただくとして、この家系図と一緒に出てきた曽祖父の
写真が私のイマジネーションを大いに揺さぶった。
私が1967年(昭和42年)生まれ、
父がその30年前1937年(昭和12年)生まれ、
祖父がそのまた30年前の1907年(明治40年)生まれ。
今回出てきた、曽祖父が1879年(明治12年)生まれ。
これは千代鶴是秀1874年生まれと同世代と言ってもいい時代だと言える。
その頃の是秀のいとこ、石堂秀一(1874年生まれ)の写真がこんな感じ。
まだまだ着物姿が一般的だと思われる
上は、1899年頃の曽祖父、ハワイに渡った頃の写真。
花農家を営んでいたという事だが、左手に持っているのは大きい鉈の様な物か?
千代鶴太郎が明治40年生まれで、丁度私の祖父と同い年。
下がその太郎さんが若い頃の集合写真。(右端が太郎、中央が是秀)
上が1937年(昭和12年頃)中央が曽祖父、周りが祖母の兄弟。
ハワイへ移民して、それなりに成功を収められたという事からか、随分ハイカラな感じだ。
日系移民を描いた映画やドラマは、何作か見た事があるが、自分の曽祖父達とは
いまいち結びつかなかったが、この写真を見るとグッとイメージが膨らむ。
また同世代の千代鶴是秀や、太郎が生きた時代にまで色々な思いがわいてきて、
身近に感じられた。
つづく
参考写真:千代鶴是秀(ワールドフォトプレス刊)