蛭児の葦船

救いようが無さそうな感じのアホが

        ピコピコと鳴いています。

前世や霊能力

2006-09-30 02:07:03 | そこに転がっている日常
 本日は、学校が終わり帰宅すると早々にテレビをつけて、前日録画したジェネジャンを見た。彼の番組はちょっとした討論番組で、今回のお題はオーラや霊能力云々のこと。世間で有名どころの霊能力者と否定派の話は、例によって例の如く自分たちの見える世界をそのままに語っただけの会話であり、パフォーマンスもまた能力の誇示と心霊スポットにて実験、あとは降霊術といった定番ものだった。
 正直、こんなものを見ても何にもならない。この番組を見て何かが変わるわけでもなく、何かが分かるわけでもない。それを意識しながらそれでも見てしまったそれは、やはり不毛なものでした。
 前世や魂やオーラなどは、本当に存在するのか? それを知る人の世界には眼前に存在するのだろうけど、見聞きしない僕には何も分からない。
 いつか、退行催眠を受けてみたい。それで前世とおぼしきものを見ても、それが真実とは限らないけれど、それでもやはり、自分にもそんなものがあるのかどうか、見てみたい。

 どうにも、これしか書くことが見つからないので、今回はこれでさようなら。

バトン

2006-09-29 02:30:48 | そこに転がっている日常
 なにやら、またバトンが回ってきたので、答えるといたしましょう。


 今回のお題は「奇談バトン」らしいです。


 1.PCもしくは本棚に入っている「奇談もの」

  幽霊話の好きな僕ですが案外その手の本は買っておらず、本棚にあるのは、『文藝百物語』『怪談徒然草』『オワスレモノ』『203号室』『新耳袋』とこの程度。あとは何年か前に買ったオカルト雑誌、ムーくらいでしょうか。
 そして、パソコンにはその出のものは無く、時々ネットを彷徨い漁っているだけです。一応ぱっと出てくるのは、『心霊サイト霊能力鑑定』これの恐怖投稿を吸う百話ぶっ続けで読んだのも遠い過去の事ですが。他には『おっさんの怖い話』と以上です。


 2.今妄想している「奇談もの」

 この問いにはなんと答えるべきなのでしょう。
 えーっと、今頭にある事。幽霊と呼ばれるものは、はたしてその霊の存在と元となった肉体の人格はイコール、連続しているものなのだろうか?
 もしかしたら、産まれた瞬間から肉体に寄生して思考を共有している霊的な何か、肉体人格とはまるで別物なのではないでしょうか?
 もしそうなら、本人以外には……いえ、本人にすら肉体から連続した自我を持つ幽霊だと気づかないのではないでしょうか? とこんなこと。
 ……これは奇談ではありませんね。けどいいか。

 
 3.最初に出会った「奇談もの」

 これはわかりません。ほぼ間違いなく、夏に放送された恐怖番組なのですがそこまで詳しくはわかりません。質問の内容にあっているかは不明ですが、『神々の住む森で』かなにか、そんなタイトルの神隠しの物語は、僕の読書の始まりだと思います。まあ、小学校の夏休み読書感想文のため、母に無理やり読まされたもので、以後は高校まで碌に本を読んではいませんでしたが。
 

 4.特別な思い入れのある「奇談もの」

 神社でありえないはずの祭りを見た。や神隠しの話。狐囃子には憧れています。そして、輪廻転生はとても気になります。僕は死んでも継続するのか? そして、、継続するのならなぜ僕は過去を感じていないのか? と。

 
 5.バトンを回したい5人

 ここがバトンの終着点。この先はなく、ただ朽ちて逝くだけ。


 以上です。どうにも曖昧な答えしかないような気がしますが、これでも真面目にやっていますよ?




趣向を変えてみました

2006-09-28 00:00:45 | そこに転がっている日常
 電車の中で本を読むことは僕の、数が少ないか多いか定かでない楽しみの一つだ。自室という自分だけの空間での読書も好きなのだが、電車内でのそれも同程度に好きだ。
 読書に没頭して、ふと顔を上げた時に感じるあの感覚が良い。別世界からその場を眺めている気分なのか、夢見心地で感じる現実と呼べばいいのか、とにかく世界と自分との温度差が妙に心地良い。
 そんな気分を味わおうとしても、面白くない作品や面白くとも没頭できない本だと、周囲の気配が通常以上に不愉快に感じてしまうという、当たり外れもまた楽しい。
 今日は好きな作家の本を読んでいたので、通学中や帰宅途中はとても気分がよかった。
 
