おひとりさまの介護

母が認知症になった。なにもわからなかった介護の世界との格闘記

婦人科へたどりつくまで

2010年11月30日 | 通院
予約した婦人科へつれていく日。
スカートのほうがよかろうとはかせて用意させ、外出のための用紙を記入に行っている間、スカートを脱いでしまい、しかたがないのでズボンででかける。
今日はわたしのイライラがこうじて久々に母の前でキレた。
相手もやりかえしてくる。

わたしのイライラは、なんでわたしの時間をそんなに奪うの?!というところからきている。
白内障の手術、それに耳下腺腫のための通院。
きっとこれからもどんどん病気が増えていくのだと思う。

となると、構造的な解決策をまた考えて行く必要があるかもしれない。
たとえば、ほとんどルーティンになっている眼科の検診はだれか第三者につきそいを頼むとか。
わたしの出番は、家族でないとできないクリティカルな判断のときだけにしてほしい。

母はなんでも気前よくひとにやってしまう性質だが、買い置きしてあるトイレットペーパーを他の入居者さんにやってしまったりり、鼻紙用にポケットやあちこちにためこむ。
今日も出かけたときにトイレットペーパーを買ってきてください、と職員さんに頼まれ、そんなことまでまた頼まれるのか、とかなり神経に来た。
なかなか平時に戻らない母の健康のことで自分も相当神経がまいっていたのである。

「ねぇ、うちのおかあさんがこうなのよ」と軽く相談できる亭主でも家にいたら、また違うのかな、と考えることもある。
が、「お前の身内のことなんだから、おまえが解決しろ」などと反応が返ってきたら、ストレス倍増だ。
そうなる前にとっくのとうに離婚してると思うが。

新たな山が迫ってきた

2010年11月28日 | Weblog
1週間前にホームから連絡があり、母の下着に血がついていたとのことだった。
それがどの程度のものなのか、はっきりとは伝えてこない。
ホームの職員がそこまでふみこまない、あとは家族が直接に、という感じなのだろう。

この1週間、すでに他の所用でうまっていたこともあり、今日ようやく直接確認に行った。
正直、またガンか、という思いの前に、自分の気持ちが萎えてしまっていたこともあり、どういう行動に移せばいいのかわからなかったことのほうが強かったかもしれない。
腸なのか子宮なのか、高齢者が便秘でいきんで血が出る、という不幸中の幸いを願ったりもした。

高齢で全身麻酔の手術となった場合、そのあとのことなどアタマのなかでいろんなシナリオがぐるぐるまわった。
専門知識はないが、個人的には病院に任せていたら殺される、との気持ちがある。
それは現代の正統派の西洋医学の手法が、手術、抗がん剤、放射線治療とそうなのだから仕方がないが。

ホームがとっておいた母の下着を見せてもらうと、色や位置から子宮のほうではないか、と思った。
春に受けた人間ドッグの子宮頸部細胞診ではこれまでのクラス1からクラス2にあがっており、エコーを勧めるとあったが、そのままにしていたのだった。

今日は出血が止まっているらしく、2回行ったトイレのあと、トイレットペーパーを見せてもらったが大丈夫だった。

いずれにせよ、検査にいかなければならず、明日、紹介状をとりに行く。

すごいこと

2010年11月21日 | Weblog
最近なじみのレストランに行ったところ、オーナーシェフが元気なく、疲れが抜けないという。
その原因は「休みの日でも休めない」

すでに同級生には孫がいてもおかしくない年齢だが、○回目の結婚でようやく子供を授かり、休みの日はかみさんに替わり育児。
この年齢は親の介護の問題が顕在化する年齢でもあるが、認知症の母親は姉妹が主に見てくれている。

「仕事だけしてればいいって楽でしょ~」
「すんごい楽!」
とシェフも反応。
たいへんな仕事であっても仕事だけしてればいいというのはどんなに楽なことか。

昨日の日経土曜版の「両親が『すごい』『かっこいい』と思う点は?」というこどもたちに対するアンケート、「休日でもゴロゴロしていない」がお母さんの第6位。お父さんにはランキング入りしてなかった。
ちなみにお父さんの第1位は「お金を稼いでくれる」だった。

介護保険改革に思うこと

2010年11月20日 | 社会・世相
厚生労働省の介護保険制度改革案がメディアをにぎわしている。
財源の確保と同時に、費用のかかる施設介護ではなく在宅介護へのシフトを促進という点をみてやっぱり、というかんじである。

施設需要が増大した原因については、介護保険制度が導入されたあとの2002年にすでに次のようなポイントが指摘されている。

1.介護保険は、頭がしっかりしていて身体に不自由がある人(「障害を持ってはいるが、精神的には自立した人」)を想定して作られた制度であって、認知症の人(頭はしっかりしていないが、身体が元気な人)などの介護は想定していなかった。
介護認定でも認知症の要介護度が軽く出過ぎるのもその流れの中にある。

2.介護保険は、相当の家族介護力を前提としている。
それが不可能な人はすでに施設へ入所しているか、施設入所がだめなら、病院へ「社会的入院」をしてしまっている。

3.要介護者を「認知症がある非寝たきり」「認知症がある寝たきり」「認知症がない非寝たきり」「認知症がない寝たきり」と4つの群に分け、介護する人のストレス(心理的・身体的)のレベルを、介護保険施行前と施行後とで比較調査し結果をまとめた報告書によれば、「認知症のない寝たきり」を介護している場合は、介護保険の導入によって介護者のストレスは若干であるが軽減されていた。しかし、「認知症がある非寝たきり」(元気な痴呆=要介護認定で要介護度が低く判定される傾向のある人)の介護では、もともと、介護者のストレスは高かったが、介護保険が導入されてさらに大きく増加したという。

