持続可能な国づくりを考える会

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『原子炉時限爆弾』の信憑性の確認 続

2011年05月07日 | 理念とビジョン

 運営委員長の岡野です。


 原発について学びを続けていますが、アマゾンの原発関係の本のレビュー(書評)を見ていて、ハンドルネーム:ワッフルさんの『原子炉時限爆弾』に対する次のような批評を見つけました。学びのための参考資料としてご紹介しておきます。


原子力発電が危険であることに異論はありません, 2011/3/20

原子力発電が危険であることに異論はありません。ですが、この本には問題があると思います。

1. 内容に新しさがないこと。
既に原子力発電の危険性を指摘してきた本が数多くあります。浜岡原発が地震多発地帯に立地していること、それを過去の地震の記録やプレートテクトニクスの理論で説明すること、原子力発電所が地震や津波に弱いこと、様々な利権があること、電力会社側にデータの改竄や隠蔽があったこと、プルトニウムを使うプルサーマルの危険性。今まで科学者が指摘してきたことを引き写すだけなら当って当然です。

2. 非科学的な説明が多いこと。
科学者の本や科学者の監修を受けた本を著者が相当勉強したことは伺えます。ですが、科学的な理解力が十分でないためか、本を売るために誇張したのか、初歩的な間違いが随所にあります。これでは推進派やこれから推進派になる理系の学生に「原子力発電に反対するのは科学的に無知な人の妄想」という誤った印象を与えてしまいます。
 (中略)
以下に非科学的な例をいくつか挙げます。この本をお持ちでない方が大部分でしょうから、「なか見!検索」の部分を見ていきます。

2.1 マグニチュード8クラスというのは、予想ですからその程度の数値でしかありません。著者はなぜか8.0という値に書き直し、関東大震災の7.9という値と比較して1.4倍のエネルギーと書いています。有効数字の意味を分かっていません。この比較はナンセンスです。正確な8.0という値が得られたとしても、関東大震災のときのマグニチュードの定義が同じか、測定精度はどうかという問題があります。このあとの章でも江戸時代の地震のマグニチュードの数字を使って議論しています。地震計がなかった時代のものは推測でしかありません。不確かな根拠の上で数字を厳密に論じても意味がありません。

2.2. 関東大震災の被害の大きさを強調するために死者数を挙げていますが、被害の多くは火災によるものです。マグニチュードが被害の大きさの決定要因ではありません。マグニチュードは地震のエネルギー(を表そうとしたもの)であって力ではありません。破壊力と書いていますが、建物などを破壊する力は揺れの加速を表すGalという単位を使っています。ですが、それをエネルギーと言っています。

2.3. 87%だから確実に起こると断言できる、という記述はトンデモです。87%は100%ではありません。あるモデルに従って確率を計算したら87%であるというのが科学的な理解です。そのモデルが正しいかどうかも分かりません。

2.4. 地下深くではどこが切れ目かわからない複雑なからみあいをしている、という記述も何を言いたいのかよく分かりません。プレートがマントルの中に溶け込むことを言いたいのでしょうか。著者はプレートテクトニクスをどこまで理解しているか疑問です。ですが、その後の章では図入りで詳細に説明し、地球の磁場はマントル対流の結果とする新説を述べています。さらには地震の前は磁場が微妙に変化するので生物が反応するのだそうです。

2.5. テレビの「ニュースの深層」で水を掛けるのは意味がないと発言していますが、あのとき冷やしていなければ燃料棒の鞘のZr合金が溶解して、化学的活性な表面が現れ水分子を還元し水素を発生させます。また、電源を回復させて冷却水を循環させろとも言っていますが、この本では地震にあえば配管が寸断されると述べています。著者は他の本を引き写すだけで内容を理解していなかったから忘れてしまったのでしょうか。

2.6. この本でも『危険な話』から引き継いだ逆二乗則の誤解を続けています。放射線の強さが距離の二乗に反比例するのは真空中で電場も磁場もないときです。アルファ線は紙一枚も透過できません。放射線が物質中で散乱されてエネルギーを失うことを理解していません。それでは何故生体に危険かも分からないはずです。著者の科学的知識は他の本の記事をそのまま引き写すような表面的なものであって、その現象が起こる理由を理解していないように感じます。
(以下略)