 好きなことをしているときに水を差されるのは、物凄く不快だ。たとえ奴等に悪意が無かろうとそんなのは関係ない。
 すし詰めの電車。体や鞄などへの接触。血を吸う虫螻。
 あぁ、何て不愉快な奴等。
 せっかく意識を本と自己の内面だけに向けていたというのに、奴等は。僕の内側を侵犯してくる。
 相手に非がないことは知っている。満員電車も、着席時の接触も、虫の生存本能も。すべて、どうしようもないのだ。分かっている。
 それでも、消えてしまえ! 
 邪魔された瞬間、願わずにはいられない。

 ここで一区切り。趣向を変えても時間ばかりがかかって、それ以外何もありませんでした。
 こんなことをしていないで早く本を読むか、今日の課題を考えるかした方がいいんですよね。
 以下、書いてみたけど繋がりが悪く、接続されなかったもの。 

 家に帰ると誕生日のせいであろう、妹が明るい雰囲気を振りまいていた。ケーキを食べた時美味しいという一声は、グルメリポーター並みの感情がこもっていた。
 僕の気分は沈んでいる。一度冷めた熱はなかなかもとに戻っていない。食事を一緒に食べたのだが、それ以上一緒にいると、僕がどうにかなりそうだ。
 早く、部屋に帰って本を読もう。

妄想被害者、推定加害者

2006-09-27 00:52:07 | そこに転がっている日常
 虐待や育児放棄、モラルハラスメントやドメスティックバイオレンス、自傷や解離性同一性障害。しばしば、これらの本やブログを見ている。当然だが、どれも読んでいて気分の良くなるようなものではない。あまりに凄惨な内容に吐き気がこみ上げ、読み続けるのが困難になることもある。 
 それでも、完全に意識から追いやることなく量を重ねてきた。なぜ自分はそんなものを読むのだろう。

 読むたびに、被害者の方(サバイバーの方がよいかもしれませんが、被害者で統一します)と自分の、似ているところを見つける。こんな性格が被害者になりやすいというものを見ると、当てはまる項目が多い気がして不安になる。そんなのは、人の性質の多面的なものの一部にすぎないと知ってはいるが、納得ができない。なので少しは性格を改善しようとは思う。
 加害者と似た性質の人も、身近に発見してしまう。その人の行為をいちいち思い出したは当てはめ、危険な態度をとったら距離をおくようにする。
 だから、危機回避のために読んでいるのかもしれない。
 
 またふと思う。
 加害者の思考はどこか自分に似通っていないか? 被害者からみた加害者の印象も、自己評価と似ていないか? 自分はかつて、それに類する行為を誰かにしなかったか? これから、今読んだことを他人にしないと言い切れるのか?
 自分は、たくさん人を傷つけてきた。言い逃れできない加害者だ。
 幸い、縁が切れるまでに壊れてしまった人はいないし壊れたという話も聞かない。けれど、いろんな話を読んでいると、どこかで致命的なことをしでかしていないと断言できない。
 こんなことを思うのだから、自己への戒めのために見ているかもしれない。

 以下、余力があれば何かしら書きます。 なければこれでお終い。

今日はきっと忙しい

2006-09-25 00:12:12 | そこに転がっている日常
 今日は一日、過ごしやすい陽気でした。日差しも風も気持ち良く、自室の日当たりのいい場所で丸くなってみたら、日が沈みました。タ~イムスリップ♪
 なんてバカなことをしている余裕も書いてる暇もないはずなのに。なにしているのんでしょう、自分。
 学校の話です。
 水曜日までにやらなければならない課題は終わっていません。内容の大筋は決まれど、途中や細部が決まりません。
 火曜日までに考えておかなければならない事も、まるで思いつきません。将来の日本に貢献できる学校……ってなんでしょう? 理想がないので方針も決まらず、笑いを取りに行くほどのセンスも持ち合わせていません。そういえば、それに関しては所属する派閥も火曜日までに決めなければならなかったような。
 ……他にも色々あるような気もしますが、きっと何とかなるでしょう。

 わー! 書き始めてから、もう三十分以上たっています。今日はこれ以上時間を使いたくないので、これにてお終いです。
 こんなものまで書いて毎日の穴を埋めているのに、三日は落としてしまっているので、一ヶ月丸々埋めることは出来ないのが虚しいです。
 