その原因は、「見守り」が介護保険の対象ではないことである。以下、引用そのまま。

 「痴呆の介護で一番重要なのは「見守り」であることは、デイサービスやグループホームでの介護をみればよくわかることである。痴呆の介護の中心は、老人の生活リズムに沿った生活支援であり、排泄や食事などの身体介護はその一部にすぎない。「見守り」という24時間の生活支援の中から、身体介護や家事援助だけを切り取っていくら組み立てても、在宅介護はうまくいかないのである。そして、独居、あるいは日中独居の場合なども、頻繁に自宅を訪れる、あるいは声かけなどとして見守りという介護が必要となるのである。
 しかし、介護保険においては、こうした行為が在宅介護のメニューに入ることはなかった。30分、1時間といった単位で身体を使った労働とならない介護は介護とは見なされないまま、地域やボランティアの仕事として追いやられ、結局のところ、介護の問題ではなく、市民の成熟度の問題にすり替えられたのである。だからといって、この見守りという介護が緊急通報やセンサーあるいは監視カメラですむというわけにはいかない。
 実は、「見守り」という行為は、誰かが近くに居ればよいわけだから、施設においては基本的に介護の問題としては表面には現れてはこない。ここに、施設介護を基準にして作成されたという要援護介護認定の基本的な、そして決定的な問題点が存在する。現在の要援護介護認定は在宅の痴呆性老人の評価はできないのである。」

介護保険を使ったことのある人ならわかると思うが、在宅介護を頼める時間は最長1時間半であって、それ以上は、また間をおいて頼まなければならない。
つまり細切れでしか使えない介護保険は、「見守り」の需要に応えることが難しい。

だから改革案が、24時間訪問などを創設とあっても、夜中みてくれるという保険制度ではないと思う。
週末のヘルパーを確保するのもたいへんなのに、どうやって運営していくつもりなのかな、と考えてしまう。

耳鼻科診断

2010年11月12日 | 通院
左の耳下腺腫の検査結果を聞きに行く。
進行度合いはクラス3だが、悪性とも良性とも判断しかねるとのこと。
形状からすると悪性に発展するかもしれないとの意見も。

「20年若かったら、間違いなく手術を勧めますが」と言われる。
手術以外に方法はないそうだ。
念のため、もう一度組織検査をすることに。

注射器でこの前より多くの水をとったら、硬かったところが急にしぼんだ。
膝にたまった水を抜いたときのように簡単に解決つけばいいのに。

もう一度検査結果を聞きにくるにしても、セカンドオピニオンを求めようと思う。

本人の目の前で先生とのお話が展開されたが、本人は心配するでもない。
まぁ、娘まかせというふうである。

おひとりさまの娘は誰かとこの心配を共有することもできず、心配しすぎて自分が癌にならないように気をつけよう。

おとこおひとりさまへの警告

2010年11月11日 | おひとりさま
先日、ネット記事を読んでいたら、上野千鶴子さんの「悲惨な“男おひとりさま”と“予備軍”が急増中!30代からでも早すぎない、『老後の準備』と『覚悟』」が面白かった。

冒頭のパート

「あなたは、『老後は妻と2人でのんびりしたい』『オレは長生きしないで、“現役”のうちに死にたい』などと思ってはいないだろうか。妄想を抱くのは構わないが、現実はそんなに甘いものではない。」

が実にいいつかみだった。

というのは、認知症のひとや番組などを見て、「そうなってまでオレは生きていたくない」という人が結構多く、そんな発言をきくたびに「甘いな~」と思っていたからだ。
権威や社会的地位にたよって生きることの多い男性にとって、ひとのお世話になる弱者"転落(?)”は不本意なことだろう。
しかし、経済的に相当な準備をして大理石の有料老人ホームにでも入らない限り、ただの老人として扱われる可能性のほうが高いのである。

うちの母でさえ「口のきき方がなっていない」とホームへの不満をこぼしているときがあるのだから。

もうじき誕生日

2010年11月10日 | 通院
3週間後の術後検診によると、順調に経過してるとのこと。
そのあとは物忘れ外来に行ったが、いつもとは異なる看護士さんの対応がまずかったのか、母の機嫌をそこね長谷川式スケールはできなかった。
ホームがくれた健康チェック表では血圧が190台と高めが多かったが、クリニックでは上が147だった。

この前、ホームに泊まったとき、血圧を測るところを見たが、心臓より上に腕をもってくることなど、守るべき正しい姿勢をとっていないようすだった。
正しい知識で行っているというより、流れ作業でやっている感じもあった。
母の場合、相手の態度によって相当アタマに血が上るたちなので、影響が大きいだろう。
認知症の人間の機嫌をとりながらうまく測るのは難しいだろうが、データとしての信頼性は微妙である。

もうじき母の誕生日なので、今日のお昼はきちんとした日本料理へ行った。

「誕生日だから、何か欲しいものないの?」ときくと
「そうねぇ、自分で選ぶとろくでもないものを買っちゃうから。
あとで、失敗したーっ、って思うのよ」

確かに靴などは、母はデザイン重視で買ってしまい、あとできつくて履かない、という類のしかばねが家にごろごろしている。
(最近はわたしがしつこいくらいチェックしているのでようやく履ける靴がそろってきたが)

それで、誕生日プレゼントはわたしが適当にみつくろって買ってくることになった。