自由人の発信 おっさんの中国一人旅から国内旅。

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

12日目;当陽へ「朝もやの爆走」

2013-11-27 16:50:12 | 旅行記

10月23日(水) 鐘祥から当陽経由荊州まで予定です。列車もありますが、この程度の距離には対応していません。6:30宣昌行き当陽途中下車です。

5:00起床、5:30退房(ソファーに夜間勤務の男性?いや違います、小姐呼びます)6時前に行っても切符売り場は・・・、いや、もう始めています35元。

Dscf5478

まだ暗い中、人がいれば食堂も始めます。判別できませんが、肉糸米線5元、いくら早くてもこうやって熱々の朝食、外のテーブルで食べています。

Dscf5481

乗客もちらほら。

Dscf5483

バスの近くに屯している運転手?車掌?にチケット見せると。

Dscf5485

バスは定刻発車!でも乗客は半分も乗っていません。結構若い運転手!でもおばさん車掌と例によってお話しながら・・・。朝早いので時間調整しながらのお客拾い?。

それでも街の出口辺りで止まって客待ち?隣の女性乗客降りて、道路向かいの露天ラーメン屋へ。テイクアウトです、隣から美味しそうな匂い!これも慣れると楽しいものです。うまくしたもので、そこそこの乗客になります。さておもむろに出発!。さあ!またまたカーチェイスか。。

でも今日はひどい朝靄です。対向車もライト点けています、が、始まりました。私、運転手の後ろ席。

この中でもクラクション鳴らして、とも角前に車付くと追い越します、追い越した所で人が立っていると急停車「何処行くのか?」、追い越した車がまた前に。

でも今日の濃霧半端でありません、視界は10mから20m、さすがの中国の運転手さんも行儀よく。でもわがバスの運転手君通い慣れたわが道?構わずその列を追い越したり、2重追い越しです。

オイ、これは駄目だ!といった、目の前真っ白!北海道の吹雪ホワイトアウト状態です!!エ?アー追い越してる(当然アクセル全開!)、車見えたら・・・。車来ないの分かってる?まさに30分ほどが1時間ほどに、事故ったら・・・?(前の手摺をしっかりと握っていますが・・)。

無事!何事も無く!乗客は日常?ガス地帯脱出!本日晴天。

と今度は、通行止め?道に村人が何人も出てきて、100m程の区間を止めて・・・。なんと街路樹の伐採!倒れそうでじゃ無く、大きく育ったのでといった感じで、おまけに道路で枝払いまでする?交通障害しているといった感覚ではありません。でも、この運ちゃんが当然のように!文句言ったりしたらこちらが怒られそ。。それにしても街路樹って誰のもの?

2時間ばかりで比較的大きな町、荊門に入ります。丁度ラッシュ時(ラッシュにしている感じですが・・)、またまた運転手君の腕の見せ所!バスセンターの前もこの調子ですが、こじ開けて入って、また出ます。ここでも毎日なのかなー、この渋滞と騒音。

Dscf5486

気が付きます、今まで見かけることの少なかった日本車を、ここらあたりから目にするようになります。トヨタマーク、ホンダマーク、ニッサンマークです。やはり嬉しいですね!

街を抜けると、起伏のある道路を快調に爆走して、9時過ぎに当陽の街へ入ります。

街の四辻で車掌のおばさん、「着いたよ!」です。エ?バスセンターには行かないの?そこまで会話できません。言われた所で降ります。

プリントしてるグーグル地図で現在地確認。確かに中心地に近い所ですが、この先にバスセンターあるのに!

Dscf5487

ザック背負って移動。センターで荊州への時刻確認とザックの寄存して、当陽見学です。

当陽について;三国志での長坂坡の戦(趙雲)の地や関羽が討ち取られた地、中国天台宗の実質的開祖�莟がここの玉泉寺を創建し天台教学の研鑽(隋朝煬帝が絡みます)をした地。

Dscf5488

寄存処が見当たりません、センターの売店で訊くと、ここで預かると、4元、チャンと預り証くれます。ついでに、玉泉寺へのバスを訊くと「没有!」、タクシーは幾らくらいか訊くと、大概40元で行くと。親切?に彼女、車呼んであげると。

幾らもしないうちに青年来ます、「ジャ、行こうか!」、なんと白タク?。マ!イイカ!カーさん紹介だし。

で、10時前には玉泉寺山門到着。

Dscf5489

用足し催してきたのですが、山門潜ったらとてもと、山門脇に行って・・・、誰かが何か言ってる?振り返った所。ごめんなさい!で、シラーとして山門の中へ。

Dscf5490

先に見えますが、かなりな距離。中国の女性も今は変わりなし(こちらの方が・・・)。。

Dscf5492

敷地内を水路橋?そう一帯では水田です、時を考えるとかなりな規模です。

Dscf5494

ここがお寺の入口?バスが来てるジャン!

Dscf5495

すぐ横にこの鉄塔。

Dscf5496

Dscf5497

Dscf5500

Dscf5501

途中走っていたサイクラーです。女性です!若くは無い?ようです、が、中国で今一番元気がいい!そう、確実に変わっては来ている。

Dscf5498

そして寺内へ。近くには関帝廟もあります。

Dscf5499

Dscf5502

結構な規模のお寺になっています。今は観光地としての役割が大きい?当然トイレ設備も完備!。

Dscf5504

Dscf5507

観光地など言ってると怒られそ!本堂?では沢山の参詣人のもと法会が行われていました。台湾から?それにしてもこの人達を先導して出てきた坊主、生臭かった(ビジネスって感じ)!

Dscf5508

堂内の仏様、三仏でした。全体的に再建のようです。あまりにもお金の臭いがしたので、手を合わせて次へ。

Dscf5510

Dscf5513

この梵鐘は創建時の物?。

Dscf5509

奥の宿泊所?の寝具?

