秋祭りのシーズンに入り、各地で以前は「村祭り」と呼んだ、収穫を終えた後の「秋祭り」を我が地域でも迎える。
今年は我が班が祭り当番となり、この担当は6年ごとにやってくる。15軒ほどある我が班から、1名ずつ出て、祭り準備をするわけだが、単にお供え物を揃えて、お飾りをし、鎮守のお祭りの神事を執り行うだけではない。
恒例のおでんや甘酒を振舞う下準備や、演芸大会を行う舞台設定をしたりするのだ。
「運悪く」この年の班長になった家では、祭り当番の責任者として、もう一つの祭り当番の班長と協力して、みんなを纏め上げていかなければならないわけだ。みんなの協力が大切だが、ある程度のリーダーシップを発揮しないと上手く進まない。
こういう行事は、仕事をリタイヤした「長老」たちが活躍するのだが、先月集まった際に見たところでは、なぜか今年の我が班は、その後継者である40~50歳代の働き盛りの方が多かった。
本番が10/15,16 と迫った今日は、朝から公民館に集合して、倉庫の備品を確認したり、灯篭の和紙の貼替えをしたりと、昼近くまで準備作業に明け暮れた。
そんな中で、注連縄作りの担当になった者達が悪戦苦闘していて、次第にその様子を見物する者が増えていき、ちょっとした騒動になった。
注連縄(しめなわ)は神社には欠かせない。注連縄の起源はいくつかあるようだが、私は勝手に、注連縄の本体は雲を、〆の子(細く垂れ下がっている藁)は雨を、紙垂は雷(稲妻)を表わしているという説を信じている。
雷雲から雨が降り稲妻が光る注連縄
記憶は曖昧だが、子供の頃家の近くの水田の真ん中あたりに、青竹を四隅に立てて、注連縄で囲ったところを目にしたことがあったような気がする。そこは、どうも落雷があったところを示す目印だったようだ。
理屈は分からないが、落雷があると、そこの稲の収量は増えるという経験則を古代から農民達は心得ていたというのだ。
稲妻が大気成分を分解して、その窒素分を雨が地面に送り込む、という科学的な裏づけが出来るのかどうかはわからないが、ロマンを感じさせる話だと思う。
しかし、今日の注連縄作りの担当者達は、悪戦苦闘していた。農家の長老達に任せれば朝飯ないのかもしれないが、担当者は65歳位が1名、50代後半、40代がそれぞれ1名ずつであった。いずれも農家の方ではなかった。
通常はこういう光景だったが・・
農家から調達した藁をネジって、撚っていくのだが、要領が分からなくて何度もやり直していた。出来上がったのは、神社で見た形の注連縄には程遠いものだったが、誰かが家の神棚に飾ってあった小さめの注連縄を取りに行ったりして、何とか3つ作り上げた。
参考写真です。
ケバケバをきれいに切り取る
私は口に出す勇気はなかったが、こんなもんでいいのかしらん、と思ったものだった。そして、これが田舎の地域コミュニティーの現実で、伝統文化の継承はあまりうまくいってないと感じざるを得なかった。
子供神輿とか、子ども会のクリスマス会、最近ではハロウィンで街興しなどという、いわゆる「お祭り騒ぎ」の行事が盛んであり、私の地域もお祭りでの演芸会や子供山車(だし)廻しの方に関心が強い。
注連縄に挟む稲妻を象徴した和紙を「紙っぺら」と呼んだり、「ピラピラ」と呼んだりする長老クラスの年配者たちは、その正しい名称「紙垂(しで)」など若者に教えることすらできないのは、残念な気がする。
家に帰ってきて、Youtube で検索すると、やはり注連縄の作り方を丁寧に撮った動画がアップされていた。
今年は我が班が祭り当番となり、この担当は6年ごとにやってくる。15軒ほどある我が班から、1名ずつ出て、祭り準備をするわけだが、単にお供え物を揃えて、お飾りをし、鎮守のお祭りの神事を執り行うだけではない。
恒例のおでんや甘酒を振舞う下準備や、演芸大会を行う舞台設定をしたりするのだ。
「運悪く」この年の班長になった家では、祭り当番の責任者として、もう一つの祭り当番の班長と協力して、みんなを纏め上げていかなければならないわけだ。みんなの協力が大切だが、ある程度のリーダーシップを発揮しないと上手く進まない。
こういう行事は、仕事をリタイヤした「長老」たちが活躍するのだが、先月集まった際に見たところでは、なぜか今年の我が班は、その後継者である40~50歳代の働き盛りの方が多かった。
本番が10/15,16 と迫った今日は、朝から公民館に集合して、倉庫の備品を確認したり、灯篭の和紙の貼替えをしたりと、昼近くまで準備作業に明け暮れた。
そんな中で、注連縄作りの担当になった者達が悪戦苦闘していて、次第にその様子を見物する者が増えていき、ちょっとした騒動になった。
注連縄(しめなわ)は神社には欠かせない。注連縄の起源はいくつかあるようだが、私は勝手に、注連縄の本体は雲を、〆の子(細く垂れ下がっている藁)は雨を、紙垂は雷(稲妻)を表わしているという説を信じている。
雷雲から雨が降り稲妻が光る注連縄
記憶は曖昧だが、子供の頃家の近くの水田の真ん中あたりに、青竹を四隅に立てて、注連縄で囲ったところを目にしたことがあったような気がする。そこは、どうも落雷があったところを示す目印だったようだ。
理屈は分からないが、落雷があると、そこの稲の収量は増えるという経験則を古代から農民達は心得ていたというのだ。
稲妻が大気成分を分解して、その窒素分を雨が地面に送り込む、という科学的な裏づけが出来るのかどうかはわからないが、ロマンを感じさせる話だと思う。
しかし、今日の注連縄作りの担当者達は、悪戦苦闘していた。農家の長老達に任せれば朝飯ないのかもしれないが、担当者は65歳位が1名、50代後半、40代がそれぞれ1名ずつであった。いずれも農家の方ではなかった。
通常はこういう光景だったが・・
農家から調達した藁をネジって、撚っていくのだが、要領が分からなくて何度もやり直していた。出来上がったのは、神社で見た形の注連縄には程遠いものだったが、誰かが家の神棚に飾ってあった小さめの注連縄を取りに行ったりして、何とか3つ作り上げた。
参考写真です。
ケバケバをきれいに切り取る
私は口に出す勇気はなかったが、こんなもんでいいのかしらん、と思ったものだった。そして、これが田舎の地域コミュニティーの現実で、伝統文化の継承はあまりうまくいってないと感じざるを得なかった。
子供神輿とか、子ども会のクリスマス会、最近ではハロウィンで街興しなどという、いわゆる「お祭り騒ぎ」の行事が盛んであり、私の地域もお祭りでの演芸会や子供山車(だし)廻しの方に関心が強い。
注連縄に挟む稲妻を象徴した和紙を「紙っぺら」と呼んだり、「ピラピラ」と呼んだりする長老クラスの年配者たちは、その正しい名称「紙垂(しで)」など若者に教えることすらできないのは、残念な気がする。
家に帰ってきて、Youtube で検索すると、やはり注連縄の作り方を丁寧に撮った動画がアップされていた。