標題は”私の先生が亡くなった”です。
私の中国語との出会い、その後のかかわり。
平成3年3月初めての海外、台湾嘉義でのゴルフ場グリーン改造工事から帰ってきた所でなんとなくの、文化教室中国語受講から始まります。
敢てお名前出させていただきます、その時が席老師との出会いでした。
当時初級中国語の教室は満杯、30人以上の受講生で活況の中、先生は淡々と教科本に則っての授業を進めておられました。
その頃私の職場は霊園関係、当時も今もでしょうが墓石は百パーセントと言っていいくらい中国からの輸入品でした。
関係上、中国との人達と接する機会もあり、中国語もどきの私の会話を楽しんでいましたが、やがて一人減り二人減りで、いつの間にか5,6人の教室に。
そんな時に、地元の新聞に先生の紹介記事が掲載され、淡々と授業をされる先生の教室以外のお姿を知ってしまいました。
しかし先生は自己を語る事もなくただ毎回、淡々と授業をされていましたが、ご高齢でという理由で間もなく教室は閉講。
私は中国雑誌をお願いしていた関係で、月に一度経営しておられた中国書店に、代金を納めにお伺いをしていましたが、90歳に喃々とするお年にもかかわらず、何時も御本を読んでいるお姿。
4か月前かの郵送のあて名書きの筆跡が変わってしまいました。病院にご入院との事。
書店は毎回お留守の中、先々月とうとう老師の訃報に接してしまいました。ここに衷心よりご冥福をお祈りいたしますと共に、心より有難うございましたと申し上げます。
ご遺族の希望で世間への公表はお控えになったようですが、失礼を承知の上で、先生を知る?日本人の一人としてここに書かずにはいられませんでした。
もし不都合であれば、ご遺族名でコメント頂ければ、ご指示に沿いたいと思います。
実に善き先達にお目にかかれた思いです。
淡々とした老師の姿が何を語っているか、これからも問い続けて行きたいと思っています。
老師! 我感謝、感謝了!