おひとりさまの介護

母が認知症になった。なにもわからなかった介護の世界との格闘記

大晦日のハプニング

2010年12月31日 | 留守宅
大晦日の今日は、実家へ行き最終チェック。
仏壇にお供えを飾り、昨日ついたお正月のお花の水遣り。
掃除機をひととおりかけ、今日も昼は好物の牡蠣鍋をやった。

それで一度自分のところへ戻ろうと家を出たら、地面にお飾りの中の竹が落ちていた。
よく見ると、一対のお飾りのうち一つが入れ物の竹筒ごとガムテームをはがして持ち去られていた。
気持ち悪いので、お向かいのおねえさんのところに行き、その話をする。

お向かいさんのお父さんは生前、柔道整体師をされていた。
鳶の組頭を無料で診ていたのでその方面に顔がきく。
さっそく電話をしてくれるが、一夜飾りは縁起が悪いので商売は昨日が最後。なかなか連絡がつかない。
留守電にいれてくれたメッセージのおかげで、組の若いのが(といっても40ぐらい?)きて、うまくお飾りをそろえてくれた。
材料代だけでいいというが、そういうわけもいかずあらかじめ用意していたポチ袋を渡す。

想定外のできごとだったが、ご近所づきあいが生きていて助かったことである。

新年が明けたら神棚のお札を新しくするので、これからまた自分用の年越しそばをもって実家である。

苦労ばかりが気になりやすいが、実はそれより何倍の幸運もあった1年だったと思う。
今年も私を見守っていてくれた方々、助けてくれた方々にお礼申し上げます。

自分像

2010年12月30日 | Weblog
ここのブログに来ないときは、だいたい自分の生活に専念している。
幸い母の状態が安定しているので、2週間、母と離れていることができた。
仕事もあるし、つきあいもある。
楽しいブログも持っている。
あちらのブログは表ブログ、ここは通称裏ブログである。

わたしが介護を背負っていることを知ると、そんなふうに見えない、という人たちがいる。
それはそれで成功である。
誰もが自分を楽しませてくれるひと、明るい気持ちにさせてくれるひとが好きである。

だからネガティブなオーラを出さないための、感情の捨て場をここに求めているということもできる。

迷惑なのは、自分の感情の整理ができずにいきなりひとにそれをぶつけてくるひとたちである。
そういうひとはブログでもなんでも文章にしてみることをすすめる。
どのみち、人間をトータルで理解するのは至難の技。
自分ですらよくわからないときもあるのだから。
多くの場合、相手にわかりやすい均衡の自分として対峙しているのである。

それが成熟と言うか、悪く言えば若さを失ったということかもしれないけれど。

次のこと

2010年12月16日 | 通院
眼科検診。
相変わらず混んでいて、病院のスタッフにあとどれくらいですか?と聞く患者さんが何人もいた。
本を持っていってそれを読んでいるのだが、付き添っている母が「遅いわね~」と話しかけてくる。
そのたびに「今日はまだいいほうだよ」とか「3時間は覚悟しておかないとね」などと繰り返しの会話がなされ、本が全然進まない。
今日は視力検査と問診だけだったので比較的早くすんだ。
次は1ヵ月後だが、年間のおおまかなスケジュールをたてたい私は「その次はいつになりますか?」と先生にきく。
「もう片方の白内障手術をするかどうかですが」と先生。

それを考えなくてはいけないか。

年末の断捨離

2010年12月12日 | 留守宅
母の膨大な持ち物を整理、選別するのが先で、父のものは殆どそのままにしていた。
母ほどの分量はないものの、父は最後まで現役だったので、スーツを何十着も保有。
使わないものにスペースを避けるほど余裕がない住宅事情だし、思い出の償却も進みつつある。
紳士服はよくわからないが、父のキャラクターが出ているのを何着か残したら?、と言われ、裏地にこった「やんちゃ」なものだけを残すことにした。

フリマをやっている友人によると、男物のスーツだけはどうにも引き取り出がないとのことで、大部分はリサイクル業者に出すことにした。
あるアパレル業者がやっているキャンペーンで、その業者のものでなくてもOKである。
タンスが満杯の日本の家では、スクラップアンドビルド、捨ててもらわないと買ってもらえない、という発想だ。

片づけばかりは自分の性分もあると思う。
雑然とした状況にあっても全然平気なひともいるが、それはわたしは気持ち悪くてしようがない。
それで、いつ終わるともしれぬ片づけ地獄にどっぷりつかっているわけである。


神頼み

2010年12月07日 | Weblog
先週の母の婦人科検査の結果を聞きにいく。
結果は問題なく、何が原因でしょうか?と聞いても、摩擦などで出血することもあるという。
そんなもんなのかな、と思いつつ、何事もなかったので安心した。

