社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)

国連の女子差別撤廃条約に基づく男女共同参画を強行する女性独裁権力(フェミニズム)の社会病理に言及、コメント欄も充実。

死刑賛美の世論が更なる犯罪の起爆剤となる(その2) --宮崎勤死刑執行、秋葉原通り魔--

2008-06-22 21:41:39 | 事件、事故

 もしもそんな世論が多数派であったとすれば、今後も事件が起き続ければいいと言っているのと同じだ。フェミニズムの悪政により女性から人の心は失われ、人間愛が世の中から消滅してしまえば、人は生きる意義を失ってしまう。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080622-00000923-san-soci

 加えて、非正規雇用の増加など労働環境の悪化に加え、ガソリン価格の値上げに伴う物価高など国民生活に追い討ちをかけるような事態がますます深刻になれば、自暴自棄になる者は益々増加するだろう。結果として犯罪は増え、犠牲者も発生する。今や国民の誰もが犠牲者になる危険があるのだ。

 犯罪には、必ず人を犯罪者に駆り立てた社会責任というものが必ず存在する。誰しも犯罪者を目指して産まれてきた者などいないし、育てられた者もいない。人の成長過程において、そして成人以後の生活環境や体験過程において、人は様々な影響を受け、尋常ではない影響を受けた一部の者が道を踏み外してしまうのだ。つまり誰でも環境次第で悪人にも善人にもなり得るのだ。

 宮崎勤死刑執行の件では、評論家の間でも意見が分かれている。宮崎勤を描いた「M 世界の、憂鬱(ゆううつ)な先端」の著書がある作家、吉岡忍さんは「時代が生み出した異常な精神状態を背景に犯行を繰り返した最初の人物だったのではないか。にもかかわらず、裁判所の判決は通り一辺の凶悪事件として片付け、世間から隔離し、死刑という厳罰で終わらせたといえる。このため、その後に続いた事件も社会の病理を検証することなく、個人の問題として、死刑で終わらせてしまう風潮を作り出してしまった。(宮崎を)司法がもっと掘り下げて検証しておけば、その後の事件の手がかりをつかめたかもしれない。司法が複雑なものを複雑に考えなければ教訓にはならない」、と短絡的な厳罰主義に警鐘を鳴らしている。(*1)

・(*1)宮崎死刑囚 猟奇殺人、20年前震撼 45歳、遺族に謝罪ないまま
6月17日15時48分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080617-00000100-san-soci
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/e20080617003.html

 また、死刑判決後に宮崎と面会した長谷川博一・東海学院大教授も、「裁判は終わって確定しても、宮崎の犯行の動機や犯行当時の精神状態が分かっていない。事件が解明されたわけではなく、執行には違和感を覚える。裁判は量刑判断とともに、犯行への経緯を明らかにする場とすべきではないか。そうでなければ凶悪事件も減っていかないと思う。」と現状の司法制度に疑問を投げかけている。(*2)

・(*2)「事件未解明。死刑執行に違和感」
東海学院大人間関係学部、長谷川博一教授 宮崎勤事件 06/17 16:59更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/153845/

 更に、宮崎からの手紙を掲載した雑誌「創(つくる)」編集長、篠田博之氏は、「罪と向き合っておらず、最後まで反省と贖罪(しょくざい)の意思表明はなかった。死刑の意味を十分に理解していなかった可能性がある。罪と向き合わせて反省させる必要があった。」と驚きを隠せない。(*3)

・(*3)「反省させる必要あった」創編集長、篠田博之氏 宮崎勤事件 06/17 17:20更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/153868/

 これに対し、宮崎の公判を1審から最高裁判決まで傍聴し続け、著書「宮崎勤裁判」を出版した作家、佐木隆三氏は、宮崎が拘置所で哲学書などを読んでいたことや法廷での様子などから、精神疾患を装った「詐病」であると指摘する。(*4)

 だが佐木氏は、この事件を「幼い女の子を狙った卑劣で凶悪な性犯罪」と強調し、更に報道ステーションでのインタビューでも、子供の頃の宮崎の家庭環境について言及し、「宮崎の父親がPTAの役員をしていて、同じ役員の女性と浮気していると妻に疑われたために父親が母親に暴力をふるった」とDVの存在を指摘するなど、いかにもフェミニズムに直結しそうな要素を羅列した分析をしている点が気にかかる。

