蛭児の葦船

救いようが無さそうな感じのアホが

        ピコピコと鳴いています。

待機中、停滞中、未だ変わらぬ口の中

2012-03-30 23:03:41 | そこに転がっている日常
 昨日今日と体調に関しては快方に向かい、頭痛、発熱、倦怠感などはもうあまり感じない。
 しかし喉の痛みは依然と残留し、炎症痕は口内右側を中心に白色クレーターが点々としている。水はあまり沁みないようになったが、やっぱり沁みるし、大口は開けれないし発生量には限りがあるままだ。
 食事も相変わらずパクパク食べれず、一日三食への復帰はまだ。食べているのは麺類が主であり、思えば米類はここ一週間まともに食べた覚えがない。モノによってはダメージがあり、殊更チョコアタックはしんどい。
 紅茶とポカリは数日来の友人。
 恋しきモノはお肉とご飯か。
 薬の服用は今日で五日目となり、炎症止めの薬はもう切れてしまった。残るは抗生剤だかなんだかで、それも明日明後日の分しかない。
 今の自分の状態って、どうなんだろうなぁ。
 病気の後始末の如き状況なのか、それとも単なる小康状態なのか。
 
 なんにせよ、喉が痛い。
 先日までの鋭い痛みはもうないけれど、鈍くて重い痛みはまだおさまらない。

 しかしなぁ、ここ数日病気の事しか書いてないや。
 実際病気患って、喋れず、出かけられず、発熱したら布団で潰れたりしていれば書く事もなくなろうものだけどさ。
 それに、ここしばらく稽古行ってないし。
 本格的に潰れてるな、自分。

喋れぬはずだよこんなんじゃ

2012-03-29 22:38:51 | そこに転がっている日常
 モノが食べにくいー。
 しゃべれないー。
 なーんていう僕の喉の状況は前回とか前々回の日記に書いたとおり。
 それで、今しがた改めて鏡で喉の奥を見てみたら……、
 なんと! 
 喉の穴のサイズが半分になっているではないか!
 
 昼間は喉彦周辺の白色クレーターもとい口内炎状態にばかり目が奪われて気がつかなかったが、よく見りゃその部分は赤く膨れて喉を半分近く塞いでいた。
 これは口の大きさが半分になったがごとしだね。
 道理で、口は開かないしモノは喉を通らず、声も上手く発せられないんだ。
 こうなっていたんじゃしょーがない。
 これでいつも通り過ごせって言う方が無理なのだ。
 
 大した事じゃないけど、自分の状況への納得が少し深くなった。
 よし。
 これからは喉が痛くなり痰が大量に出てそれに血が混じるようだったら、さっさと耳鼻咽頭科に通うとしよう。
 
 余談だが、溶連菌感染症にかかってから免疫機能がそっちにかかりきりなのか、花粉症の症状があまり出ない。
 花粉症もいっそこのまま治ってくれないかなぁ。
 でも、元から皆が四苦八苦している花粉には強く反応しない性質だったし、僕殺しはまた違った時期に来るのだろう。
 ああ、健康とはまこと素晴らしい事である。 

お口の中が大惨事

2012-03-29 13:23:16 | そこに転がっている日常
 口の中が炎症起こしてパンパンに腫れてるなぁ、とはこれまでに書いたとおりである。(書いたっけ?)
 目に見える範囲では喉彦(いわゆるのどちんこ)周辺が赤く腫れて膨れ上がり、その有様は耳鼻咽頭科がその奥をみるのを諦めてしまうほど。
 目に見える領域がこんななのだから、目に見えない領域はどうなっているのか考えたくもない。
 ……ちなみにこれは病気が盛んだったことの話。
 いや、あの時は今ほど大きく口を開けれず、しかと観察する余裕もなかったので、こんな感じだったというだけの事だ。
 
