老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

ゴールデンウィークだというのに

2017-04-29 15:16:37 | 俳句
田舎のグラニー。
風薫る日だっていうのに、何もやることが無い。

夫は友達と長電話。
退屈だと、聞き上手の夫に電話をかけてくる。
最近はかけてもかけても無料の電話やスマホの契約がある。結構なことだ。

このごろ、しりとり俳句に身が入らなくぼちぼちになってしまった。
ブログもしかり。
気がつけば投句をやらない日もある。

しりとり俳句の効用について考えた。

> 忘れていた季語を思い出す。
> 忘れていた あの日あの景が走馬灯のように浮ぶ。
> どこの誰だか知らぬ相手とのしりとり遊びだから実力がなくても恥ずかしくない。
> まず一番に退屈がしのげる。
> 知らない言葉、死語の言葉が時々出てくる。ちゃんと調べます。ひとつ得をした感じ。
> 不特定多数のピンとキリ(失礼)の人と比べて自分の立ち位置を想像する。
> 人を見てわが身を振り返る 真摯な心になることが往々にある。
> しりとり、17文字の言葉を詠み込むから思いがけない発見。

まだまだたくさんの理由があるけれど、今はこれくらいしか思い浮かばない。

    


ばばさん、昔 吟行に行くバスの中とか、鍛錬句会の夜の封筒回しのことを思いだした。
封筒が回ってくる時間は三分。集中力との勝負。作れなければ次へ回す。
今もしりとりのページを開いて、3分で作れなければあきらめる。
たかがしりとりされどしりとり。
しかし グラニーにとっては遊び友達とすれば最も大切な人である。

今日取った
「しりとり俳句」はこれ。
説明、季語が生きているか、などなど難しいこと。

    🍓    あの頃と老の口癖昭和の日

    🍓    春惜しむ子供あやつる木偶人形

    🍓    家ぬちに祠を祀る半夏生

    🍓    少年と母との距離や五月の空
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