 これ以下は活動中に溜まったストレスのはけ口です。いろんなものが乱れています。
 いちいち時間直しませんし、何時に書いたのかも書きません。

 ぎゃーっ!! 夏に書いた文章を直すために、改めて見てみたら、ホラーだ。なに、これ。中身無いし、無駄ばっかだし、なんでこれで原稿用紙六十枚もあるの?
 むしろそれだけ書いてなに、この薄っぺさは。こんなのを人様に見せただなんて、愧死しそうだ……

裏道進め

2006-09-24 02:32:25 | そこに転がっている日常
 耳を澄ますと近所の中学校で行われている体育祭の声が聞こえました。日差しはまだ強いけれど、身をなでる風は少し肌寒く感じられました。
 気が付けばもう秋。歳を重ねたせいか、時の流れが早く感じられます。

 日も沈み景色から色が消えていった時刻、今日はいつもと違った本屋へお買い物に行きました。
 目的の店は僕の家の前にある台地をぐるっとまわったた先、徒歩二十分のところにあります。そこに行くためには主に、環状×号線を進む若干遠回りな道と、台地を横断する切り通しのような所を通りその後崖のに沿って進む裏道の二つがあります。
 環状道路側は車が多く排気ガスが臭いのを我慢すれば、夜も明るく人の気配があるのでいつでも安心して歩けるのに対して、裏道方面は日が沈んでしまうと人影も無く明かりも少ないので歩くのを遠慮したくなる雰囲気が漂っています。
 そして僕は、歩き難い裏道方面を使って本屋に行く事にしました。今回は主にその裏道の、切り通しの事です。
 ……なぜでしょう、前にも似たようなことを書いたことがあるような気がします。確認はしませんが。

 家を出ると(当たり前ですが)街灯は灯り立ち並ぶ戸建やそびえるマンションからも光が漏れていました。まばらに見かける歩行者は、家路を急ぐ背広姿ばかりです。
 戸建群の坂を上ると見えてくる緑のフェンスの中は僕の母校である中学校です。ちょっと覗いてみたのですが昼間体育祭があったような雰囲気は残っていませんでした。
 さて、そのフェンスと並んで歩いたところに台地へ侵入する階段はあります。周囲には、そして登った先にも街灯は無いのでそこだけ闇に沈んでいるかのように見えました。なんとなく幽霊が出てきそうな感じがします。(出ても僕には見えないでしょうが)
 何はともあれ本屋に行くために階段を登ったのですが、そこからが怖い。なんと、足元が見えないのです。木々の膜の向こうには街灯があり住宅もあるというのに、道を照らしてはいないのです。左側は崖。転落防止用の柵なんて親切なものは設置されていません。落ちたら、痛い、ですむかな?
 俄然僕の歩みは遅くなります。出来る限り右側によって、慎重に足を運びます。舗装されてない土の踏み心地はバランスが取りにくく恐怖心をあおります。途中、道を遮るように一歩の木が生えていました。そこは右側を通りたくても無理なので、仕方なく崖のそばを歩かなくてはなりません。落ちたら死亡。碌でもない言葉が頭をよぎったその時、
 重心を移した足が滑りました。
 支えを失い体勢が崩れます。
 左側に向かって。
 落ちた!?
 暗い夜道、頭の中は白く染まります。
 呼吸は止まり。思考も停止しました。


 ……意図せぬお戯れここでお終い。
 滑った足は一瞬で地面に到達して傾く体を支えました。体勢を立て直した僕はすぐに崖から離れます。
 もう台地の内側に入り崖から離れられるというのに、歩みを再開させる気にはなれませんでした。息を吐いて、激しくなった動悸を落ち着かせます。
 なんで自分は、ちょと本屋へ行くだけで生命の危機にさらされなければならないのでしょう? 
 そんなことは、危険と分かっていてその道を選んだ僕の自業自得なのですが、興奮しているときはそこまで頭が回らないものです。だからもう少しの間、自分の道化っぷりにも気づかないのです。
 冷静になり、夜目も利くようになってから自分が足を踏み外した場所を見ると、細く掘られた溝があり、崖はもう少し外側にありました。たとえ転んだとしても、落っこちる事は無さそうでした。
 どうしようもない大ボケです。一瞬でも落ちると思った自分が恥ずかしいです。
 少し虚しくなってきたので、何も無かった事にして本屋へと向かいます。
 足元の見えないくらい道はまだ続きますが、台地を抜けた所からは柵があるのでもう落ちる心配はありません。さっきみたいなボケももう無いはずです。
 それにしても、この道のように町の光が近い場所でも足元が見えなくなってしまうのに、そんな明かりもない山道や樹海の中はどれほど暗いのでしょうか? 以前衝動的に樹海へ行き、しかし明かりが無いからと入るのを断念した事があるのですが、大正解です。もし入っていたとしても、一歩も動けなくなっていたでしょう。
 そんな事を考えながら切り通しを抜け、裏道に入ります。
 ここも人影は無く、街灯も少ないのですが、まあ切り通しとは比べ物にはなりませんね。地域犯罪危険スポットに選ばれた名誉ある道かもしれませんが、通行人そのものがいないので安心です。
 もう大丈夫と転んでも痛いだけの道を足早に進み、目的の本屋へといったのでありました。
 もちろん、帰り道は環状道路を歩いた事は言うまでもありません。