Dscf5514

Dscf5516

本堂屋根。

Dscf5515

寺内にあった観音さまの線刻。

Dscf5517

最奥の堂宇、新築です。全て石造り?中国ではたまに見られます。

Dscf5520

Dscf5521

地形、環境も申し分の無い場所です。1400年前にが研鑽の場として選んだ地と納得。

それらしき物も次々と。

さて、近くの関帝廟へと、柵の向うに道は見えるのですが、出入口は施錠されています。仕方ないので柵の切れてる所を通って・・・。

振り返って、右側柵です。

関帝廟へ。

途中の廟、紙銭を燃して、何にお願い?。供養?お願い?仏、道、習合でしょうか。。

   

賽銭上げてお参り。

樹齢1200年??? 

 

帰りをどうしようかと歩いていると、タイミングよく(中国ではいつも実に絶妙なタイミングで!)、軽のバンタイプ(ワゴンR?)の乗り合い?がやってきます。

 

街の長坂坡まで35元だと、一瞬考えましたが、これから山門、さらに表通りまでは4,5キロ。途中でお友達も乗せたり(通りで下車)して、12時前に街の中心長坂坡到着。

 

 

そのテーマパーク?の周りにある中国の歯医者さん。床屋さん感覚なのでしょう。。

表の字を訳します。正規歯科学校卒、歯科専門、十年以上営業、豊富な実績、先端設備、低廉治療、顧客第一、と言ったところでしょうか(間違ってたらコメント願います)。現在私は月一で、歯医者さんに行っていますが・・・。

そして近くにある趙雲像。趙雲と言えば、数年前河北省石家荘の正定に行った時、城門に他の出身者と一緒に彼の胸像があった!

 

街は趙雲さまさま。

お昼は、少し奥まった、いかにも家常菜といった東北餃子店で水餃子半斤。空いてる所は食べた跡ですが、全部食べれるものです。ビール込み15元。

確かに坂の多い街。 

戻ったところで、丁度12:40の荊州沙市行きバスです。切符はと言ってると中で買えと(センターの者が言う?)、車内販売は切符なし!(???)よって写真ありません30元。 

時間帯がいいせいか、乗客が次々と。車掌さんも席をお客に(中国のバスでは一番前は車掌さんの席、座ると、後ろへやらされます。)、譲って補助席を使ったり。でもさらに乗り込んできます!脇にあった中国腰掛を渡して通路も満杯!(運転荒いので立ってると危険?それとも同じお金なので乗客が文句?)。実に柔軟!!

チャンと荊州の入口で通路臨時腰掛は解消して街に入ります。公安に見つかると罰金?

3時には沙市バスセンター。

市内バスに乗って荊州城の方へ移動。

バス停近くのこのホテルへ。一泊158元、許容範囲で2泊します。押金込みで500元中国銀行カードで決済、押金は現金で?それとも振込みで返却?確認は?等考えていましたが(そのどちらも経験済み)、これは仮決済?退房時シート渡せと(押金単には預授権と表記)、で本決済しました。お値段の割りに一流!いや部屋も建物も星3つあげれます!

 

洗濯物は二泊する時に下着を。

 

ここからかの名勝地、岳陽へ行くことも検討しましたが、そこから上海までの便が窮屈。普通で上海だと荊門まで戻って夜行か武漢一泊。

ここ荊州にはグーグル写真に新しく宣昌からの新幹線が入っています(工事中?地図表記ではまだ載っていない)。鉄道関係URLで荊州を検索してもヒットしませんが、何故か隣の宣昌で検索すると荊州も出てきます。でよって明後日7:45発の上海行きを手に入れるべく荊州駅へ。

ホテル近くのバス停から荊州駅へバスが出ています(フロントで聴取)1元。

オオ!ここもまた、50年後の規模?

 

春節用?年に一度のために?

駅前通りを望みます。ここにも事大主義?なんぼ土地がタダと言っても、建設費はかかってるだろうに・・・、フム?公共事業?費用対効果は50年スパン?ある意味大切なことですが・・・。マ!50年後の人達は感謝するかもと言うことで!(よそ者にとやかく言われたくない?)。。

ATMもあったので使おうとしましたが、現在稼働していませんでした(警備できない?)。

チケットは無事ゲット322.5元。

またバスで戻ります、その点市内バスは幾らも待たないで乗れます。市内バス停には行き先は表示されていますが、時刻表はありません(そんな運行は不可能?)。

お堀の外周も公園化の真っ盛り。確かに後10年もしたら南京の街のように立派な町になってるでしょうが、お金をかけるところが他にももっと・・・。。

バスに乗って戻りますが、まだ時間もあるので街の手前東門向かいで下車して。

 

街へ入る橋。水を抜いて清掃したのか?丁度この時お堀へ盛んに水が流入していました。

確かに戦略的規模の城郭。テーマパークの再建でなく、過っての遺構がどれだけ残ってるかです。

 

東門甕城、明代遺構です

    

   

過っての荊州城内。

城内から東門続きはhttp://blog.goo.ne.jp/haishi4706/e/5b95667cc16fdbfe0dabfb27193164ee

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11日目;鐘祥で出会った「過っての研修生?」

2013-11-26 11:39:32 | 旅行記

10月22日(火) 星付きホテルも寝るだけでは・・・、6:00起床、鐘祥行きは7:40、例の朝食は7時からとなっていますが、かまわず6:35退房して食堂へ。準備がまだとか言っていますが、テーブルで待ってると言って(結構ずうずうしく?)。

Dscf5284

38元の朝食と言っても、合わせて食べるわけにもいかず、色んな物を少しずつ、果物も。用意している種類は、むしろ日本のホテルよりも多いのでは。それにしても、そんなにお客が居るとも思えなかったのですが・・・(中国式に、お客の多少じゃなくて、いつもの量ってとこかも)。お粥も数種です。

Dscf5285

バスでは、なぜだか今回旅ではここだけ保険で別途1元、危険な地区ではないのですが(運転が危険?)。

Dscf5286

襄陽で予備日を使わず移動するので今日は鐘祥まで。この時間なら朝食できると。中国では余程小さな町で無い限りバス路線はあるし午前中なら、まず移動には問題ありません。途中下車の場合は特に、車掌に下車地点をアピールしておくこと、バスセンターに寄らない場合が多いので。

ここでは中型バス。

Dscf5287

この写真は隣町バスセンターの入口写真です。センター前の道路は下水工事?かで通行不能!このバスもそうですが、歩道を通行して出入りします。そ、通れるかでなく通るのです。

Dscf5288

鐘祥の街について;明12代嘉靖帝の出身地、11代が亡くなった時、跡継ぎが居なく、血縁の近い従兄弟として、帝位に就く。

帝位に就くと両親を先代皇帝、皇后として祭ろうとして大礼の儀問題を起こす。儒教的には、先代の兄弟として叔父である10代皇帝の子として帝位を継ぐ事になる。子として納得できない!

