おひとりさまの介護

母が認知症になった。なにもわからなかった介護の世界との格闘記

通院ハシゴわたしもセブンイレブン

2009年03月30日 | 通院
用心のため予定した時間より早めに母を迎えに行った。
人間ドックへ行くことは覚えていて(茶の間のテーブルにでかでかと貼紙してきた)、きちんと服を着ていたが昨日用意していた服とは違っていた。
本人と一緒に選んで”明日着ていく服”と椅子の背に貼紙して置いてきたのだがそれは記憶にないようだった。
着ていたセーターがみすぼらしかったので違うセーターに着替えてもらった。
認知症であっても、身なりがきちんとしていれば母の場合ちょっと見にはそうとわからないのできちんと応対してもらえるのだ。
着ていたセーターを脱がせると、なんとこの前買ったユニクロの手塚治虫のTシャツを下着代わりに着ていた。
これが意識的なものであれば、そうとうイカしたばあさんだ。

出かける直前にいつもトイレに行く習慣があるので、すかさず採尿を促し、これもすべりこみセーフ。
今年も検診中母を付き添った。
車椅子のご婦人にエプロンをつけた女性が付き添っていたので、ヘルパーさんなのか聞いてみたら、病院のボランティアの人とのことだった。
母のように自分の状態や既往歴を的確に伝えられない場合のニーズは満たさないだろう。

指摘は例年どおりで、高血圧、血糖、骨密度が課題である。

朝一の予約だったので、昼過ぎに最後の先生のお話までおわったため、ここのところ母が痛いと訴えていた左膝を診てもらいに友人のクリニックへ行った。
原因は膝に水がたまっていたことによるものだった。
水を抜いてもらって少し楽になったようである。

母を連れ出すときは用事はまとめてやっつける。
最後は美容院。
12月に連れて行ってから3ヵ月半ぶりである。
いきつけの美容院の担当の人に、先回同様タクシーにのるところまで見送ってもらうよう依頼し、預けてかえる。
夕方前から海外からの来客とのアポ、会食と続き、今日も長い1日だった。




鼻血

2009年03月29日 | 通院
明日は母を人間ドックに連れて行く。
去年の付き添いがあまりに消耗したので、今年は無理かと思っていた。
それといつ施設に移行するかもしれないので、次の予約を入れずにいたのだが、年が明けてリマインダーの通知がきたため、予約することにした。
(母は某病院の友の会に毎月会費を払っているのでドックをタダで受けられる)
3ヶ月をきっていたのに思いのほか早く予約が取れたのでびっくりした。
値段を上げたのと、この不景気とで受ける人が減っているのかもしれない。

今回は問診表の記入を従妹が手伝ってくれたのでだいぶ助かった。
でなければ私の脳細胞がかなり死滅していただろう。
検便は叔母やヘルパーさんに頼んでおいたのだが、やはり間際の今日の夜ようやくひとつとれただけだった。
着ていく服の用意をして、持ち物の確認。
最近、母はお財布どころかお金そのものもどこにあるのか忘れてしまっている。
今後は外出時の出費はわたしが用意しなければならないだろう。
そんなこんなしている間に、母が鼻血を出していた。
慌てて血圧を測ったら、1回目は180代だったので、深呼吸をさせて2回目を測ると160代になった。
鼻血と高血圧の関係はよく言われている。
鼻血でうろたえるから血圧が高くなると言う人もいる。

考えてみると、わたしが子供のときも母はよく鼻血を出していた。
子供のわたしがほとんど鼻血をださなかったのと対照的だ。
血の気の多さの違いだろうか。
本当のところどうなのだろう。明日がドックで幸いだ。

母親庄屋説

2009年03月22日 | おひとりさま
連休中、働く女4人の会食があった。
離婚、離婚、2度目の結婚中(ダンナ3度目)というそれぞれがツワモノの集団だった。
世間知らずの上凶暴化した母親に懲りている働く女たちは、どちらかというと父親にシンパシーを感じている。
あるメンバーの母親は典型的なお嬢だが、最近熟年別居し父親はホテル暮らしを余儀なくされている。
彼女によると、母親は”庄屋”なのだそうだ。
父親は”小作人”で年貢を母親に召し上げられる関係だという。

