孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

読めばいいのか、新聞

2016年10月01日 | 社会観察
数年前まで購読していたが、あまりにも読む価値がないと感じて購読を他紙に変更した地元ローカル紙の「静岡新聞」は、朝夕刊セット販売で月2,900円と安い。

安いが購読数は約70万部ほどで、地方紙のトップだそうだ。県内のシェアは朝刊で59%、夕刊で80%だそうだ。

しかし、特に夕刊はほとんど読むところがないので、朝刊のみにしようと販売店に電話したら、購読料は100円安くなるだけだ。という回答だった。つまり、夕刊の価値は3円33銭/日ということだ。

以前にも暫く産経新聞を購読したのだが、折込チラシが入っていないという理由で、我家の女性陣から猛烈なブーイングがあって、止む無く再び購読し始めた静岡新聞であった。

しかし、その中身のお粗末さに耐えかねたのと、朝刊のみでたった100円安くなるだけ、という詐欺まがいの販売方法に合点がいかず、産経新聞は取り扱っているか、折込チラシは入るかと聞いたら、返事はどちらも「はい」だった。しかも、月3,000円。

「明日から産経新聞にしてください。」と即決したのだった。

今朝、行きつけの図書館で見た久々の静岡新聞に、政治部の宮嶋尚樹という記者の記事が目を引いた。以前は署名入り記事など無かったと思うが、最近の傾向なんだろうか。

それは、今年行われた全国学力テストに関する記事で、静岡県の小学校・中学校の成績が新聞をよく読む子供ほど良いという結果になった、という自画自賛の以下の記事であった。

『静岡県の中学生は、18.9%が新聞を「ほぼ毎日「週に1~3回程度」読むと回答し、全国平均の18.7%を上回っていた。学力テストの正答率と新聞を読む頻度には相関関係が認められるとし、県教委は授業などでの新聞の活用を奨励している。』

さらに、『静岡県内は小中高13校がNIE(教育に新聞を)の実践指定校になるなど、授業などでの新聞の活用が広がる・・

・・NIEアドバイザーとして普及に携わる大井川中の矢沢和宏校長は「新聞を継続的に読むことで、読解力や表現力が伸び、人前で堂々と意見を発表することもできるようになる」と効果を強調した。』と記事は続いた。

NIEとは、NIE(Newspaper in Education=「エヌ・アイ・イー」と読む)は、学校などで新聞を教材として活用することで・・・

1930年代にアメリカで始まり、日本では85年、静岡で開かれた新聞大会で提唱されたそうだ。その後、教育界と新聞界が協力し、社会性豊かな青少年の育成や活字文化と民主主義社会の発展などを目的に掲げて、全国で展開している団体だという。

「ふ~~ん・・」と思って、何気なく表をよく見て首をかしげた。

 静岡県と全国の比較表


記事は、新聞を「ほぼ毎日読む」と「週に1~3回程度読む」の合計ポイントで全国平均と比較して、「全国平均を上回った」と伝えている。

しかし、「ほぼ毎日読む」子供は、小学生も中学生も全国平均より下ではないか。小学生などは、「ほぼ毎日」と「週1~3回」を合計しても平均よりかなり少ない。

データを見て分析する力がこの記者に備わっているとは到底思えない。

新聞などのマスコミの怖いところは、こういうことをしゃあしゃあと糞真面目にやるところである。反政権デモの参加者など、以前は「警察発表」を公表したものだが、最近は、ほとんどが「主催者発表」のみである。

国会周辺のデモの時などは空から撮った写真は新聞は掲載せず、ただ「主催者発表2万人」などと記事にした。参加者を把握する公安警察の発表はかなり現実的だそうで、そのときはたかだか5000人だったそうだ。

因みに、空からの写真を掲載しないのは、数がバレてしまうからだそうだ。

新聞を始めとするマスメディアの怖さは、沖縄を見ればよく分かる。

今や、沖縄には健全な言論空間は存在しない。新聞社2社が県民を洗脳し続けてきた結果だ。

  これぞ偏向新聞

メディア・リテラシーという言葉がある。

世の中にある数え切れないほどの沢山の情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のことで、端的に言うと「情報を評価・識別する能力」のことをいう。

何でもかんでも新聞を読めばいいというものではない。洋の東西を問わず、この世には有害な新聞の方が多いだろう。

      新聞には嘘が溢れている

静岡新聞、政治部の宮嶋記者は、このメディア・リテラシーについてもう少し説明を加えるべきであった。記事を読んだ読者は、この記事のお陰で誤った情報を頭に入れたに違いない。

