現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

尺八「晃山流」

2016-02-10 23:46:07 | 筝尺八演奏家

20年来、おつきあいいただいております「平塚芳朗」先生。

箏は「麗明社二代目家元」。尺八は「晃山流二代目宗家」です。

箏と尺八の両刀使い。そして海外演奏は160回以上という

すばらしい実績を残しておられます。

その「晃山流」とは? 

「都山流史」(昭和7年刊)に、初代「平塚晃山」について載っていました。

明治26年。宝塚郊外の小林村に生まれるが、16歳の時、父親が村

(宝塚?)の助役となり宝塚に移住。教員を目指すが、病弱のため

尺八を習い、大正7年には「中尾都山師直門」。大正12年「准師範」

となり、尺八道に専念。都山師の命により名古屋に移住して、東海

地区での尺八普及に努める。以来10年で、東海から信州にかけ

職格者数十名を育てる。都山流の評議員、師範検定委員。

 

その子息「芳朗」氏は、昭和11(1936)年、名古屋に生まれ、

母は生田流筝曲麗明社初代家元「麗明都志子」。

4歳で初舞台を踏み、以後、尺八・箏の演奏にとどまらず、

作曲、レコーディング、ラジオドラマの音楽担当、オーケストラとの

共演など多面的に活動。

昭和41(1966)年「財団法人晃麗邦楽会」を設立。理事長に就任。

 

昭和49(1974)のアメリカを皮切りに、世界各国で168回もの公演。

1985年 愛知県芸術文化選奨受賞

2000年 外務大臣表彰

2008年 愛知県教育・文化功労者表彰

2014年 文部科学省から「地域文化功労者表彰」

他、数々受賞。

 


尺八「洋山流」について

2016-02-10 08:10:27 | 虚無僧日記

先日「都山系尺八の流派」として「洋山流」について「服部洋山」が

上田流から分かれて創始した」と書きましたが、ある方から

「勝田洋山が都山流から独立したのでは?二つあるのか」と言うような

ご指摘をいただきました。

私の記事は「尺八奏者伊達芳名」氏のHPから転載させていただいたもので

コメントさんから紹介いただいた「遍照の響き」のサイトに詳しく載っていました。

 

実は、私が手ほどきを受けた叔父「山室秀山」と「山室畔山」は「洋山流」

でしたので「洋山流40年の歩み」(S58年洋山会発行)も所持しています。

 

それによれば、「勝田洋山が昭和18年に都山流を離脱して創立」とありました。

となると「上田流から独立した服部洋山」とは、別に居るのでしょうか。

 愛知県知多半島、阿久比の谷性寺の住職をされてる「矢野司空氏」も

「洋山流」と言っていました。神戸の出ですから、別系統の「洋山流」で

しょうか。今度お会いして聞いてみます。

 

勝田洋山は明治32年松江市に生まれ、大正11年鳥取市で都山流師範免許。

「羊山」として開軒。大正14年千葉に移り、昭和12年大師範。東京、埼玉にも

出張して門弟を増やす。

昭和18年、都山流から離脱して、「洋山」と改め「洋山流」を創始。

とのこと。

私の母方の叔父「山室信朗」は、元は都山流でしたが、千葉大医学部を出て、

千葉の国立療養所に勤務していたため、勝田洋山氏に請われて、洋山流に

転籍。「秀山」の号をもらって幹部として活動していました。

そして、その兄「重遠」も、金沢四高の時から都山流尺八を始め、東北帝大を出て

会津若松で開業医をしていましたが、弟の「信朗」から請われて「洋山流」の

幹部に迎えられました。

私は、この二人の叔父に手ほどきを受けましたので、元は「洋山流」なのです。

「洋山流」の手付けは「都山流」と「琴古流」をミックスしたようなものでした。

それで、私は新曲は「都山譜」。古曲は「琴古流」と使い分けています。

遍照の響き」のサイトより転載させていただきます。

 洋  山  流 (「洋山流40年のあゆみ」より抜粋)
 各地の洋山会  統合前の会  関  係  者  名  会 員 数
S58.5.8現在
 千葉洋山会   千葉洋風会  佐久間雅山  本吉泰山  松戸琴山   34名  
竹葉会  有馬幽山   海塩葉山  山室秀山
川鉄グループ  宮沢恭山
 東京洋山会  市川洋山会   朝山氏・故人となられ会を閉じた 7名  
砂山洋山会  猪口晃山   佐久間智山
 佐原洋山会 洋風会  高柳羅山  石津菘山  篠塚朋山
 本宮鈴山
 5名 
 会津洋山会    山室畦山  5名 
 北陸洋山会  

 栃平宝山  志々目鶯山  亀田鵬山