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大正岩手のスペインインフルエンザから現在へ ―その2

2008-12-21 14:19:28 | 新型インフルエンザ
 スペインインフルエンザは大正7年から9年まで三度にわたり流行した。
 内務省発行『流行性感冒』をもとに分析を行った『日本におけるスペインかぜの精密分析』(東京都健康安全研究センター年報,56巻,369-374 (2005))によれば、岩手県は第1波による大正7年(1918)11月の死亡率が東日本の府県(東京都はまだ東京府)中、最高であった。
 
 大正7年9月29日に原内閣が成立したばかりであった。
 はからずも朝敵となってしまった旧南部藩からの「平民宰相」誕生に人々は溜飲を下げ、県下はあまねく祝賀気分に酔いしれていた。各地での総理大臣就任祝賀会、天長節祝賀会や弁論大会等々集会が多かったことが感染拡大に寄与したであろうことは想像に難くない。
 岩手日報に最初に市中の『感冒』流行について小さな記事が現れたのは10月23日のことである。

 あまりに被害甚大で、毎日の生活におおわらわであったためか、リアルタイムの記録である新聞以外、当時を振り返って書かれた記録が少ない。
 このあたりは「明治三陸大海嘯」と大きな差があり、物的損失が甚大であった事象は長く語り継がれることが多いのに対し、目に見える物的損失をともなわない人的損失は軽視されがちである。爾後の社会に及ぼす影響に頓着しない傾向は日本人の特性といってもよいのかもしれない。
 「岩手近代百年史」「岩手県医師会史」中にも見当たらない。組織立った対応はほとんど不可能であったのだろう。

 大正7年当時の県内の医師は434名(うち開業医が約380名)、看護婦105名、薬剤師36名、産婆461名であり、県内人口や社会構造なども含め、現在と単純比較できない。
 医療の実態も薬籠を下げて往診する藩政・明治時代と大きな差はなかっただろう。病院施設は私立病院2箇所であったが、無論この「病院」も現在の「病院」と同等に論ずるわけにはゆかない。

 現在、著者は岩手のスペインインフルエンザについて情報収集に当っているが、業務の傍らのこと、遅々として進んでいない。
 年末年始がチャンスだと思っているので、興味を持って頂いた方には、その頃もう一度このブログを訪れていただければ幸いである。

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