ぜひ、お出かけください。
日向寺監督のトークも聞くことができます。
今日は、展覧会の二日目。
会場である体育館が混み合うほどのお客さんの数。
ありがとうございました。
子ども達が得意げにおじいちゃんやおばあちゃん(お父さんやお母さん)を案内している姿が何とも言えずいいなぁと思いました。
展覧会を終えて、新大橋を歩いて写真をとっていたら、森下一丁目の松山さんに声をかけられた。
松山さんには、昨年深川芭蕉まつりのホームページの作成をお願いした。
地域の歴史への造詣も深い。
3月3日の 「伊豆の長八 鏝絵の展示と座談会」
(仮称)について、中心になっている調さんが先日学校に見えられたことを話し、その後のことを相談した。
その結果「八名川の昔を語る会」を作ろうということが新大橋の上の「橋上会談」でたちまち決まってしまった。
人形町 甘酒通りのイタリアンレストランで昼飯を食べるつもりでいたが、すでにクローズド。
たまひでの親子丼も一度食してみたいが・・・・ここも昼は終わっていた。
お陰でサラダランチという極めてヘルシーな食事に落ち着いた。
柳家の鯛焼きを食べたくなったが、行列がすごかったので我慢できた。
人形焼きも食べず、三日月座という小じゃれた小さな喫茶店でコーヒーを飲んだ。
ここで、雑誌「俳壇」の12月号を読んだ。(置いてあったのだ)
俳人百人が、今年(2009年)の注目する俳人を選んだ特集であった。
何と、最も多かったのは、 金子兜太と高柳克弘であった。
高柳さんは、八名川小学校の俳句教育の講師にずっと来て下さった方であり、
金子兜太さんも昨年の7月に6年生に俳句の授業をして下さった俳句界の最長老である。
そうそう、2月7日に、古石場文化センターで 金子兜太さんをとった
映画「生きもの」の上映会が行われる。後で詳しく紹介したい。
今日は、実にゆったりした休日だった。
結局東京駅まで歩いたが、森下と東京駅は近いと言うことを再認識した。
今日、明日と展覧会である。
各学年の俳句・俳画も出展されている。
ウィークエンドスクールの墨絵の作品もある。
こちらは、盆景。23日に行われた講座の作品である。
ちなみに、盆景は、日本古来の造形芸術であるが、今や瀕死の危機にあり、現在、創作に携わっているものは少ない。杉原景月先生は、その中にあって、精力的に盆景の普及を行っている日本における第一人者である。
春からは、本格的な講座をお願いしたいところだ。
下の写真は、23日の創作風景
下は、本物の盆景の作品
土曜日は、12時までです。どうぞ、八名川小学校へいらっしゃてください。
最近、少し疲れ気味でもある。
この2週間は、毎日のように新年会があったり、会議があったりして帰宅が10時になったり11時になったりすることが続いているからだ。
新年会同じ料理に同じ顔
デフォルメするとこんな感じの時もある。
疲れるのは、年取ったということでもあろう。
家に帰ってからブログを書き、俳句に挑戦したりすると結構遅くなる。
それに風呂にも入らなければならない。
しかし、お陰で夜はぐっすり眠れる。
直ぐに寝付けるし、朝までトイレにも起きない。
12月に検査に行ったら、糖尿の値が高かった。
(他の項目はほぼ正常値である。)
糖尿病の検査では、今は、血糖値ではなく、ヘモグロビンA1Cの値がものを言う。
5.8までが正常値だが、それを大幅にオーバーした。
限界値をも更に超えた。
研究発表会もあり、ストレスもあったのだと思うが、この間結構甘いものを随分食べた。
食べてしまったと言うべきだろう。
帰りにコンビニで好物の「甘食」を買って食べたり、砂糖入り飲料を日に何杯も飲んだりした。
それに忘年会シーズンが重なった。
これがいけない。
忘年会ヘモグロビンA1Cと対峙する
対峙したけれど負けてしまったわけだ。
そこで、今年はちょっと努力しようという気になった。
本当は、カロリー計算をしっかりすればよいのだろうが、すべての生活をそのために犠牲にする気はない。
だから、いくつか方針を立てた。
●砂糖の入った飲料はできるだけ飲まない。飲む時も一日一杯だけにする。
●甘食などを買い食いしない。あんパンも控える
●油ものはできるだけ控える。
●できるだけ歩く。階段もできるだけエスカレーターなどを使わない。
●宴会の時は、腹一杯食べないようにする。
