古書を処分するため、興味のある記事を、ここに書き残して
おきます。
『名古屋叢書』第21巻 随筆編(4) p.376
「感興漫筆」 30
会津にて 吉村清兵衛と云う人、松平下野守殿 御遠行の時、
大いにおどろき、会津の川を おぼえず 向こう岸へ走りて渡る。
かくて たちかへる時に、さてこの川を どうやって渡ってきたのか
思案しけれども 記憶なし。還りは 舟に乗りて 越えたりと。
(「火事場のくそ度胸」のような話ですかな。尚、このページに次の記事あり)
〇文久2年8月20日 高須侯(義建) 卒。64歳、
(注)「高須松平義建」は、実は水戸の義和(保友)の小として1800年、
江戸の水戸藩小石川邸で生まれた。父義和(保友)は水戸徳川家の
部屋住み身分であった。
「義建」は、1804年に高須松平家に末期養子として入り、高須藩を
相続した。会津藩主「容保」の実父である。
- 長男:源之助 1820年生、夭折
- 次男:慶勝 尾張藩尾張徳川家養子
- 三男:武成 浜田藩越智松平家養子
- 四男:整三郎 1826年生、夭折
- 五男:茂栄 高須藩主(義比)→尾張藩主(茂徳)→一橋徳川家養子(茂栄)
- 六男:某 戊辰戦争で切腹
- 七男:容保 会津藩会津松平家養子
- 八男:定敬 桑名藩久松松平家養子
- 九男:鐡丸 1849年生、夭折
- 十男:義勇 高須藩主