おひとりさまの介護

母が認知症になった。なにもわからなかった介護の世界との格闘記

介護保険改革に思うこと

2010年11月20日 | 社会・世相
厚生労働省の介護保険制度改革案がメディアをにぎわしている。
財源の確保と同時に、費用のかかる施設介護ではなく在宅介護へのシフトを促進という点をみてやっぱり、というかんじである。

施設需要が増大した原因については、介護保険制度が導入されたあとの2002年にすでに次のようなポイントが指摘されている。

1.介護保険は、頭がしっかりしていて身体に不自由がある人(「障害を持ってはいるが、精神的には自立した人」)を想定して作られた制度であって、認知症の人(頭はしっかりしていないが、身体が元気な人)などの介護は想定していなかった。
介護認定でも認知症の要介護度が軽く出過ぎるのもその流れの中にある。

2.介護保険は、相当の家族介護力を前提としている。
それが不可能な人はすでに施設へ入所しているか、施設入所がだめなら、病院へ「社会的入院」をしてしまっている。

3.要介護者を「認知症がある非寝たきり」「認知症がある寝たきり」「認知症がない非寝たきり」「認知症がない寝たきり」と4つの群に分け、介護する人のストレス(心理的・身体的)のレベルを、介護保険施行前と施行後とで比較調査し結果をまとめた報告書によれば、「認知症のない寝たきり」を介護している場合は、介護保険の導入によって介護者のストレスは若干であるが軽減されていた。しかし、「認知症がある非寝たきり」(元気な痴呆=要介護認定で要介護度が低く判定される傾向のある人)の介護では、もともと、介護者のストレスは高かったが、介護保険が導入されてさらに大きく増加したという。

その原因は、「見守り」が介護保険の対象ではないことである。以下、引用そのまま。

 「痴呆の介護で一番重要なのは「見守り」であることは、デイサービスやグループホームでの介護をみればよくわかることである。痴呆の介護の中心は、老人の生活リズムに沿った生活支援であり、排泄や食事などの身体介護はその一部にすぎない。「見守り」という24時間の生活支援の中から、身体介護や家事援助だけを切り取っていくら組み立てても、在宅介護はうまくいかないのである。そして、独居、あるいは日中独居の場合なども、頻繁に自宅を訪れる、あるいは声かけなどとして見守りという介護が必要となるのである。
 しかし、介護保険においては、こうした行為が在宅介護のメニューに入ることはなかった。30分、1時間といった単位で身体を使った労働とならない介護は介護とは見なされないまま、地域やボランティアの仕事として追いやられ、結局のところ、介護の問題ではなく、市民の成熟度の問題にすり替えられたのである。だからといって、この見守りという介護が緊急通報やセンサーあるいは監視カメラですむというわけにはいかない。
 実は、「見守り」という行為は、誰かが近くに居ればよいわけだから、施設においては基本的に介護の問題としては表面には現れてはこない。ここに、施設介護を基準にして作成されたという要援護介護認定の基本的な、そして決定的な問題点が存在する。現在の要援護介護認定は在宅の痴呆性老人の評価はできないのである。」

介護保険を使ったことのある人ならわかると思うが、在宅介護を頼める時間は最長1時間半であって、それ以上は、また間をおいて頼まなければならない。
つまり細切れでしか使えない介護保険は、「見守り」の需要に応えることが難しい。

だから改革案が、24時間訪問などを創設とあっても、夜中みてくれるという保険制度ではないと思う。
週末のヘルパーを確保するのもたいへんなのに、どうやって運営していくつもりなのかな、と考えてしまう。


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