すべてが守れているわけでないが、2月末の検査でどういう数値が出るか・・・
注意しても駄目だとすればそれは病気の方が進行しているからだろう。
しかし、こうやって目標を決めるといいことがある。
気持ちが前向きでしゃきっとすることだ。
特に「歩く」という点ではそうである。
エスカレーターに乗らず階段をのぼる。エスカレーターを使っても右側をのぼる。
それは、意志的な行為なので、そうすることは意志的な生活に通じるのだ。
ブログも少し大変だが、書き続けているのがよい。
これも意志的な生活を意味する。
前向きに生活しているうちは、生活が楽しく感じるものだ。
仕事に追われはじめると途端に精神的に苦しくなる。
苦しくて止めてしまうと更に苦しくなる。
スキー板に前傾姿勢でしっかり乗ると楽に滑ることができるが、反対に怖くなって後傾になると途端に転んでしまうのに似ている。
だから、しっかり「歩こう」と思って歩いているうちは大丈夫なのだと感じる。
若い時は、自分の気持ちを前向きにコントロールすることが非常に難しかった。
宗教などが朝一番のお勤めや体操などをすすめるが、それは理にかなっていると思う。
つまり、からだを動かすことが、精神を前向きにするのだ。
つま先に力を込めて冬の道
今日はこの辺で止めて風呂に入って寝ることにしよう。
今日、尾花沢の梅津保一先生からFAXをいただいた。
中身は、尾花沢の小学生俳句大会についてである。
俳人の大類つとむ氏の「明日の尾花沢のためにー第1回尾花沢少年少女雪の俳句大会の周辺ー」と題する論文だ。
奥付を見ると、1987年。今から20年以上前である。
つまり、尾花沢は、この20年間、俳句の文化をずっと育ててきたのである。
一朝一夕では出来ない。
この当たり前のことを改めて思う。
一緒に山形新聞の2004年6月の新聞の切り抜きもいただいた。
こちらは、梅津先生の書かれた新聞記事「おくのほそ道」地域の魅力と題するものだ。
1983年に「芭蕉・清風歴史資料館」が開館してから、89年の紀行三百年祭を始め、年毎に文化が積み重ねられた経過が記されている。
句碑の建立であったり、短冊の掲示であったり、「おくのほそ道講座」であったりする。
様々な形での活動の積み重ねが文化をつくる。
この事が、このことからも理解できた。
江東区、八名川地区の俳句文化を育てていく上での重要な道しるべであると感じた。
出来るだけ早い機会に尾花沢を訪れて実地に見てみたい。
深川芭蕉まつり、そして三国屋さんの「俳句帖」がその一歩になることは間違いない。
今日、八名川小学校で、
第2回深川芭蕉まつりの
実行委員会が行われた。
そして、正式に開催することを決定した。
今年は、6月6日(日)である。
5月は、各町会の総会が行われ、
役員の改選時期でもあるので、
それを外して落ち着いて行おうというわけだ。
小学生俳句大会は、昨年と同様の手順で行われる。
その他のイベントは、これから計画に入るという。
いろいろ難しい点はあるにせよ、八名川が一つになって
「芭蕉」を冠にした取り組みを続けて行えることは
画期的な事だ。
お正月の俳句を読んでわかったことがある。
無縁社会と言われるが、子ども達の多くは、やはりお正月は、家族で過ごす。
おじいちゃんやおばあちゃんとも一緒だ。
この習慣は、まだ健在であり、子どもの俳句からも読み取ることが出来るということだ。
そんな句をあげてみよう。
大みそか家族みんなで紅白だ
元日はばあちゃんたちとなべパーティ
ばあちゃんち食事が好物初福だ
大みそかおじいちゃんちでしめくくり
冬休みおばあちゃんちでまったりと
大みそかしんせき中が大集合
ふゆ休みまっているんだおばあちゃん
正月はばーちゃんに会いに家族でね
ばあちゃんちみかんぶろ入ってあったまる
今半にすきやき食べにじいちゃんと
元日にチームでたいけつボウリング
最後の句も、このチームは恐らく家族だと思う。
日本のお正月はよいお正月だ。
昨日の句会「いちじはん」は、富岡八幡宮で吟行であった。
「いちじはん」の名は、1時半という集合時刻に由来する。
14歳から62歳まで、これだけ年齢に幅のある句会もなかなかないだろう。
主宰は、北大路翼さんである。
富岡八幡は、骨董市で賑わっていた。
もちろん、これは高そうだとと言うようなものも当然あるのだが、こんなものが売れるのかというものもある。でも、売れるんだろうな。