何処にでも、何時でも、おもねる者は居るもので、とうとう10代皇帝を皇伯考、皇伯母とこじつけてしまいます(反対する臣下は何百人も獄に繋がれます)。

さらに、歴代皇帝の墓は北京郊外に作られているので、亡くなっていた両親の墓を作ろうとしますが、さすがにこれは反対にあい、やむおえず?この地にあった墓を皇帝の墓の規模、顕陵としたものが残され、現在世界遺産となっています。

明の陵墓は要所要所で訪ねているので、ここも今回の旅に組み入れた次第。

バスは3時間ほど11時前に鐘祥の街に到着。

Dscf5289

バスターミナルの建物としてはユニーク?中から出て来たので分かりますが、バスターミナルとして訪ねるとすると・・・。

Dscf5291

中心街への様子。街の中でのマンション建設なら、ある程度理解のうちですが・・・。

Dscf5290

目に付いた向かいの、お手ごろ感覚の酒店(中国では賓館よりランク上?)へ。このてはまず「有!」です138元。この押金単に書いています、チェックアウトは13時まで、以後は半額、18時以降は全額、貴重品はフロントへ。でもチェックアウトしても荷物預かるのに抵抗感が無い??イイジャン!

Dscf5292

ホテル部屋よりバスセンターを。何処に行っても多くの人と喧騒、この人達に納得の豊かさを分配する事の難しさ、今は権力という力で、有無を言わせずですが・・・。

Dscf5297

Dscf5294

Dscf5293

Dscf5295

お昼、牛肉米線?8元。

Dscf5298

街中、承天東路から6路で。街中のマンションですが入居してる様子はありません。

Dscf5299

バスは終点1元。ここまで来る乗客2人だけ。ホントに世界遺産?と言った感じですが、私にとっては嬉しい限り。。

Dscf5301

Dscf5302

道路わきのこの施設?誰もいないのでチョット試してみました。

Dscf5303

と、野生の鶏?迷い子にならない?雛には、ちゃんと親鳥が居ます。近づくと雛を急き立てて。。

Dscf5306

Dscf5307

バス停、もう少し近くにしてもいいのでは!

Dscf5308

先の方に見えます。

Dscf5312

Dscf5314

Dscf5317

Dscf5316

Dscf5320

Dscf5321

やっと入口。勿論老人票で25元。

Dscf5324

Dscf5325

入口から陵内、陵外。

Dscf5327

Dscf5328

碑楼。2010年再建です、私的には再建前に来たかった。でも2000年に世界遺産になってるのにその後の改変?

Dscf5334

Dscf5336

再建前は石碑も無かった?ではこの石碑は?マ イイカ!!

A8014c086e061d95f7c51cdb7bf40ad163d

Dscf5340

Dscf5339

Dscf5343

そして次へ。周りに比べるもの無いから思いっきり?皇帝の歓心をかう者の餌食は、貧しい民衆、今も変わりないのか・・・。

     

     

龍鱗神道について。

     

こういった保存の仕方こそ歴史を感じます。

          

自分が皇帝に選ばれたからといって、その権力を振り回して、なってもいなかった両親をさかのぼって皇帝にしてしまう。権力の象徴というより、権力の愚かさをここに感じます。実際彼は政治を省みることなく、この頃明朝は既に、権力に寄生する者によって、惰性状態となっていた?

確かに儒教的だからといって、皇帝になったので叔父さんをオトーさんとして祭祀しろと言うのも、本来の儒教精神と違うような気もします。要はこれも寄生者の方便?

今年の事です、現在の中国最高権力者?習近平は父親の生誕100年を陝西省にあるお墓でお友達と祝ったと報道されています。何をか謂わんや。。関連記事ですが事実のみ抽出の上参考にhttp://sankei.jp.msn.com/world/news/131102/chn13110207000000-n1.htm

今の中国では国の指導者は国民によって選ばれるのでなく、共産党の権力闘争の中で勝ちあがった者がなる、結果、権力は勝ち取られる。

早い話がアチラの世界?その隣に住んでる私達、そこが法の支配する共通の価値観の場であればいいのですが、まったく違います。さあ、どう対応すれば私達はやっていけるのかです。

だから、その時に備えてや、自衛の為に云々では、100年前の眠ったままの獅子感覚。アチラを相手に無法地帯で争うには、知恵しかないのでは、それが国での外交。長いスパンの戦略と目下の戦術。それを人気投票で選ばれた人に求めるのは酷、その為に官僚組織があるのでしょう。

最奥の位牌?を収めた建物とそれに続く墳丘を囲む壁。

               

と、ここで瓢箪型墳丘?そう前面の墳丘は両親死亡時の墳丘、後面が皇帝として改葬された両親の墳丘。だとすると前面の墳丘はなに?ここまで来ると・・・。

    

半端な規模じゃーありません。明朝歴代の皇帝陵墓では最高?

なぜだかその横に畑が・・・。

そして墳丘の上には赤い布(何かのマジナイ?)。墳丘の上を踏む行為、私達とは少し思考が違います。だからと言って云々は価値観の押し付け、こういった価値観もあることを知るべきでしょう。

なんとも早・・・。

ユックリと見学させていただきました。

バスで来た時途中に博物館あったので寄ります。

時間は3時近く、入り口に案内所?参観券(蘭州の博物館ではこのため・・)でもあるのかと寄ります。閉館4時?1時間あります。

「門票、有没有?」。と、「こんにちは!」日本語です。。「日本語話せるの?」「少しですね」「いや、いい発音です、何処で習ったの?」「前、日本に居ました」「オ!何処ですか?」「山口県です」「私の故郷は北九州、山口には姉が居ます」等々。

応対は日本のおもてなし。そう、同じ事するなら、お互い気持ちよく。おもてなしの過剰はいただけませんが、自らの思いやりこそ、ギスギスを包んでくれる。

なんだかうれしくなって、博物館へ。全貌を撮り忘れましたが、この写真からご想像を!池に入ってる人は中の石を綺麗にしているだけ。。

展示物も中々の物。人は居なく、写真OK?

