蛭児の葦船

救いようが無さそうな感じのアホが

        ピコピコと鳴いています。

読書雑感

2011-01-31 00:42:12 | 一応、一通り見た本
 ここ最近読んだ本の感想を、メモ書き備忘録みたいな感じで書いていく、予定。

 
 しばらく有川浩作品
 ・海の底
 ゴジラなどの怪獣来襲モノと、無限のリヴァイアス的な監禁モノが同時に進行するような物語だった。
 単純に、それぞれのドラマとしてはおもしろかった。
 一方で、潜水艦に監禁された側の人間はただ助けられるのを待っていただけでしかなく、警察側は(法律上それしかできないと、作中何度も書かれていた事だけど)怪獣に対してあまりに無力で事件解決の際にも爽快感は乏しく、なんだかなーと思うところはある。
 この作品における怪獣の存在ってなんだったのだろう? 舞台を仕立てる重要な存在ではあったけど、それ以上の意味合いはなくてなんだかちょっと肩すかしな気分。
 ……いや、そんなマイナス要素があっても理不尽に立ち向かう面々や子供たちの成長のドラマなんかはすごくおもしろかったんだけどさ。
 
 ・空の中
 これは、知的生命体来訪モノ、といっていいのかな。
 来訪者と、対話を試みようとする面々と、駆逐しようとする面々と、あと独自の接点を持つ子供の物語。(来訪者という言い方には語弊があるけど)
 海の底と比べると事件やそれにまつわる登場人物が一つの道の上にいて、あらがない感じ。設定をよく表現できていて、来訪者との会話なんて特におもしろかった。
 しかし、来訪者の知性や来訪者に対する国際社会や民衆といったマクロな反応が多く書かれていたためか、事件に深くかかわった人間のドラマが海の底に比べるとかけてるかなー、という印象がある。風呂敷を広げているときの細やかさに対して、たたむときのキャラのドラマがややおざっぱな気がした。物語の流れとして、それは必然的なモノなので、作品のおもしろさに傷をつけるようなものではないのだけど、もっと面白くなるんじゃないかな、って気分にはなる。

 ・クジラの彼
 上記二作品の余話を含む、自衛隊がらみの短編集。
 有川さんの本領発揮、ラブコメ全開でございます。
 面白かったです。そして、多くを書き残す必要はありません。
 有川さんの作品です。
 以上。

 ・阪急電車
 大阪方面のどこかの線を舞台にした短編連作集。
 恋の芽生えあり、別れあり、失恋の恨み言もあればいじめ的なモノもある。
 これも、心情描写が達者な有川さんの実力が惜しみなく発揮されてる作品だ。
 以上。

 ・レインツリーの国
 図書館戦争の小道具を、実際に文章化した作品。中途失聴者の恋について書かれたものなのだけど……。
 有川さんの作品にしては、微妙です。
 その障害に対して正面から取り組んだ、とはあとがきで書かれ事なのですが、押しつぶされたか引け目を感じたのか、そのテーマを扱いきれていない印象を受けた。
 原因はおそらく、失聴する、ということが描かれていなかった事だと思う。
 失聴した。その結果の事が描かれているのだけど、失聴して、環境や心がどのように変化して、というドラマがなく、ただその結果できたキャラがいるだけなのだ。なので、失聴する、という事はただの情報として文章に書かれるだけで、非常に淡泊。ただのキャラ構築の言い訳文章にしかなれていなかった気がする。
 図書館戦争を読んで、そしてこれを買った人にはいろんな意味で物足りなかったんじゃないかなー。
 以上。

 
 ……今日は以上です。
 いろいろ読みながら思ったのは、有川さんの武器はキャラの心情の細やかさであり、登場キャラはみな男女ともにその細やかさを持ちキャラ間でその機微を理解し、通じ合う事の気持ちよさなんだなー、という事。
 これは、強く感じた。

