事実は映画よりも奇なり

乳がんで余命2週の告知もキリスト教の27歳の裏千家師範は延命薬で百八夜を内鍵付きの病室にて戦うも・・・

「座って半畳、寝て一畳」 の 「国外逃亡」 の起動

2012年07月21日 10時14分15秒 | 朝顔 「椿灰」 

2012年7月21日

全体像は、あらすじ 【 朝顔 】 - 事実は映画よりも奇なり


 


2009年12月04日



 【八夜 ★抹殺】 から

ひとつひとつ片付けていくのが投稿では読みやすいだろうと考え、【御山】の章を飛び越えていましたので、遡ります。
何回分かはダラダラした、でもこれこそ記憶喪失した私が師範やらクララとなる彼女と一緒に生きた偽らざる日記です。
記憶がどうの亡霊がどうのでなくっても、下界で普通に生活しておられる家庭も幸せは平凡な日常の繰り返しであって似ていると思うのですが・・・。



  空蝉の代ぞ鏡見す扇子腹



いったい何十人が殺されるのか。これで法治国家なのか。このまま有耶無耶、闇に葬って良いのか。
境界杭から差し押さえられた案件で資金調達の一手段でもあった一部の土地の分譲販売が不可能となり、阿蘇の青写真は大きく変わった。

ここはレーシングカートのコースとなる。
照明付きのテニスコートにオートテニス、キャンプ場に整備した。
名は、青春キャンパスとつけた。

彼女が楽しめるCAMPUSは、女でも生きていくオトコの生活空間らしかった。
白いCANVASに沢山の色で色んな感動をそれこそ贅沢に塗り込めていけるのは感泣の逢瀬を重ねる、洗い髪との遊び方も客色です。
剣山など、花を散らせる道具も買った。
年収へのジレンマも抱えて〈国破山河在 城春草木深〉格好つけ、家庭におけるオトコを可能に出来なかった詫びは贅沢貧乏を自惚れだした。
晴嵐の丘に八畳と六畳二階屋のプレハブも二つで置いた。
すすり泣きの木々を久留米の植木市と自宅の庭から調達して、配した。
水盃に、花々も植えた。
目指したのは似たもの同士からの同体化、ふたなりだったらしい。

二階屋を倉庫にして、住むのに使う八畳の前には焚き火にと、太い丸太を井形で積み上げ、似合うからと誰に憚る柵も無く、荼毘と粋がっていく。

怪訝な顔の観光客には、
「過去を荼毘に付してあげる」
真顔で歯を出し、笑いを誘うのだから呆れてしまう。

注がれた性を連想させる態度から息は、霊魂が私の身体を弄んでいる彼女の時に現われる。
裏千家師範からクララが隠れていても心で慕っていられる本色の私の正気では、何も言えないものである。
ときどき、村の消防団がサイレンを鳴らすのでは、と気も小さくなる大きさの小火にも、火柱が天に昇る。
ポンプの容量一杯に汲み上げる井戸は忘れ水へと流しっぱなしだ。まれに虹となる。

周りを手作りの椅子やらテーブルで囲んだ地は、細長い丸太三本を立錐に組んで自在鉤をぶら下げる鍋や、下には金網を置く食事処であり、蠟燭にランプに草、花また華の居場所だ。
離れて、これらをグルリと馬留めみたいな丸太の柵やクロスボーの射的場、銅鑼に下界からの木々で配置した空間の思い入れを、居間と読んでいた。

 

 

「ここは何処 わたしは誰」

記憶喪失といったら良いのか逆向性健忘症といったら良いのか分かりませんが、
「ここは何処、わたしは誰」
と、なっていた阿蘇での生活だったのは本当です。

生きているのか、死んでいるのか。
食事したのは何時だったのか、今日は食べたのか。
陰膳をしているが、誰の膳なのか。
こんなところで何をしているのかも分からない。そんな毎日でした。

こんな私を助けてくれたのが師範の愛弟子との偶然の出会いであり、殺し合いの渦中に叩き込まれての緊張感です。
このどちらが欠けていても自分を取り戻せた今の私は無く、落ちるところまで堕ちていた私だったと思われます。

 

 

 



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