明代承天府(三大府、北京順天府、南京応天府)の様子。

   

東周 青銅器。

   

明代 白磁。

明代 青磁。

明代 玉腰帯。

明代 水晶山子。

明代 端石硯。

元代 青花雲龍紋梅瓶。

明代 玉瑞曽。

明代 金香嚢。

明代 金耳飾。

明代 流金仏。

明代 皮弁。

明代 玉腰帯。 

明代 金錠。

参観終わって、表に出ると件の彼女も帰り支度。丁度持っていた、白い恋人を、「日本の味です、久しぶりに味わってください」と、無理に進呈(でも喜んでくれたよう)。

多分10年ほど前に研修生かで日本に住んで居たんではと思います。いろんな思い出があったでしょうが、日本人の私をみて、日本語で声かけてくれた意味を考えながらバスで街に戻ります。

写真は博物館前の莫愁湖と鐘祥の街。

食事は20元?部屋にはPCも。

あすは当陽経由荊州へ「朝もやの爆走」6:30出発、おやすみ!。

今日使ったお金;44+1+138+8+1+25+1+1+20=239元

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10日目;許昌から襄陽 「水は北に向ってる?」

2013-11-24 16:42:46 | 旅行記

10月21日(月) 今日は襄陽へ、91元のバス旅300㌔近くあるでしょう。

5:30起床6:30退房、バスは7:10、朝食は裏通りで希飯・ゆで卵4元。バスセンターへ向かってると包餅(私の命名、親父が移動かまどで焼いていたナン様)、美味しそうなので4元。

バスは大型、定刻出発。今日は月曜、出勤時間、出た途端渋滞。クラクション鳴らしても変わるわけではないのに、皆で鳴らします。

と、停車?そう車掌が自分たちの朝食をお馴染みさんで買います(中国マック!)。運転手さんもムシャムシャ食事しながら。実に自由!

と、押しのけ押しのけ入った所は、ガソリンスタンド!街のど真中、交差点カド。

交差点は団子!抜けれないのに、前にくっ付いて交差点に入るんだから!そこに負けじと、もう一方から入ってきます。皆真剣、そしてクラクション。

待ってられないと、ガソリンスタンド内を通り抜けようとする車、こんな所でも少しの空間に駐車しようとする車。そしてスタンド内は車以外(いや車も)の通行帯になっています。これ毎日やってるのかな~。

こんな所のスタンドに、この時間、給油に寄る?運転手さん、昨日出来なかったの?

そう中国では明日のことは解らない、なのに明日の用意なんかする?誰もしない!だからこれ中国の常識。共産党が作ってきた中国。。

給油終わったバスは、この状態の交差点脇を対向車線に向かって!ジワジワっと押し出していきます。この状態ではとっても横切れないぞ!こらだめだ!と。

ところが、いくらもしないうちに、流れを断ち切ります。同じく隣にいた小型トラック(田舎者?)、バスに付いてこれず(だって相手の車も甘くありません!)、取り残されます。勿論そこで団子!そしてクラクション。

なんでもないように・・・、さあお客はと。と今度はもう一箇所のバスセンター南站に入ります。何せ運転手さんにお任せですから、中国の人達が何も言わないのに・・・。ここまで40分ほど経過、これをまだと言うか、もうと言うか。どうでも良い!です。

Dscf5173

例によって国道を・・・。と2時間ほど走った所の葉県で高速に入ります!オ!お昼に着く?中国中原を驀進(ここらの高速は車もわずか)。と、30分か走ったところ旧県のインターに・・・、エ?もう下りるの。

なんと料金所出たところで、一人降りてユーターン、高速に戻ります。またまた1時間も走らないうち方城のインターで同じく出て入って。

このあたりから丘陵状の中を走ります。やがて南陽の手前で一般道へ。

お昼ごろには南陽バスセンターに、こちらの人たちは中国風タコス?を食べていますが、イマイチ手が出ません。私はクラッカーにお茶でごまかします。

ここ南陽近辺に入ると整備された灌漑水路が目に入ります、周りはいつの間にか畑から水田に。

と沿道で、かなりな規模の水路工事が、それと解るまでに完成しています。そうこれが山峡ダム以来のビッグプロジェクト「南水北調」でしょう(資料は百度URL)。

200308270017_240

U11620196292219496253fm23gp0

10120314565570_0

Img256612707

ここ中線は長江支流 漢水に既設の丹江口水庫から北京までの水路。秦の長城、隋の大運河、現代の三峡ダムに南水北調。この国は何処に落ち着くか、思考を止めることなく、隣の国の必然だと。

沿道に淮河源流と表示が??

そして予定通り?午後の2時近くに襄陽到着。

襄陽の説明;3年前に襄樊市から襄陽市へ改名、過って市内を流れる漢水を隔てて襄陽、樊城の二城があり三国時代からの要衝地。諸葛亮孔明が隠棲していた隆中や武当山が近くにあり、関羽が曹操支配のここを攻めてる時、孫権に自分の城 荊州を取られ、進退窮まって・・・。またモンゴルと南宋攻防の地、等々歴史や物語の舞台になっています。

町の中心は樊城の方ですが、駅名も今は襄陽。

Dscf5174

駅前通にある客運中心站(写真中央看板上がってる建物)をホテル前から。

Dscf5187

今日の宿、維也納酒店。

Dscf5190

Dscf5186

Dscf5185

たまには星付きのホテルも泊まれなきゃーと(たまたま一番近くだった)。単人間で219元、銀行カードを使ってみます。

フム?257元?押し金含みかと・・・、渡されたものに朝食券があります。そういえば小姐なんだか言っていたのは、朝食付けるのか?と(そこまで解りません!)、38元の朝食!たまにはイイカ!

Dscf5175

エレベータホールもスゴ!