まさか、宮嶋記者の作為による意図的な記事だったとは思えない。所詮ローカル紙の記者は、この程度だと判断するのが正解だろう。


哀れ、ギロギ・アッパ

2016年10月01日 | 英語関連
南朝鮮の英語教育熱はすでに10数年前に始っている。これを、「英語教育が10数年進んでいる」という方もいるようだが、私は「悲劇は10数年前に始っている」と言うべきだと強く思う。

確か、10年ほど前だったと思うが、仕事でフィリピンのとある金属プレスの会社に2ヶ月ほどお邪魔した。そこは在日朝鮮人の会社であった所為で、工場長から幹部社員が全員南朝鮮人であった。

日本人の出向者も数人いたが、言葉のせいでほとんど交流はなく、雰囲気は最悪であった。そういうところに私が行くと、南朝鮮の幹部社員たちは、会う人会う人全員が、開口一番「英語がお上手ですね。どこで英語を勉強されたんですか?」と尋ねてきた。

「独学です。」と答えると、「どうやって勉強したんですか?トーイックのスコアは?」と畳み掛けてくるのだった。

まだ、社会人になったばかりのころ、南朝鮮に長期出張させられたとき、突然泊まっていた宿に、どこで聞いたのか英会話学校を経営する方が生徒を3~4人引き連れてきたことがあった。

物腰は柔らかだったが、ぶっきら棒に「英語を話す日本人がこの街に来ていると聞いて、私の生徒達を連れてきました。彼らと何か話してください。」と言うのだった。

半島南部の人口5万人くらいの小都市だったが、英会話学校は数校あったようで、南朝鮮はもう30年以上前から、英語教育熱が高かったことがわかっていた。

フィリピン工場の南朝鮮幹部社員の一人が、「私たちの国では、子供のうちから英会話を覚えさせようとする親が一般的で、『ギロギ・アッパ』って呼ばれるてるんですよ。」と話してくれた。

何のことですか、と尋ねると、「母親と子供は外国に留学していて、父親は自国でせっせと仕事をする。年に数回子供と母親に会うために留学先を行ったり来たりするんです。渡り鳥みたいにね。」

後で調べると、ギロギとは「雁」、アッパとは「父親」という意味だった。

なぜかそこの工場長は英語を話せず、その代わりなのか日本語を流暢に話したが、彼も年頃の娘さん二人には英語が話せるようになって欲しかったので、フィリピン赴任が決ったときに、迷わず家族を帯同して、マニラのアメリカンスクールに入れたそうだ。

そして、フィリピン人は英語を話すので、今この国では南朝鮮人の学生・社会人を対象とした短期留学の英会話スクールが雨後の竹の子のように出来ていると、教えてくれた。

  比島、セブの海岸

カナダやオーストラリア、シンガポールに留学させるよりコスト的に比較にならないほど安上がりだと力説していた。これが凡そ10年ほど前のことだった。

そして、遅ればせながら日本の南朝鮮の後を追いかけて同じ状況を迎えているということが、今朝の新聞記事に書かれていた。

英会話学校大手のECCが、フィリピン・セブ市に英会話学校を開校するそうだ。小学・中学・高校生から社会人を対象に、定員72人。一日8時間英語漬けの授業がセールスポイントで、半日はマンツーマンで英会話を学ぶそうだ。

専用宿舎には日本食も用意されて、料金は宿泊費込みで、1週間 約83,000円だという(渡航費別)。

  セブ市内の風景

しかし、ECCの参画はすでに遅い感じがする。フィリピンの日本人相手の英語学校は今に始ったことではないようだ。ネットで検索すると、すでにいろいろあって選択に困るくらいだ。

  選択に困るほどある語学学校

「英会話はネイティブに習わなければ習得できない」「英会話は小さいときから習わなければ話せるようにならない」「英会話は学校の英語の授業では身に付かない」などなど、英語が不得意な日本人の固定観念はゆるぎないものとなっている。

  ネイティブに習えば大丈夫?

  英会話学習は道楽か?

金と時間をかけて日本の将来を担う子供たちをフィリピン人やシンガポール人、マレーシア人、南朝鮮人たちのようにしようとしている現象に少しでも疑念を感じさせる名案は何かないものか。

まだ、ギロギ・アッパのような渡り鳥家族が社会現象に出てこないだけマシだとは思うが、いずれそうなるのだろうか?