 ……余談ですが、欲しかった本はありませんでした。全くの無駄骨です。
 それで、あんな間抜けな体験をするなら家で寝ていれば良かった。
 

今日という一日

2006-09-23 00:42:02 | そこに転がっている日常
 今回はただ、今日あったことを並べていこうと思います。

 日の出前。耳元で飛ぶ蚊の羽音のせいで目を覚ましてしまう。初めは無視しようと思っていたけれど、しつこく飛びまわるうえ、顔も三箇所くわれてしまい、我慢の限界に至る。
 駆除しようと電気をつけ、目を皿のようにして蚊を探す。床、壁、天井、窓。しかし、どんなに見回しても見つからない。
 結局、三十分くらい続けても影さえ捕らえられないので、今度は耳元に来たらすぐ捕捉できるように電気をつけたまま眠る。

 九時起床。寝ぼけ眼で着替えをすませ、とりあえず朝食をとる事にする。品目は冷凍ジャコ入りご飯と牛乳、以上。
 朝食を食べ終わる頃にはだいぶ思考も普通に回るようになってきたので、パソコンを立ち上げ、日課をこなす。つまり、何軒かのブログを見て、メールが来ていないか確認をすること。
 同時進行で、前日録画した番組を見る。先週辺りから頑張って見るようにしているアニメの一本のホリックと、完全に僕の趣味である怪談新耳袋。……夏も終ったからか新耳袋が昨日でお終いなのは寂しいものです。

 十一時半、学校に行く時間。まだ兄が自室にいるかもしれないが、声をかけるのも面倒、もとい嫌なので、戸締りをして家をでる。
 駅までは大体二十分。それから横浜までまた二十分。東横線に乗り換えて、渋谷駅までは約三十分かかります。幸いな事に、電車では座る事が出来るので、のんびり読書に興じる。
 今回の本は横山秀夫著・半落ち。僕の読書速度の問題で途中までしか読めなかったけれど、それでも面白かった。しかし、何が面白かったのだろう? 組織からの圧力を受けながらも、自己の意思に基づき行動しているキャラ? その本の確信である空白の二日間の見せ方? 自分でよく分かりません。

 十三時過ぎ、教室に着く。先生と先輩がなにやら話し込んでいた。手札を他人友人に見せる事や、信頼できる友達を作る云々、技術=経験で向上、とこんな感じのことが聞こえてきた。これは聞き耳を立てていたわけでなく、単純に座席が近いので、聞く気がなくれも聞こえてしまっただけ。
 僕はパソコンを立ち上げ水曜日の課題について考えていました。
 しばらくするとだんだん級友も登校してくるのですが、今日もいまいち数が少ない。そういえば今週はずっと欠席者が多かった。そんなのも、最前列で後ろを振り向けない僕にはあまり気にならない事だけど。

 十四時頃、授業が始まる。前半は話を聞きながら水曜の課題に頭を痛め、後半は概要文の通り、愛について唸ることになりました。愛ってなにさ?
 あまり書くとこはありません。

 十七時、授業終了。最近はいつもそうだけど、早々に帰宅準備を整え、教室をあとにする。それも今日は特に早い。十九時頃からTBSかフジテレビで放送する催眠の番組を見るためです。本当は朝行く前に録画予約をするつもりだったのですが、なぜか失念してしまったので、始まるまでに家にたどり着かなければならなかったのです。
 やっぱり級友達は放課後どこかに遊びに行ったのかな? 少しばかり寂しいなあなどと思ってもみたけれど、それもすぐに睡魔に喰われて忘却行き。

