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4日目;南京、南唐陵と孫呉、石頭城

2013-11-07 12:02:08 | 旅行記

このブログ見ようとすると、褌のようにダラダラ続いて・・・、との指摘。タイトルをクリックすると各タイトルにバラケて最新に設定されます、お試しを!

10月15日(火) 南京城の中華門と並ぶ明皇城への正門、光華門を見て、郊外、南唐2代の陵墓、戻って時間にあわせ、建康(三国時代呉の都、南京の呼称)時代の、守りの要、石頭城から台城(南京城修復の始まり、日本も協力)の予定で。

まずは近くで朝食、この小龍包は美味しかった。7元 バスに乗って光華門へ

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着いたところでここは・・・、

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皇城へ続く2キロの御道街の道。

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見せ場じゃ・・・、この方が良いかな。。建物もこう迫ってたら・・・、でもここは中国、すぐ引っ越してもらえるのでしょうが、マ!イイカ。

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公園でごまかされた感じ。

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でも抗日戦での陣地跡はシッカリと。

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創建時のレンガは残っています。

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裏の家並みの中に紛れ込んだのですが、その中で使われていた石材、城壁基礎の石でないかな~。。

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バスで地下鉄駅へ、1号線小行站(郊外)下車、155路で終点祖堂山まで、なぜか4,50分も乗って、ここは1元。優先席のお二人はお墓参り、降りる停留所を迷ってると皆で面倒見ていました。何処も同じ!

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通った軟件(ソフト)大道の沿道開発区にある企業群一部。南京は4人に一人は大学生。だからではないでしょうが、でも稼がないことには。。そうこの10年株式会社中国共産党?はお金を求めて狂奔してきました。彼らの勤務評定?

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そしてこの開発。

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そして空き家の山。ここはいくらか入居していました。でもここじゃー生活が・・・。少し我慢すればそのうち・・・。今回の旅ではこの光景がしばしば入ってきます。

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終点下車、オットすぐ横に・・・?警備員出てきて、ここは霊園。この先から入って行くとのこと。

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その手の標識が見えます。

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振り返った所。メジャーじゃないのかな~。

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その霊園の中が見えます。私は15,6年霊園関係に携わっていたので・・・。

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この塔は納骨堂ですね!下はまだ土葬区域?

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裏の通用口少し開いていたので・・・、ゴメンナサイ~で。日本の霊園以上の規模と整備。

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下の写真はカロート(納骨)仕様ですね。今はレーザーで墓石に写真転写できます。海外では結構故人の写真なんか飾りますね、個人墓的です。日本でも近頃はこの個人墓や夫婦墓が増えてきました。

そういえば20年ほど前に上海郊外で霊園の話があって、経営者のお供で・・・。そう、これだけの人口、亡くなってる数もそれ相当、当然墓所の用意ですね。近くには他にも何箇所か霊園(同乗のお年よりも他で降りました)、きっと風水がいいのでしょう(古刹?もあるようです)。このあと地方に入っていくと、畑の中に土饅頭でした。

確実に豊かにはなっているのです。話がそれています。。

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と、霊園を出た所、南唐陵へ・・・、ヤギさんのお通り。でもヤギ飼いがいませんが・・・、行き先わかってるのかな~。

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南唐二陵到着。当然老人票、近頃日本人が来ないのでもてる?

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今から1100年程前、宋に滅ぼされる南京に都を構えた国、唐を名乗っていたのでこの名称。中国の歴史では、南は常に北に隷属、明といえども、3代(実質2代)には都は北京に移っています。北の腕力、南の財力、これは今も??。。

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途中で中学生の課外授業が引き上げて行きましたが、他に見学者はいません。撮影禁止の表示・・・、でもフラッシュは使用していませんのでご容赦!その影響かボケボケ、拡大しないほうが解りやすい。。

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次は2代李�儲の墓、彼の代で実質滅んでいました。そう宋の前代、後周 柴栄の南征です。この後の旅で攻防の地を通過します。

入口を塞いでいた石だとか、無造作ですね。。

       

園内の碑廊にあった2点。 

同じく園内にあった博物館!

      

これだけと言っていいかと。

11時半いい時間です、バスも丁度一往復?ここでの乗客は私だけ11:50発車。1元

この近く4,5キロの所に鄭和のお墓もありますがパス。

運転手さんアズマシクナイ!手上げて来るお客は無視するは、お客居るのに通過するは!日本なら問題だぞ!

戻ったバス停付近のお店の包子、美味しそうでしたがお昼時で並んでいます。並べばよかったな~。。

お金の引き出しや宿でのメールもあるので、一旦宿へ。オ、イチジクだ!途中の露天で、三つか食べたところ、12元?やはり露天は相手で少し吹っかけますね、悪いとは言えないのが中国です。

昼食は牛肉拉面8元、場所によってインフレ。

地下鉄で石頭城へ、地下鉄2号線漢中門下車、歩きで・・・。ところが道路は工事中、工事中だと道は寸断!工事囲いに沿って目指していたのですが、諦め戻り、迂回します。中国の地図は、スケールがない(どこでも一枚に収める)ので思わぬ距離を!

小一時間かかって、到着?14:20

 

綺麗に整備された公園。

岩崖の上に城壁か~、といった感じ。

     

城壁削って橋架けなきゃーいけなかったのかな~。。

城門の一つ、明末閉鎖されていたのを、2003年に再開したと書いています。

   

進むにつれ、岩崖は大きくそそり立ってきます。 

過っては長江(揚子江)に面していた?その流れでえぐられた跡?崖の地層は礫交じり堆積岩。

   

諸葛亮孔明がここを称して云々と書いています。三国時代呉の都 建康の守りとしてこの石頭城は利いていた。。

南京城では城壁として完璧に取り入れています。崖が後退している所は、基礎から城壁。

 

ここからクライマックス!

     

600年前のレンガ接着剤。

と、ここが正門。

日本人観光客も過ってはそこそこいたのか、日本語表記もあります。

  

路地の向こうにも延々と城壁は繋がっています。 

石頭城路を抜けた所でバス移動。台城に向かいます、ただ現在地図には台城の表記は無く鶏鳴寺の北に城壁博物館、台城公園等表記あるので、鶏鳴寺目指します。下図は明代南京城。台城について興味のある方はこちらを。。http://www2.lib.yamagata-u.ac.jp/elib/serials/hgca/011/hgca-11-00290033.pdf#search='%E5%8D%97%E4%BA%AC+%E5%8F%B0%E5%9F%8E'

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