・(*4)「ようやくかという印象」作家、佐木隆三氏 宮崎勤事件 06/17 14:04更新
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/153807/

 どんな社会環境でも必ず犯罪は発生する。従ってその刑罰に死刑が存在することに異論はない。しかし、刑罰を課すと同時に社会環境の改善にも目を向け、それらが将来国民の幸福に繋がるものでなければ意味がない。山口母子殺人事件の遺族本村洋さんは被告人の死刑判決を受け、自分が被告人の死も背負うことになると話していた。そして今後こうした悲惨な事件が起きないような社会の仕組みづくりをしていかなければ妻子も被告人も犬死にだと話していたはずだ。それだけ死刑という刑罰には重みがあるということだ。

 しかし、安易な厳罰世論がそれだけの重みを認識しているとは到底思えない。ただ自分の気に入らない者を手当たり次第に排除すればいいという安易な発想で主張するだけの死刑には私は断固反対する。何故なら、それは決して国民に幸福をもたらすことはないと思うからだ。


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2 コメント

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安易な結論 (ただし)
2008-06-23 03:43:01
厳罰化の流れの中で軽々しく死刑を喚きたてる連中が増えてきていることには問題がある、裁判員制度のことも踏まえて、死刑制度の是非を国民的レベルで論議するべき時がきている。
返信する
犯人像創りと冤罪の可能性 (バルログ)
2008-06-23 19:49:00
宮崎勤は他国だったら死刑はおろか逮捕すらなかったろう。
神戸児童殺傷事件もそうだが明らかに証拠不足で尚且つ本人だと断定出来る
証拠は皆無に近いのだっ!

日本の場合逮捕=犯人と言う妄想がマスコミや国民を支配している。

両事件を検証すれば如何に警察が違法捜査をし目的証言を黙殺し残虐性と
猟奇性だけを強調し犯人像をマスコミに流したかが一目瞭然である。

因みに宮崎勤に関しては彼の部屋から当時発売されてもいない猟奇ビデオが何故か発見される(宮崎は逮捕拘留され入手不能)
発見される数日前にマスコミ関係者を名乗る人物が宮崎宅を訪問し部屋にも入っている。
通常証拠保全の為に硬くガードされているのだが?

それと当初犯人らしき車と男が男性二人に目撃され側溝に脱輪した車を助けた。
男性二人の内一人は自動車業界関係者で手助けした車は宮崎のラングレーではなく
トヨタのカローラⅡと断言している。

それと宮崎勤の車からも部屋からも被害者の毛根や衣服の繊維等も一切検出されず、
自室からも全く殺害を匂わす証拠は出てきていない。

殺害を撮影したと言われるビデオテープも被害者の身体(警察の捏造の可能性濃厚)
は映っているが顔を含めた身体の全体像は何故か映っていない。

日本のマスコミは相変わらず大衆マスコミらしく警察や検察発表を鵜呑みにし
一切の検証なしで垂れ流し!!

こられの低脳マスコミと人権蹂躙国家並みの日本の司法にかかれば誰だって
明日から犯人にされ罪のよっては死刑になってしまう。

日本の国民の多くは残虐である事件になればなるほど簡単に死刑を叫ぶ傾向は
近年益々顕著化しつつある。

警察は相変わらず取り調べの可視化と取り調べの際に弁護士立会いを頑なに
拒否し続けている。
勿論検察も同様一部可視化は始めたがそれも「自白」シーンのみと言う
都合の良い部分だけであり、弁護士立会いは相変わらず拒否したままである。

諸外国では可視化と取り調べの際の弁護士立会いは当然だが我が国は
何かを恐れてか可視化と弁護士立会いは当局が拒否している。

そう言えば我が国は裁判のテレビ中継も許されてはいない。
諸外国では成し遂げられているのだが・・・

日本の裁判は所謂茶番であり裁判の体を成してはいない。
テレビカメラが入ればそれが白日の下に曝されるのを恐れているのだろう。

日本の警察・検察・裁判所は秘密主義である。
秘密主義が被告に有利ならば理解するが当局に有利で被告に不利な秘密主義など
絶対に許されない!

私見ではあるがまた無実の方が犯人と言うレッテルを貼られ死刑にされて
しまった。

何時までこの国は当局とマスコミと大衆合作の私刑が続くのだろうか・・・

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