時間がないから少しだけ

2011-01-30 01:05:12 | そこに転がっている日常
 昨日の記事でちょこっと触れたエジプトの暴動。
 今日、あらためてニュースやら新聞などで情報に触れてみたところ、僕が思っていた以上に大変な状況で大いに驚いた。
 政変の波は周辺国に波及する。
 故に国家は力を入れてその動きを抑える。
 ……などと言う事はそこいらで聞きかじっていた言葉であるのだけど、僕はそれほど重くは受けて止めていなかった。そんな事もあるなー、程度の認識だった。でも事実はとんでもない勢いで革命は波及するものだったんだね。
 そりゃー、フランスで市民革命だか何だかが起これば周辺国だってフランス政府を援助するわ。
 チュニジアに端を発した革命の波は、エジプトの国家も転覆させる勢いを見せ、もしかしたら他の国にも広がっていくのかもしれない。特に、イスラム教徒を多く抱える国で。
 しかも、その革命で民主主義が成立すれば、多数の貧困層に対して求心力を持つイスラム原理主義が民意により権力を持ち、キリスト教圏やユダヤ教国家と対立する流れになる。
 曰く、エジプトはかなりの軍事力を持つ国で、かつアラブ世界においては珍しく親欧米の価値観を持ちさらにはイスラエルの事も認めているらしい。そんなエジプトがイスラム原理主義、ひいては対欧米ユダヤの国になったら、あっちの世界バランスは一気に対立どころか対決状態になりかねない。戦争が、起きかねないらしい。
 東洋では中国がせっせと軍備拡張をしたり、北朝鮮が世襲期間中につき活発な活動をみせ何かと物騒だっていうのに、西側でもその有様ですか。
 現状世界に火種多すぎ。
 人類は、2012予言を自分たちの手で現実にしたいのかね。
 まったく、嫌になるよ。
 






他人事のような、私事のような……。世の出来事に対する個人の責任はどの範囲までなの?

2011-01-29 01:02:16 | そこに転がっている日常
 伊坂さんの「ゴールデンスランバー」
 天童さんの「悼む人」
 最近知り合った現代芸術のアーティストさんの言葉。

 どれもみんな、自分では手が届かないような、でも認識はできてもしかしたら影響を与えられるかもしれない領域に対する責任やら個人の意思に触れている。(ような気がする)
 例えば、社会の規制やら公共事業の事。
 例えば、ニュースで見聞きするだけの死亡事故・事件の事。
 例えば、報道などによって形成される価値観の事。
 例の他にも色々、色々。

 上にあげた彼らはどこか、社会が提供する様々な情報に関して、知った以上は何らかの責任を取れ、と責めているようなところがある気がする。
 無秩序に情報を垂れ流すマスコミなども批判するも、それ以上に有言無言で、彼らの情報をキャッチした人間に対してなんらかのアクションを取れ、と。
 確かに、最近の豪雪災害やら噴火やら、たびたび流れる殺人などの報道を見て「あっちは大変そうだねー。恐いねー。可哀そうに」など感想を抱いたり知人・友人と雑談したりと、ただそれだけだったら、ニュースを見るという行為は他人の不幸を見てそれを楽しむ下種な行為でしかないように思える。
 知る権利を振りかざして、他者の人生や感情に踏み込み、あるいは無責任にその方棒を担いで。
 他人の不幸を楽しみ当事者を貶める、そんな行為は確かに糾弾される行為だと僕は思う。
 だから、情報を提供する側の人間も、その情報を享受する側の人間もひとしく糾弾されて当然の事なのだろう。

 ただ、情報を享受する側の人間は果たしてそれを知った事に対して一体どんな責任を持ち、どんな態度をとればいいというのだろう?
 すべては、地続きならぬ空続きのはるか遠い世界での出来事で、その出来事に対して出来ることなど無きに等しい。
 場合によっては完全になにも出来ない時だってある。
 情報得たことで話の向こうの出来事に何らかの働きかけをするのが筋だ、という話はわかるのだけど、概ね僕には出来る事が何もない。あるいは、その能力が存在しない。一つの事例に対して何らかの対処ができても、それ以上を処理することは出来やしない。
 何も出来ない/しない僕は、ついには、世に氾濫する情報に対して責任をとれ云々など某一神教の原罪を押し付けられるがごとき理不尽だ、と開き直ってしまいたい衝動に駆られる。
 僕は一体どうしたらいいのだろう、どうしたいのだろうね。

頭痛と一緒

2011-01-28 00:37:16 | そこに転がっている日常
 昨日は治ったように感じられた体調不良は、今日になってまたぶり返した。
 症状は昨日まで出ていなかった頭痛。思考に割り込んできて集中を乱す嫌な類の痛みだった。
 今もまだ痛むが、仕事前後のそれと比べれば症状はおさまってきたと思う。
 僕の症状は多分ただの風邪で、放置すればそのうち治る類のものだろう。しかし、なんとなく僕は嫌な予感がしてならない。
 勘違いだと知っていながら抑える事の出来ない心。
 これはきっと、先に見た男性と自分を、関連付けて考えてしまっているからだろう。

