現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

会津「御薬園」

2013-06-02 21:20:36 | 「八重の桜」
「(社)実践倫理宏正会」の会誌「倫風」7月号の見開き
カラーページはなんと「会津の御薬園」でした。

水戸の偕楽園、岡山の後楽園、金沢の「兼六園」、
松山の「栗林公園」など、数ある大名庭園の中で
さほど有名でもない「会津の御薬園」が取り上げられた
ことは、喜びです。

ここには、当家が所持していた会津戦争時の西軍の
大砲の不発弾などが展示されています。

今日 6/2 NHK「八重の桜」で「御薬園」が出て
きました。江戸から会津に下向した「容保」が
城を出て、恭順の意を示すため、ここに籠もったの
でした。

会津戦争時には、新政府軍に占領され、西軍の
傷病者の診療所とされたため、戦火を免れた。

会津落城後、容保も一時、ここに滞在しています。

「御薬園」は、寛文10年(1670年)会津藩2代藩主
「保科正経」が領民を疫病から救うために園内に
薬草園を作り、その弟である3代藩主「松平正容」が
朝鮮人参を取り寄せて、会津の特産品として栽培させた
ことから、それが名前の由来となっている。

園内にある「重陽閣」は、容保の御孫「秩父宮勢津子」
妃殿下が、昭和3年宿泊された東山温泉「新瀧旅館」の
別館を、昭和48年、移築したもの。妃殿下の誕生日が、
重陽の節句の「9月9日」であることから、「重陽閣」と
命名され、その額は、私の叔父「牧原源一郎」が揮毫
しています。


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