赤ずきんのお散歩ブログ

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開創1200年の高野山を歩く 「摩尼宝塔(まにほうとう)」

2015年05月13日 00時00分05秒 | 高野山

摩尼宝塔

高野山で唯一、八角形のお堂です。


この塔の発願者である「成福院」前住職、故・上田天瑞(てんずい)大僧正(元高野山大学学長)は、

昭和16年、南方仏教 研究のためにタイ国に至り、大戦の勃発によって陸軍嘱託としてビルマに進駐。

ビルマ各地に日本語学校を設立し教育に挺身、その後ビルマ僧となって修行しま した。(ビルマでは身をもって悲惨な戦争を体験) 


中へ入って行きます。


この塔は大戦中、ビルマ国(現ミャンマー)から贈られた釈迦如来を本尊として、二百万英霊を供養し、

併せて大戦以来の当院とミャンマーとの絶え間ないかかわりを通じ、アジアの親善と世界平和を祈念するものです。 


昭和19年、ビルマ仏教協会より贈呈された釈迦仏像と大蔵経を奉持し無事に帰国した大僧正は、

この仏像をご本尊としてビルマ戦没英霊を高野山において供養することを発願し、苦心13年の歳月を要して、

昭和40年第1期の摩尼宝塔工事を終了、今日の基礎を作ると共に、日々護摩供養を厳修して英霊の菩提を弔いました。


ビルマの竪琴


お堂の中には、沢山のビルマ(現ミャンマー)のイラストや写真が展示されています。


(^・ω・^).....ンニュニュ?


何か地下へ続く階段がありました。


戒壇めぐりだそうです。

真っ暗ですが、修行へ行ってみます。


一番奥のところに仏像がありました。

これがビルマから贈られたと言われる釈迦如来かしら?


地下は八角の地下道を巡る場所となっており、真暗な中で仏の威神力によって、

罪とけがれから浄められ、真の自己を知って幸福の鍵にふれる修行場となっています。


真っ暗な通路に、所々このような仏画が光っていました。


不安定な現世を宗教と芸術と生活を一体として、何物か永遠なるものを求めんとする希望と実践の塔でもあります。


手探りで何も見えないのですが、どうしてもオカシイ窪みがあったので、フラッシュしてみたら、これw

恐いわぁ~。。。

支那の兵馬俑の兵士に似ている。


戒壇めぐりから出てきました。

これは仏足石。

見事な仏足石ですね。


なんて優しいほほ笑みなのかしら^-^


お釈迦さんの数々。


これは曼荼羅かな?


いろいろな展示


何か今のこの世の中の不条理がイラストで描かれています。

嘘・捏造はいかんぞ、朝鮮人ども。


悪さをすると、地獄に落ちるぞ!

朝鮮人共。


あのイラストは誰の夢を描いているのだろう?


英霊の方々の遺品

日本の為に戦ってくださった方々に、感謝とご冥福をお祈り申し上げます。


ここから見ると、お不動様の目が光っていて異様に恐怖ですw


戦後70年。

大東亜戦争で亡くなられた方々全てのご冥福をお祈り申し上げます。

 

日本軍は、戦後になってもこのように感謝され、今でもアジアの国々と交流が盛んに行われているのです。

支那・朝鮮以外は。

従軍慰安婦とか大量虐殺なんて嘘・捏造の言いがかりで、日本はいつまでも負い目を感じる必要はありません。

あんなものは単なるユスリ・タカリの類のものです。

関わる必要はありません。

手を差し出して、手を取り合える国と協力して未来を切り開いていけば良いのですよ。