世の中の二乗>75の二乗

話せば長くなる話をする。知っても特にならない話をする。

知識はあるが未体験の多くのことについて

2011年05月17日 22時34分38秒 | Weblog
職場でもうじき子どもを産むスタッフがいて、
産休に入るのでさよならをした。
スタッフみんなで寄せ書きなぞして、
「お世話になりました」と小袋の入浴剤なぞもらい、
こういう状況に置かれるのは初めてだが、
もう既に何度か経験してきたような別れ方をした。
が、
子どもが生まれるという不思議についてはなかなか思うところが多かった。
保育所という場所で働いているせいか、
「子どもが生まれる」とか「子どもを産む」というのは
ごくごく自然のことのように思う反面、
子どもは最初からそこに「いる」ものという意識が強くて、
あるお母さんに第2子が宿ってみるみるお腹が大きくなったり、
スタッフで最近太ったなあとか居眠りばかりだなあと思っていた人からある日「実は妊娠してて」と発表されたりということには
なぜか驚かされる。
なんか自分が「人間は人のお腹から生まれてくるんだよ」という事実を忘れていたみたいな気になる。
普段は知識があるからわかった気になってはいるんだけど、
実際目の当たりにすると知識だけのときには揺れ動かなかった感情が、ちょっとびっくりするくらい揺れ動いたりして、
既に知ってるはずなのに感情が動くことに驚く。
それで、「ああ本当に人間はお腹の中で育つんだなあ」と感慨深げに思ったりする。
で、じゃあそれは知識と結局は同じ結論に至るわけで、
意味がないじゃないかとか二度手間とかだから耳年増はとか頭でっかちだからとかそういうことでもなくて、
そのずれを感じるのが結構楽しいという話。
今日、3歳がふいに「生まれる前」のことを話し始めて、
曰く、彼は生まれる前は空にいたらしい。
それは言ったままを文字にすると笑っちゃうみたいだけど本当に「おちょらにいたの」というピノコ語で、
それでそこで何してたのと聞くと、「言ってたの」。
なんて言ってたのと聞くと、「ママーって言ってたの、そしたらここに来たの」と真剣に言った。
私はこういうことがつらつら本に書いてあったりするとなんか嘘っぽくて嫌だと思うが、
実際の3歳の口から聞くと、はぁとえらく素直に感動したのだった。
朝の8時半に。