 それが今やどうだ。
 同じ個所、喉彦の右側が、今度は口内炎みたいなありさまになっている。
 いや、同じ口内だし、ウィルス性の炎症である事に変わりないんだけど、今まではただ腫れているだけだった。
 ただ赤いだけだった。
 それなのに、今鏡を使って口の中を見てみれば、見事に赤い口内に白いクレーターができている。
 どうりで痛いはずだ。
 どうりで水を飲んだだけでも、しみるはずだ。
 神経の張り具合が唇と喉彦周辺では差があり、今の口内炎の痛みは鈍くはあるのだけど、でもこの位置の炎症は何もしていなくいても舌が擦れて痛むし、食事の際にも痛む。
 あー、もー、なんなんだかなぁ。
 さっさと治ってほしい、今日この頃なのでありまする。

よーれんきんかんせんしょう

2012-03-28 20:35:23 | そこに転がっている日常
喉に沸いているのはインフルエンザ菌か他の風邪菌あたりだと思っていたが、病院に行ってみたら予想に反した診断を受けた。
 溶連菌。
 溶連菌感染症。
 冬から初夏にかけての多く発症し、菌の種類が多く免疫を獲得しにくい。
 発症すると咽頭炎・扁桃炎・発熱などを引き起こし、状況によっては全身の発疹、苺舌などを起こし、二次疾患にリウマチ熱や急性腎炎を引き起こすこともある。
 どころか、咽頭炎の悪化次第では気管が詰まって窒息死にまで招待してくれる素敵な感染症だ。
 どうやら僕はそんなこんなな病原菌に感染していたらしい。

 発症は先週水曜日の夕方前。それまでは至って健康。(という事は、溶連菌の潜伏期間は1~4日なので、感染は16日金曜から20日火曜にかけてか)
 初期症状は風邪に似て倦怠感、発熱、節々の痛み。そしてたちどころに布団との堕落の日々にへ。
 翌日、症状の追加に多量な痰と鼻水。痰は緑か赤が混ざる。ここまでは、これまで患った風邪と同じ。(あるいは今までも溶連菌に冒されていたのか?)
 さらに翌日、金曜日。痰は悪化し喉が痛くなりだすも他の症状は軽くなる。
 さらに翌日の土曜日。喉の状態は順調に悪化。何かを飲む・吐く・喉から吸い上げるなど、喉の動作のすべてが痛むようになる。
 そのくせ唾はドバドバと出て痰はグズグズと喉に絡まり嚥下か排出を必要となり、いちいちがしんどくなる。この頃から、固形物の摂取量が低下。
 日曜日。喉の症状がさらに悪化。気が付けば大きく口を開けるのにも痛みが出るようになる。風邪ならばもうじき治りそうな気配を感じるものだが、今回はそれを感じない。
 この頃から病院に行くことを考えるようになる。
 月曜日。喉の症状の悪化は緩やかに、止まることなく進んでいく。自覚はなかったがもはや声さえ出せない状況。いや、正確には声を出すのに痛みを伴うようになっていた、か。
 ここにきてついに病院へ向かい、そして病状の確定。
 処方されたのは炎症止めと抗生剤。医者はこれを飲めば症状はたちまち改善される、と言ったのだが……。
 火曜。
 薬を飲んで何かが楽になったという感じはしない。
 いや、喉の下部の違和感は前日よりは軽減した、ような気がしない事もない。が、違和感や痛みは喉の上部に移動していった感じもする。この頃は、水を口に含むのも痛みを伴うようになる。
 前日よりも声は出しやすくなったが、ほとんど出せないが、ごくわずかに出せるに変わった程度。会話は不可能。
 むしろ、平時でも口が痛むようになった気もする。
 病院へ行き、さらに強い炎症止めを処方される。
 さて水曜日。今日。
 症状は火曜と変わらず。
 自分は本当に薬を飲んでいるのか? という疑問に駆られるが、唾・痰の出る量が少なくなっただけでも効果あるのか。
 
 病状のメモはこの程度のモノだ。
 付け加えるなら、初めは血の臭いが混ざっていた口臭がそのうちゲロ臭くなり、今は薬臭いという事ぐらいか。
 なんにせよ楽しいものじゃない。
 風邪でもインフルエンザでもない、溶連菌感染症なる病気。
 さて、これからどっちに転がっていくことやら。

 今回の覚書は以上。

喉風邪万歳!

