北の旅人

旅行や、ちょっといい話などを。そして、時には言いたいことを、ひとこと。

NIPPON MARUゴールデンウィーク日本一周クルーズ⑩函館-<2>

2020-01-26 10:23:31 | Weblog

函館五稜郭で桜を堪能したあと、
観光列車・道南いさりび鉄道「ながまれ海峡号」に乗る。

函館から木古内(北海道新幹線で最初に止まる駅)までの約1時間。

日本一貧乏な観光列車として知られるようになってきたが、
優れた鉄道企画旅行を選ぶ「鉄旅オブザイヤー2016」では、
グランプリに輝いた。

道南地域の食や文化といった魅力ある情報の発信も目指す。

「ながまれ」とは、道南地域の懐かしい方言
「ゆっくりして」「のんびりして」の意味。


普段は日常の通勤・通学・などに利用する列車だが、
観光団体用に車内で食事が楽しめるようなテーブルなどを設置した
特別仕様となっている。


道南の名産「道南杉」を使用した内装を配し、
日没後の函館山のシルエットや津軽海峡の漁火、
道南の街の灯り、空にスターダストをまとい、旅情たっぷりだ。

                 なかなかオシャレなデザイン

車内のポスターなども手作りで、何とも温かみを感じるし、
沿線を案内する社員の一生懸命さにも好感が持てる。

五稜郭タワーが見える

函館山も見える

ユニークな洋風の渡島当別駅。
15分ほどのところに「トラピスト修道院」がある

綺麗なシバザクラも

木古内駅に到着

                     咸臨丸は、1857年(安政4年)にオランダのキンデルダイクで産声をあげ、
幕府海軍創成期の主力艦として配備された。
開国の嵐が吹きすさぶ中、1860年(安政7年)、

木村摂津守喜毅、勝海舟、福沢諭吉、ジョン万次郎など百余名を乗せ、
日米修好通商条約批准書交換目的で
渡米する幕府遣米使節護衛目的の随伴艦として太平洋を渡る偉業を成し遂げるなど、
幕末の動乱期に日本近代化の歴史的象徴として活躍した。


しかし、その栄光とは裏腹に、晩年は戊辰戦争の渦に巻き込まれ、
軍艦から北海道への物資運搬船となり数奇な運命をたどった。

戊辰戦争で敗れ、北海道移住を余儀なくされた
仙台藩片倉小十郎家臣団401名を乗せて仙台の寒風沢を出港した咸臨丸は、
箱館経由で小樽に向かう途中、1871年(明治4年)9月20日、
木古内町のサラキ岬沖で座礁。


現地(泉沢)の人々の懸命な救助により、
乗船者は難を逃れたが、咸臨丸はその数日後に破船沈没した。

怒濤の幕末維新を背景に栄光と悲劇の咸臨丸は、
今もここサラキ岬沖に静かに眠っている。(木古内町観光情報HPより)

夜は、船内で似顔絵エンターティメント
桜小路富士丸さんのショーがあり、

乗客がモデルとなって描く。
珍しいイベントで楽しい時間を過ごした。

 

 

 

 

 

 

 


NIPPON MARUゴールデンウィーク日本一周クルーズ⑩函館-<1>

2020-01-22 19:05:10 | Weblog

8日目。函館市へ寄港。

函館山が見えてくる

歓迎の放水

桜が見頃の五稜郭タワー

タワーの1階

 

タワーの中にある、新撰組副長・土方歳三の像。
土方は箱館戦争で戦死した。

桜は満開で、何回も観ているが見事だった

GWの真っ最中で、
五稜郭タワーのエレベーターは大混雑。

今回は上らなかったが、
タワーの上からは、このような桜満開の五稜郭が見られる。

(写真 函館市観光部による)

 

 


NIPPON MARU ゴールデンウィーク日本一周クルーズ⑨佐渡島ー<3>

2020-01-18 09:58:21 | Weblog

 特別天然記念物であり、国際保護鳥である「トキ」の「ふれあいプラザ」と
「トキ資料展示館」へ。

1999年に、日中友好のあかしとして、
「ヨウヨウ」「ヤンヤン」のつがいが贈られ、
佐渡トキ保護センターで毎年ヒナが誕生している。

ちなみに、720年(奈良時代)、
日本書記にトキ(桃花鳥)が地名の一部として記載されていて、
日本の文献では最も古い記述だという。

1735年(江戸時代)、
全国の動植物や特産品を記録した「諸国産物帳」の記録から、
トキが国内のいたるところに生息していることがわかっていたという。

また、1826年(江戸時代)、
長崎出島のオランダ商館に医師とて来日中の
シーボルトがトキの剥製をオランダに送り、
ヨーロッパでトキが新種として紹介され、
様々な学名がつけられたそう。

 

日本の野生最後の「トキ」の石碑

寄港地・小木港の様子の岸壁

多くの皆さんの盛大な見送りを受けて出港

 

令和元年5月1日のディナーは、
「新天皇ご即位お祝い御膳」として、
二重橋ワイン、七福七運盛り、宮中茶碗蒸しなどを頂いた。

夜の民謡コンサートでは、改元を祝う鏡開きがあり、
およそ500人の乗船客みんなで
新しい「令和」の時代の幕開けを喜び合った。


また、私たちのキャビンでは、
ダイヤモンド婚式を迎えた船友のお祝いの会を開き、
  歴史的な一日を楽しく過ごした。

 

 

 


NIPPON MARUゴールデンウィーク日本一周クルーズ⑧-佐渡島<2>

2020-01-14 12:50:53 | Weblog

 前回の佐渡金銀山の続きです。

江戸時代の坑道で、我々が見学してきた坑内の出口

山には桜が未だ残っていた

 「道遊の割戸」(どうゆうのわれと)=江戸初期に、
その頂部が人の手で堀り進められた露頭堀り跡で、
山を斧で割ったように見える姿は佐渡金銀山の象徴となっている 

山師・味方氏が14年間掘り進め、
ついに大鉱脈を発見した手掘り坑道。

1647年に完成。
同時に2本の平行坑道を掘って、
新鮮な
空気を確保した。
学術的にも貴重な坑道。

東洋一を誇った「北沢浮遊選鉱場跡」。
日本で最初に金銀鉱石の浮遊選鉱法を採用し、
昭和11年に工場建設に着手。

その後、大増産計画に伴う設計変更を経て完成した。
施設完成後の鉱石処理鉱量は、1か月5万トン以上に達した。

「北沢50mシックナー」

浮遊選鉱場とともに、昭和の大増産を支えたこのシックナーは、
不足する工場用水を確保するため水と不純物等を分離する装置で、
不純物は捨てられ水は浮遊選鉱場で再利用された。
直径は50mで、国内でも最大規模の施設だった

 

 「大間港」。明治25年に完成した鉱山専用の港。
金銀などの鉱物の搬出や石炭などの生産に必要な物資の搬入用として整備され、
コンクリート普及以前に利用されていた、
たたき工法の護岸やクレーン台座、トラスト橋が現存している。

佐渡金銀山は平成22年に世界遺産暫定リストに記載されており、
世界遺産登録を目指しているが、ぜひ実現してもらいたい。