結果を聞く前に氏神様へお参りに行った。
神頼みである。
近くには成田山の別院の寺もあるが、こちらはめったに参詣しない。
神田明神が氏神様だったこともあり、神田明神と成田山は一緒に参詣してはいけないといわれているからだ。
神田明神はご存知、平将門を祀ったものだが、成田山は将門の乱平定祈願がきっかけで開祖された寺である。
つまり相対する関係にある。
海老蔵事件など成田屋の業が深いのは、江戸歌舞伎の宗家でありながら将門と対立する成田山を信仰しているからでは?と考えてしまう非科学的な自分である。

メルクマール

2010年12月05日 | Weblog
自分の健康を自己管理できない母のために、自分の健康がダメージを受ける、というのはどうかな、という思いを抱くことがある。

1 女性の平均寿命
2 伯父より先に逝かない
がわたしの中でのメルクマール。
それより先はもうけものと考える。

伯父が丈夫なので、2番目の条件が厳しそうである。

通院日和

2010年12月03日 | 通院
晴れているのに雨がふっていると思ったら、また激しい雨脚になった今朝。
まずは母を耳鼻科へ。細胞診の再検査の結果は前とかわらなかった。
しかし、今日は3年前認知症の認定を受けたときの脳の画像を持っていき、耳下腺腫の大きさは3年で3ミリ程度大きくなっただけだとわかった。
母の年では、悪化するとしても寿命との関係しだい。
このまま経過観察を続けることになり、次回検診は3ヵ月後。

眼科が3時間ほど予定してないといけないのに対し、こちらは予約時間のとおりはやく終わり、物忘れ外来へとハシゴする。
天候が悪く出足が悪かったせいか、こちらもすいていた。

血圧はクリニックやわたしが測ると140台なのに、ホームの記録では異常に高い。
血圧をはかるときの環境要因が大きいと思うが、なんともいえずとりあえず降圧剤のドーズはこれまでのまま。
アリセプトはもう費用対効果が期待できないので中止を先生に納得してもらった。
これで薬剤費がだいぶ節約できる。

来週の婦人科の結果が急を要するものでなければ、眼科検診の通院まで2週間、母に会わずにすむ。

婦人科にたどりついてから

2010年12月02日 | 通院
1昨日の話のつづきがまだだった。

子宮がんの検査は2種類ある。
子宮頸がんと子宮体がんである。
今回、母にとって初めての子宮体がんの検査だった。
この検査は子宮頸がん検査とちがってけっこう痛い。
子宮口を開いて、中の細胞をとらなければならないからだ。
とくに出産経験がなかったり、年をとって硬くなっていると開きにくく、「もうやめてください」と何度もいう母を上から抱きかかえるようにして「もうじき終わるから」となだめ、なんとか終了。

その前に撮ったエコーでは、「ここに水のようなものがみえるでしょう」と先生が写真をみせる。
それが何なのかわからない。
検査結果と詳しい説明は来週わたしがひとりで聞きにいく。

疲れるな~。

手間の総量規制

2010年12月01日 | Weblog
本人にとってよいことは介護する側にとっては非常に手間がかかることでもある。

例えば、オムツにしてしまったほうが介護する側は楽だが、つれそってトイレまでつれていくのが本人のQOL向上。
着替えている最中に、これから着るものなのか、それとも脱いでいる最中なのかわからなくなってしまう。それを辛抱強くつき合うのが認知症の介護。

眼科の定期健診と物忘れ外来だけだったこの夏以前は、母を連れて行くときはほぼ日中付き合うというふうだったが、今はそこまでできない。
通院に連れて行って、ホームの玄関であずけて帰る。
母といる時間が長いと自分の神経がまいってしまうからだ。

で、少し頭の中を整理し、母のために使った時間をメモしてみると、

母の外出用の服を実家のタンスから選ぶ時間 6分
本人の病院紹介状をもらいに行く時間 1時間 などなど
(すべて無給)

つまりわたしの人生、生活の中で総量規制をして、どこが外注可能なのか=金銭でかたづく点はどこなのか、もうネグレクトしてしまってよい点は?というふうに整理してみようと思う。

本人のQOLを考えたグループホーム入居は、わたしがひとりのせいもあって家族にとっては思いのほか負担が強い。
わたしが誰だがわからなくなってしまったら、そのときは病院つきの有料老人ホーム(丸投げできそうなところ)にお願いするということになるかな、と思案するこのごろ。

せめてトイレットペーパーは施設の備品として補充して欲しい。