2012-03-24 09:51:59 | そこに転がっている日常
 水曜日に発症した喉風邪(と思しき症状)は、快癒することなく今日に至った。
 発症当日の水曜日に比べれば、体の痛みも熱もひいて多少の行動ができる程度になった一方、喉の痛みに関しては痰に血が絡まなくなったながら、モノを飲み込むたびに痛むようになってしまった。
 唾を吐くにも飲むにも喉は痛むし、固形物を飲み込むと荒れた喉がざらついてやっぱり痛いし、咳をする際大きく息を吸っても痛い。
 昨夜からはそれに加えて腹痛も湧いてくるし……。
 サイテーだ!
 ついでに言うと、発症日たる水曜日に自身が患った症状についてつづった記事を投稿したのだけど、それも投稿されてないしなお最低だ!
 
 そんなこんなで今日も風邪。
 いろいろ不快で腐ってる日々です。

稽古の四方山話、五回目

2012-03-20 10:28:14 | 習い事の事とか
 今回は初めての稽古の事についてとかその周辺について書いていこうと思います。
 ただ僕の記憶はどうにも曖昧で印象的だったことを断片的に書いていく、といった形になるかもしれません。


 ・稽古を行う場所について。
 日本舞踊の稽古は、一体どこで行われるのか? 
 それの答えは、通う稽古場(あるいは習うお師匠さん)によって違ってきます。
 ある所では地区センターやら学校の体育館などといった広い施設を借りて、稽古を行います。
 またある所では、自宅のちょっと広めの和室に敷かれて畳の上でそのまま踊っている、という話も聞いたことがあります。(確認したことはないのですが)
 僕の通っている稽古場の場合は、師匠宅の舞踊用に作られた一室において稽古が行われています。
 幅、奥行きそれぞれが三間の部屋。そこには横三間、奥行き二間(?)所作台/あるいは踊る場所として一段高くなっている板床、が設置され、舞台正面側横三奥一のスペースが畳敷きになっている、そんな部屋ですね。
 そんなところで、ちんとんしゃん、と三味線音楽を聞きながら、やっとことん、と踊りの稽古をしている次第であるのです。

 ・遠い昔の最初の稽古日の記憶 
 日本舞踊の稽古がどのように始まるのか。
 それに関する記憶は、ほとんど抜けてしまっています。
 ただ、自己紹介や芸能に対する説明話はそこそこにさっさと体を動かす段階に入った事に関してだけは、予想外で驚いたので今もよく覚えています。
 そう、確か、最初は着物(というか浴衣ですが)を着せてもらいながら着方の説明を受け、部屋と所作台(踊るスペース)の説明を手短に終わらせると、あとはもう体を動かす時間。さっそく所作台に上がって一礼をすると、音楽が再生されて踊りが始まるのです。

 師匠が舞台の上手側(客席側から見て右)に立ち、弟子はその横に立つ。
 音楽に合わせて師匠が踊りだし、弟子はそれを真似して体を動かす。
 きりのいいところまで進むと、また最初から音楽がかけられ上の繰り返し。
 何度か繰り返して弟子が(とりあえず体を動かせる程度に)フリを覚えたという段になると、師匠は所作台から降り、正面から弟子の踊りを見る。