しかし、店をのぞき込んで歩くのは楽しい。
句会で高点を集めたのは、次の二句。
大吉は人には見せず梅に言ふ
大吉や無敵となって巣立鳥
私の句は、次の三句
着膨れて下町の味もんじゃまん
イエス像八幡宮に寒見舞い
ガラクタに値札をつけて冬終わる
いつもながらに楽しい句会だったが、初参加の中学の先生が、
「どの様に評を言ってよいのかよくわからなかった」
と言ったら、中学生と高校生が口を合わせて、
「好きな句は、好きと言えばそれでいいんですよ。」
どちらが先生かわからないような一幕もあり、
「成長したものだ」
松山で行われた 裏俳句甲子園に参加されたH氏から「俳句教育研究会」の資料をいただいた。
ありがとうございました。
その資料の中に「夏休み句集を作ろうコンテスト」の入選作に芭蕉記念館の俳句教室に来ている越中島小学校の詩奈さんの句があった。
運動会校長先生雨男
驚いたのは、最優秀賞の宇和島の6年生真由さんの句だ。とても小学生の感性とは思えない。
これは、才能だ。
惨敗のジュースが汗をかいている
オキナワは晴のち曇り青バナナ
夏服の老婆と出会う太田川
爆心地に降る百合の花粉花粉
雲の峰息をしている千羽鶴
油蝉六十四年前も鳴く
四トンのトリルボーイや夜盗虫
夏川がエノラゲイから見えたはず
閃光の味は鉛よ炎ゆる空
一瞬で消えた家族と空蝉と
ぴったりと止まった時間揚羽蝶
被爆したアオギリ溶けた一升びん
死の灰の重さはかれぬ日の盛り
走馬燈まっ黒い雨飲む人よ
守宮鳴く原爆ドームの人のかげ
ねむの木や弱くなりゆく子守歌
ががんぼが秘密を明かす祈りの碑
夕焼けや折り鶴風になる合図
灯ろうを両手でやさしく突はなす
我にあと何回の八月六日
「八月六日」と題した四十句のうちの二十句が新聞に載っていた。
あまり感動したので、全部紹介する。
ちなみに「いちじはん」の常連中学生のゆりさんも「装丁賞」優秀賞に入り、表彰されました。
3年生のM君が、写真が上達するこつをパンフレットにまとめた。
実によくまとまっている。
それによれば、第一のポイントは、撮った写真を他の人に見せることだそうだ。
そして、次にはテーマを決めて写真を撮ろうとあった。
M君のおじいちゃんは、八名川の地域では名だたる写真家で、様々な写真展で多くの賞をとっている方である。
パンフレットを作る時に、おじいちゃんに一字一句教えてもらって書いたのかな ぐらいに思っていた。
PTAの新年会でM君のお母さんにお会いした。
お話を伺ったところによると、M君は、いつも聞いている何気ないおじいちゃんの話を自分のものにして、それをまとめたらしいのだ。
ここに本物の教育があり、家族の力があると感動した。
その時に、お母さんからもう一つ聞いたことがある。
実はおじいちゃんの教えはもう一つあると言うのだ。
それは、
「とにかく、何でも写真に撮りなさい。そして、その中から自分でよいと思うものを選びなさい」
ということだと言うのだ。
これは、「多作多捨」である。
俳句と同じだ。
これは、創作の方法論の一つなのだと思った。
前列中央が梅津保一先生である。梅津先生は、現在は、東北観光推進機構「おくのほそ道」研究会の座長等をされている。元は高校の校長先生で、この人の右に出る人はいないと言われる程の「おくのほそ道」の研究家である。芭蕉の歩いたおくのほそ道をご自分でも踏破されている。
実は、数日前、千住の櫟原文夫さんから「梅津先生がいらっしゃるから紹介してあげる」とお誘いを受けたのだ。
櫟原さんは、NPO法人「芭蕉翁おくのほそ道ネットワーク」の代表である。
地道に活動を積み重ね、おくのほそ道大学や、江戸東京芭蕉祭を立ち上げの中心になっている。
場所は、矢立茶屋。ネットワークの活動の拠点となっている場所だ。
梅津さんの活動について詳しくお話を伺い、感動した。
40年間の活動の積み重ねが今の尾花沢の地域活動の隆盛に繋がっていることを強く感じた。
資料もいろいろいただき、漬け物のお土産まで頂戴した。
この活動を学び、背伸びせずにできるところから広げていくことだ。
この考え方は、先日紹介した三国屋の「俳句帖」に通じる。
俳句を八名川の町に生かしていく。そして、芭蕉という歴史的な遺産を八名川の町に生かしていく。
今日、梅津先生や櫟原さんとお会いして、一層その思いが深くなった。
私にとって画期的な一日となった。