現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

秀吉の出自 秀吉は後奈良天皇の御落胤????

2023-01-15 21:09:45 | 戦国武将と城

私が今住んでいる所は「中村区中村中町」。秀吉は
「中村ナカ」で生まれたというのが通説になっています。
まさに、私の住んでいる所は、秀吉の生まれた土地
のはずですが・・・・。

ここから1kmほど北の「上中村」に、「秀吉誕生の地」
「豊太閤産湯の井戸」を掲げる「常泉寺」があります。
秀吉亡き後、加藤清正によって建てられたとのこと。
山号は「太閤山」です。

その寺の案内パンフレットに、驚くことが書いてありました。

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太閤のご母堂「大政所」は、藤原保通の娘。「保通」は
朝廷に仕え、後柏原天皇の重鎮でしたが、永正10年(1513)
失脚して 一時、尾張国中村に隠居。この時娘「仲(後の
大政所)」が生まれる。後許されて京都に戻り、娘の仲は
容姿端麗な娘に成長し、後奈良天皇に寵愛されて懐妊。
周囲の姫たちの嫉妬を恐れ、名古屋に逃れ、筑阿弥の
家に寄寓し、男児を産む。これ即ち後の「豊太閤」。
そして、筑阿弥との間にも「秀長、旭姫」をもうける。

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じゃん!。つまり秀吉は、なんと「後奈良天皇の御落胤」
とうことらしい。(「一休さん」の話しと似ている)

そのような話、聞いたことがない。出典も明らかにして
いない。ネットで見ると「関白に任ぜられた時に書かれた
『関白任官記』に「母親(大政所)の父は萩の中納言で
あり、大政所が宮仕えをした後に生まれた」とあり、
「出自を由緒正しくするために書かれた」とされる。
明らかに、系図詐称です。

一般的には「秀吉の母親は、尾張国愛知郡御器所村に
生まれた」とされる。「御器所(ごきそ)」は私が以前
住んでいた所です。私も「御器所」から「中村」に
引越してきました。

誰が読んでも“嘘”とバレる話を堂々と、寺伝に
掲げるのは、さすが「日蓮宗」の寺。ごリッパ。

旅探 たびたん】常泉寺

常泉寺(秀吉公産湯の井戸) | 【公式】愛知県の観光サイトAichi Now



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