事実は映画よりも奇なり

乳がんで余命2週の告知もキリスト教の27歳の裏千家師範は延命薬で百八夜を内鍵付きの病室にて戦うも・・・

3/6 官に民に個々に

2012年07月25日 00時02分50秒 | 朝顔 「椿灰」 

 

 


2009年12月19日



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軍配が上がるのは私か、それとも・・・・・

訴状として告発状として試行錯誤する魂の雄叫びで院長の犯罪事実を申告し、九州戦争後の八王子抗争の真因を暴露し、処罰を文書で面会で求め続けてきました。
以下はその記録です。郵便物に関しては「書式に則っていなかった」たる指摘も一部で受けましたので、一切“郵送”とだけ記します。

2000年2月7日・・・師範に“余命2週の告知”から“乳がんの細胞を作った義兄の犯罪行為”、亡父の母校の大学病院においての義兄たる院長の手になる“毎週末の性暴力と描写”、姉との毎夜の性の描写、動機は“師範と私から財産を奪い取る”根幹に舞い戻った姉妹との記憶、そこに在る八王子抗争および国外逃亡の発生原因を取り戻し始める。

        9日・・・関連の各医師会に郵送。
       16日・・・県弁護士会に郵送。
    7月24日・・・福岡地検に郵送。
     9月4日・・・境界杭を間違えての発端を成す建設会社に郵送。
   11月30日・・・院長の所轄署に郵送したら、ブーメランみたいに静かななりで送り返してきた。

2001年1月9日・・・熊本県警監察官に郵送。
       24日・・・村役場に郵送。
       31日・・・境界杭の犯罪に加担した交通機関に郵送。
    5月29日・・・福岡県公安委員会に郵送。
   12月10日・・・同委員会から〝通知書〟が送付されてきた。

2002年1月8日・・・熊本県警本部に郵送。
        9日・・・私の代理人だった弁護士に郵送。
    3月18日・・・福岡県公安委員会に再度、郵送。
     4月8日・・・同委員会に、郵送。
       13日・・・熊本県警本部長から〝回答書〟が届く。
       17日・・・熊本地検宮地支部に郵送。
    5月24日・・・同支部より〝回答書〟が届く。
     6月5日・・・福岡高検に郵送。
   11月29日・・・警察庁に郵送。嫌がらせの電話が酷くなる。

2003年7月12日・・・
     8月18日・・・福岡県警監察官に郵送する。
     9月22日・・・福岡地検次席検事に郵送する。
        29日・・・警視庁に郵送する。
    10月27日・・・熊本県公安委員会に郵送する。
     11月4日・・・熊本地検次席検事に郵送する。
        27日・・・九州管区警察局事務局から丁重なる電話を頂ける。

2004年1月8日・・・・熊本県公安委員会から〝通知〟が届く。
       26日・・・・警視総監に郵送する。
    3月15日・・・・宮地区検に郵送する。
       22日・・・・県弁護士会に郵送する。
       29日・・・・福岡高検に郵送する。

     4月5日・・・・「売れ残っている三軒のマンションを渡すから手を引け」という物凄い口調での電話が入る。何も言わないまま、叩っ切った。
カネを前提にしか考えられない頭の人たちって、哀れだ。それに物質も残り物に変えて。こっちまで、寂しくなる。
     
このあたりから私の相手は、好むと好まざるとに関わらず〝官から民が主体になっていく〟
例外もあります。福岡県宅地建物取引業協会から銀行に鉄道会社、区役所もあった。

嫌がらせ電話は酷い酷い。毎日です。ほとんどは女。淡交会の裏千家師範に対する病室での性暴力を何だと考えてんだろうか。
男からのは分かるが、女からのはホントーーーーー、に情け無い・・・・・。
途中で鳴り分けコールの機能付き受話器に買い換えました。番号非通知では呼び出し音すら鳴らないように設定しているのに、後でチェックしてみると、まあ毎日毎日、お疲れ様です。



病院へ行こう: 19年も淡交会の師範に関係する記憶を喪失していた



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