Dscf5183

Dscf5181

Dscf5176

Dscf5179

バスローブまで!100元でこの違い!これが豊かさ、富裕という事。。一流ホテルでも紙は流してはいけません、常識の問題。

Dscf5180

Dscf5184

窓からはバスセンターが見えます。

Dscf5283

ここでは襄陽城と米公祠です。隆中や武当山、特に武当山はパワースポットとして是非にと勧められていたのですが、世界遺産やそのまま観光地は・・・、へそが曲がってるだけ!

駅前から襄陽城へは1路で。昼食食べていないのでと、駅前の米線チェーン店へ。菜単見ると良い値段(日頃が安すぎ?)、手羽先8元のを頼むと、米線は?と。いらないと言って、出てきたのは手羽先2本!駅前にこういう所もあり?それとも・・・。

Dscf5191

市内、川近くの再開発?これってどんどん国が豊かに、強力になっていく事?世界から尊敬されることではなく、世界に恐れられると言うこと?その過程がここにもある様な・・・。ここまで来ると悲しくなってしまいます。

Dscf5193

漢水を渡って襄陽城へ。雨の降りそうな煙霧です。PM2.5ではありません。

Dscf5195

東門?です。綺麗に整備されていますが・・・。私が見たかった襄陽城では・・・。

Dscf5196

Dscf5197

前面はお堀です。

Dscf5199

ここではこの敷石くらいか。

Dscf5200

東門から北に伸びてる城壁。表はいいのですが・・・。

Dscf5201

Dscf5202

Dscf5204

Dscf5205

城内側の様子。これを上まで上げて復元する意味もないと思いますが、少々がっかり。

Dscf5207

お堀に出来た公園への出入口。

Dscf5206

城内の住宅街を北門の方へ。観光客も居なくて、少々けだるさが。

Dscf5208

学校は何処も同じで元気そのもの。

Dscf5209

漢水沿いの城壁に到達、北門の楼閣が見えます。

Dscf5211

これが旧来の城壁?、版築です。良い状態で残っています、説明が欲しい所です。

Dscf5212

Dscf5214

手前の出入口から出るとこの様子。

 

表側(漢水に面した)北門。

 

漢水から樊城市街を望みます。

城内側。

  

中心、鼓楼が望めますが、観光地はパス。

 

城壁見学はここらで切り上げ、米公祠へ。漢水の向こう岸、とても歩く距離でないとタクシーを探しますが、居ないし、やって来ない。。ママよ、と城壁に沿って歩きます。

この橋わたって!

と川の中に何やら?オオ!遠泳の人がこちら岸に。。チャンと救命具引いています。中国の川もここでは泳げるほどに、まだ汚染されていません。だから?北京まで持って行く?

北西角から西面城壁、お堀。確かにクビライも攻めあぐねたお城の規模。

 

と、ここでは、中華圏人達必須の結婚記念写真撮影!とこでもこの時が花!二組さん居ます。

大きな川に長い橋、ここまで来ればもう歩きです。。と、先ほど泳いでいた人?横を通っていきます。

  

対岸近くから襄陽城を、近くの川の中には水泳中の人達、漢水遠泳クラブと言った所でしょう。。

米公祠とは北宋三大書家の一人米芾の生家?勿論半票12.5元。

  

襄陽の名家?その模型。

   

展示館に展示されていた作品。私は音痴!ハンコの多いのを参考にと。

            

中庭の一つ。と続けて碑林に広大な園林。学問も出自から?

   

ここまで来てたったこれだけ見てといった所ですが、知りたい事、見たい物は今ではネットやテレビの世界遺産でもっと詳しく、詳細に知る事ができます。勿論現物の迫力には及ばないでしょう。

それより私はその場の空気が吸えればいい、と言った感覚。

さて時間も5時半過ぎ、バス停捜して帰ります。

ホテルのすぐ横で食事、火鍋です!美味しくてこれだけの物完食してしまいました、もちろん碑酒から〆の小椀米飯まで45元。

今日も歩き回っていい気もち。

ホテルのテレビCCTV(中国中央テレビ)でのニュース、日本の靖国参拝を丁寧に詳細に、そして安全保障会議を(日本以上に)。まるで日本が中国を相手に戦争準備しているかのように。

中国共産党は作為的に、国内に向け利用しています。13億人近い人たちに向け。。

「けしからん!」じゃなく、そんな切羽詰まった国(理性の通じない人?)にどう対処すればいいかです。

靖国参拝した国会議員の人は、その意味を、その行動を、隣国の人達はどう伝えられているのか知っているのでしょうか。相手の国の事で私には関心がない?。

参拝しているお顔や、インタビューを訊く限りそこには個々人のポリシーを私は感じることができないのですが!「英霊?」フェレーズで誤魔化してるとしか・・・。

誘われたから行く、行った方が良さそうだから行く、こういう人が私達の代表として選ばれている、日本は・・・。

でもまだ今は、中国の人々にとっての関心事は生活!、自分たちと同じような私に対して何の反応もありません。日本人と分かってもただの好奇心だけです。

明日は切り上げて、次の鐘祥へ7:40 鐘祥で出会った「過っての研修生?」で。

今日使ったお金;4+4+5+219+38+8+1+12.5+1+45=337.5

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9日目;許昌までのバス旅 「激論あって次がある」

2013-11-20 15:37:52 | 旅行記

10月20日(日) 5:30起床、朝の用足し、髭剃り、洗面、お湯沸かし、パッキング、部屋片付け6:30退房。下着は3,4日で、上着は着たきりすずめ、朝晩はジャンパーを、合宿?

今日の朝食は刀削麺。器は水の節約?これ結構多くのお店で。でもあまり良いポリ袋でないので高温の物は・・・、ホルムアルデヒドが・・・。私はこちらの方が快調ですが・・。

Dscf5122

Dscf5125

お店の前、駅前ですがごみを焼却するのは・・・、マイイカ!

Dscf5124

7:10 59元。金額から200㌔以上午後到着(そう、大雑把に!)。

Dscf5126

商丘駅前メイン道路日曜7時過ぎの様子。

Dscf5127

バスは中型20人がとこ。国道沿いをお客探しながら、追い越しながら、クラクション鳴らしながら、おしゃべりしながら、電話しながら。これが中国式!

