「とんち一休さん」の話は、ほとんど江戸時代以降
作られたもの。「屏風の虎」などは、江戸幕府が
滅び、将軍の権威が失墜した明治になっての作だ。
将軍様をやりこめる、バカにする話など、江戸時代に
できようはずがない。
和尚さんをバカにする「水飴の話」は、江戸時代初期に
刊行された『一休咄』だが、これなどは狂言の『ぶす』
の「主人と家来」を「和尚さんと小僧」に替えたもの。
とにかく一休さんは、いたずら小僧だ。「仏様に息を
吹きかけてはならぬ」と云われて、お尻を向けて
お経を読んだり、饅頭を盗み喰いしたのを、仏様の
せいにして、仏像を釜茹でにしたり、叩いたり。
「関の地蔵」の開眼供養にしょんべんをひっかけたり。
およそ子供の教育には害になる話である。古い因習を
打破しようとした戦後には、一休さんの仏教批判が
もてはやされ、拍手喝采を浴びたが、最近は、むしろ
宗教が見直され、「一休さん」の人気が失落している
ように感じる。世の中、意外に堅苦しくまじめな方向に
向かっていると思うのは 私だけだろうか。
「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。
クリックお願いします。
作られたもの。「屏風の虎」などは、江戸幕府が
滅び、将軍の権威が失墜した明治になっての作だ。
将軍様をやりこめる、バカにする話など、江戸時代に
できようはずがない。
和尚さんをバカにする「水飴の話」は、江戸時代初期に
刊行された『一休咄』だが、これなどは狂言の『ぶす』
の「主人と家来」を「和尚さんと小僧」に替えたもの。
とにかく一休さんは、いたずら小僧だ。「仏様に息を
吹きかけてはならぬ」と云われて、お尻を向けて
お経を読んだり、饅頭を盗み喰いしたのを、仏様の
せいにして、仏像を釜茹でにしたり、叩いたり。
「関の地蔵」の開眼供養にしょんべんをひっかけたり。
およそ子供の教育には害になる話である。古い因習を
打破しようとした戦後には、一休さんの仏教批判が
もてはやされ、拍手喝采を浴びたが、最近は、むしろ
宗教が見直され、「一休さん」の人気が失落している
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