《 チェズリー・ “サリー” サレンバーガー機長からのつづき 》
今年7月11日付のニューズウィーク誌で、あの時を振り返るサリー機長。
(内容に重複する部分がかなりありますが、何度聞いてもいい話なので載せちゃいます。 )
「それまで42年間近く空を飛んでいましたが、あれほどの困難に直面したことはありませんでした。
私の人生における最も困難な日になると悟りましたが、解決できる、あの日私が死ぬことはないと思いました。
(エンジン・トラブルの)原因がわかっていたことは大きな利点でした。 何が起こったんだ?と考えることに
時間を無駄にせずに済んだからです。 すぐに 『さあどうしよう?』 の段階に入ることができました。」
――何をするべきか、どうしてわかったのですか?
選択肢は3つしかありませんでした。 到達可能かもしれない滑走路はふたつありました。
しかしすぐに、遠すぎるとの結論に達しました。
巨大なジェット機を着陸させるのにニューヨーク市――地球上でも最も人口過密な都市のひとつ――で残された選択肢は、
ハドソン川しかありませんでした。 十分な長さと幅があり、試みるに値する滑らかさもあります。
ラガーディアに戻るかテーターボロに向かうかを管制官と相談する間に、双方とも遠すぎると悟りました。
そこで最終的に “ハドソン川に降ります。” と告げたのです。 あとは自分の決定に従うのみでした。
――ボイスレコーダーに録音された通信では、とても冷静に聞こえます。 実際そうでしたか?
冷静だったのはうわべだけです。 我々はプロとして冷静さを保つよう訓練されていますが、実際はまったく冷静ではありませんでした。
冷静でいられたはずがありません。 ストレスのため血圧と心拍数が急上昇し、認識範囲が狭まるのを感じていました。
――あの日の午後の最大の障害は何でしたか?
時間と仕事量です。 とてつもなく大きな仕事量と、とてつもなく短い時間――バード・ストライクから着水までの
208秒間に、多くのことをしなければなりませんでした。 自分たちに冷静を強いて無理矢理秩序を保ったことは、助けになりました。
最初の数秒間で、乗客と航空機の両方を救うことはできないとわかりました。
――航空機を救うことは重要でしたか?
ノー。 人々の命を救うつもりでした。 それが6千万ドルの航空機を水に入れることを意味するのなら、
それが私がやるべきことでした。 航空機についての心配はまったくしませんでした。
――最悪の場合、何が起こっていたでしょう?
エンジン停止状態では、滑走路に着陸する場合でも長いチェックリストがあります。 着水する場合も同じです。
私は着水はそれまでしたことがありませんでしたし、あのような大きなジェット機の着水は航空史でもあまり多くの例がありません。
チェックリストは3ページに及び、我々は最初のページしか読む時間がありませんでした。
そのため私は直感的に何をすべきかを知らなければなりませんでした。
――乗客に「衝撃に備えてください」と告げたのは、着水の直前でした。 あれは機内の秩序を保つためでしたか?
それとも時間がなかったからですか?
時間がなかったからです。 アナウンスをしなければならないことはわかっていました。 乗客への警告は、最重要事項です。
私はアナウンス前に、慎重に言葉を選ぶため途方もなく長い時間、おそらく3、4秒を費やしました。
興奮をみせず、自信に満ちて聞こえるよう努めました。 理由があって、ふたつの特別な言葉を選びました。
“Brace” は乗客に緊急着陸が迫っていることを教え、客室乗務員には衝撃の強い着陸の際
怪我をしないよう乗客を助けることを指示します。
さらに私は、咄嗟に “impact” という言葉も選びました。 その言葉によって、着陸がきついものになること、
そのため衝撃に備えることがとても重要だというイメージが鮮明になると考えたのです。
そこで “This is the captain; brace for impact.” とアナウンスしました。
着水になることには言及しませんでした。 乗客にクッションや救命胴衣を探したりせず、
衝撃に備える姿勢をとることに集中して欲しかったからです。
――着水の瞬間、何が頭をよぎりましたか?
機体が破損することなく着水できれば、水没するまでに救助される自信がありました。
とても寒い日だったので、迅速に救助されることはとても重要だったのです。
マンハッタンを歩いた経験から、79番桟橋からフェリーが発着することを知っていました。
――お祝いはしましたか?