今日は日曜日、途中の村や町では何処も市がたって、賑やか。街のメイン道路を塞いで!そこをクラクション鳴らしながら、一台でも多く追い越そうと運転手さん腕前を。いつ事故ってもおかしくない状態ですが、接触事故ひとつ起こしません!

Dscf5128

2時間ほど走った所の少し大きい?街で若者がまとまって、5人ほど拾われます(車掌がうまいこと?言って乗せちゃう?)、明日から勤め?授業?といったところ。後ろの座席も4人かけに、5人ほど、もう満席!。

さて出発!と、いくらも行かないうちに、車内が騒がしくなります(車内コミニュケーションでなく!)。若者達と運転手の間で・・・、そのうち、運転手さん怒り始めています。私はサッパリ・・・。とうとうバスを止めて、揉め始めます(フム?若者たち降りる?降ろされる?・・・)。思います、中国では、ある線以上には・・・?どういった結末になるのか・・・(楽しみ!いや興味?)。

フム?解決?オット、若者がカンパ?私にも5元と回ってきます。訳分からないが、激論の上で決まった事ですから、私も応じます。

運ちゃんぶ然?で発車。と、車はユーターン!若者達乗った所まで戻って、降りるのか?

いや違います、高速道路入口です!ヤッタ!これでかなり早くなるぞ!!

事の顛末思うに、もう車内は満員、許昌近くの町まで(彼らの目的地?)降りる乗客はいない?。このまま下を走っていたのでは彼らの時間には間に合わない?車掌は乗る時大丈夫といったのに、乗ったら運転手は約束できないと?。。「それじゃ、高速走ればいいじゃないか」「そんな金誰が負担するんだ」「そっちが言い出したこと、乗せた方の負担だろ」「ナニ言ってるんだ」「・・・」「・・・」。で、有志による半分負担?こんなところかと。

イヤー、結構迫力ある議論!そして、この柔軟さ、したたかさ。こんな事日本で起きます?。マ、日本ではその前に、すべての事で決め事されて、余地も無い!。中国を旅してると、果たして日本の常識がベストなのか考えさせられる事が多々あります。

バスは一気にスピードアップ。なんと車内は今までが嘘のように静かに!(運転手、終始ぶ然、面子?)。オオ!静かなバス旅。。

景色はいちめん麦畑、秋撒き小麦、少し育ちすぎでは?畑の中にある土饅頭、分かります?お墓です。死後も子孫と共に!でも土地は国有地だぞ。余計なことまで考えなくて。。

Dscf5132

Dscf5134

Dscf5136

最後まで静かな車内の様子!分からないか。

Dscf5142

東バスセンターの方から市内に入っていきます。大きく開発されていますが、小さな町の開発と違って目立ちません。

お昼前に駅前のバスセンター到着。

Dscf5143

明日の目的地襄陽へはネットでは街外れの東バスセンターからでした。試しに窓口で訊くと7:10があります。購入91元ですから一日コース。。

Dscf5144

駅前相応のホテル、金源賓館?120元。

Dscf5145

Dscf5147

Dscf5146

パソコンも完備、勿論ネットに繋がります、勿論日本語表示もOK。ネットカフェが駄目ならホテルがある!そう、共産党がいかに規制しょうが、現実はもう抑えきれない。官も民も建前と本音を使い分け、取り敢えず、でき試合を続けてる。

Dscf5170

部屋の窓から裏通り、この行った先に食べ物屋さんがずらり。

Dscf5149

新疆伴麺?12元。やはり都会?見かけによらず美味、完食。

Dscf5150

許昌の説明;三国志魏、曹操の根拠地。後漢の都洛陽まで160㌔程。後漢の最後の皇帝、献帝は曹操を頼ってここに移り、次の曹丕に帝位を譲り、漢は滅びる。で、当時漢都城の一部、毓秀台と禅譲儀式の受禅台が郊外にあります。

市内には他にあるようですが、ここでは毓秀台を訪ねます。

フロントにグーグル地図で訊くと、向かいのターミナルからと。ネットに載っていた201路です、運転手に聞くと、アッチだと同じ201路を!喋っても損しないと思うのですが(マ、言われても解りませんが)。

13:15発車、でも路線バスが次のバスセンターで客待ち?30分ほどで郊外この表示の近くで降ろされます。何処にあるのかな~と言った所。。お金のある大都市は道路の修築も終わっています(アスファルト舗装です)。

Dscf5151

Dscf5152

Dscf5153

Dscf5154

500mほど歩いたところに。収穫期は麦の乾燥場?尤もらしい門構え。それなりの城郭であったようです。

Dscf5155_2

Dscf5156_2

今は一面麦畑の中。お墓もあります。

Dscf5158_2

覗いてみたら、井戸のようでした。

Dscf5159_2

畑の中にポツンとある高さ15m程の高台。

Dscf5160_2

Dscf5161_2

中国共産党成立前に毛沢東が訪れたと。

Dscf5162

なんとも知れない・・・。今は道観?毓秀台と表示はあります。ここにいる人達は何なのでしょう?(お前こそ、何ナノって・・・)。この人達もいることなので10元のお賽銭。

Dscf5163

Dscf5164

まさに兵どもが夢の後!ここの空気を吸いたいだけ。。ここはここなりに満足!

Dscf5165

Dscf5166

Dscf5168

元のバス停?表示はありませんが、に戻って、いつ来るか解らないバスを待ちます。

心配するまでも無く、やって来たバスに手お上げます。なんと、来た時のバス?。帰りのバスには途中から学生がドット乗り込んで、途中通過の満員状態。

おバーちゃん地に来ていた?女の子(4、5歳)が送られて乗って来たので、席?を譲ってあげると、おバーちゃん私に何か頼んでるよう(言われても聴不憧です)。しっかりとお土産を抱いて。降りる所でホッとした様な感じで降りていきました。

バスは丁度5時近くに戻ります。部屋でメール打って後は食事。

Dscf5169

お昼食べた新疆料理の店に行きます(中国の羊肉は実に美味しい!)。水煮羊肉とあるのを頼みます、美味しくてうっかり、食べた後に写真です。勿論冷えていないビール。

この様子です、御飯が食べたくて「小碗米飯!」。この御飯がまた格別に美味しかった。炊きたて!短粒米?中国ではありえない色、ツヤ。絶対日本のお米は中国で好まれると思います。42元

