孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

地域文化の継承や如何?

2016年10月09日 | 社会観察
秋祭りのシーズンに入り、各地で以前は「村祭り」と呼んだ、収穫を終えた後の「秋祭り」を我が地域でも迎える。

今年は我が班が祭り当番となり、この担当は6年ごとにやってくる。15軒ほどある我が班から、1名ずつ出て、祭り準備をするわけだが、単にお供え物を揃えて、お飾りをし、鎮守のお祭りの神事を執り行うだけではない。

恒例のおでんや甘酒を振舞う下準備や、演芸大会を行う舞台設定をしたりするのだ。

「運悪く」この年の班長になった家では、祭り当番の責任者として、もう一つの祭り当番の班長と協力して、みんなを纏め上げていかなければならないわけだ。みんなの協力が大切だが、ある程度のリーダーシップを発揮しないと上手く進まない。

こういう行事は、仕事をリタイヤした「長老」たちが活躍するのだが、先月集まった際に見たところでは、なぜか今年の我が班は、その後継者である40~50歳代の働き盛りの方が多かった。

本番が10/15,16 と迫った今日は、朝から公民館に集合して、倉庫の備品を確認したり、灯篭の和紙の貼替えをしたりと、昼近くまで準備作業に明け暮れた。

そんな中で、注連縄作りの担当になった者達が悪戦苦闘していて、次第にその様子を見物する者が増えていき、ちょっとした騒動になった。

注連縄(しめなわ)は神社には欠かせない。注連縄の起源はいくつかあるようだが、私は勝手に、注連縄の本体は雲を、〆の子(細く垂れ下がっている藁)は雨を、紙垂は雷(稲妻)を表わしているという説を信じている。

  雷雲から雨が降り稲妻が光る注連縄

記憶は曖昧だが、子供の頃家の近くの水田の真ん中あたりに、青竹を四隅に立てて、注連縄で囲ったところを目にしたことがあったような気がする。そこは、どうも落雷があったところを示す目印だったようだ。

理屈は分からないが、落雷があると、そこの稲の収量は増えるという経験則を古代から農民達は心得ていたというのだ。

稲妻が大気成分を分解して、その窒素分を雨が地面に送り込む、という科学的な裏づけが出来るのかどうかはわからないが、ロマンを感じさせる話だと思う。

しかし、今日の注連縄作りの担当者達は、悪戦苦闘していた。農家の長老達に任せれば朝飯ないのかもしれないが、担当者は65歳位が1名、50代後半、40代がそれぞれ1名ずつであった。いずれも農家の方ではなかった。

  通常はこういう光景だったが・・

農家から調達した藁をネジって、撚っていくのだが、要領が分からなくて何度もやり直していた。出来上がったのは、神社で見た形の注連縄には程遠いものだったが、誰かが家の神棚に飾ってあった小さめの注連縄を取りに行ったりして、何とか3つ作り上げた。

  参考写真です。

  ケバケバをきれいに切り取る

私は口に出す勇気はなかったが、こんなもんでいいのかしらん、と思ったものだった。そして、これが田舎の地域コミュニティーの現実で、伝統文化の継承はあまりうまくいってないと感じざるを得なかった。

子供神輿とか、子ども会のクリスマス会、最近ではハロウィンで街興しなどという、いわゆる「お祭り騒ぎ」の行事が盛んであり、私の地域もお祭りでの演芸会や子供山車(だし)廻しの方に関心が強い。

注連縄に挟む稲妻を象徴した和紙を「紙っぺら」と呼んだり、「ピラピラ」と呼んだりする長老クラスの年配者たちは、その正しい名称「紙垂(しで)」など若者に教えることすらできないのは、残念な気がする。

家に帰ってきて、Youtube で検索すると、やはり注連縄の作り方を丁寧に撮った動画がアップされていた。

秋の恒例、中韓のため息・・

2016年10月09日 | 外国ネタ
この時期の恒例となった、ノーベル賞受賞者の発表に伴う支那と南朝鮮のいつもの質問と長いため息。

質問とは、「日本人はこれまでのノーベル賞受賞者は何人ですか?」で、答えを聞いてから、決って長いため息をつくのだそうだ。

今年も日本人が一人受賞したので、お隣の国々はさぞかし長いため息をついたことだろう・・と思っていたら、支那人はさすがに支那人だ。

賞が取れないのなら、自分たちで同じようなものを作ってしまえばいい、ときた。

例の、笑わせてくれた支那お得意の「パクリ技(わざ)」である。

  ピカチュウじゃないからね。
我が国、オリジナルの「ピカチュン」ですから・・・

  熊モンじゃありません!
我が国、オリジナルの「大熊モン」ですから・・・

産経新聞、北京の矢板明夫記者の記事より、抜粋。

『ノーベル医学・生理学賞に東京工業大の大隅良典栄誉教授が決まり、3年連続計25人目となる日本人の受賞は中国でも話題を集めている。受賞者数で日本に大きく水をあけられている中国は近年、「世界文明賞」「未来科学大賞」「孔子平和賞」といった世界賞を次々と創設し、ノーベル賞への対抗意識をむき出している。』