 出かけ先からの帰りがけ、電車に乗ろうと駅のホームに行くとなにやら人だかりができていた。雰囲気には困惑と緊張感の気配が混じり、少し見ただけでもよからぬ事が起こったと感じられた。
 好奇心にかられて人々の視線をたどってみると、ホームにうずくまる一人の男性がいた。
 そして男性の足元には嘔吐したであろう痕跡があり、その吐しゃ物には赤黒い血が多量に含まれていた。
 胃液と、溶けかけの食べ物と、血液が混じり合って男性の周囲の空気はひどく生臭くなっていた。
 人間、吐き気を覚える事はちょくちょくあり、吐いてしまう事も決して珍しい事ではない。
 ただその吐き出したものにそれなりの量の血が混じる事はそう滅多にあるとは思えないし、その珍しい出来事は死を予感させるものがあった。
 僕がその場に言った段階で、すでに彼を介抱する人間も、駅員を呼びに行く人間も、救急車を呼びに行く人間もそろっていた。だから野次馬根性以外の理由で僕がその場に残る理由はなく、タイミング良くやってきた電車に乗りそのまま帰ってしまった。野次馬度胸にに欠ける僕は駅員につれられれ事務所に向かった彼の、その後の事を知らない。
 彼は死病や重病にむしばまれていたのか、それともちょっと胃で出血していたものが吐瀉物と一緒に口から吐き出されただけのことだったのだろうか。
 大した事でないと、よいのだけど。
 
 うずくまる彼の姿と、吐瀉物に混ざる血の色と、生臭いにおいは強く心に印象付けられてしまった。
 体調が良くない自分の事を意識すると、彼の姿が思い浮かんで症状的なつながりがないにも関わらず、ネガティブな感情を抱いてしまう。
 ……ああ、僕は早く、体調不良を治さないと。

風邪気味は、治ったような治らないような……

2011-01-27 00:19:32 | そこに転がっている日常
 昨日は仕事で帰りが遅く、さらには一日風邪気味だったのでココを書くのをサボった。
 一昨日の仕事中から何となく感じていた風邪の兆候は、関節の痛みに始まり、喉の違和感軽微な頭痛と続き、鼻水の異常と腰痛を引き起こして、今日の昼過ぎなんとなく治ったような気がする。
 まだ完全に平時の状態に戻ったとは言い難いながら、総崩れとなって活動不能な状態になるのは避けられた……の、かな?
 思えば最近は風邪気味とか病気気味という状態になってもいつぞのように布団で寝込む、という状態にはならなくなっている。
 しかあし、総崩れになると「色々しんどいからもう病気になりたくないー」と泣きごとを言うくせに、未病でこらえると「誰にはばかることなくだらだら寝れるという面で、病気もいいかも」とか不抜けた事を思ってしまう自分がいる。
 いや、今は仕事もあるし病気でへばっている余裕もないので、インフルとか本当に勘弁願いたいのだけどさ。


 と、そんなこんなな前置きはここまでにして、今日は最近読んだ本の感想でも手短に書いていこうと思う。

 ・図書館戦争:有川浩
 これに関しては、別冊の二冊以外は二回目。
 この作品は(と言うよりも有川さんの作品は)とにかくキャラクター達のドラマが面白い。
 キャラの心理やら会話やら、なんというか心地よく弾んでるんだよなー。「わたしの王子様のこと悪く言わないで」のくだりとか、紆余曲折あって「励め」とか。
 例をあげていけばきりがない、登場キャラの心の機微。そこらへんが特に、有川さんの凄いところだ。
 読むのが二回目でも、メディア規制法と図書館の自由法という世界観設定/一応現代の日本が軸なのに、国家による活字・画・映像など諸メディアへの検閲・規制があって、国が武力をもってそれを実行する事。そして、図書館は表現の自由やらそこの情報は公平に与えられるべき、なる理念に則り国家の検閲に対抗する。両者はともに武力をもって己の理念を実行し、軽い戦争状態が発生するという不思議な状況/に違和感を覚えてしまったりする。
 それは世界観設定=作品の言い訳がよく出来ているから作品が、現実の、僕の眼前にある世界との延長的な感覚にとらわれてしまい、それが作品の世界に浸るのを阻害しているんだと思う。
 でも、そんな僕的マイナス要素を差し引いても読み始めたら止まらない。
 結局、本編の単行本四冊は、一日一冊とかけず読み切ってしまった。全部を読むのに時間はかかるけど、機会があればまた読んでしまうかもしれない。
 
 あー、図書館戦争は本編四冊とは別に、別冊の二冊がある。
 こっちの方は、同じ世界観ながら世界に違和感を覚えるような状況(つまりは、検閲側と図書館の戦闘や、社会方面の描写)が少なく、基本的に図書館とその周辺の人物を重点的に書いていたから(そういった面では)抵抗なく楽しめた。
 別冊は、本編にもましてらぶこめ度が高くて、赤面せずには読めないところがちょくちょくあって、ちょっと困ってしまって、こっちの面ではちょっと抵抗があったけど。


 ……とこんな感じで、たらたらと感想めいたものを書いていこうと思っていたのだけど、時間が押し迫ってきたので今回はこれでお終い。 
 もうしばらくはどんな形であれブログ、もとい文章は書いけそうなかんじ、かな?