翌日のお出かけ

2009年03月20日 | 認知症の日常
朝、決めた時間に母を迎えに行くと、玄関に昨日用意しておいたユニクロセットがそのままかかっていた。
ベランダに出ていた母に声をかけると、お墓参りに行くことさえ忘れていた。
用意していた服をそのまま着せる。
他の服を着ている最中だったケースよりシンプルだ。
ストッキングがどこにあるかわからなかったので、レギンスに生足ででかける。
暖かかったのが幸いだ。

お墓参りにのあとデパートでランチと母はリフレ。
ユニクロのレギンスを脱ぐだけだった。
おばあさんががんばってワカモノの最新のカジュアルファッションを着ているようで可愛かった。
親が子供に自分の趣味でかわいい格好をさせる気持ちに似ているかもしれない。

おでかけ

2009年03月19日 | 通院
ここのところ薬だけもらいに行っていた物忘れ外来だが、次回は本人も連れてきてください、と言われてしまったので今回は本人同行。
問診のあと、長谷川式スケールを受けていたが、その結果を聞くのは次回になる。

久々に中華を食べに行った後、ユニクロに行った。
私が来ていたユニクロのセーターの色が素敵だというので、ユニクロなら好きなだけ買ってもたいした金額にならないので連れて行った。
カーディガンやレギンス(本人にはスパッツ)、手塚治虫のTシャツまで買ったが、これは家に帰って着たら横幅がきつそうだったのでいずれ私か従妹に下りてくるだろう。
〆て10点。レジのひとには定額給付金でも下りたのかと思われたかもしれない。

明日はお墓参りに行くので、今日買った何点かをコーディネートして用意した。
「明日着ていくのをここにかけておくよ」と何度も念押しした。
「明日来て、別のものを着ていたらショックだからね」というと、
「そんな、あたまのおかしいひとのようなことないわよ」と答えていたので、明日の朝が楽しみである。

冴えてるとき

2009年03月13日 | 認知症の日常
わたしが炊事をするとき、母が台所でうろちょろしてると私は神経に来る。
うまく手伝わせることができればよいのだが、こちらは限られた時間の中でのだんどりがあって想定外のことが起きてほしくないのだ。

まずはご飯。古いものが炊飯器に入っていれば捨ててご飯をたく。
前にも書いたが、お米をといだことを忘れて、ザルにあげたお米がいくつも冷蔵庫に入っていることがあるのでそれを活用する。
次に味噌汁の準備。さめても最後に暖めなおせばよい。
(父の存命中、母はいつも味噌汁を最後に出したので「味噌汁はまだか」と父の不興をかっていたが、学習することはなかった)
サラダなどの盛り付け。
最後にご飯の炊きあがり時間に合わせて魚を焼く。
実家はIHにしたので、魚焼きのグリルは全自動である(つまり裏返さなくて良い)。
母は鍋のヒーターと魚焼きのグリルのスィッチの区別がはっきり覚えられない。
全自動で魚を焼いている待ち時間に、私は書類の処理や判子押し、ヘルパーさんとの連絡帳の記載、買い物用小口現金の補充などを行っている。
その間に、母が勝手に味噌汁を温めなおそうとか、間違ったボタンを押してしまうと、全自動の魚焼きが元のもくあみになってしまう。

そこで、(仏壇で)ご供養でもしていたら、と促すのだが、あっという間に終わってまた台所に現れたりする。
魚を焼いているときにそれが起きると極度の緊張が走る。

お米などそろそろ補充したほうがいいものが出てきたので、パソでネットスーパーの注文をした。
「支払いはどうするの?」との母の質問に、「代引きで7041円来た時に払って」と答えた。
それからまもなく私に8千円渡そうとするので、「配送のとき代引きだよ」というと、「7041円ね」
「すごいね、きっかり覚えていて」と私が驚くと、母曰く。
「冴えてるときと、そうでないときがあるのよ」

迷い道3

2009年03月08日 | Weblog
介護事業者のひとから電話があった。
今日男性ヘルパーが行ったら拒否されてサービスに入れなかった、ということである。
本人に確認すると、聞いていない、忙しかったから、といつもの様子。
女性のヘルパーさんでなかったのでびっくりしたのかもしれない。
事業者の話では、女性のヘルパーを用意できなかったとのこと。
普通の事業でも、(性差別ではないが)女性は男性より休みの日に働きたがらない傾向はある。
年末年始に大変だったことを思い出すと、喉もと過ぎれば。。。で、このまま在宅でいけそうかな、と思うこともあるけれど、やはり施設を考えなければならないだろう。