先週の木曜日にSさん宅で家庭集会が行われました。日にちが過ぎてしまいましたが、新しい発見がありましたので、学びの一部を紹介させていただきます。
新約聖書のルカの福音書7:36-50に、シモンという名のパリサイ人がイエスさまを食事に招待したときの出来事が書かれています。(ここに登場するシモンはイエスさまの弟子のシモン・ペテロとは別人です。)
パリサイ人とは、新約時代のユダヤ教の一派で、厳格な律法主義者です。彼らは律法を守ることで救われると思っている倫理的な人たちです。
人を招待して食事を用意するのは、普通のこととして聖書に書かれていますが、ユダヤ人は宗教的意識が強いので罪深いとみなされた人や異邦人(外国人)とはつきあわないのは慣例でした。
パリサイ人、シモンはイエスさまが聖書知識に通じ、立派な教えをする教師(ラビ)と見ていたので家に招いたようです。
イエスさまが食卓についていたとき、ひとりの罪深い女が突然家の中に入ってきました。女は高価な香油の入った壺を持っており、泣きながら涙でイエスさまの足をぬらし、髪の毛でぬぐい、足に口づけをして香油をぬりました。
当時のユダヤ人は、客人に対するもてなしとして足を洗いました。足に口づけをするというのは『タムルード』(ユダヤ教ラビたちによる口伝律法集大成)にも実例が記されていて、最高の感謝と謙遜の表現だったそうです。香油は最高の化粧品で、客に対するもてなしのひとつです。
写真はこの場面を描いた聖画がですが、美しい場面ですね。その女の人がどんな思いでイエスさまのところへ行ったのかと想像すると、ドラマになりそうです。女はそれ以前にイエスさまと出会っていて罪赦されたので、イエスさまに対する感謝とあふれる愛の思いをこのような行為として表わしたのでは?とわたしは想像します。
女のすることを見たシモンは「もし、イエスが預言者なら、この女が罪深い女だと知っているはずだ」と心の中で思っていました。イエスさまが女にどんな対応をするのか興味津々だったのでしょう。
罪深い女というのは「不道徳な女」ということです。シモンは、心の中で女のことをさげすんでいたのかもしれません。
つづく