 流れとしては大体こんな感じでしょうか。
 習い始めの方は一つ一つの動きに対する説明が言葉多めに語られますが、それでも身体表現の芸能であるので言葉よりも実際に体を動かす事が優先されるのです。
 とにかく真似ろ。
 体を動かせ。
 考えるのはそれからだ。
 これが日本舞踊に関する基本姿勢だと僕は勝手に認識しています。
 しかし、当時の僕は言語による技術習得が当たり前の事だと思っていましたし、またバレエのポジションみたく基本動作を覚えるモノだとも思っていたので、礼の後いきなりの実践には度肝を抜かれ、またひどく困惑してしまいました。これまで日本で生まれ日本語のみで生きていたのに、突然「発音の練習もなしにアラビア語喋ってよ」と言われるみたいな気分ですね、これは。
 しかも、日本人がいきなりアラビア語を真似て発音をしてみたところでそれっぽい変な音が出るだけなのと同じように、日常とは非なる体使いをする舞踊においては頑張って体を動かしてみても一挙手一投足に納まりが悪く気持ちも悪い。
 なんか、最初の稽古は色々な意味で、主観的に散々な感じでした。

 書く事は他にもいろいろあるのですが、今回はなにやらもう面倒になってきたのでこれでおしまいです。
 では。
 

宇宙戦艦について思う事少々

2012-03-19 22:41:03 | ふと、思ったこと
 最近だと「もーれつ宇宙海賊」。古くは「銀河英雄伝説」。SFもの、というかスペースオペラに属しそうなジャンルの映像化された作品をみると、そのたび思う事がある。
 何故、それら作品に出てくる宇宙戦艦は、円錐というかラグビーボール型というか現在地球上にある飛行船と似たような方向性の形をしているのだろう? と。
 大気圏内航行仕様のモノであれば空気抵抗の関係から必然的に先端が尖った形になる事はわかる。
 でも、SFで戦艦が航海するのは海と入っても星屑の海なのだ。
 その海には大気は無いのだから空気抵抗など存在しない。星やらブラックホールなどといった引力の影響があるとは言っても、それには形もなにも関係しないだろうに。
 宇宙戦艦が概ねそんなデザインなのには、なにか明確な理由があるのだろうか?
 とりあえず、大気圏内というか重力圏内で建造した戦艦をそれ自身の推進力で宇宙に飛ばすため、という理由ではない事は想像がつく。
 宇宙戦艦が跋扈するような世界観設定であるならば、当然(それがどのような形であれ)宇宙港やらスペースコロニーのようなモノも存在しているはずだ。宇宙空間内に工場施設が存在するような状態であれば、人は宇宙で使うモノを地上で作り一々宇宙までぶち上げる事はしないだろう。
 重力も空気抵抗も気にせず、そもそもそれが活躍する場所で戦艦でも宇宙船でも作るのが自然な発想という物だ。
 では、加速の際にかかる負荷を軽減するためか?
 これについては、僕は答えを想像する事ができない。なにせ知識がないから。
 宇宙空間には大気が存在しない為空気抵抗がなく、運動エネルギーは(何かにぶつからない限り)失われる事が無い、なんて事は知ってる。
 あと、物体が加速した際、光速に近づけば近づいただけ負荷がかかって、光速に達する頃にはその形をとどめてはいられない、なんて知識もうろ覚えてる。
 でも、これらの知識だけでは可能性を思い浮かべる事は出来ても、可能性の先の答えに至る事は出来ないのだ。
 いかんせん僕にはSFに関する知識がない。科学に関する知識にも欠けているし、思いつきは常に穴だらけではある。でも、というかだからこそ答えが気になり痒い所に手が届かないみたいな具合になってしまう。
 ああ、本当に、なんで宇宙戦艦は既存の航空機および船舶の延長みたいな形ばかりをしているのだろう?

