2011年12月11日(日) 原子爆弾と原発事故の放射能
丁度、今日から9か月前に当たる、この3月11日、巨大地震に起因する原発事故で、大量の放射性物質が、大気中や周囲環境に飛散し、広範な放射能汚染が引き起こされた。
終戦後66年が経過した、この8月の、広島、長崎の原爆記念日は、原発事故があったことで、いつもとは異なる時間となった。
その辺のことを、当ブログの以下の記事で触れている
鎮魂の夏 その2 原爆と原発と (2011/8/21)
その後間もない、この8月の終わりになって、原子力安全・保安院から、広島の原爆と、福島の事故原発の両者の、放射性物質の飛散量を比較した試算値が、公表されたのである。
それによれば、最も危険な放射性物質である、セシウム137で比較すると、原発事故の方が、原爆よりも、なんと、168.5倍も放出されている、という、信じられない数字なのには驚かされた。
原爆は、死の灰や、黒い雨と恐れられたように、自分としては、原爆の方が、比較にならない位、深刻で、広範な放射能被害をもたらしている、と信じていたのである。前記のブログにも、そう、書いているのだ。
それゆえ、上述の資料が公表され、報道されて以来、このことが、ずーっと気になっていて、その内、良く調べて見ようと思っていた課題なのだが、今回、漸く取り上げた次第である。
先の公表資料等によれば、事故以来、すっかり有名になった、放射性物質の主な核種について、原発事故と原爆とでの放出量を比較すると、以下の様になる、と言う。
試算に当たって根拠としたデータは、原爆は、以前、国連科学委員会がまとめた数値、原発事故は、この6月に、炉心解析による試算値、のようだ。
単位TBq:テラベクレル(ベクレルは放射能を表す単位
テラは1兆で、10**12)
核種 福島原発事故 広島原爆 倍率
放射性セシウム137 15000TBq 89TBq 168.5
(半減期30年)
放射性ヨウ素 160000TBq 63000TBq 2.5
(半減期8日)
放射性ストロンチウム90 140TBq 58TBq 2.4
(半減期28年)
これらの数値は、この4月に、事故レベルを、レベル5から、レベル7に変更した時に公表された数値と、異なっているが、ここでは、気にしないこととする。
世界初の原子爆弾が投下されたのは、広島はウラン爆弾、長崎はプルトニウム爆弾と言われるが、原爆の持つエネルギーは、莫大なものだが、その構成比率は、厚労省のHPによれば、以下のようである。
即ち、爆風や熱線として、建物や構造物を破壊し、人体を傷つけ、各地に火災を発生させるのに、原子爆弾の85%ものエネルギーが使われたのである。 これらのエネルギーを、軍事用でなく、平和利用とすべく進められてきたのが、原子力発電であるのは言うまでも無い。放射線のエネルギーは、全体の、僅か15%でしかないのは、驚きである。
同サイトには、原爆投下時の、放射線量についての推定値が、公表されており、広島の場合は、下図になる。
爆心地から至近距離にある場所については記述が無いが、3.25kmの地点で、一般公衆の線量限界 1.0mSv/年 程度とある。福島の場合は、原発から20km圏の外でも、年間被曝量が20mSvを超える地点が多くあったことと比較すると、放射線量に関しては、福島の深刻さが窺える。
でも、広島、長崎の後、原子爆弾の開発が大幅に進み、上記サイトによれば、その後に開発された核爆弾の威力は、広島、長崎の、何万倍にもなり、放射線量では、何百万倍にもなっている、と言われるようで、核爆弾は、桁外れに、人類の脅威となっているのだ。
原爆投下から9年後の1954年、マーシャル諸島のビギニ環礁付近での、米国の水爆実験により、第五福竜丸が被曝したのは、爆風や熱線によるものではなく、放射性物質が降下した、いわゆる、死の灰によるものだ。
放射能や放射線量で見ると、原爆よりも、福島の原発事故の方が、ずっと、ずっと大きいと言うことを再認識するとともに、それだけ、復興までに、極めて、長い時間がかかることを、覚悟しなければならない。
放射線の人体への影響についての研究やデータの蓄積は、広島、長崎での経験は勿論のこと、米国スリーマイル島や、旧ソ連チェルノブイリでの、原発事故の経験やデータ、核実験に関するデータ等がある訳だが、これまで、公開されていない部分もあり、データ不足・事例不足で、放射能汚染に関する医学的な因果関係や、社会生活への影響等について、はっきりしないことが多いのだ。
今回の日本の状況は、言葉は不適切だが、進行中の、巨大な人体実験場、社会実験場と言え、原発事故後、福島や国内で進められている、放射能検査や規制、健康調査や、除染作業等の、経験やデータは、他では得られない、貴重なものとなる。
唯一の被爆国である日本にとっては、原発事故は、極めて不幸で、厳しい大事故なのだが、起こってしまった以上は、冷静に開き直って、これを機会として捉え、地道で継続的な、調査やデータ収集を、組織的に行うことである。
そこから得られる知見や情報を、後世への遺産として、今後の人類の、原子力をめぐる活動に、大いに役立つようにしなければならない。