『虚鐸伝記国字解』によれば、虚無僧は楠木正勝に始まるという。
正勝が「虚無」と号して東国に下り、南朝再興の機をうかがったという。
楠木 正勝(生没年不詳)は、太平記には登場してこないので、
実在が疑われている。しかし、各地の伝承に名を残している。
楠木正成の子「楠木正儀」の子。父「正儀」は一時北朝に降るが、
子の正勝は、南朝方に留まり、1385年山名氏清と河内国で争い敗れ、
1390年山名・細川の河内国平定軍に敗れ、千早城に逃れた。
1392年には畠山基国に攻められ、吉野の十津川に逃亡。
十津川にも墓がある。正勝と弟正元が十津川村武蔵に10年ほど
潜伏し、再起を図るうちに病に倒れ、同地で病没したとされる。
別伝として、1379年に出家し、曹洞宗の僧「傑堂能勝」となって
茨城県筑波の古通寺、会津の天寧寺、新潟の耕雲寺の開基となった。
耕雲寺の寺紋は「菊水」だそうです。