   どうだ!すごいだろう!

『大隅氏の受賞が発表された3日、香港で第1回世界文明賞の授賞式が行われた。「人類の持続発展部門」に中国人農業科学研究者の袁隆平氏が選出されたほか、「調和推進部門」では、米元大統領のジミー・カーター氏が受賞した。』

『香港の実業家、呂志和氏が資金を提供して今年新設された同賞の1人当たりの賞金が、ノーベル賞の約3倍の2千万香港ドル(約2億6500万円)に達したことが国内外の関係者を驚かせたという。』

対抗意識ムキ出しだが、その浅はかさが、むしろ哀れである。

『これに先立ち、9月19日に北京で第1回未来科学大賞の授賞式が行われた。中国国内の複数の企業家の協賛による同賞の賞金は100万米ドル(約1億300万円)。受賞資格は「国籍を問わず」となっているが、初回の今年は、香港中文大学と清華大学の2人の中国人教授が受賞した。』

この国には、独自性を重んじるという意識などない。猿真似することなど恥でもなんでもないのである。

ブランド品で身を飾り、高級車を運転して豪邸に住み、ニタッと笑えば金歯が光る。そういう人は一流だ、と言いたげな浅ましい、不憫な、卑しい人種なのである。

おすすめです、台湾旅行

2016年10月09日 | 旅行
私が最初台湾に関心を抱いたのは、今から4年前にシンガポールに赴任していた時、デパートの台湾フェアで出会った台湾の中年女性がきっかけであった。

このことは以前ブログにも書いたが、もう体中で日本大好きを感じさせていたそのオバサンと話して、当時漠然とした知識しかなかった日台の近代史と、日韓の近代史を考えても、なぜ片や親日で片やギラギラの反日なのか・・という素朴な疑問が発端だった。

先月台北旅行に行って、私は合計5回台北旅行を経験している。去年の5月に衝動的に台北に行ってから、中3ヶ月おきに出かけているわけだ。

当初は、行くところ行くところに支那本土からの団体旅行客がいて、ウンザリさせられたが、今年の1月の民進党による政権交代からは、支那共産党の嫌がらせのため、大陸からの団体旅行客が急減しているらしい。

その影響もあってか、日本・南朝鮮からの観光客は3割増しで増えているそうだ。

日本国内でも、京都や奈良の観光地で支那人観光客達のマナーの悪さが嫌がられて、欧米の観光客のみならず、日本人の観光客離れが始っているという報道がされていた。

私は、この現象の責任の一端は、観光地の支那人たちに対する対応の甘さにもあったと思っている。「土産を買ってくれるから・・」と甘い顔をしていると、支那人たちはやりたい放題となること、最初から分かりきっていた。

とまれ、最近の新聞にも台湾観光のツアーのチラシが入っていたり、テレビのスポットCMでも格安台湾ツアーが流されたりしていて、この風潮は結構なことである。

  小龍包(しょうろんぽう)

Youtube などでも、「台湾 観光」などと検索すれば、個人旅行で台湾に行った人たちが、その時の体験をいろいろアップしていて、大変なつかしく観ることができる。

旅行の予算も手頃で、言葉もさほど苦労せず、何とか筆談などでも意志の疎通は可能なので、個人旅行がお勧めだ。

国内ツアーでもそうだが、名のある観光地を短時間で廻り、買いたくもない土産物屋に連れて行かれ、これを食べろと言わんばかりに出されたものを時間内に腹に詰め込む、団体ツアーは、話の種には一度くらいはいいかもしれないが、終わってみると大した思い出にはなっていないものだ。

  マンゴーアイス、カキ氷

前回、帰国時の飛行場で会った、ツアーのロゴワッペンを胸に貼り付けたおばさんたち五人組に「台北はどちらを廻られたんですか?」と話しかけたとき、一人が「何て言ったっけ?高いビル・・・」「ああ、台北101ですね」と私。「他にはどちらへ?」

