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読書録「松山御殿物語」

2008年12月05日 | Weblog
およそ五年半前に読んだ「松山御殿物語」(松山御殿物語刊行会編、ボーダーインク、2002年)である。なかなか興味深い本なので読書録を転載しておく。
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三部構成で、第一部が「尚順遺稿」、第二部が「松山御殿の人々」、第三部が「尚栓随想」である。
読みどころは、第一部である。尚順は、琉球王国最後の国王尚泰の四男で、博識があり、食文化、書画、焼き物、熱帯果樹などについて、戦前の雑誌『月刊文化沖縄』に随筆を書いていた。その随筆が主に「尚順遺稿」として取り上げられている。

明治12年の首里城明け渡しのときは六歳であったが、城中が騒然としていた様子を思い出として語っている。支那党の亀川親方が国王に大声で迫っていたこと、首里城から中城御殿に移ったこと、琉球処分官松田道之を見た記憶など。

豆腐が美味珍味で、発酵させてから料理に用いるのが主だった。豆腐よう、発酵豆腐を揚げた塩煎餅のような「干六十揚」、発酵豆腐を使ったチャンプルなど珍味なものとして絶賛する。豆腐好きのことをトーファーと呼んでいたそうだ。

古酒の話では、仕次の大切さを説いている。大切な金庫の鍵を家来に保管させても、古酒倉の鍵は大抵主人が自ら所持していたという記述は、後のいろんな人の文章に引用されている。
古酒の香りには三種あるという。第一は白梅香かざ(鬢付油の匂い)、第二はトーフナビーかざ(熟れたほおづきの匂い)、第三はウーヒージャーかざ(雄山羊の匂い)で、最良の古酒は白梅香の匂いだという。

琉球の南蛮焼のすばらしさについても触れている。南蛮焼といえば沖縄では古酒を貯える壺を連想するという。南蛮焼の特徴など独自の解説もされている。
また、「吾が沖縄では如何なる焼物でも出来ると倣語したい程種々の面白い陶器が出来る」と沖縄の焼き物を誇っている。

首里城の正月は、ピーラルラー(路次楽)から始まるという。名刺交換、若水汲み、北京の紫禁城の方へ向かって行う遙拝、競馬など興味深く書かれている。

琉球料理の堕落について書かれ、特に料理人が塩を用いることを知らないと言って嘆いている。豚の料理は塩味との関係が最重要であるそうだ。
民芸の柳宗悦など本土からの名士を招待し饗応したことはよく知られている。

大正13年から桃原農園を創業し、世界各地から熱帯果樹など植物を蒐集して栽培し、沖縄の農業にも貢献した。
その他、印章や箱書のことも述べられており、好奇心旺盛な男爵であったようだ。
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首里トロピカルガーデンと呼ばれていた桃原農園(松山御殿)のパンフレット。現在は一般公開されていない。



平成4年に訪れた首里トロピカルガーデン



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