 いや、どーせ、実物が存在しない以上デザインは書いたもの勝ちであり、円錐形が一番見栄えがいいから、とかそんな理由が正解なんだろうけどさ。
 でもやっぱり、明確な根拠を持ってその形になっていてほしい、と僕は思う次第です。

 追記:
 流線形。
 この言葉がどうしても出てこなかった!
 流×形、まで出てきて真中の文字が出てこない。
 水? 違うなじゃあなんだ? 思い出せない。みたいな具合で。
 円錐型という所、本当は流線形と書きたかったのです。

おこづかいちょう

2012-03-18 17:02:12 | そこに転がっている日常
先日、部屋を掃除していたらとーーーーーい昔の小遣い帳が出てきた。
 記録にはかなり穴が開いているけれど、それでも昔はちょくちょくとこんなの書いてたんだなぁ、自分。
 いや、ここに書いてある事全部、まったくもって覚えてないけど。
 
 えーっと、なになに。
 記録期間は小学校二年の四月から小六の十一月まで、か。
 小学校の頃は、学年×百。これが小遣いだったっけ。
 小遣いの使い始めは、メロンパン90円だって。今なら百円を超えるメロンパンが90円は、少し安いな。

 メロンパンを買ってからは、
 ガム、消しゴム、
 ガム、チョコ、
 消しゴム、あめ、ガム、
 ガム。
 とか買っているみたいだ。

 ……てか、どーなってんだ当時の自分。五十円のガムばっか買ってるぞ。それがどんなガムは覚えてないけど、いたく気に入っていたみたいだな。
 えーっとそれから、

 電池、電池。
 ……これは多分、ゲームボーイのための電池だな。
 使用するのは単三、四本。しかもそれも長期間もつわけじゃないから、電池の調達には苦労したっけ。

 で、お年玉が入ってから、
 水晶、
 アンモナイト、
 三葉虫、
 うに。
 ……あー、昔は宝石とか化石とか好きだったもんなぁ。
 ただの石ころもなぜか好きで、通学路にあった駐車場の石を吟味しては持って帰って溜めこんでた。当時の友人と一緒に。
 白地に黒ポチの花崗岩が一番人気。それ以外にも肌触りが良い石や、形が面白い石が僕たちには宝物だった。
 
 で、またガムと電池を買う日々が戻ってきて……、
 あ、最初の空白。
 時間が経って何買ったか忘れた、とか書いてある。
 これからはちゃんと書くようにする、とか反省の弁を述べているけど……これも長くは続かないんだよな。
 ははは。今のブログと一緒だ。
 毎日書く気でいて結局毎日は書かない、と。
 いや、今はもう開き直って、気が向いたときに書いて、できたら連日書くようにする、ぐらいな心境になってるけどね。

 小学校四年になると、買う物がおもちゃになってきたな。
 千五百円ほどため込んで、それ全部をカードにつぎ込んでる。
 他にもバトル鉛筆にメンコとか、あー、クラスで流行ってたもんな。
 うわ! 年齢がばれるなこれ。
 
 で、小5に進級した後はおもちゃ熱が冷めて、今度は食べ物ばっか買ってる。
 タコスまん。ポテチ。べビスタ。
 中華まんにガム、ジュース。
 そんなんばっか。
 毛色が違うのは一つだけ。
 なぜだか妹に百円寄付してるよ。何があったんだ、当時の自分? 
 まったくもって思い出せないや。
 
 そんなこんなで小遣い帳の記録は終わるのだけど、いやー、思い出がない記録って他人事みたいで変な気分だ。
 それは確かに自分の行動の記録なのに、心がこもっていないというか感情的な何かを書き残したわけではないので、感情を揺さぶるモノがまるでない。
 もう少し何か、心に関する事とか、なんで自分はそれを買ったのかとか、お金を使った時の情景とか書いておけば思い出せるものもあったのに。
 何か書き残しておこうよー、当時の自分。
 
 さて、せっかくみつけたけど書いた本人としてはまったくもって価値を感じないこれは、どうしたものだかな。
 廃品回収にでも出すか、燃えるごみにでも出すか、それとももう少し部屋の片隅に封印しておくべきか。
 日記的な物じゃないから読まれて恥ずかしいって事もないし、気長に考えるとしようかな。