Dscf5172

ぼけた写真ですが、ホテル横の電気店、サムスン表示。

Dscf5171_2

明日は襄陽に、「水は北に向ってる?」

今日使ったお金;7+59+5+91+120+12+4+10+4+42=354元

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8日目;臨渙 途中下車、商丘まで。「公案 お茶とは?」

2013-11-19 15:39:07 | 旅行記

10月19日(土) 臨渙という町を訪ねます。中国百度から臨渙URLを辿ると、茶楼の他に城塞遺構が?グーグル映像で見ると確認できます。思いがけない何かがあるかも。。

4:50起床 バスは6:20発車、5:40には退房します。小姐カウンターの向こうでお休み、悪いけど清算あるので。

帰国して4,5日後天安門でのテロ?がありましたが、旅行中だったら泊まる所探しで大変になるところでした。日本人の2週間以内の旅はビザ免除ですが、こんな時は皆、係わりになるのを嫌って、部屋なしで対応してくるので。。

世界で2番目の経済大国?これって私には褒め殺し的に聞こえるのですが、まだまだ多くの点で発展途上、特に体制そのものが、と。。日本が先進国というのもおめでたい事ですが。

早い時間でもバスセンター近辺には食べ物屋さん営業始めています。小龍包(餃子のような・・・)に希飯は3種類の中からこの八宝粥4元。

6時前ですが出勤早々の服務員チケット発行(普通は時間まで平気で待たせるので、こんな時は感動!)、途中下車なので宿州行きバス(ネットで確認していました)を探しますが見当たりません(早いので改札員はまだ?)、時間も迫ったので、チケット見せると、屯してる運転手が顎で・・・、エ?徐州行き?そう、こんなもんです、没問題!

Dscf5014

Dscf5016

途中のお客拾いながら、バスは臨渙に入ります(手前の町の名前をチェック)、バスセンターでもあるかと思っていますと、車掌さん「着いたよ!」、到着です。次ぎ乗る時もここからだな!と。。

Dscf5019

コンクリート舗装はがして、開放転圧か?ここを夜走ると・・・(街灯はありませんよ)、勿論自己責任です。

Dscf5017

Dscf5018

当然ザック預けるところはありません。町の輪郭はグーグルで頭に入っています。で、まず城郭を見ながら街へと。

Dscf5020

Dscf5021

工事中?でもちゃんと標示板あります。臨渙はさんずい!チケットが間違い?マイイカ。

Dscf5022

なんとなく盛り上がっているこちらへ。

Dscf5024

この状態の路面状況!今抱えているこれも重大な問題と思います。運輸関係の損失は計り知れない、早急な対応を必要としていますが、こんな目立たない?所に金をつぎ込む政治体制ではない、そしてここまで放置する。まして、この粉塵は珪肺の元です。その一方で2,30年後の街作りに邁進(ここの町には無人のマンション群は無いようでした)。

Dscf5026

北面、確実に遺構は認められますが・・・。

Dscf5029

東面。足元には城壁のレンガ?。土盛りはお墓です。

Dscf5028

Dscf5032

今は墓地?急に墓地になった訳ではないでしょうから・・・、これも時の流れ!。この中に仏さんいるのかな~、等々思いながら。歴史的背景を知らない遺跡では、思うものも・・・。

Dscf5030

Dscf5031

Dscf5033

臨渙の街、そこそこの規模です。

Dscf5035

オット、新しい仏さん?それにしてもどうして埋葬しないのでしょう?土葬でも無く、ナニ葬?日本には墓地埋葬法といって法の下で処理されていますが。

Dscf5036

街路に出た所で、この先を辿るのはやめて、街の茶館を探しに。このコンクリートのブロックは?

Dscf5037

なにやら・・・。これは国共内戦時の共産党プロパガンダ。

Dscf5038

Dscf5039

天主堂?教会でしょう。今の中国では宗教は難しいものがあるような様子です。

Dscf5040

街の中に入っていくと、あります、茶館でなく茶楼。時代を潜りぬけて来た?解説なしで解るかと。。

Dscf5041

Dscf5042

Dscf5043

Dscf5054

使われる茶葉、棒棒茶といって、日本で言う茎茶系やその他?

Dscf5048

Dscf5049

Dscf5050

Dscf5051

Dscf5044

Dscf5045_2

Dscf5047

Dscf5046

Dscf5056

Dscf5052

ザック背負った胡散臭い年寄りがヌラ~と、そしてザックおろして腰掛けてしまいます。何人かがチラッと見るだけ。すると近寄った人が「ni nali?」「cong riben」「ナニ?」「riben!」いつもこれです、私の中国語。そもそも日本と言う語彙が日常的でない?

解らせたい時はパスポート見せます、ト、漢字です。「オ!おい、この親父、日本人だって!」です。そこで、「riben beihaidao!」と、「北海道だって!」この発音は通じます。

老板出てきて、名刺くれます。よく来たといった歓待。写真撮ってもいいかと、許可もらって。

いくらするのか?訊くと、1元、4元、6元と色々ある、で、4元のを頼むとこれを出してきました。茶碗は天目、浸ります、ユックリと。

Dscf5055

向かいもお客?で満席。

そしてこの獅子は・・・。

いいものを拝見しました。皆さん抗日戦時代は生まれる前か幼児期?、国共内戦から共和国建国、毛沢東時代から文革、そして改革開放、社会主義市場経済?翻弄されたことでしょう(関係ない?)が、ここで時を楽しんでる人達の様子を覗ってると、なんとも言えない・・・、難しいようで・・・。何なのでしょう?。

ここは安徽省のまさにど田舎!それがどうしたと言ったところでしょうか。。「日本?それ何処にあるの?」です。

「公案 お茶とは」 ただそのもの「お茶!」

持っていたお菓子(白い恋人、バター飴)を振舞おうかとも思いましたが、ここの人達にはそれこそ不遜!ただ時を楽しみます。

でも中国の人でこの様子をカメラ(一眼レフ)に収めようとしてやって来てる人が二人ほどいました、その筋では中国で知られた存在?マ、私が知るのだから!。

老板の友達?書法家?の方が私になにやら、どうも今書を進呈するので待ってのような・・、価値の解らない者が頂いても、と、少し時間も経ったのでそこを離れて例のバス停らしき場所に向います。

