磯輪日記

世界の段ボールビトを幸せに!
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世界一社風のいい会社を目指しています。

長崎へのもうひとつの理由

2017年08月22日 23時59分28秒 | オフ・ビジネス

エミリオが「長崎へ行きたい!」と言ったもうひとつの理由。
それは、

「カトリック教徒にとっての日本の聖地へ原爆を落としたことが
許せない。
その本当の姿を知りたい」

というものでした。



まずはグランウンド ゼロ、原爆投下爆心地へ。

「なぜあんなにたくさんのペットボトルが供えられているのか?」

と聞くエミリオに、

「原爆の被災者たちは、みんな、

『喉が渇いた。水をください』

と言いつつ死んでいったからだよ」

と教えたら、涙ぐんでいました。。。


「できるだけ静かな環境の中で見学したい」というエミリオの希望だったので、
開館と同時にに原爆資料館入りました。



あの時から時計は止まったままでした。

そして原爆祈念碑へ。

原爆投下について、深く、深く感じ入っていたエミリオでした。




自らも原爆に被爆しながら、被爆者の治療に献身的に当たったとして原爆
資料館でも紹介されていた永井隆という医師。
資料館見学後、N社のS社長がわざわざ車でこの前を通ってくれた小さな、
小さな二畳一間の建物が永井先生の病室兼書斎“如己堂(にょこどう)”。



帰宅後、ネットで検索したら、こんな姿をしているんですね。
“己の如く隣人を愛せよ”としてこう本人が名付けたそうです。

こんなことをS社長がエミリオに話したら、

 「はい、永井先生の書いた本を読んだことがあります」

と答えるんです!  エミリオ、凄過ぎ!

永井先生も、コルベ神父を診察したことがあり、被爆後苦しんでいた時、
コルベ神父の教会の水を飲んで持ち直したこともあったそうです。


そうそう、もうひとつ面白い話がありました。

S社長が、

 「最近、テレビで フランシスコ・ザビエルの末裔が
  神父として日本に住んでいることが紹介されていましたよ」

さすがにそのことはエミリオは知らなかったので、S社長がその続きを
話してくれました。それによると、

  彼は、少年時代に、フランシスコ・ザビエルの書いた本を読み、
  そこでザビエルが高く評価していた日本人にあこがれ、

   「どうしても日本に行きたい!」

  と思うようになりました。

  で、日本に行くための一番いい方法は何かと考え、神父になる
  決断をし、勉強に励み、とうとう日本に来ることができたそうです。

  そして来日してから、あることを発見しました。
  それは、自分がザビエルの子孫であることです。
  彼は、日本に来るまで、そのことを知らなかった。

この話をS社長がしたら、エミリオが、

 「そのザビエルが書いた本は、数冊読みました」


おお、エミリオ!! 
段ボールの機械売るより、学者になった方がいいんじゃない! 笑

こんなにすばらしい奴と一緒に仕事ができるなんて、本当に幸せです。

  


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