日本舞踊の四方山話 4の後半

2012-03-17 22:45:35 | 習い事の事とか
 ・着物格差ここにあり:後編
 前半では日本舞踊を始めるには着物の調達が必要だー、とか男がそれを手に入れるのは難しいー、なんて事を書きましたが、後編では矛盾した事を書きます。
 そう。
 着物の調達なんて実は全然必要ない!
 男だって浴衣も着物も簡単に手に入ったりするモノだ!
 前半の記事も本当の話ですが、今書いた事もまたホントの話だったりしたりします。

 これを読んでいるどなたか様は、性別と身長はどんな具合になっていますか?
 ちなみに僕は、性別は女……じゃない事は上の記事でも触れているし以前の記事にも何度か書いたとおりです。
 で、身長はと言えば、平均よりはほんのちょっとだけ高めの、177センチとなっています。
 性別、男。
 身長、現在の平均よりも高め。
 ……着物を入手するにあたって、これらはなんと不利な要素なのでしょう!
 もし僕の性別が女だったら、身長がもう十センチ十五センチ小さければ、着物・浴衣の調達に苦労する事もなかったのに。
 
 稽古場や師匠の人徳にもよりますが……。
 稽古場という場所は日常的に着物を使う場所であり、また着物を着る人間が集まる場所でもあります。
 そしてその中には、着物好きの方やら日常的に着物を使っている方、という人間も幾人か混ざっているのです。
 和服は脇縫や背縫いなどビリビリと破れもするものですが、それと同時に大切に使えばそれだけ長く使えるもので十年二十年、はたまた世代をまたいで使えるぐらいに丈夫なモノでもあったりします。
 また、柄によっては着ることのできる季節や年齢に制限がある事もあります。
 それは、「まだ使えるけど、もう着れない」着物を生みだす事に繋がります。
 棄てるには惜しい不用品を、人はどのように扱うのか。
 家族や親類、友人などに着物を着る人間がいればその人に譲る事もあるでしょう。
 しかしそう言った人間がいない場合。そしてその人が稽古場に通っている場合、有効利用の場を容易に見つける事になるでしょう。
「これ、私はもう使えないんで、どなたか使えそうな方に譲ってください」
 と、様々な着物が師匠の手元に集まって来るのです。

 踊りの師匠はそのように託された着物を手頃なお弟子さんや同業者などに回しはするのですが、そのすべてを処理しきれず家に溜まっていってしまう事もしばしば。
 僕の師匠がそんな感じで、
「皆さん、使わない着物を持ってきて頂けるのはいいのだけど、溜まっちゃって置く場所がない」
 なんて台詞を聞いた覚えがあります。
 つまり、踊りのお師匠さんのところにはあぶれた着物がそれなりの数あるのです。
 だから、入門したいけど着物が手に入らない・安いモノが見つからないといった場合、師匠が着物を譲ってくれる事もあり、えっちらおっちら着物調達に走りまわる必要が、ない場合というモノも存在するのです。
 
 ……女の場合には!
 
 いや、男の場合にも確率は少ないのですがお下がりや提供品を手にする事もあるのです。
 それは、その稽古場に男性のお弟子さんがいたり男性同業者が所属している場合です。
 その場合にもやっぱり、いらなくなった着物や浴衣を譲ってもらえる事があります。
 僕の稽古場の場合師匠の兄弟子さんが時々遊びに来る事があり、「使えそうだったらあげるよ」といった具合で浴衣を置いていく光景を見た記憶があります。
 僕の一年先輩の兄弟子さんが、そのお下がりの浴衣を愛用していましたね。
 ただ、男のお下がりの場合、手に入る確率が少ない、の他にも落とし穴があります。
 女物の着物の場合、多少丈が長くとも着る時におはしょりで調節できるので、着るもののサイズにはそれなりの自由があります。
 一方男モノは、その手の調節をする事が出来ず、丈の合わないモノを着る事は出来ないようになっています。
 つまり、提供品があったとしてもそれが使えない場合が叩存在する、という事なのです。
 ええ、僕の場合みたいにね。