 なるほど、コメントで東の回廊さんが指摘していたのはこういうことかな、と思いました。

 確かに、原発推進派の専門家から「反原発派は非科学的だ」という批判を受けないためには、専門科学的にもできるだけ正確であるに越したことはないと思います。

 しかし、福島原発事故は、推進派の「専門家」が「科学的」だとして言い募ってきた「原発安全神話」が事実として完全に崩壊したことを意味しており――事実が科学的(?)理論を超えてしまった――「地震列島日本に54基もの原発を造ったことそのものがまちがいだったのではないか」という死活的に重要な論点を、市民に啓蒙し警告し脱原発の行動に向けてアジテーションするという意味では、『原子炉時限爆弾』の大筋はきわめて良識的であり有効・妥当だった、と筆者は評価します。

 別の言葉で言えば、個別・専門科学的にやや不正確なところがあったとしても、他の反原発派の専門家の本よりも大衆性・インパクトがあって、社会的な良識という面での有効・妥当性がある、ということです。

 (理系の若者に「反原発は非科学的?」という印象を与えたというマイナス面も確かにあるのかもしれませんが、それを差し引いても社会的価値があると思います。)

 私は、70年前後の学生時代以来、科学のための科学――これは時としてしばしば特定科学者の地位や名誉や利益と結びついた「科学主義」の口実になりがちです――よりも、人間のための科学・社会のための科学がより重要だと考えてきています。

 科学者には、「科学」者である以前に科学「者」つまり「人間」としての社会的責任があるのではないか、ということです。

 みなさんは、どうお考えですか。


*なお、ワッフルさんがより科学的なものとして推薦している、以下のような情報は、とても有益でした。

石橋克彦「原発に頼れない日本列島」

高木仁三郎「核施設と非常事態」



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3 コメント

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Unknown (東の回廊)
2011-05-09 00:32:14
岡野先生の「知」への探究心は素晴らしいと思います。実際にご自分で「あの書」の問題点を調べに行かれたのはさすがだと思いました。私の発言は既に撤回させていただいていますが、気まずい思いをしてまでコメントした甲斐がありました。

「あの書」の問題については、レビュアーの方が指摘しているとおりだと思いますので、私から付け加えることは特にありません。

岡野先生のコメントで、若干誤解があると思われる点について指摘させて戴きます。お耳障りな点については、ご容赦下さい。

>しかし、福島原発事故は、推進派の「専門家」が「科学的」だとして言い募ってきた「原発安全神話」が事実として完全に崩壊したことを意味しており…

本物の専門家であれば、「原発は絶対安全だ」などという非科学的な主張はできないと思います。専門家は「想定内の事象(地震や津波やその他の事故/災害)に対して安全」という言い方しかできないはずです。それを科学的素養の無い原発推進派の人が誤って理解し、「原発は絶対安全だ」と言っていると勘違いしたのが「原発安全神話」の始まりではないかと思います。

広瀬 隆氏の「87%だから確実に起こると断言できる」という理解も問題ですが、「想定内の事象に対して安全」を「絶対に安全」と履き違えて理解するのも問題です。広瀬氏の主張と「安全神話」とでは、方向が逆ですが、構図は同じです。つまり、科学技術に対する無知が、誤った理解を広めてしまうという問題です。アジテーションとして広瀬氏の主張を利用するというのであれば、それは原発推進派が誤った理解で「安全神話」を喧伝したのと同じ構図になってしまいます。
私は、そのことを問題だと言っています。
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ちょっと待ったぁ! (プレイバック)
2011-05-26 20:41:50
ワッフル君のレビューですが、彼の「原子炉時限爆弾」のレビューのコメントをよく見て下さい。何人もの人たちが指摘しているとおり、国語力が未熟なために誤った解釈をし、そこから批評しています。これは本書を読めばわかります。ですから、彼のコメントは学びのための参考資料にはなりません。
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お手数です (岡野守也)
2011-05-27 21:47:12
>プレイバックさん

 コメント有難うございました。「国語力が未熟…」というところはあるのでしょうが、私にはそれなりに参考になりました。
 いずれにせよ、今後とも、情報については信頼性を慎重に見分ける努力をしていきます。
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