 十九時頃、なんとか帰宅。早速、テレビをつけて茶番劇の観賞です。
 テレビの催眠ネタは大抵が芸能人が道化る演出と、苦手意識の克服、退行催眠でトラウマの克服。などをやるのですが、今回の番組は、トラウマ治療を重視し、他二つは石田某と野々村某の二人ですこしつまんだ程度でした。
 それにしても退屈です。芸能人のトラウマ話なんて聞いていても、僕はまるで面白くないのです。初めから茶番だとは思ってみていましたが、案の定でした。
 僕が見たいのは催眠誘導の場面なのですが、それはいろいろと不都合が生じるから放送されにんでしょう。

 二十二時、夕食を食べながらまたテレビを見る。今度は、仏師の話。彼が、仏を彫る姿は、画面ごしでもその迫力が伝わって来るほどで、ちゃんと見ていたかったけれど、早く本屋に行きたかったので、時々視線を走らせていただけで、内容は頭に入っていない。
 夕食を食べ終え再度家を出る。外は当然夜闇に筒包まれているけれど、地元の夜は色があるほどに明るい。
 本屋への道すがら、なぜか気分が高揚してきて、突然踊りだしたくなり、また大声で歌いたくなった。そんな事は恥ずかしいからやらなかったけど。歩調は少し速めだった。どうにも体が軽くて、その空気に解けてしまいそうでした。……人様の体内に摂取されるのは嫌ですよ。
 そんなこんなで本屋に行ったのですが、目的の本はありません。だから代わりに、というわけではありませんが、古本屋の方に足を運んだ。しかし、そんな気分の時に古本屋に行くのは良くない。沸いて生きた衝動を抑える事ができず、つい浪費をしてしまった。江戸川乱歩全集Ⅰと読みもしなさそうな名宝日本の美術―源氏物語絵巻。あわせて三百六十円。

 二十四時、帰宅。水を飲んだり風呂に入ったりして、現時に至る。
 以上僕の一日でした。トゥリャトゥリャ トゥ~りゃ~りゃ~
 



ネタがないので、仕方なく痛い事を書いてみました

2006-09-22 02:35:23 | そこに転がっている日常
 先ほど、珍しく自分のブログを見て驚きました。概要文は、改行してもそれは反映されていません。
 別に本文が見やすいとは言いませんが、というか本文も見にくいですが、概要文は割り増しで見にくいですね。


 僕は人付き合いが悪い方です。いえ、人付き合いの悪い人間です。
 最近はお声がかかればフラフラとついて行ってしまいがちですが、昔は誘いの言葉を聞き終える前に拒否の意思表示をするほどでした。
 今にして思い返せば自分はなかなか嫌な奴ですが、その当時にはその時の考え方がありました。いえ、現在もその時の価値観からさほど変わってはいません。

 その理由は簡単な事で、僕は人付き合いが苦手だからです。
 その場の空気を読めている気はしませんし、読めていてもそれにあった発言も出来ているとは思えません。口を開けば場の雰囲気を乱し、開かなければ自分が存在する意味もなし……むしろ、誰かしらに気を使わせ、ムードを盛り下げてしまいます。
 その場にいる時は良くも悪くも空気が読めていないので馬鹿丸出しで過ごしてしまうのですが、事が済み自宅で内省すると自分の言動はあまりにひどくてその時の自分はとにかく死ねと思います。

 いつぞの僕はそんな事を考えていたので級友の誘いには付き合いませんでしたし、級友達が何故僕に声をかけるのかも理解できませんでした。
 今は級友達の誘いが、一年近くを同じクラスで過ごす人間との関係をある程度円滑にするための社交辞令、処世術だったと解釈しています。現に卒業以来、互いに連絡を取っていません。前に会った面々も数少ない縁のある人との繋がりで偶然に会ってしまったにすぎません。