 あと一点。
 世の中には和服の古着屋というモノがけっこうあって、そこには千円五千円の浴衣がじゃんじゃんと並んでいます。
 古着屋であるからサイズは様々。あいがたい事に男モノも結構な数を取り扱っていたりします。
 ただ、古着屋に並ぶ品は一世代二世代上の人間のためにあつらえられた物ばかり。そりゃー、いらなくなった和服を古着屋に流す、という考え自体若い世代の物じゃないから、当然の事ですよね。
 ところで、昨今の日本の平均身長というものは戦前戦後から現在まで上昇の一途をたどってきた、という話は有名な事と思われます。

 さて、問題です。
 時代が進むにつれて高くなってゆく平均身長。
 古着屋に置いてあるのは上の世代のために作られた着物。
 男物は丈があったものしか着れない。
 最後におまけに、僕は現在の平均よりも身長が高い。
 これらの要素を組み合わせると、どんな結果が出るでしょうか?

 
 もし僕が女ならば!
 身長があと十センチ二十センチ小さければ!
 着物の調達に苦労などしなかったのに!

 ……以上を持ちまして、着物格差此処にあり、を締めさせて頂きます。
 駄文な長文にお付き合いいただい、誠にありがとうございました。

日本舞踊の四方山話 4の前半

2012-03-17 22:44:22 | 習い事の事とか
 ・着物格差ここにあり:前篇
 部屋の片隅に転がっている過去のメモ帳をめくると、僕が稽古場を見学した際に書いた日本舞踊を始めるにあたり必要なモノリストが書いてあります。

 浴衣。
 腰紐。
 角帯。
 踊り用ステテコ。
 足袋。

 日本舞踊は和服を着て踊る芸能なので、これを始めるのであれば着物をはじめとして(略式であれ)和装をするにあたり必要最低限の品の用意が必要になってきます。
 自前のモノを持っているならそれを使えばよいのですが、持っていなければ各自調達してこなければなりません。
 当然の僕も稽古場を見学した後、何も考えず入門でもしてしまおうと考えていたので、必要物品が手頃な値段で手に入るのか、あちこちの店を物色して回りました。
 意識して町を眺めれば、和服を扱っている店というモノはちらほらとあるものです。
 これならお安い浴衣もすぐ見つかるなー、と気軽に考えていたのですが……。
 なんと見つからない!
 探していた物は浴衣であり、探していた季節は二月の上旬だったという問題もあったのでしょう。
 しかしそれ以前に、店に並んでいるのは女性用のモノばかり。男性用の商品自体は、どこ店にもそもそも置いていませんでした。

 そうなんですよね。
 洋服に比べれば圧倒的に需要の少ない和服は、その需要を男女別に分けると七割八割が女性客で、残りわずかが男性客。
 町を歩いている着物の女性は少ないながらもちょくちょく見つける事が出来るのに対して、着物姿の男性はそれを見つけたならばその日は何か起こりそうな気分になるほどに珍しいんですよね。
 需要が少なければ供給も少なくなるのは当たり前の事で、男性用の和服はどこの店に行っても見つからない、という状況になってしまったのです。

 あの当時の僕は、あまりにも男物の浴衣を扱う店がないので、これはもう手頃な浴衣は手に入らないのだと新規開始習い事リストから日本舞踊を抹消したりもしてました。
 その後、偶然にも浴衣や周辺のモノが一気に購入できて、晴れて見学した稽古場に入門する次第になるわけですが、ともかく男物の着物や浴衣というモノはそれぐらいに手に入れにくいモノなのです。