現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「暮露」は虚無僧の源流か

2021-11-29 15:49:13 | 虚無僧って?

『暮露々々(ぼろぼろ)の草子(そうし)』という書がある。京都栂ノ尾(とがのお)の高山寺の開祖「明恵(みょうえ)上人」が書いたと云われるが、疑わしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「蓮華坊」と「虚空坊」という二人の兄弟がいた。

「蓮華坊」は、眉目秀麗で心優しい。念仏者になって、諸国遍歴し、念仏湯行をする。

一方の「虚空坊」は、色黒で醜く、気性が荒い乱暴者。「暮露(ぼろ)」になって、念仏者を殺すこと数知らず。「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで救われるという「念仏宗」は外道、邪教と嫌悪し、念仏者たちが集まって踊り狂っているのをみると、割っていって、たちまちに何十人と斬り伏せた。

「虚空坊」は 2mを越す大男で「夜叉鬼」の如しと恐れられたが、その反面、「慳貪(けんどん)の者には布施の心を示し、瞋恚(しんい)の者には慈悲の心を含め、愚痴の者には知恵を授け、驕慢(きょうまん)の者には恭啓(きょうけい)の心を教え・・・・・」と、仏教の本質を
説いている。

そして有る日「虚空坊」と「蓮華坊」がおち合い、舌鋒厳しく法論を戦わす。その後、実は「虚空坊」は「大日如来」、「蓮華坊」は阿弥陀如来の化身だったという。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

つまり「蓮華坊」は「念仏宗(後の浄土宗、浄土真宗)」。「虚空坊」は「華厳宗」や「禅宗」の立場で法論を交わしたのである。

ここで「虚空坊」は「大日如来」の化身で「暮露」となってという点が注目される。

「ボロ」という音から、ボロボロの衣を着た乞食が連想され、近年まで、乞食のことを「ボロンジ」と呼ぶ地域もあった。

しかし、『七十一番職人歌合』に描かれた「暮露」は白い紙衣に黒い袴」をつけ、清楚な姿である。

『徒然草』には「ぼろ、ぼろんじ、梵字、漢字ともいう」とある。

なぜ「ぼろん字」なのか。そこで思い当るのが「大日如来の頭頂に輝く金輪=一字金輪の呪=のうまくさんまんだぼたなんぼろん」である。『歌合』に描かれた「暮露」は長い柄の唐傘を持っている。

つまり、「暮露」は「鉢叩き」やササラを持った「放下」のように、傘の長い柄の部分を叩きながら「のうまくさんまんだぼたなんぼろん」と唱えて歩く「聖(ひじり)」のひとつだったと私は考える。呪の最後の「ぼたなんぼろん」から「ぼろん字」と呼ばれたのではないか。

鎌倉末から室町時代にかけて存在した「暮露」は尺八は吹かない。当時、尺八は、念仏宗の一派「時衆」の徒が吹いていた。それが、安土桃山の頃から「暮露」が吹き、「暮露薦僧」となり、「時宗」から離れて「禅宗」に傾倒していく。「暮露薦」と「禅宗」とを結びつけたのが、かの「一休」ではなかったかと私は考えている。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。