再起動。しようとしたのはいいけれど……。

2011-01-25 01:58:48 | そこに転がっている日常
 バイトやら、深夜零時の夕食作りやら友人にメールの返信やらと、色々やっているうちにもう二時になってしまった。
 眠い!
 だるい!
 明日起きれなくなる!
 と、再起動宣言の舌の根も乾かぬうちからなんとも締まらない事になってきてしまった。
 今回は先週半ばから飢えを満たすかのように乱読した何冊かの本の感想やらをちょろっと書いていこうと考えていたのにな。
 でも、上に書いたとおりだし、その他にも何やら僕はバイト中客から風邪(というかインフル)をうつされた疑惑のただなかで何やら関節も痛くなってきたし、それでもバイトやらその他の事情から道理を曲げてでも怪我や病気をしている場合じゃない。
 だからもういいや。
 今回はこれにて。
 (例え中身がなくとも)ツィッターの限界数よりも文字を連ねているはずだし、今回はこれにてお終い。
 

再起動?

2011-01-24 00:32:12 | 暗い気分はとりあえず隔離
 最近までネットに接続できなかった私用で使っているパソコンが、ようやく復調したので書く事・書きたい事もないくせにとりあえずこの場所に文字を連ねてみる。
 

 ……と、心のままに書いてみたら他人が読んだら嫌悪を抱くようなモノになりました。
 以下略。





 ここ数か月、完全に文章を書くことから逃げ、読む事を極力避け、さらには考える事さえ放棄してきた。
 筋肉は動かさなければ衰えるのが人間の構造であり、思考を放棄した脳みそか行きつく先もまたしかり。長く続いた怠慢は、かつては自然にこぼれ出たであろう言葉をひねり出す事にさえ長い時間と体力を要する現状を作り出してしまった。
 小さな心地よさをともない軽快に動く指先とは裏腹に、思考は漠然とし、胸や頭に浮かび漂っている衝動を形にする事が出来ず、ようやく吐き出せるのもため息ばかりだ。
 自分の、あまりの不自由さに歯がゆさやもどかしさが募り、それは大きなストレスとなって胸が疼く。
 喉が裂け、血を吐くほどに叫び声をあげたい。
 目に見え、肌に感じる全ての形ある物を砕き、燃やし、恐し尽くしてしまいたい。
 そんな激情が心臓からの血流に乗って全身を駆け巡るも、心のままに行動した結果の想像と臆病な心によって激情は強制的に鎮められ、胸のそこによからぬ何かが沈殿していく。
 もう僕には、文字を連ねることでさえ重労働となってしまい、もはや文章を書き紡ぐことはできないのだろか?
 弱い心は、努力するまえにそんな疑問を自己に投げかけ、解と向き合うのを恐れてまた文章から逃げ遠ざかることを求めてしまう。
 僕は、どうしたらいいのだろうね。
 どうしたいんだろうね。
 そもそも文章を書きたいのかな。
 実は全然書きたくないのかな。
 今までの自分を省みると、どちらの意思も見出す事が出来て、でもこれまでの何もしないという態度から解を出すならば書きたくないと考える事が自然に思えて、でも表面上求める領域に至らないまでも多少なり行動しているところを見ると書きたい意思も皆無ではなく、それどころか実はそれなりの重さを持って存在しているようにも感じられる。
 考えても結局答えは出なくて、答えを出したくなくて、だから答えを定める事が出来やしない。
 
 最近、ある人から“これをしよう、という一念が大事”という説教をされた。
 その方の話は正しくて、きっと僕にとって必要なもので、
 ……でも、今の僕にはその一念を産む魂が、ない。

 気分的に、もう駄目です。
 未来は見えず、幻想は抱けず、まさしく絶望と言葉がふさわしい心地がします。 

 …………それでも、生き汚く浅ましく、本質的な所で厚顔無恥な僕は、死ぬのが恐いただそ本能のまま、怠惰に生き続けていくのでしょう。
 毎日のように死にたいと思い、時たま無意識に呟く事もあり、包丁を持ったら自分のを切り刻みたくてたまらない衝動にからるというのに…………、
 僕は自傷も自殺も試みた事がないのですから。



 心のままに書いてみたら、自己憐憫やら深海100メートルぐらいな勢いでどっぷり感傷に沈みひたってる、ある種の排せつ物が出来上がりました。
 今日の日記について、以前のようにああだこうだと言い訳めいた言葉を連ねる気は、もうありません。
 これが、今の自分の気持ちなんだからしょうがない。そんなもんだ。
 と、それだけです。
 こんな、うんこな文章未満の文字列を持って、再起動の始まりを宣言……はできないけど、自分なりのその希望としたい。