現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

楠正勝=傑堂能勝?

2016-06-19 19:44:03 | 虚無僧って?

『虚鐸伝記国字解』によれば、虚無僧は楠木正勝に始まるという。

正勝が「虚無」と号して東国に下り、南朝再興の機をうかがったという。

楠木 正勝(生没年不詳)は、太平記には登場してこないので、
実在が疑われている。しかし、各地の伝承に名を残している。

楠木正成の子「楠木正儀」の子。父「正儀」は一時北朝に降るが、
子の正勝は、南朝方に留まり、1385年山名氏清と河内国で争い敗れ、
1390年山名・細川の河内国平定軍に敗れ、千早城に逃れた。
1392年には畠山基国に攻められ、吉野の十津川に逃亡。

十津川にも墓がある。正勝と弟正元が十津川村武蔵に10年ほど
潜伏し、再起を図るうちに病に倒れ、同地で病没したとされる。

別伝として、1379年に出家し、曹洞宗の僧「傑堂能勝」となって
茨城県筑波の古通寺、会津の天寧寺、新潟の耕雲寺の開基となった。
耕雲寺の寺紋は「菊水」だそうです。


京都聖護院 探訪

2016-06-19 11:35:08 | 虚無僧日記

昨日(6/18) 神田豊瑞師の案内で、京都の聖護院に行ってきました。

聖護院といえば「聖護院八つ橋」で有名ですが、実は山伏の総本山で

あることはご存じない方も多いのでは?

私としては、京都守護職の本陣となり会津藩士の墓地がある「金戒光明寺」

に行く途中にあるので、よく知ってはいましたが、観光客が押し寄せる寺

ではなく、はいりずらい所でした。それがご縁あって、神田師の先達で

宮城御門主のご子息で執事兼庶務部長の「宮城泰岳師」から3時間も

詳しくご説明、ご案内をしていただきました。

聖護院は 平安時代、白河院の熊野行幸に先達を務めたことで「聖=

上皇を護衛する」という意味で「聖護院」と名付けられたとか。

以来皇室との縁が深く、宮家から門主を迎える「門跡寺院」として、

さらには、御所が近いことから、内裏が火災で焼け落ちた時には

仮御所となった。法親王が居住された宸殿や、御所から移築された

書院など、襖絵も見事であり、見所は多く、一巡するのに2時間。

 

京都市内だけで6,000軒の信徒を擁しており、例大祭には多くの

在家山伏が集まるとのこと。

私も以前、京都で虚無僧托鉢中 聖護院に向かう山伏に遭遇した。

その身なりの立派さ、風格、風貌に圧倒された。虚無僧も脱帽。