「・・なんだっけ。街から離れたところの・・キュウ何とか。」「ああ、きゅうふんですね。良かったですか?」と聞くと、「うーん、坂道ばっかしでねぇ・・、人も多かったし。」と、全く楽しそうではなかった感じでした。

 おなじみ九份(きゅうふん)

大方、こういう中年女性たちのツアーは、観光そのものよりも、上げ膳据え膳それだけでも十分楽しいものだそうです。(我家のカミさんの弁)

新聞のチラシのツアー内容は、バスで台湾を一周しながら、途中の観光地や温泉地に立ち寄り、最後に台北市内の観光までもやってしまうという、強行軍でした。

何はともあれ、一度台湾を旅行すると、「嫌な思い」をする確立はかなり低いことは保証できると思います。全員がそうではなくとも、親日的な人の割合がかなり高いことは確実だからです。

私は、台湾を訪れるたびに新たな興味が湧き、恐らく今後も行き続けることになると思いますが、個人的には絶対に行かない観光地がいくつかあります。

一つは、「九份(きゅうふん)」であり、もう一つは「中正祈念堂」です。


  九份(きゅうふん)から基隆港

1998年、ヴェネチア映画祭グランプリ受賞作 「悲情城市」の舞台となった九份(きゅうふん)は、かつて金鉱山の町として栄えたが、その後次第にさびれてきたのだった。

しかし、長いことタブーだった台湾近代史の228事件を扱った台湾映画、「非情城市」の大ヒットによって、地元台湾の方々が訪れる一大観光名所として脚光を浴び、今や台北市内から1時間足らずの便利さもあり、観光客で溢れている。


私は、6月に台北を訪れたときに、「国家電影資料館」に出向き、長いこと観たかった「非情城市」をビデオで観ることができた。

  九份(きゅうふん)「黄金酒家」

この映画の中に何度も出てくる、九份(きゅうふん)から基隆港を望む光景を拝みたい気持ちは強いのだが、敢えてこの地を嫌う理由は他にある。

それは、ほとんどの日本人観光客が、宮崎アニメ『千と千尋の神隠し』に出てくる町はここをモデルにしたらしいと喜んで訪れるからだ。私は、実はあの宮崎駿や彼の子供向け映画が大嫌いだ。

宮崎が九份をモデルにしたのかどうか真偽は知らないが、あの『千と千尋の神隠し』の中では売春宿として出てきているし、千尋がはたらかされた湯女(ゆな)とは、風呂浴びの客の世話と同時に売春までした娼婦のことではないか。

彼の子供向け映画は、この映画に限ったことではなく、ほとんどすべてがコテコテの社会主義者らしく、反国家、反家族という子供の頭を洗脳することに主眼においた内容である。子供が両親や大人社会を馬鹿にし、家族解体に抵抗感を持たせない内容だ。

Youtube にアップされた台湾旅行の動画などを観ても、多くの若者達は九份を訪れたとき、この映画のモデルになったと言及して喜んでいる。私は、これが残念でならない。


もう一つ、私が絶対に行かない観光地は、「中正祈念堂」である。

   蒋介石を祀る場所

戦後毛沢東の共産党に負けて、支那大陸から台湾に逃げてきた独裁者、蒋介石を称えて祀り、人々に崇拝を強要するための廟を台湾人は毛嫌いしている。

そして、同時に彼らはここを何の抵抗もなく訪れ、ロボットのような衛兵の交代の写真を無邪気に撮る多くの日本人観光客を目にして、一体どのように感じているのだろうか。

  独裁者・蒋介石坐像

多分、台湾のそういう歴史のことなどほとんど知らないからなのだろうが、それにしても無神経すぎるのではないだろうか。

私はこんなところには絶対に行きたくはない。

こんなところに行くくらいなら、台北市内にある二二八和平公園内にある、「二二八祈念館」を是非訪れて欲しい。この公園に朝7~8時頃行けば、太極拳や体操に励む台北市民達を観ることができ、ゆったりした時間を味わうことができる。

「地球の歩き方」のような観光ガイドブックを購入すると、大抵最後の方にその国の簡単な歴史や政治・経済などの情報のページがある。こんなところで、基礎知識を得ていくだけで、旅行は一味違ったものになる。

その労を惜しまず、できればもう一歩踏み込んでインターネットで分からないことを調べておくと、尚更旅が有意義なものになること請け合いである。