驚くべき偶然ですが、ジェフと私はお互いを振り向きざま 「思ったよりひどくなかったね。」 と言いました。
しかしまだ問題が残っていたので、お祝いしている暇はありませんでした。
最初の部分は解決しましたが、川から155人を救助するという部分が残っていたからです。
通路を2回往復し、誰も取り残されていないことを確認しました。
巨大な航空機を川に着水させるという問題を解決したあとに、誰かを別の原因で死なせるつもりはありませんでした。
――あの日のことが甦ることはありますか? トラウマになっているということは?
悪夢を見たのは、ほんの数週間のことでした。 その後は記憶を反芻し、あの日について話し、書くことができました。
大変だったのは、以前と同じように眠ることでした。 医者にかかっていたにもかかわらず、血圧と心拍数が
約10週間も上がったままだったのです。 最初の数日間は、一度に一時間以上は眠れず、脳を休めることもできませんでした。
とくに夜遅くに、あれこれ後知恵で思い悩みました。
――幸い後知恵批判されるようなことはありませんでしたね?
それは正確ではありません。 全員が助かったものの、我々が取った行動は事故調査で分析されねばなりませんでした。
あらゆる段階で下した我々の決断が正しいものだったと確証され我々の行動の正当性が認められるまでには、何ヶ月もかかりました。
多くの人々は、この部分をご存知ないのです。
――ヒーローと呼ばれることをどう思いますか?
それは私が迅速に慣れねばならなかったことです。 58年近くも無名の人生を送ってきた私が、
数分で世界的な有名人になってしまったのですから。
私はあの話の案内人になったような気がします。 多くの人々にとって、私はあの話の公の顔だからです。
もちろん私は、あの成功に終わった結果は多くの人々の努力の賜物だったことに言及することを忘れません。
あの便に乗っていた人々の人生は、あの日を境に変わりました。
まさに “前と後” で人生を分けるような出来事だったのです。 人々の注目を集めることは、私の人生体験の一部となりました。
良い結果に終わったこと、良い話であることに本当に感謝しています。 人々に希望を与える話の公の顔であることは
とても大事な役目であり、今後もこの役目を敬意をもって大切にしていくつもりです。
――正直にお答えください。 他のパイロットでも成功したと思いますか?
それを知ることは不可能です。 他の多くのパイロットが同じようなことをしたと思いますが、結果を知ることはできません。
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2010年にTLCが放映したという、とても良くできたドキュメンタリーを見つけました。
いつまで見られるかわかりませんが、リンクを貼っておきます。
Brace for impact : The Chesley B. Sullenberger Story
1549便の窓側の席の乗客気分を味わうには、これがいいかも。
Hudson Crash - US Airways Flight 1549 - Reconstruction from inside the plane
このドキュメンタリーも、不時着水後に救助されるまでの詳細が描かれていてなかなかです。
Air Crash Investigation - US Airways Flight 1549 Hudson River Runway
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私がブログを始める前に起きたこの奇跡。 いつか記事にしたいと思っていました。
今回なぜようやく重い腰を上げることになったかというと・・・・・ サリー機長の自伝的映画が製作されていると知ったからです。
クリント・イーストウッドが監督で、サリー機長を演じるのはトム・ハンクス!
今月始め、ハドソン川沿いで目撃されたお二人。 トム・ハンクスはサリー機長に似せるため口髭をたくわえていますね。
ジェフ・スカイルズ副操縦士役のアーロン・エッカートもいます。
緊急救助員たちがいるところをみると、不時着水後の救助シーンを撮影しているのかな?
きびきびとニューヨークの街を歩くクリント・イーストウッド。 85歳とは思えない!
映画はサリー機長のベストセラー自伝 “HIGHEST DUTY” を基に製作されるそうです。
サリー機長についてもハドソン川の奇跡についても調べつくした感のある私ですが、
サリー機長ファンになっちゃったしイーストウッド監督でトム・ハンクス主演とあっては、これは見逃せないわぁ。
映画 “Sully” の公開を、楽しみに待つとします
《 番外編あり: 奇跡の批判と事故調査報告書 / サリー機長の “HIGHEST DUTY” 》