 現在の僕は、誘いには乗るようにはしています。かつて感じた不安・疑念を容易くぬぐえはしませんが、僕も少しは成長していますし何とかなっているかなと思います。けどこれも、クラスという括りがあり、周りの級友が皆大人だからこそ感じてしまう、僕の錯覚なのかもしれません。
 勘違いだと思う所以は、一対一という状況に相変わらずの恐怖心を感じるからです。
 そんな状況は非常に困ります。口を開けば失笑すら変えない事しか言えず、しかし何も言わないわけにもいきません。何もせず、ただ同じ場所に存在しているだけという、気まずい状態になること間違いなしです。
 なので登校時の教室では、作業に没頭という逃避法を実行しています。しかしそれは待てば人がくる、そしてそもそも人に会いに来ているわけではない学校だから出来る事であって、誰かに呼び出された時には使用不能な事なのです。
 できれば避けたい一対一。避けたいけれど困ったことはすぐ目の前に転がってきているのかもしれません。

 概要文で学園祭に行くなどと書いていますが、これが差しの危険性をはらんでいる行事なのです。
 以前、一緒に観劇へ行った人の一人とメールをしていると、その人は僕に母校の学園祭に来るように言ってきました。その人は、自身の都合で学園祭二日間に行かなければならないらしく、その時の暇潰しの相手に僕を指名したようです。観劇でまた少し縁が繋がったし、丁度いい具合にメールもしてると、僕を選んだ理由はそこらへんにあるのでしょう。
 僕は僕で、困った嫌だなら断ってしまえばいいのですが、その人にもお世話になってしまった過去がチラホラとあるので断れず、行くような返事を出してしまったのです。
 メールを送っていた時点ではどうにかなるさ、と軽い気持ちでしたが、日が経つにつれて後悔が募ります。
 願わくば、その人が僕以外の人も誘っているように。
 ……僕が願わなくともその人は人脈も広いので、誰かしらを多分呼んでいる、はず、です。もしかしたら僕に縁の無い人が呼ばれているかもしれません。そうなると僕は気まずい思いをするでしょうが、その人は退屈しませんからそのほうがましです。
 
 あと少しばかり余談を一つ。
 以前その人に、僕が遊び等に誘わない事を冷淡、淡白などと言われた事があります。
 確かに、僕は誰かにどこかに行こうと誘う事は無きに等しいですけど、それは今回に書いたことが原因であり、相手に退屈、時間を無駄にさせてしまうと思っているのに、なんで誘えるのでしょう? とか内心で思っていたりしていました。
 ブログの存在を教えていないので、ここでこんな事を書いてもなんにもならないんですけどね。

 以上、人付き合いとか遊びのお誘いとかの話でした。
 しかしこれ、こんなものを書くなんて、自分痛い人だ。こんなのいちいち口に出す事でもネットに晒す事でもないのに。
 というか、恥ずかしいし鬱陶しくもあるので内心に埋めて自然分解を待つような事柄ですよ、本当は。
 嫌ですね、ネタ切れは。その度にこの手の痛い事を書かなければならないと考えると、ブログ止めたくなります。一回書くごとに、現実の風当たりへの恐怖は増大です。
 それでも、まだ書く気でいる自分って実はマ…………そんな事はありません。違います。絶対に。
 だめだ、書けば書くほど墓穴が深まっていく。この分だと、僕の棺桶はさぞ埋めるのが容易かろう。そして、僕がそれを埋めるのはもう無理。
 ……もう寝よう。今日書いたことも記憶から消そう。いつもそうしているけど、今日は特に、頑張って。

夢の中で変人について考え、見出せない事

2006-09-21 10:54:18 | そこに転がっている日常
 変人。どのような人をそのように呼ぶのでしょう? ちょっと人と変わっているには、個性的で良いと思いますし、理解に苦しむ行動・思考をしていようと、それは見ている人の理解力不足なのはないでしょうか? (まあ観察力や理解力が劣っていたら皆が変人に見え、同じように皆がそれで当たり前の普通の人に見えてしまうかもしれませんが)
 いまいち変人の基準を見いだせない僕が、通学途中の電車の中で考えて見た結果、秀でた一芸・趣味(人生を歩む上で必要でない物事)などを自分の中芯に置き、それを基準に価値観を構成している人をさすのではないか? と思ったりします。
 価値観の構成がいかに行われるのか、そんなことは勉強をしていない僕には分かりませんが、生きていくことに必要なことを学び、自己の存続を主軸に構成されていくものだと思っています。
 変人と呼ばれる人は、そんな本能などお構いなしに自分の気に入ったものを価値観の土台に置いて、その上にその他のものをのせていくのではないでしょうか?
 いえ、根拠なんてありませんよ? ただ、夢の中に思ひぬ。というだけのものです。

 二日連続で、碌なものが書けやしない。
 ……いえ、そもそもまともな文章なんて初めから書けていませんけどね。