遺跡好き弁護士の一(はじめ)法律事務所

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纒向古墳群を行く その4 石塚古墳(桜井市)

2012-05-11 18:23:45 | 日記
かの有名な纒向石塚古墳です。
これもいわゆる纒向型前方後円墳であり、後円部長と前方部長の対比が2:1となっております。向かって右側が前方部で左側が後円部です。

後円部は東西よりも南北方向にやや長くなっていますが、かといって楕円形でもありません。おおむね円だけど少しゆがんでいるという感じです。
全長96メートルで、3世紀前半から中頃の築造と考えられています。
もっとも、例によって古墳とするには異論があることから、案内板には「纒向石塚古墳(墳丘墓)」と記載されています。
纒向石塚といえば、ここから弧文円板(こもんえんばん)やニワトリ形の木製品が出土したことが記憶にありました。


これは、橿原考古学研究所附属博物館にて撮影したものです。弧文円板です。
弧文円板はとても不思議な文様をしていますね。これはいわゆる特殊機台に彫り込まれた文様とよく似ています。この文様自体に重要な意味があったのでしょう。 当時の方々はこれを見て何を思ったのでしょうか? 私はこれを見てとてもかっこいいと思います。
この文様は吉備に発祥するものですから、纒向遺跡の成立に吉備の人たちというかシャーマンみたいな人が関わっていたのでしょうか?


これはニワトリ形木製品です。多分祭りや儀式に使った物なのでしょう。弧文円板と同じでしょうね。
しかし、そんなことよりこのニワトリおもしろい顔をしていると思いませんか?
目が三角で、口が約90度に開いてますよ? しかも、やけに首が長いですよね?

話は墳丘に戻ります。

これは北側から撮ったところ。思いっきりぼけていますがご勘弁ください。左が前方部になります。
墳丘は削平されてしまったのでしょうか? やけに低いですね。

石塚古墳は、纒向古墳群の中でもっとも古い物のようですね。纒向遺跡がここに忽然と姿を現したのが3世紀のようでして、いきなり水路など作ったようです。そして、北陸や東海、瀬戸内からの土器もここから出土しているようです。 つまり当時の文化がここに集約されつつあったのでしょう。

その中での最初の古墳(墳丘墓)の被葬者はどんな人物だったのでしょうか?

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