生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

多く赦された者は、多く愛するの?(その2)

2007-07-26 13:00:11 | 聖書から
昨日の続きです。

そのとき、イエスさまはパリサイ人シモンに金貸しのたとえを話されました。

「ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。彼らは返すことができなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。では、ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛するようになるでしょうか。」
シモンが「よけいに赦してもらったほうだと思います」と答えると、イエスは「あなたの判断は当たっています」と言われた。(ルカ7:41-43)


そしてイエスさまは、シモンは口づけし油をぬってくれなかったが、この女は足に口づけし、足に香油をぬってくれたと言い、「この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。(7:47)」と女のやった行為をほめ、女に罪の赦しを宣言します。

この聖書箇所を読むと、多くの罪を赦されている人が、より愛するようになる。少ししか罪のない人は少ししか赦されないから、愛も少ないという意味のように受け取れます。  それなら、大きな罪を犯した人の方が、大きな愛をもつようになるということでしょうか?

しかし、イエスさまは、そいうことを言っているのではない。シモンがそう思っているので、そのシモンの考えに合わせてそう言われたのだと教えられて、イエスさまはこの女だけでなく、パリサイ人シモンのことも愛しておられるのだと気づきました。

ほかの聖書箇所で、イエスさまは、パリサイ人のことを偽善者とまで言っており、パリサイ人やサドカイ人、律法学者などに対して厳しい態度をとられています。

でも、実はイエスさまは、シモンのことも愛しておられた。だから、シモン自身が多くの罪を赦されている者なのだと気づかせようとしておられたのです。

シモンは、香油をぬった女を罪深い者としてさげすんでいました。そして自分は律法を守っているから、神の前に正しい人間なのだと思っていました。
シモンは女のした行為が素晴らしいものだとは思いませんでした。自分よりこの女の行為をほめるイエスさまの心がわからなかったでしょう。女より優位にたって、女のことを裁いていたシモン。シモンこそ罪深い者であるということにイエスさまは気づかせたかったので、このように語られたのでした。

わたしも、無意識に人のことを裁いてしまうことがあります。でも、自分こそ多くの罪を赦されている者なのだということを自覚して日々歩んでいきたいと思いました。


聖書の一節だけを取り出して自分勝手に解釈をすることの危険性を感じました。イエスさまの言われた言葉の中には、ほかの箇所で言われたことと矛盾するような言葉もあり、『えっ、どういうこと?』と首を傾げてしまうことがあります。言葉の表面的な意味ではなく、その下に隠されている主の深い想いを読みとらないと誤解してしまいます。だからこそ、礼拝メッセージを聞いたり、聖書を学ぶことが大切なのですね。 
                 
おわり

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