丁度バスが見えます、走ってセーフ、「去百善」5元。2時間ほどの滞在でしたが、ある意味今回の旅のハイライト。

バスは20分程で百善の街へ、「商丘へ行くんだが」と言うと「向かいで待ってろ」と。そ、ここでいつ来るか分からない、何処行きか分からないバスを待つのです。

 

でもよくしたもので(実に中国は便利がいい?)最初のは違いくさいのでやり過ごすと、次のバスは乗り換え地の永城でなく商丘行きの表示! そう遠くからでも分かるように経由地も含めて大きなj表示をフロントに出しています。商丘まで40元。

お決まりのお客を探しながら、クラクションバクバク、追い越しガンガンですが、お客の方がいまいちで永城のバスセンターへ入ります。

車掌?が他のバスとなにやら話しています。オット、乗り換えです。そう乗客お互いに満員にならないので、「ここからはまとめて、そちらのバスで運ぼう」です(こんな事を運転しながら、携帯で・・・)。払い戻しや追加料金はありません、そう乗り換えれば運んでくれるのです。

バス同士の清算ってどうするんだろ?途中下車の客も居ます。お金の受け渡しをしてる様子はありません。お互い様って事は無いでしょう。摩訶不思議?解ると簡単でしょうが。。

1時には商丘に入ります。

商丘について;古代殷(紀元前17世紀~紀元前11世紀)の最初の王がここ商を都にしていた(後に現在の殷墟へ都は移る)。商人という語彙はここより生まれたと。。古代、黄河はこの地の近くを東へ流れ、中原の要衝。北宋時は南京応天府と呼ばれ副都、北宋滅亡時皇帝の弟がこの地で南宋をたて、後杭州臨安へ都を移す。現在も中心市街地から離れた所に城塞都市が残る。

バスはバスセンターに到着、でも?ここは駅前のバスセンターではない・・・。だって写真左に見えるチケット売り場じゃー。表に出て地図を購入、現在地を売店で聞きます。

 

駅前バスセンターへ三輪タクシーで移動5元。明日の許昌行き7:10を確認して近くの相応な宿探し。

 

中国ではチェックインは3時以降なんてうるさく言いません、なので着いた所ですぐ宿探ししてザックをはずします。YHや星付きは言ってたかも?。

今日の宿屋の前から、この雑然とした雰囲気が馴染みます。この程度の街での駅前そこそこでは、外人は問題ないよう、豪華単人間で80元。中国語サイン。。無くすと保証金帰ってきません?

   

キイと一緒に渡された物。このトイレの紙が丈夫!なので水に溶けにくい、よって便器に流しては詰まりの元。部屋のキイもユニーク、開け方に少しテクニック?フロアーで工事していた若者が教えてくれました。

部屋は申し分有りません、ある意味その町の物価水準が解るかと。

    

遅いお昼、烏骨鶏麺8元、お店が綺麗だと少し・・・。

駅前から市内バス1路乗るのに少しもたついて、商丘雎陽城へ。

   

広場の便所も繁忙期のみ?、それとも使用すると汚れるので・・・。

お堀周辺の整備はこれから?

中はすっかり観光地!

 

城門は明清時代の物の様ですが、甕城もなく公園。模型ではかなりの規模です、残念。

 

城壁は映画のセット?外形はあるのですが・・・、これからセットの整備でしょうか、周りの家は中国式移転のようです。現下の中国、観光花盛り、産業の誘致より手っ取り早い?テーマパーク作りです。

   

南門の先にあります。安禄山の乱の時、反乱軍に抵抗してここ雎陽城に立て篭もり最後には落城、処刑された忠臣。

  

唐代書家顔真卿によるこの地で行われた八関斎という法会の由来の書を記した碑、真卿63才772年の書を篆刻した物。

         

  

創建時の物、よって新しい物は1992年再興されたものです。では篆刻された字体は顔真卿と言えるのでしょうか・・・、くどいと言うことでなく、書の原本が存在しているのか?、如何様の臨書なのか・・・。。

マ!そう言う由来の碑があったでいいかな・・・。ところでこの穴は?抜き取った?まさか!ではどうして??

時間は4時半になろうとしています。表にバス停あります、駅まで1元。

少し早いのですが食事に。宿のすぐ裏が夜市的になって、沢山の屋台。写っていませんが、前に焼肉屋台、こちらは羊肉です。

塊の中から、この肉を此のくらいで、量り売り。50元もしますが、たまには動物性もと。再度この香料を付けてしっかり焼いて、この様に切ってくれます。ヤアー、こんなに食えるか・・・。

このテーブルから見える赤い小屋の屋台、ナンの様な生地をコネ、伸ばしては、このかまに張り付け焼きます。下の口に燃料の石炭継ぎ足します。

結構買っていきます、美味しいのでしょう。

 

屋台の親父にビールはと言うと、右手のお店からと。お店のカーさんからで3元。

多いと思いながらも食べてしまいます。

さて腰を上げて引き上げようとすると、パンやの右側の親父が、声出して来ます。どうもビール代を払わないで、と言ってるよう。右手のお店にいた息子を呼びます。

ビールを買った時に勘定をカーさんにあげたのですが、そのカーさん子供を叱ってるうちに、家に連れ帰った?通じない中国語ですが、「給媽々費了!」(これでいいのか?)、息子は見ていた?納得した?肉屋の親父、しょうがねーな、といった所。

たかだか3元ですが、事は真剣に、一瞬緊張しました(親父の迫力に)。この状況は中国ではいつも隣り合わせ。

どうも・・・、このテーブル親父達のお店?よその食べ物(いい値段!)持ってきて・・・、親父気に食わなかった?

有問題、不過没問題!

ホテルの廊下、そこそこ?でも振り返ったエレベータ・・・。駅前見ながらの今様ですが。

  

明日は許昌までのバス旅、題して「激論あって次がある」

今日使ったお金;4+12+4+5+40+5+5+80+8+1+5+5+10+1+3+50=238元(×16.5=3,927円)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする