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テクノロジーと霊性 technology and spirituality

2023-04-14 18:59:42 | 近未来

 

現代社会において、テクノロジーの進歩は人類に多くの恩恵をもたらしています。しかし、同時にテクノロジーの発展は、私たちの社会や個人の価値観、生き方に大きな影響を与えることもあります。このため、テクノロジーの発展に伴い、人類に必要なのは、霊性の成長です。

霊性とは、人間が本来持っている、精神的な部分のことを指します。この精神的な部分が成長することで、私たちは自己理解を深め、他者に対して共感や思いやりを持つことができるようになります。また、自分自身や周りの人々、自然界や宇宙に対するより深い意識を持つことができるようになります。

テクノロジーの進歩によって、私たちはますます高度な能力を持つようになりますが、それによってもたらされる問題や課題にも直面することになります。例えば、テクノロジーによって生まれる社会的格差や孤独、環境破壊などがあります。これらの問題に対処するためには、霊性的な成長が必要です。霊性的な成長によって、私たちはより深い意味を持つ人生を送ることができるだけでなく、社会や地球環境に貢献することもできます。

つまり、テクノロジーと霊性の成長は、相補的なものであると言えます。テクノロジーが進歩することで、私たちはより豊かな生活を送ることができますが、同時に霊性的な成長にも注力することで、より良い社会や地球環境を作り出すことができます。

 
 
 
 
 

As technology continues to advance, it brings many benefits to humanity. However, at the same time, technological progress can have a significant impact on our society, values, and way of life. Therefore, what humanity needs alongside technological progress is spiritual growth.

Spirituality refers to the spiritual aspect of human beings that we inherently possess. By developing this spiritual aspect, we can deepen our self-understanding and cultivate empathy and compassion towards others. We can also develop a deeper awareness of ourselves, others, and the natural world and the universe.

Technological advancements provide us with increasingly advanced abilities, but they also present us with problems and challenges such as social inequality, loneliness, and environmental destruction. To address these issues, spiritual growth is necessary. Spiritual growth enables us to lead more meaningful lives and contribute to society and the environment.

In other words, technological progress and spiritual growth are complementary. Technological progress allows us to live more enriched lives, but we can create a better society and environment by focusing on spiritual growth as well.

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リサ・ランドール  ブレーン宇宙論(brane cosmology

2022-11-15 08:08:42 | 近未来

 

 

現在、ハーバード大学物理学教授。プリンストン大学物理学部で終身在職権(tenure)をもつ最初の女性教授となる。また、マサチューセッツ工科大学およびハーバード大学においても理論物理学者として終身在職権をもつ初の女性教授となる。

 

ブレーンワールド(膜宇宙、braneworld)またはブレーン宇宙論(brane cosmology)とは、『我々の認識している4次元時空3次元空間+時間)の宇宙は、さらに高次元の時空(バルク(bulk))に埋め込まれた膜(ブレーン(brane))のような時空なのではないか』と考える宇宙モデルである。低エネルギーでは(我々自身を含む)標準模型素粒子相互作用が4次元世界面(ブレーン)上に閉じ込められ、重力だけが余剰次元(5次元目以降の次元)方向に伝播できる、とする。

 

リサ・ランドール、若田光一『リサ・ランドール 異次元は存在する』日本放送出版協会〈NHK未来への提言〉、

 

 

『ワープする宇宙』

『リサ・ランドール 異次元は存在する』の方は「未来への提言」を活字に起こしたもので、100ページ足らずである。宇宙飛行士若田光一氏との対談が主となっていて、『ワープする宇宙』の内容を簡潔に伝えるとともに、内気な数学少女だったハイスクール時代からハーバード大学の教授になり、5次元理論で頭角をあらわすまでのライフ・ヒストリーが語られている。
 『ワープする宇宙』は章の頭にアシーナという11歳の少女の物語を置いて、枕にしている。アシーナはタイムマシンで現代にやってきたアイク・ラシュモア42世という未来人に導かれ、『不思議な国のアリス』そこのこけの冒険をして5次元時空の不思議を体験する。ルイス・キャロルが大好きだというランドールらしい趣向である。
 ランドールの5次元理論は余剰次元理論の一種だが、余剰次元理論はひも理論から出てきた。ひも理論では万物は振動する微小なひもだと考えるが、3次元でひもを振動させると振幅が宇宙規模に広がってしまうので、9次元+時間の10次元時空で振動を考える。10次元時空の振動だときれいに振幅がおさまるそうだが、3タイプのひも理論ができてしまった。その後、次元を1増やして11次元時空を考えると、3タイプのひも理論が統一的に理解できることがわかった。これをM理論という。10次元時空の3つのひも理論は、11次元時空のM理論の特殊な場合というわけである。
 10次元でも11次元でもいいが、われわれが知覚できるのは縦・横・高さの3次元だけである。時間をくわえても4次元にすぎない。残りの次元――余剰次元――はどうなっているのか。
 余剰次元はミクロの世界に縮んでいるというのがひも理論の答えである。
 ストローを考えてほしい。ストローは離すと一本の線に見えるが、目に近づけてよくよく見るると円筒形をしており、長さにくわえて円周というもう一つの次元をもっている。余剰次元はストローの円周方向のように隠れているというのだ。
 余剰次元が本当にあるのかどうかはわからない。10次元にしろ、11次元にしろ、そう考えると式がきれいにまとまるという数学の都合の話であって、実証されたわけではない。だからひも理論でノーベル賞をとった学者はまだいない。
 縮んだ余剰次元を説明した条はみごとである。9次元+時間、もしくは10次元+時間であっても、3次元+時間と見なせることを、ランドールはニュートン万有引力の法則を例に説明する。引力は距離の二乗に反比例して弱まっていくが、これはホースで水をまくと、距離の二乗に反比例して水がまばらになっていくようなものだという。距離の二乗になるのは、水のまかれる面積が二乗で増えていくからである。水のまかれる面積が増えれば増えるほど、水はまばらになっていく。それと同じように、重力も距離の二乗に反比例して弱まっていく。
 もし余剰次元が縮んでいなかったら、重力は距離の8乗とか9乗で急激に弱まっていただろう。
 こんな説明はこれまで読んだことがなかった。しかもこの記述は重力が他の3つの力に較べて桁違いに弱い理由を解明した5次元理論の伏線となっている。
 『ワープする宇宙』が長いにはそれだけの理由があるのである。生クリームに砂糖をまぶしたような啓蒙書に物足りなくなっている人には、本書は打ってつけの本といえる。ランドールは先生として第一級にちがいない。
 
 
 
 

ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く

 

リサ・ランドール
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ひも理論は違う。これは純粋に理論上の疑問と着想にもとづいていて、まだ数学的に完全に定式化されてもいないから、その予言についても、確たることは何も言えない。

 

 

一つの次元があることに気づく。このときから、物理法則は── もちろん常識も── 人に「次元は三つだ」と信じこませ、それ以上の次元があるとは夢にも思わせなくする。 だが、時空はそうして思い描いてきた姿とは驚くほど違っている可能性がある。これまでにわかっている物理法則のなかで、空間に三つしか次元がないと断定できるものはない。別の次元── 余剰次元── が存在している可能性を検討もしないうちに切り捨ててしまうのは、性急にすぎると言えるかもしれない。「上下」が「左右」や「前後」とは別の方向であるように、まったく新しい別の次元が私たちの宇宙に存在していたとしてもおかしくはない。実際に目で見たり、指先で感じたりはできない。

 

余剰次元がかたる。

 

 

 

 

 

 

ワープする宇宙 5次元時空の謎を解く

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未来の未来  the future of the future

2022-11-13 10:50:06 | 近未来

https://youtu.be/1klh-ID2F9s

 

ここで、「未来の未来」を書いたジョン・マックヘールの言葉を聞こう。
『多くの解説者は、都市の過密化、および無制限な技術の複雑さへの成長という社会的な病理
が、現在の精神病、離婚、家族の分裂の上昇曲線で示されているという。殺人、強盗、婦女暴
行,青少年の非行、および一般犯罪の増加は、公衆道徳の低下、暴力、さらに、マス・メディア
にはんちんするエロに相応している。
地球でもっとも物質的に繁栄している国は、連続的な要人の暗殺にとりつかれ、その主要都市
では、放火、略奪、暴動の波に悩まされている。同時に、この国は、世界の向こう側の敵を、人
間が考えだした人間破壊のもっとも高性能の手段で撃破するために、何十億ものドルを費している。

 

そして、成人世界における暴力、汚職、社会的堕落によって、若ものたちは、社会の基本的規
総や公認された目標からますます離れていっている。ストレス症候群、は、このような集団や
個人の分裂という状退にまで達しているようである』たしかに、彼は、現代社会の病的な症状を適確にえぐり出している。
しかし、私は、その原因を、彼のいうような「都市の過密化、および無制限な技術の複雑さヘの成長という社会的な理による」ものとは思わない。また、単なるストレス症候群』によるの考えない。もちろん、私だって、あの有名な「病理的な群集心理」と名づけられたジョン・ル・カルフーンのハッカネズミとネズミの実験結果を知らないことはない。けれども、私は、そういうものももちろん要因のひとつにかぞえられないこともないであろうが、そのもっとも主たる原因は、ルネ・デュボスがいうように、「科学知識は過去において人間がよって立っていた伝統的価値を弱め、崩壊させてしまったのにもかかわらず、その代わりとなる新しい倫理体系
を提供せず、人間に生きる糧をあたえたが、生きる目的をあたえなかった」ところにあるのだ、

と確信する。そこから、人と人との連帯感が急速に失われ、不信と疎外がはじまり、そして断絶
がくるという現象が生ずるのだ。

倫理体系を失って、生きる意義や目的をはっきり示すことができなくなった社会は、当然、混
乱し、社会の混乱には個人の混乱が結びつく。
努力がはっきり結果に結びつかないような世界――あるいは、結果は単に偶然なものでしかな
いといった世界――いうならば、生きる目的と意義を見出すことのできない世界では、人間は、
努力する情熱を失ってしまう。実験でいろいろな混乱した合図をあたえられたネズミのように、
人びとは神経症にかかり、ついにはひどい不活発状態におちいるようになる。
こんにち、社会にはすでにこのような個人的ニヒリズムの兆候がいちじるしく見られる。それ
は突、物質主義、少ない利益でもよいから早く手に入れることを好む風潮などにあらわれ
ている。それはおそらく多くの若い世代——いわゆるビート族、ヒッピー族、フラワー族、ドラ
リップ、そのの社会基準への抗議とそれからの離反の背景をなすものであろう。これこそが「断絶の時代」と呼ばれているものである。
すでに数年前、私は「断絶の時代」のつぎにくるのは「憎悪の時代」であるといった。(大白身
第五号)個悪のつぎになにが来るか?来るのは「人間崩壊」であろう。無感動状態にはじまる
人間の前壊だ。そしてすでにそれがはじまっているのを、われわれは、世界の若ものたちの上に
まざまざと見ることができる。

これは要するに、機械系の発する巨大なエネルギーが、人間系のエネルギーを、ようしゃなく
おしつぶしてゆく必然の姿なのだ、と。つまり、あたらしいかたちの自然陶汰がはじまっている
のだ。かくしてホモ・サピエンスは崩壊し消滅する。かつてこの地上にさかえ、そしてどこかに
消えていったピテカントロプスやネアンデルタール人たちのように――。そのあとにどのような
ヒトが出現するのか?あるいはもはやヒト属は絶えてしまうのか。あなたはどう思うか?

 

Now let's listen to John McHale, author of "Future of the Future."
``Many commentators describe the social pathologies of urban congestion and the growth of unbounded technological complexity.
is shown by the current upward curve of mental illness, divorce and family splits. murder, robbery, rape
Rising rates of delinquency, juvenile delinquency, and common crime are associated with declining public morals, violence, and mass media
It is suitable for eroticism to be carried out.
The most materially prosperous country on Earth has been haunted by a series of assassinations of dignitaries, leaving its major cities
is plagued by waves of arson, looting and rioting. At the same time, this country will make its enemies on the other side of the world
Billions of dollars are being spent to defeat it with the most sophisticated means of human destruction that Hazama has devised.

 

 

And violence, corruption, and social depravity in the adult world have forced young people to break through the basic rules of society.
We are getting further and further away from the general and sanctioned goals. The stress syndrome is associated with such groups and
It seems to have reached a state of individual division.” Indeed, he accurately scoops out the morbid symptoms of modern society.
However, I do not believe that the reason for this is, as he puts it, ``due to the social rationale of urban congestion and the growth of unlimited technological complexity''. Also, don't just think of it as 'stress syndrome'. Of course, I am no stranger to the results of John Le Calhoun's mouse-and-mouse experiment, which is famously termed "pathological herd psychology." However, I can of course count such things as one of the factors, but the most important reason is, as Rene Dubos puts it, ``Scientific knowledge was based on human beings in the past. A new ethical system to replace traditional values ​​that have weakened and collapsed
He gave people the means to live, but did not give them a purpose to live.”

I'm sure. From there, the sense of solidarity between people is rapidly lost, distrust and alienation begin, and discontinuity
There is a phenomenon of coming.

A society that has lost its ethical system and is no longer able to clearly articulate the meaning and purpose of life will naturally become chaotic.
Disturbance, social turmoil is associated with individual turmoil.
A world in which effort does not lead to clear results—or results are merely accidental.
In a world where people cannot find purpose and meaning in life, humans
You lose the passion to make an effort. Like a mouse given various confusing cues in an experiment,
People become neurotic and eventually fall into a state of great lethargy.
There are already many signs of this personal nihilism in society today. that
It is manifested in suddenness, materialism, and the tendency to prefer to get things quickly even if it is a small profit.
ing. It's probably a lot of the younger generation -- the so-called Beats, Hippies, Flowers, Dora
Lip would form the backdrop for his protest against and departure from social norms. This is what is called the Age of Discontinuity.
Already a few years ago I said that the Age of Discontinuity would be followed by the Age of Hate. (Large white
No. 5) What will come next to the individual evils? start in a state of apathy
It's the predecessor of humans. And it's already happening, and we're giving it to the young people of the world.
You can see it differently.

In short, the huge energy emitted by the mechanical system can easily replace the energy of the human system.
It is an inevitable figure that will be crushed. In other words, a new form of natural pottery has begun
Noda. Thus Homo sapiens collapses and disappears. Once upon a time on this earth, and then somewhere
Like the disappeared Pithecanthropus and Neanderthals. what after that
Will humans emerge? Or will the genus Homo become extinct? what do you think

 

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社会における解体と変身

2021-10-04 17:48:16 | 近未来
社会における解体と変身  2

 

市川亀久弥先生

 

 つまり、お粗末なバラック建築だったら、前の古びた建物をとりこわしながら、同時に新しい廸物を建てていくこともできるのだが、高級な建築物になると、そうはいかない。まず、コワシが相当程度にこわしてしまってからでないと、手がつけられないということである。

 『その、質的飛躍を含んだ、展開パターンの自然史上におけるティピカルーエグザンプル(典型的な例)をつぎに取りあげてみることにいたしましょう。これが、図4(略す)に示しました昆虫の、完全変態の過程にあらわれてくる個体発生史上の展開パターンであります』

昆虫における解体と変身

 『いま、最終齢の段階にはいった昆虫、つまり、すでに幾回かの脱皮(昆虫の種類で異なる)を経て、サナギになる直前の段階、すなわち終齢段階の幼虫があるといたします。この幼虫のからだのなかには、それまでの幼虫独自の形態、つまり、あのイモ虫状形態を維持するために分泌されていたホルモン(幼弱ホルモンと命名されているホルモン)が、急速に減少していく段階が訪れてくるのであります。一度こういうことになりますと、幼虫は食糧摂取をやめてしまいます。そして、外形的にはあたかも休眠的な状態にはいっていくのでありますが、その虫体の内部では、それまで活性度の分泌レベルを低めていましたホルモン、すなわち、前胸腺といわれているところから分泌される△前胸腺ホルモン▽なるものが最大の活性レベルに到達するのであります。こういうふうになりますと、虫体は徐々に縮みながら〈前サナギ段階▽という段階を通って、ついに、あの特異な形状の△サナギ段階▽にはいっていくのであります。

 ところで、この前サナギ段階を含めましたサナギ段階と申しますところは、虫体の内部におきましては、空前の大変革がまき起こっている時期なのであります。

 ナなわち、前述の幼弱ホルモン(JH)の分泌レベルが落ちて前胸腺ホルモン(PGH)の分泌が高まってまいりますと、それまでの特有な幼虫の形態は、急速に細胞レベルにまで解体化を開始していくのであります。(ある幼虫器官の細胞は、アミノ酸のレベルにまで解体して、液状にまで達するといわれております)』

 実際、この記述のとおりであって、私は、この文章を読みながら、少年時代を思い出す。たいへん残酷なはなしだが、小学校へ通学しはじめた当時、道ばたの木の枝についているサナギをとって、いったいこのなかにどんな虫がはいっているのであろうかと、その年ごろの少年特有の好奇心のおもむくまま、手あたりしだい、サナギの皮をむいてみたものである。なかから、不気味な色をした液体がピュツと飛び出して手をよごし、そのときのおどろきと、気持のわるい感触がいまだに私をとらえている。あれはなんの幼虫であったのか、どろどろの液体のなかに、小さな黒いつぶっぶがいくつも浮かんでいた記憶かおる。

 さて、

 『他方、この幼虫器官の解体化がスタートするのにひきつづいて、それまで幼虫の体内の各所に、一群の細胞の小さな塊の形をとって、休眠状態を続けておりました部分、ナなわち、細胞分裂をくり返して、やがて成虫器官となるべき細胞粒(成虫原基)の活動が、解体した幼虫器官

の栄箆を摂取して、強力に開始されていくのであります。けれども、このような深度の深い、急激な解体と再構成活動のなかにありましても、解体しつくしてはいけない部分、ないし、解体することのできない部分がちやんと残されているのであります。いな、既存の前提が、すべて解体してしまったのでは、歴史的な継承発展にはなり得ないのであります。

 つまり、それまでの生理個体の過去の蓄積を土台として、これを未来に向かって、質的にレべルアップしていくことが、とりもなおさず進化の階段をのぼっていくことでありますから、当然、幼虫器官のもっていた生理器官のなかの、虫体としての根幹となるべきものは、変革のあとにまで継承されていくべきことはいうまでもありません。

 この、解体しないで、次段階にもちこされる器官がなにであるのかと申しますと、これが周知の、①気門系(高等生物でいうところの呼吸器)、②循環器系、③神経系といわれているところ

、生物個体の基本構造にあたる器官群であります。もとより、これらの三者が有機的に結合した形態をもって、適当な温度と、湿度と、酸素の生活条件の確保のなかにもちこされていくのであります。

 以上は、△完全変態▽をとる昆虫の変態過程を、質的飛躍を含んだ歴史的過程の、典型的な例として取りあげてみたものでありますが、この展開パターンをよく注意してみますと、これは一九五五年、わたしが提唱してまいりましたところの、創造の理論、すなわち歴史の論理の展開パターンとしての、△等価変換展開▽をみごとに実現しているものであることがわかります』

 といって、これを、社会構造の変革にひきくらべっつ、論点をすすめる。

 『ところで、以上に取りあげてまいりましたような、劇的な形態をともたった大変革というものは、変革、ないし創造的発展のもっております単純明確なるパターン、すなわち、ティピカルーエグザンプル(典型的な例)ではありますが、つねに、実在する歴史の創造的展開が、こういう昆虫の完全変態パターンにみましたような、劇的な形態をとり続けているわけではありません。その本質としては、変革パターンとしての、等価変換パターンを取りながらも、これをより長い時問経過のなかに、小出しにして、質的展開を実現している場合のほうが、ものごとの歴史的な展開過程における一般形としてみると、はるかに多いのじやないかと思います』

 つまり、いっぺんに大変革をしないで、少しずつ、小出しに変化していく。これが、昆虫の△脱皮▽といわれている段階の変化である。

 周知のように、昆虫の成虫は、すべて、この脱皮といわれている段階的な△皮ぬぎ作業▽を何回かくり返したのち、その最終段階にはいって、はじめて羽化と呼ばれているところの大変革に突入するわけである。これは、不完全変態の昆虫(トンボやセミなどがその典型)、完全変態の昆虫(ハエやチョウやがなどがその典型)にかかわらずI様にたどる経過なのである。

 『ところで、以上の脱皮過程における発展のメカニズムは、もう少しくわしくみると、どのような内容になっているのでありましょうか。現代発生学上の記述を総合いたしますと、およそ、その概要は図6のごときものとなっているのであります。

 すなわち、すでにふれてまいりましたように、昆虫の体内では、幼虫的特徴の維持やサナギ化の開始などが、二種類の内分泌ホルモン、すなわちJHとPGHの両ホルモンの活性レベルや、幼弱ホぞモシ(JH.)前胸腺ホ,レモン(PGH)

図6脱皮過程におけるホルモンの影響模式図と等価変換展開

その時間的な交換によってコントロールされているものでありました。この言スムは、そのまま小変革過程としての、脱皮の出現過程のなかにもあてはルモン制御のメカるのであります。

 すなわち、図6の上部に示しました左端の脱皮点を出発点にして眺めてみますと、JHは、またたく問に急上昇して、活性度合の最大値に達してから、以後、しだいに降下のカーブをとってレベルーダウンしてきます。これに引きかえまして、PGHの分泌量、すなわち、細胞の活性度合のほうは上昇を開始して、つぎの脱皮点の直前くらいのところで最大点に達するわけであります。その直後に、これまた、PGHの分泌も急降下してきます。つまりJHも、PGHも最低にいたるわけでありまナが、この時期に、いわゆる脱皮が起こってくるのであります。

なにょりもまず虫体のスケールーアップを実現しておりますことがわかります。しかし、より注意ぶかく眺めてみますと、

前段階の幼虫に特有な形態や機能の一部が消滅して、脱皮後の段階には、それまでに発現していなかった新しい形態や機能を認めることができます。

 これはいったい、どういうことかと申しますと、脱皮という成長過程の作業では、虫体の形態や機能の大部分は変わらないけれども、ほんの一部分は完全に入れかわっているのであります。

以上の観察によりまして、小変革パターンとしての脱皮のメカニズムはだいたいおわかりいただいたのではないかと思いますけれども、ここで、そのしめくくりとして、もうひとつだけ申しそえておきたいことがございます。それは、虫体の内にあって、きびしくそれぞれの変革過程をゴッドローナなわち、PGHの分泌が最大に達した直後に起こってくるのであります。このことは、脱皮を

つくり出す主要因は、JHでなくて、PGHであろうという考察を生むことになり、PGHのこ

とを△脱皮ホルモン▽という名で呼ぶにいたっているのであります。

 さて、さきに述べました幼虫の最終齢段階にはいりますと、JHはストップして、ついに回復

しないことになります。このことからJHの主たる制御作用は、幼虫形態を維持するものであろ

うというふうに考えられて、JHという名称、ナなわち幼弱ホルモンということに理解されてき

たのであります。

 しかしながら、変革の論理、ないし、創造の論理を考える立場から大局的に申しますと、この

JHというのは、主としてシステムの現状状態を継続する作用をもち、PGHのほうは、主とし

て新しい組織の増殖を活性化する作用をもっているように考えられるのであります。

 いずれにしましても、この場合の脱皮という名の小変革、すなわち革新度の低い創造的展開は、まずシステムの全体性を保持するための働きと、この保持されたシステムの制約を生産的にはみ出していく働きとの、時間的にバランスのとれた、入れかえ作業のもとに出現しているものであることがわかるのであります』

 つまり、″脱皮”は、私がさきに述べた″バラックの建築”であって、とりこわしと、新築が、平行してバランスをとりつつ進行していく、ということである。

 そうして、今までの、生産出力増大に対応するための社会システム変革は、この″脱皮”の変革であり、それでなんとか事たりてきたのである。

 だが、現代と、そしてすぐ間近にせまっている未来社会は、人類に、どんな種類の変革を要求しているというのであろうか? それについて、市川氏はっぎのように論ずる。

ふたたび、社会における解体と変身

 『さて、昆虫発生史にあらわれてまいりました変革パターンの考察は、しばらくのあいだおあずけにしておきまして、つぎは人類の社会システム史にみられる変革の展開パターンと、その変革要因の問題を考えてみることにいたします』

 と、氏は、″人類の社会システム史における最終齢の段階”と名づける項において、人類史における過去の変革をとりあげる。

 『まず、古代において、新しい社会的な方式としての農耕生産経済が発明されて、社会的生産出力が「社会的余剰」を生むところにまで到達して、大規模な神殿の造営能力を持つようになる

と、他の隣接氏族社会からの掠奪をまぬがれるために城壁をもうけたり、あるいはフルタイムースペシャリストとしての、戦闘人口を養いうる経済段階にはいっていく。つまり、軍隊を持つ段階にはいったわけである。

 もとより、こういう生産出力の増大は、地下水が湧き出たように突如として出現したものではなく、氏族共同社会としての、それまでの初歩的な社会システムのいくっかのものに、自然発生的にあらわれてきたものであるから、それまでの社会システムの制御パターンの中心部は、シャーマニズム(未開宗教のひとつ)におけるシャーマンなどに多少毛の生えたような、聖職者的レベルのものに統括されていたのであろうことが想像される。すなわち、祈祷や礼拝行事をつかさどることのほか、種まき、取り入れの時期の指示、あるいは供物の財産管理などより多くを出なかった。原始的な段階の神官を中心とするものであったと考えられる。

 しかるに、前に述べたような生産出力の増大-1社会的余剰貯蓄――軍隊組織、というような社会システムが組まれてくると、それまでの神官や祭官を中心とした社会体制は崩れてくる。

 このような段階におきまして、ひとたび、近接の氏族社会とのあいだに戦闘状態でも勃発するということになりますと、それまでの社会システムのなかの、唯一の情報の蒐集伝達体制でもありました神殿を中心とする組織、すなわち、前述の原始的な神宮を中核とする組織は一転して、人びとの生命の安否にかかわる軍事的な計画や、その戦闘命令をつかさどる体制に転換するにいたるであろうことは、容易に想像できるわけであります』

 こうして軍隊ができあがると、たとえそれが史上もっとも原始的な軍隊であろうとも、それを指揮統括ナる司令官が存在しなくてはならない。

 『かくして、人類史上初の、ひとりの人物を中心とした、指示と命令のための絶対的な強さをもった制御パターンの体制が誕生することになってくるのであります。戦闘のはじまる前段階までは、前述の原始神官的な権限より多くを出なかったはずのひとりの人物と、それにまつわる人間関係が、戦闘の勃発を契機として、きわめて短日月のあいだに、強大な専制的権力と、それにまつわる官僚体制を生み出していくことになっていくのでありまナ』

 強力な司令官は、やがて全軍隊を統括し、「王」への階段をのぼり、ついに「王座」につく。

一砲兵少尉であったボナパルトが、やがて、「ナポレオンー世」として君臨した原型がそこにある。

 『事実(歴史における科学)の著者バナールも、これとほとんど同様な考え方によって、上古代の神官より、王への質的移行過程を考えてきております。これをわたくし流に申しますと、氏族共同体的な社会システムの、生産性が高まってきたある段階におきまして、原始神官と、それにまつわる制御システムのパターンに亀裂ができ、そのなかから、古代神聖王朝特有の強力な官僚的体制が、あたかも前述の脱皮を思わしめるようなプロセスをたどってあらわれてきたものであります』

 つづいて、氏は、図表8をつかって、以下の変革を説明する。

 『図における人類史の模型的表示は、人びとによってこれまで承認されてきました時代区分を前提にして、社会システムにおける創造的発展のための二つの要因の、時間的な変遷を、(T)部と(C)部との相関関係を軸にして、これを時間のものさしの線上に対応させてみたものであります。つまり、図における破線は、生産出力の社会的な活性度(社会システムに対ナる影響度合)を、また実線は、アブソリューティズム(絶対制)としての、宗教的な価値観を軸とする社会プソリューティズムを背景にした価値の役割のあった人類史段階  

社会的な牟産出力

・(Positive l゛eedbackをして系を前向きに変える役割)

生産力と価値体系を含む制御パターンの活性度

SuperCaalt)(氏族社会)(古代社会)(中世社会)(近代社会)ほぶJS]1〔超人類社会〕

       国家の誕生

 

 生産力と生産関係の矛盾によって出現した小変革、すなわち

 〈宗教革命の形を合んだ社会革命〉の起こった場所

 

  図8 人類の社会システム史にあらわれた等価変換展

    開パターンの模型

的規範、すなわちおの’おのの段階における慣習や価値基準にバックアップされた制御パターンとしてのモラルの、△社会的な活性度▽を表わしているものであります』

 図は昆虫の脱皮変身をつかさどるホルモン、JHとPGHのはたらきと、社会変革の動きとを

対応させてあらわしている。つまり、JH・幼弱ホルモンは、現状維持ホルモンとして今までの社会体制を維持してゆくところの警察権力や、行政施策を含む秩序維持のための社会的活性度であり、PGH・前胸腺ホルモンは、発生促進、すなわち現状変革ホルモンで、現体制をつき動か

してゆく可変的な生産出力活性度をあらわす。

 そこで、

 『社会的な生産出力の活性度がずっと上昇してきまナと、この対応原理にもとづいて、それまでの価値体系、およびそれにもとづく制御的な支配の官僚体制は、そのままの状態では十分な制御能力を果たしえなくなってまいります』

 つまり、ここにいたって、世にいうところの<社会革命▽なるものがまき起こってくるわけで、

 『これは、実に社会システムの発展史上における脱皮現象だったわけであります』

 そうして、そこでは、

 『必然的にそれまでの価値基準としての、権威をささえてきておりました神さまは、この新段階ににいたって、より普遍性をもった内容のものと取りかえなければなりませんでした。換言いたしますと、そこではなんらかの意味におきまして、いわゆる宗教革命をともなうことになっていく

のであります。

 そのようにして、社会システムの発展史というものは、社会システムの制御パターンの発展史、ナなわち、管理体制の変革的な脱皮の歴史でもあったことが理解できるのであります。

 したがいまして、古代、中世、近代にいたる社会システム上の脱皮過程というものは、これを巨視的に眺めてみますと、大要、以上のように理解していくことが可能になるのであります。

 具体的に申しますと、キリスト教とか、仏教とかの創唱的な大宗教活動におきましても、社会システム上における制御的な役割というものは、以上の解釈で、そんなに大きな見当違いを犯していることはない、と思っているのであります。

 ただ、ここで注目しておいていただきたいことは、近代社会の役割、すなわち、実質はともかくとして、一応、△主権在民▽をかかげて出現した<近代デモクラシー▽の社会におきましては、神観念の代行者的な役割を果たしていくための△人権思想▽とか、△人民主権思想▽とかを別にして考えますと、それまでの長い人類の社会システム史に強度の役割を発祥してきました、

アブソリューティズム(絶対制)としての神観念というものは、ふたたびその社会システム史的な意味を表わすことは、おそらくなろうと思います。周知のように今日では、<富の生産のた、あるいは、ある種の思想(イデオロギー)とかの権威が、それに代わっているのであります。しかも、

七〇年代の現時点におきましては、この△神観念的代行物▽の制御能力もまた、急速に薄れかけていることはご承知のところであります』

 つまりカミーホトケという″絶対的なもの″もまた、社会システムにおける制御のパターンのひとつであったのであり、いうなればJHホルモンであり、そういう意味では、警察権力や行政施策とそんなに変るものではなかったということである。したがって、ある時期において、それらの宗教は、△人指思想▽とか、△人民主権思想▽にとってかわられてしまった。脱皮した社会システムに無用のものになってしまったのである。けれども、その敗北と時代の流れを察知できない宗教人たちは、もう現代に通用しない古い思想を現代的に装飾して、現代科学の行きづまりの間隙を突いて「第三の文明」というようなものを創造すると号したが、それも、富の生産のためだとか、<大衆のため▽だとか、あるいは、ある種の思想(イデオロギー)とかの新しい権威の前には、当然、無力であり、そのために、それらの宗教団体は、宗教を捨てて。政治活動″に転換(変革)せざるを得なくなってしまった。(それもまたひとつの脱皮であろう。呵々)

 第三の文明を創造するといってたちあがった新しい宗教団体が、結局は、政治活動にその大半のエネルギーを向けざるを得なかったという事実は(それはもはや宗教団体ではない)、まさしく市川教授が指摘されている通り、従来の、カミーホトケというものを礼拝し、ごりやくをほい宗教が、もはや現代の社会システムに適応しなくなってしまっているというちは、そういう存在を無意識のうちに求めながらも、やむを得ず、そういう宗教に憩いを求めるか、もしくは絶望して、宗教というものから遠くはなれてしまっている。

 しかし、それはそれとして、一九七〇年代の今日、神観念にとってかわった〈富の生産のため▽だとか、△民衆のため▽だとか、あるいはある種のイデオロギーだとかの「神観念的代行物」もまた、ナでに、その権威を急速に失いつつあることは、もはや「ご承知のところ」であろ

『さて、話をふたたび図8のところに戻しましょう。さきほども少し言及したのでありますが、神観念的な、アブソリューティズムの代替物で、その社会システム史における制御パターンの役割を、かろうじて遂行させてきました近代のデモクラシーにおきましても、前述のように、新しい限界が出現してきましたことは、今日だれも否定することはできなくなっていると思いす。

 すなわち、社会的な生産出力のひとつの頂点を象徴ナるアメリカの宇宙計画では、人間の乗ったロケットが地球と月の間を無事に往復することができました。けれども、ひとたび地上の人間の世界に目を転じますときには、公害という名の<環境汚染▽を頂点として、幾多の世紀末的な混乱はとどまるところがありません。しかも、△大衆デモクラシー▽として出発しましたはずの、近代の政治形態のなかでは、意味の大半を失いかけた△形式的な多数決原理▽なるものが、いよいよ自己運動的にのたうちまわっているように思われるのであります。

 -‐このようにして、人類の社会システム史を、過去一万年のあいだつらぬいてきました制御パターンのアブソリューティズムというものは、いっきょに消滅する段階が訪れたものとみなくてはなりますまい。このことは近代自然科学と、そのバックーアップのもとに巨大化してきました、現代工業技術の、社会システム上におけるウェイトの必然的な結果としてあらわされてきたものでありましょう』

 さて、それで、結論はどうであろうか?

 『以上を、前述の昆虫発生史に対応をつけていいますと、人類の社会システム史は、いわゆる小変革としての脱皮の段階を通り越してしまって、いまやサナギ化の段階としての、空前の解体段階に突入しているらしいことを意味していると思います』

 いまや、まさに、人類は、皮をひんめくると、なかから青ぐろい液がビュツと吹き出す、あのサナギの解体状態とおなじ状態になってしまっているというのである。

 『端的に申しますと、今日の段階における社会システムというものは、おそらくそういう状態のなかに投げこまれているようであります。だといたしますと、人類史における完全変態的な、再構成的な救済方法を考えなければならない。でなければ、現代史は解体しっぱなしの状態にはいって、やがて糾添紗むかえてしまうのじやないかと思います。

 考えてみますと、脱皮に該当する小変革にすら、うまく通過することができなかったために、

完全に消滅してしまった古代文明は、ナイル河畔、中近東、あるいはユカタン半島などを調べてゆけば、けっして少ない数ではございません。いわんや、解体の深度と、変革の規模の大きさから考えまして、人類史上における現段階の危険度というものは、当然のことながら、なみたいて

いのものではありまナまい』

 では、いったい、人類はどうなるのか?

 解体しっぱなしで、ドロドロの液体状態の混乱のなかで、ホモーサピエンスは絶滅してゆくのか? 市川亀久弥先生はどのような予測をなされるか?

つまり、大なり小なり戦争や、搾取や、ライバル意識などにふりまわされてきたこれまでの、ホモーサピエッス的段階の延長線上における脱皮なのではなく、社会システム史における完全変態を確立したあとの、いわば△超人類史的段階▽への移行の可能性が訪れているのであります』

『以上の私見にたいした誤りがなかったとしますならば、おそらく、人類史におけるつぎの段階。は、アブッリューティズムという名の、有効性が保たれていた幼虫的段階から、羽根や管形口器の獲得に該当する、まったく新しい人類史的段階への脱出が待ちかまえていることになりまナ。

                   おお、これぞ、ティヤールードーシャルダン神父がぜったい信じて疑わなかった超・ヒト、ジョルジューオリヴィエ教授が予測するホモーエクセレンスが現実に生きる超人類社会CSociety of state homo saPience)の実現である。なんとすばらしいことではないか。みにくいサナギも蝶になる。にんげんばんざい、ホモーサピエンスぽんぽんざあい!

 ちょ、ちょ、ちょっと待ってもらいたい。そんなところでおどっていては困るんだ。少々、はやすぎる。そうはいかないんだなあ、これが。

 そのあとにつづく市川先生のコトバがたいへんきびしいのだ。

『しかし、それは、単なる可能性が残されている、というに過ぎないのでありまして、サナギ化の解体段階で、完全にその命脈を終わってしまう可能性のほうがより高いのかもしれません。その心配の種と申しますもりは、従来の、社会システム上の変革段階にくらべて、解体の深度がひじよう把大きいことです。したがってまた、この解体過程のなかにもちこまれる試行錯誤の過程にあらわれてくる、社会的なエントロピー(熱力学上の抽象的な量の単位)の増大化(無秩序化)には、予断を許さないものがあると考えなくてはなりますまい。

 つまり、現代の巨大化された機械文明というものは、ひとたび収拾のつかない状態におちいってしまったら、。あんがいにもろいことが予想できるわけであります』(引用文中の傍点は著考)

 で、では、ヤッパリダメナンデショウカ?

 なんだい、急にショゲてしまったじやないか。

 いや、そうでもないのだ。

 ここに、さすがの市川亀久弥先生もお気がっかなんだすばらしいシステムがひとつあるのだな。市川先生は、せっかくいいところまで肉迫しながら、まったくの専円ちがいのために惜しくもお気がつかれなんだ超人類社会創造のための唯一のシステムがここにあるのだ。

 地を這うみにくいイモムシが、一転してサナギとなり、つづいて春の中空を花から花へうららかに飛び交う、羽翼のいろもあざやかな蝶へと変身してしまう、すばらしい技術とシステムが、ここにある。

 サナギはかならず蝶になるのだ。

ヒトにおける解体と変身

 拙著「変身の原理」において、私は、湯川秀樹博士の文章を引用し、ひとつの道に秀でたすぐ

れた才能は、べつの世界においてもおなじようにすぐれた才能を発揮するのであろうという意味の讃辞を、この偉大な科学者に呈したのであったが、いままた、この本で、それとまったくおな

じことばを、湯川氏のお弟子である市川亀久弥氏に呈さなければならないことになったということは、これはいったいどういう因縁というものであろうか。

 「変身の原理」で、私はこのように述べた。

 『両極端は一致するというけれども、ひとつの世界をきわめた知性はまったくべつな世界にたい

しても、凡人のおよばぬ洞察をなすものなのであろうか。

 私は、つぎに述べるような湯川秀樹博士の文章を目にしたとき、思わずわが目を疑うほどのおどろきを感じたものである。湯川氏は科学について述べておられるのであるけれども、私には、

それがそのまま(密教)について語っているのではないかと思われるものであったのだ』

 この文章とまったくおなじ言葉を、私は、ふたたび、この本で、今度は、市川亀久弥氏の、

「等価変換展開理論」の、サナギの変態脱皮論にたいしてささげなければならなくなったのである。

 

 なぜならば、市川氏が説くこの理論のなかの、昆虫の脱皮過程における発展のメカニズムこそ、そっくりそのまま、’密教の持つ、超能力開発・変身の技術のシステムだったのである。

 「破局からの創造J55頁で、氏は、このように述べておられる。

 『i以上の脱皮過程における発展のメカニズムは、もう少しくわしくみると、どのような内容

になっているのでありましょうか。現代発生学上の記述を総合いたしますと、およそ、その概要

は図6のごときものとなっているのであります。

 すなわち、すでにふれてまいりましたように、昆虫の体内では、幼虫的特徴の維持や、サナギ化の開始などが、二種類の内分沁ホルモン、すなわちJHとPGHの両ホルモンの活性レベルや、その時間的な交換によってコントロールされているものでありました。このホルモン制御のメカニズムは、その生生小変革過程としての、脱皮の出現過程のなかにもあてはまるのでありま』(傍点は著者)

 文中の、″このホルモン制御のメカニズム″は、そのまま、密教のヒト改造の超技術に ″あてはまる″のである。

 いや、この″ホルモン制御のメカニズム″こそ、密教の秘密技術の根幹となるものだったのである。

 

 密教は、五〇〇〇年ものむかしに、この″等価変換展開理論″という現代のすぐれた科学者が提唱する創造理論をナでに技術化して、その体系のなかにとり入れてしまっていたのである。

 いったい、いかなるすぐれた叡智がそれをなしとげていたというのであろうか?

 前の頁で、私は、ながながと市川教授の文章を引用させていただいたが、それはこのことを説明したいためだったのである。もちろん、それだけのことではなく、人類史における各変革段階を、それは生産出力の増大とそれに対応する社会システムの制御パターンの変革にほかならないとする今日的な視点に立ったとらえかた、そして、現代文明の危機こそ、まさに、この、生産出力の飛躍に対応する社会システムの制御パターンの行きづまりであるという明快かっすぐれた論旨も知っておいていただかねばならぬ必要もあったからであるが、最大の理由は、密教のメカニズムと近代創造理論の関連について説明したかったからである。

 市川氏は、すでに前に引用した文章のなかでこう述べておられる(320頁参照)。

 『この幼虫のからだのなかには、それまでの幼虫独自の形態、つまり、あのイモ虫状形態を維持するために分秘されていたホルモン(幼弱ホルモンと命名されているホルモン)が急速に減少していく段階が訪れてくるのであります。(中略)、ところ、この前サナギ段階を含めましたサナギ段階と申しますところは、虫体の内部におきましては、空前の大変革がまき起こっている時期なのであります。すなわち、前述の幼弱ホルモン(JH)の分泌レベルが落ちて前胸腺ホルモン(PGH)の分泌が高まってまいりますと、それまでの特有な幼虫の形態は、急速に細胞レベルにまで解体化を開始していくのであります。(中略)』

 そうして、「それまでの生理個体の過去の蓄積を土台として、これを未来に向かって質的にレベルアップしていく」という進化の階段をのぼっていくわけである。

 これが、そのまま、密教の特殊技術なのだ。

 ヨーガは、訓練によっそヒトに超能力をあたえる。それは、それまでのヒトを一変させる。まったくべっなヒトに変えてしまう。ときにはヒト以上の存在にさせてしまうことも稀れではな

い。いうなればヒトにおける″変革″″脱皮″である。

 変革と脱皮についての市川教授の理論を聞こう(破局からの創造53?54頁)。

 『たとえば、不完全変態の昆虫と申しますものは、大局的にいいますと、以上にとりあげました

等価変換展開を、段階状展開とでもいうべき、ステップーバイーステップ方式によって、小出しにして、所定の変革を実現しているのであります。いな、劇的変換をみせている完全変態の昆虫といえども、一度にかかる発生過程上の新段階を実現したわけでは尨く、おそらく不完全変態の

段階を、ある過去の時代に通過しているものであることはいうまでもないと思います。

 つまり、以上を大川的に巾しますと、に比虫進化史の過程にあらわれた仙体発生史における創造的展開は、はじめの段階において、小出しの変革過程をくり返しているうちに、ある特定の種の祖先のなかに、最後の小変革段階である聊ヤの段階を、徹底した大変革のパターン(完全変態)に移行せしめていったものらしいのであります。(中略)           ゜

 さて、大要前述のようなプロセスによりまして、~完全変態の昆虫におきましても、サナギ化にはいるまでの段階で経験ナるところの小変革は、いったいどういう形態をとって実現しているものでありましょうか。これが周知の〈脱皮▽といわれている段階にほかならないのであります。

 川知のように昆虫の幼虫は、ナベて、この脱皮と名づけられる段階的な△皮ぬぎ作業▽を、お

のおのの成長段階に応じて周期的にくり返し、その最終段階にはいって羽化とよばれております

ところの、羽根開きの段階にはいっていくのでありまナ。これは、不完全変態の昆虫、完全変態

の昆虫にかかわらず、一様にたどる経過なのであります』

 私か、古代ヨーガの技術をとり入れ、真言密教の理論にもとづき、開発編成した超能力開発の

トレーニッグーシステムは、ヒトに八回の脱皮をさせ、九回目に羽化せしめる。市川理論の表現

をかりれば、八回の小変革的段階を経て、九回目に徹底した大変革のパターン(完全変態)を完

成させるということである。

 カイユは、四回脱皮して、五回目にはサナギに変身、六回目には羽化して空に舞いあがる。私

の密教システムは、八たび変身、九回目には大超能力者となって物質世界を飛び越える。三次元

世界から四次元世界への飛翔である。それは、みにくい、不気味なかたちをしたサナギやイモム

シを、一夜にして可憐な蝶に変身させ、中空たかく舞いあがらせてしまう、奇跡としか思えない

驚異のメカニズムと、おなじ原理の上に立っているのである。

第一の発見―-オタマジャクシはいつカエルになるか

 ひらひらと花から花へ、いみじくも詩人のルナールが恋文の配達人とうたった可憐な胡蝶の舞

いナがたにじっと見とれているひとにむかって、あれは、あのオソ毛をふるう毛虫やイモムシ、

サナギが変化してああなったのであって、つい昨日までは地面をみにくく這いまわるいやらしい

虫けらだったのだと説明しても、自然のメカニズムを知らないひとだったら、おそらくぜったい

に信じようとはしないだろう。とほうもないウソをつくひとだというのではあるまいか。それは

たしかに、それももっともだと思われるほどのおどろくべき変化である。

 けれども、いまは、そんなことくらいだれでも知っており、今さらだれひとりおどろこうとす

るものなどいやしない。ごくあたりまえの常識になってしまっている。

 だがI、

 

 ここに、いたって平凡な人間が、突然、非凡な能力を身につけて、想像を絶する偉大な力を発

抑しはじめる、いうならば、地を這う虫が突然空に舞いあがるような変化を起こナ不思議な技術があるといったら、ひとはまったく信じようとしないであろう。強いて強調すれば、頭のくるった諮人安恕狂、うさんくさいパッタリ屋の大山師とでもいうであろう。あるいは、、この両者はともに、自然があたえた″進化のメカニズム″を使って変身しているのだ

ら考えまして、人類史上における現段階の危険度というものは、当然のことながら、たみたいで
いのものではありますまい」
では、いったい、人類はどうなるのか?
解体しっぱなしで、ドロドロの液体状態の混乱のなかで、ホモ・サピエンスは絶滅してゆくの
か? 市川亀久弥先生はどのような予測をなされるか?
以上の私見にたいした誤りがなかったとしますならば、おそらく、人類史におけるつぎの段階
は、アプソリューティズムという名の、有効性が保たれていた幼虫的段階から、羽根や管形口器
の獲得に該当する,まったく新しい人類史的段階への脱出が待ちかまえていることになります。
つまり、大なり小な、戦争や、搾取や、「不バ心意識などにふりまかされてきたこれまでの、小

い占いが的階の延長線上にかける豚皮かのではなく、社会システム史における完全変
むかいたかとか、いかぶへ巡人類史的段階V公の移行の可能性が訪ねていか であります』
おお、これぞ、ティヤール・ド・シャルダン神父がぜったい信じて疑わなかった超・ヒト、ジ
ョルジュ・オリヴィエ教授が予測するホモ・エクセレンスが現実に生きる超人類社会 (Society of
super state homo-sapience)の実現である。なんとすばらしいことではないか。みにくいサナギも
蝶になる。にんげんばんざい、ホモ・サピエンスばんばんざあい!
アア
ウルトラ・メー
あと、ちょ、ちょっと待ってもらいたい。そんなところでおどっていては困るんだ。少々は
する。そうはいかないんだなあ、これが。

そのあとにつづく市川先生のコトバがたいへんきびしいのだ。
『しかし、それは、単なる可能性が残されている、というに過ぎないのでありまして、サナギ化
の解体段階で、完全にその命脈を終わってしまう可能性のほうがより高いのかもしれません。そ
の心配の種と申しますものは、従来の、社会システム上の変革段階にくらべて、解体の深度がひ
じょうに大きいことです。したがってまた、この解体過程のなかにもちこまれる試行錯誤の過程
にあらわれてくる、社会的なエントロピー(熱力学上の抽象的な量の単位)の増大化 (無秩序化)に
は、予断を許さないものがあると考えなくてはなりますまい。
つまり、現代の巨大化された機械文明というものは、ひとたび収拾のつかない状態におちいっ
てしまったら、あんがいにもろいことが予想できるわけであります』(引用文中の傍点は著者)
で、では、ヤッパリダメナンデショウカ?
なんだい、急にショゲてしまったじゃないか。
いや、そうでもないのだ。
ここに、さすがの市川亀久弥先生もお気がつかなんだすばらしいシステムがひとつあるのだ
な。市川先生は、せっかくいいところまで肉迫しながら、まったくの専門ちがいのために惜しく
もお気がつかれなんだ超人類社会創造のための唯一のシステムがここにあるのだ。
地を這うみにくいイモムシが、一転してサナギとなり、つづいて春の中空を花から花へうらら
かに飛び交う、羽翼のいろもあざやかな蝶へと変身してしまう、すばらしい技術とシステムが、
37社会における解体と変身
なかぞら

 

 

 

ここにある。
サナギはかならず蝶になるのだ。
ヒトにおける解体と変身
拙著「変身の原理」において、私は、湯川秀樹博士の文章を引用し、ひとつの道に秀でたすぐ
れた才能は、べつの世界においてもおなじようにすぐれた才能を発揮するのであろうという意味
の讃辞を、この偉大な科学者に呈したのであったが、いままた、この本で、それとまったくおな
じことばを、湯川氏のお弟子である市川亀久弥氏に呈さなければならないことになったというこ
とは、これはいったいどういう因縁というものであろうか。
「変身の原理」で、私はこのように述べた。
『両極端は一致するというけれども、ひとつの世界をきわめた知性はまったくべつな世界にたい
しても、凡人のおよばぬ洞察をなすものなのであろうか。
私は、つぎに述べるような湯川秀樹博士の文章を目にしたとき、思わずわが目を疑うほどのお
どろきを感じたものである。湯川氏は科学について述べておられるのであるけれども、私には、
それがそのまま(密教)について語っているのではないかと思われるものであったのだ。
この文章とまったくおなじ言葉を、私は、ふたたび、この本で、今度は、市川亀久弥氏の、
「等価で検展開理論」の、サナギの変態脱皮論にたいしてささげなければならなくなったのであなぜならば、相川氏が説くこの理論のなかの、昆虫の脱皮過程における発展のメカニズム
そ、そっくりそのまま、密教の持つ、超能力開発・変身の技術のシステムだったのである。
「破局からの制造』5頁で、氏は、このように述べておられる。
ー以上の脱皮過程における発展のメカニズムは、もう少しくわしくみると、どのような内容
になっているのでありましょうか。現代発生学上の記述を総合いたしますと、およそ、その概要
は図ものごときものとなっているのであります。
すなわち、すでにふれてまいりましたように、昆虫の体内では、幼虫的特徴の維持や、サナギ
化の開始などが、二種類の内分泌ホルモン、すなわちIHとPGHの両ホルモンの活性レベル
や、その時間的な交換によってコントロールされているものでありました。この小心かい制御の
たか、は、そのまま小変革過程としての、胞皮の出現過程のなかにもあてはまるのでかいお
す。(得点は著者)
文中の、このホルモン制御のメカニズム』は、そのまま、密教のヒト改造の超技術に"あて
はまるのである。
いや、この"ホルモン制御のメカニズム、こそ、密教の秘密技術の根幹となるものだったので
こんなん
339 社会における解体と変身
ある。
参戦は、五○○○年ものむかしに、この『等価変換展開理論』という現代のすぐれた科学者が

提唱する創造理論をすでに技術化して、その体系のなかにとり入れてしまっていたのである。
いったい、いかなるすぐれた叡智がそれをなしとげていたというのであろうか?
前の頁で、私は、ながながと市川教授の文章を引用させていただいたが、それはこのことを説
明したいためだったのである。もちろん、それだけのことではなく、人類史における各変革段階
を、それは生産出力の増大とそれに対応する社会システムの制御パターンの変革にほかならない
とする今日的な視点に立ったとらえかた、そして、現代文明の危機こそ、まさに、この、生産出
力の飛躍に対応する社会システムの制御パターンの行きづまりであるという明快かつすぐれた論
旨も知っておいていただかねばならぬ必要もあったからであるが、最大の理由は、密教のメカニ
ズムと近代創造理論の関連について説明したかったからである。
市川氏は、すでに前に引用した文章のなかでこう述べておられる(効頁参照)。
『この幼虫のからだのなかには、それまでの幼虫独自の形態、つまり、あのイモ虫状形態を維持
するために分秘されていたホルモン (幼弱ホルモンと命名されているホルモン)が急速に減少してい
く段階が訪れてくるのであります。(中略)、ところで、この前サナギ段階を含めました サナギ段
階と申しますところは、虫体の内部におきましては、空前の大変革がまき起こっている時期なの
であります。すなわち、前述の幼弱ホルモン (JH)の分泌レベルが落ちて前胸腺ホルモン (PG
H)の分泌が高まってまいりますと、それまでの特有な幼虫の形態は、急速に細胞レベルにまで
解体化を開始していくのであります。(中略)」
そうして、「それまでの生理個体の過去の蓄積を土台として、これを未来に向かって質的に レ
ベルアップしていく」という進化の階段をのぼっていくわけである。
これが、そのまま、密教の特殊技術なのだ。
ヨーガは、訓練によってヒトに超能力をあたえる。それは、それまでのヒトを一変させる。ま
ったくべつなヒトに変えてしまう。ときにはヒト以上の存在にさせてしまうことも稀れではな
い。いうなればヒトにおける"変革""脱皮”である。
変と脱皮についての市川教授の理論を聞こう(破局からの創造8~弘頁)。
「たとえば、不完全変態の昆虫と申しますものは、大局的にいいますと、以上にとりあげました
等価変換展開を、段階状展開とでもいうべき、ステップ・バイ・ステップ方式によって、小出し
にして、所定の変革を実現しているのであります。いな、劇的変換をみせている完全変態の昆虫
といえども、一度にかかる発生過程上の新段階を実現したわけではなく、おそらく不完全変態の
段階を、いる過去の時代に通過しているものであることはいうまでもないと思います。
つまり、以上を大局的に申しますと、昆虫進化史の過程にあらわれた個体発生史における創造
的展開」、はじめの段階において、小出しの変革過程をくり返しているうちに、ある特定の種の
祖先のなかに、最後の小変革段階である羽化の段階を、徹底した大変革のパターン (完全変態)
に移行せしめていったものらしいのであります。(中略)
さて、大要前述のようなプロセスによりまして、完全変態の昆虫におきましても、サナギ化に342
はいるまでの段階で経験するところの小変革は、いったいどういう形態をとって実現しているも
のでありましょうか。これが周知のへ脱皮Vといわれている段階にほかならないのであります。
周知のように昆虫の幼虫は、すべて、この脱皮と名づけられる段階的な八皮ぬぎ作業>を、お
のおのの成長段階に応じて周期的にくり返し、その最終段階にはいって羽化とよばれております
ところの、羽根開きの段階にはいっていくのであります。これは、不完全変態の昆虫、完全変態
の昆虫にかかわらず、一様にたどる経過なのであります』
私が、古代ヨーガの技術をとり入れ、真言密教の理論にもとづき、開発編成した超能力開発の
トレーニング・システムは、ヒトに八回の脱皮をさせ、九回目に羽化せしめる。市川理論の表現
をかりれば、八回の小変革的段階を経て、九回目に徹底した大変革のパターン (完全変態)を完
成させるということである。
カイコは、四回脱皮して、五回目にはサナギに変身、六回目には羽化して空に舞いあがる。私
の密教システムは、八たび変身、九回目には大超能力者となって物質世界を飛び越える。三次元
世界から四次元世界への飛翔である。それは、みにくい、不気味なかたちをしたサナギやイモム
ジを、一夜にして可憐な蝶に変身させ、中空たかく舞いあがらせてしまう、奇跡としか思えない
に異のメカニズムと、おなじ原理の上に立っているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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桐山靖雄 ヒトを天才にする求聞持聡明法

2021-10-03 14:06:35 | 近未来
ヒトを天才にする求聞持聡明法

ヒトを天才にする求聞持聡明法
求間持聡明法は、ヒトを聡明にし、天才にするという真言密教に伝わる秘法である。
弘法大師空海が、若くしてこれを修し、大天才となったということで、夙に知られてい
る。また、新義真言宗の開祖、興教大師覚鏝(一〇九五1一一四二)が、七度、この法を
修して成功せず、八度目に悉地を成じ、成功したと伝えられる。覚鏝上人ののこされた業
績をみれば、上人もまた天才でめったことは疑いない。ただ残念なことに、四十八歳で亡
くりれている。
真言密教の求聞持聡明法には、三種の法がある。
虚空蔵求聞持
観音求聞持
如意輪求聞持
であるが、ふつう、求間持法といえば、空海が修して有名な虚空蔵求間持をさす。この
つぶさ    ぶつせつこくうぞうほさつのうまんしよがんさいしようしんだら・にぐもんじほう
法を、具には「仏説虚空蔵菩薩能満諸願最勝心陀羅尼求聞持法」という。
しかし、わたくしがこのたびこの本で発表する求聞持聡明法は、これらのいずれでもない。わたくしが独白に創成した求聞持法で、わたくしはこれに、だとによい
駄都如意求聞持聡明法と名づけた。
この駄都如意求聞持聡明法は、真言密教につたわる求聞持法とはまったくちがうものである。
二つの特徴がある。
それは、
一、クンダリニー・ヨーガのチャクラを覚醒して、超人的千不ルギーを発生させる。
二、その超人的干1 ルギーを、中国・道教につたわる導引・気功の持つ生気ルートに
のせて、体の各要所、要部にめぐらせ、行きわたらせる。殊に、大脳の中枢である間脳・視床下部に送りこむ。
この二つの方法を、独特の方法で完成したのである。これは、前人未踏の領域であるといってよいであろう。わたくしは、半生を、というより、一生をこの法の完成に注いだ。いまから約二〇年前に発行した『変身の原理』以来、わたくしの著書はこの本で四〇冊になるが、それらの著書のすべてが、この法の完成に至る道のりをあらわしたものであるといってよい。
わたくしは、この本で、わたくしの得たほとんどのものを、出来るかぎり、明らかにした。クンダリュー・ヨーガも、道教の導引・気功も、いずれも超人的能力を獲得するための
最高の法である。この世界にこれ以上の超能力開発法ぱない。この二つの法の欠陥を補正して融合させ、さらにあらたな創案をくわえて完成したこの駄都如意求聞持聡明法は、ヒ
トにおける究極の超能力開発法であると自負するのである。
もちろん、。後世おそる、べし”という諺の通り、今後、これ以上の超能力開発法も出るかも知れないが、しかし、それも、クンダリュー・ヨーガと導引・気功を融合させたこの駄
都如意求間持聡明法のライン以外のものではないであろうと確信している。
この法を、指導通りに修行するならば、確実に、ヒトの知能は二倍に、体力は三倍に飛躍強化されるであろうことを断言する。

天才は不老長寿でなければならない

求聞持聡明法は、たしかにヒトを天才にする。
しかし、いくら天才になっても、そのために、病弱になったり、若死にしたりしたのでは、なんにもならない。天才は、いつまでも若々しく、健康で、世のため、人のため、その才能を発揮するもの
でなくてはならない。(寝たっきりの天才など、まっぴらである)
求聞持聡明法修得をこころざしたわたくしは、つねに、四十八歳という惜しむべき短命に終わった興教大師党員上人が念頭にあった。上人は、おそらく、過酷な求間持法修行のため、法は成就したものの、体を痛め、寿命を損じたのにちがいなかった。
このことは、年少、結核を病んで何年も病床に伏した苦しい経験を持つわたくしにとり、その恐れの念が特に深刻であった。
しかし、この憂慮は、幸いにして杷憂におわった。
道教の導引・気功の秘法をとり入れたことが、この心配を吹きとばしてくれたのである。
すなわち、道教の導引・気功は、仙道の流れを汲むものである。そして仙道の理想は、不老長寿、生きながら神仙に化することを目標とする。
駄都如意求聞持聡明法は、特に不老長寿を目ざすものではなかったのだが、結果はそうなってしまったのである。
期せずして、仙道の理想が実現されることになったのだ。
神仙に化することだけはちょっとむずかしいが、不老長寿はかならず達成される。 わたくしぱ断言してよい。仙選の秘法がとり入れられているこの駄都如意求聞持聡明法
は、二十歳代の人ならば、三歳から五歳、中年以上の人ならば、十歳から十五歳、若返ることができるであろう。

あなたが高年者として修行に入り、年齢のために天才になれなかったとしても、いつまでも若々しい肉体と、そして決してボヶることのない求聞持脳だけは獲得できるであろう。
『求聞持聡明法秘伝』平河出版社刊。まえがき”より

「等価変換展開理論」

そんなことがほんとうにできるのか? いったいどうやってそんなことができるのだ、と。
それもたしかにもっともなことで、私自身、身をもってこの密教の秘密に挑戦し、自分でこの
技術を解明するまでは、ぜったいに信ずることができなかった。私は単身、五〇〇〇年の間秘密
のヴェールにつっまれてきたこの不思議な技術にいどみ、その秘密を解いた。それは、信ずるこ
とのできないほど精緻微妙な生化学に立脚したおどろくべき技術の応用であった。
たとえば、
さきにもちょっとふれたが、市川亀久弥博士は、最近の著作のなかマ(≒柚計器)お得意の
「等価変換展開理論」にもとづき、イモ虫からサナギヘの変化を例にして未来社会への脱皮を説
いておられる。この理論はまことにみごとで、まさにほれぼれするほどあざやかである。こと
に、イモ虫がサナギに変身する理論的うらづけは、近来しきりに輩出する未来論のなかで、まさ
に出 色のものであるというべきである。
ただ、まことに残念なことに、それは理論と説明と期待にとどまり、それをいかにヒトに応用
して実現させるかという方法を示していない。それは、もちろん、氏自身、同書のはしがきのな
かで、これは、″単に人類のあるべき未来社会に関するソフトーウェアの主張の範囲にとどまる
ものである”とことわり、この。ソフトーウェアに対するハードーウェアの具体的な提唱″は
″旺い将七に公長する~定である″ということであるから、われわれはまさに刮目してそれを待、ぐに、その″ソフトーウにアに対するハード・
ウェアの具体的な技術″を持っているのである。密教は、その持つ技術のひとつに、この市川理
論の「イモ虫からサナギヘの脱皮」技術を持っていて、数千年も前から、それをヒトの変身技術
に応用、実践していたのである。
密教は、現代の創造理論の大家が提唱する未来に関する花形理論を、とうに実践していたので
ある。五〇〇〇年も前にI。
地を這いまわることしか知らぬ生物であるイモ虫が、サナギになり、そして、空を舞う生物に
変身することは、二次元の世界に生きる生物が三次元生物に変化したことを意味するものだ。密
教がおなじ技術をもってヒトを変身させることは、三次元生物であるヒトをそれより上の次元に
飛躍させることを意味する。密教の変身技術はそれなのである。その生物の次元を変えてしまう
のだ。
しかも、それは、今までいわれてきたように、ただ神秘的、神がかり的なアイマイな方法でな
く、適確な生化学の技術をもっておこなうのだ。そうしてそれは密教の持ついくつかの技術のな
かのひとつに過ぎない。
いったい、どんな智恵がそれをなしとげていたというのであろうか? 密教の技術を神秘とい
うのなら、その点をこそ神秘というべきだろう。しかし、それは、それこそまさに数千年生え出
現した超・ヒトが、孤独にたえつつ、その持つ人類最高の智恵「照明智」を駆使してつくり上げ
た未来人のためのカリキュラムにほかならぬのだというよりはかないであろう。

さて、それでは、密教の技術に関係のある市川理論「等価変換展開理論」とはどんな理論か?
それがどのように密教の技術と関連があるのか?
それを説くまえに、もう少し知っておいていただかねばならぬことがある。
ここで、私は、密教とヨーガという二つのことばについて述べておかねばならぬと思うのだ。
拙著「変身の原理」で、私は、密教についてっぎのように述べた。少し長いが引用してみる。
『真言宗という宗派仏教と、密教すなわち秘密仏教とは、ふかいつながりかおる。だが、それは
どこまでもふかいつながりという関係であって、普通考えられているように、密教即真言宗、真
言宗即密教というものではないのである。
真言宗とは、インドにおいて発生し、大成した密教を、ああいう独白の形に体系化し、組織化
したものであって、密教そのものではないのである。密教のひとつの体系ではあるけれども、密
教そのものではない。
それは、それまでにほぼ完成していたけれども、分派し、多様化していたインド密教を日本密
教の開祖空海が、独自の見識と叡智によって、ひとつの体系につくりあげたということである。
おなじように、天台宗においても、天台密教というひとつの密教体系を組織完成しており、こ
れもまた、密教のひとつの流れということである。
そういうわけで、密教というものを正しく理解するためには、どうしても、]度、密教の原点
に立ちもどって考えてみなければならないのである。
密教は、最初、ひとつの手法(技術)であった。
けっして、最初から密教というひとつの宗教があったわけではない。
ゴータマーブッダがあらわれて、仏教というあたらしい教えを説きはじめるはるか以前、バラ
モンの時代から、インドには、入に超能力をあたえるひとつの手法があった。そういう手法が完
成されて、一部の人たちの間につたえられていた。それは、精神と肉体のきびしい錬磨から得ら
れる神秘的な力で、彼らは、それを、ひとつの技術にまでっくりあげていた。
われわれは、その流れのひとつを、現在、ヨーガのなかに見ることができる。(ただしそれは、
いまの日本で行なわれているアクロバティックな体操のヨーガではない。ヒマラヤの奥地の聖者
たちの間に伝承されている正統ヨーガである)
ヨーガは、その手法のひとつの流れである。この超能力を開発する技術は、仏教があらわれる
以前においてはバラモンにとり入れられ、仏教があらわれると、仏教もまたこれをとり入れた。
ゴータマーブッダは、かれ自身、この手法をまなんで、これにより超能力を持ったが、弟子た
ちにはこれを学ぶことを禁じた。なぜかというと、この技法によって多少の力がつくと、かれら
はすぐにそれがブッダのいう「ホトケ」という境地に達したものと考えてしまい、修行のさまた

げになるからであった。
ただし一部の、素質のきわめてすぐれた弟子たちには、ひそかにこれを許した。
ゴータマーブッダは、普通、神秘的な力を信じたり、修行者がそういう力を持つことを願った
りするのを全く禁じたというように、仏教学者や仏教者は信じているようであるが、それは間違
いで、ブッダ自身、神足({乱石の教理、すなわち、仏道を完全に成就するためには超自然的な
力が必要であるとし、超人間的な能力開発の訓練法を説いているのである。これは、パーリ文献
によって容易に証明することができるのである。(略)
それによると、それは、″四神足“または、″四如意足″ともいわれる超能力開発法である。
ブッダは、菩提を成就するためには、単に、知性や理性をみがくだけでは不十分であると考
え、知性や理性の限界をうち破る力が必要であると考えた。
そのために、彼は、そういう力を開発するための行法をつくりあげた。それは、彼が学んだ超
能力開発法を加えて編成したものと見てよいであろう。
それは、三十七種の技法から成り立つもので、四神足というのは、その中心になる技術であ
る。神通、如意を得るための定を、四種類の手法に分けて説明している。
欲神足(願望、理想、創造のためのアプローチ)
勤神足(体と心のトレーニング法)
心神足(潜在意識のトレーニング法)
観神足(深層意識のトレーニング法)
きづまりを打破するために、大乗仏教のなかにとり入れられて体系化され、密教と呼ばれになったのである。いうわけで、密教は二つの面を持っている。
一つは、超能力の開発技術
一つは、大乗仏教の教義
この二つである。
この二つのものがむすばれることにより、大乗仏教よりさらに高度の教義が完成されて、「金
剛大乗」と呼ばれる新しい仏教が誕生した。これが密教である』
-との引用の文章でわかるように、「変身の原理Lにおいて語られている「密教」というコ
トバは、「秘密仏教」という意味での「密教」である。仏教のなかにとり入れられた、いわゆる
真言密教、あるいは真言宗密教の密教である。
しかし、本書において私がいう「密教」は、それらの密教、「変身の原理」のなかで使われて
いる密教とは全くちがうものであることを、読者はご承知ありたいのである。

本書における「密教」とは、真言密教以前、いうならば仏教にとり入れられる以前の、いや、
バラモンにさえもとり入れられる以前の、引用文でいえば4  R教は最初、ひとつの手法(技術)であった。ゴータマーブッダがあらわれて、仏教というあたらしい教えを説きはじめるはる
か以前、バラモン時代から、インドには、入に超能力をあたえるひとつの手法があった。そういう手法が完成されて、一部の人たちの間につたえられていた。それは、精神と肉体のきびしい錬磨から得られる神秘的な力で、彼らは、それを、ひとつの技術にまでっくりあげていた。と
あるその「技術」、つまり、いうならば、″古代マーガ″と″真言密教″と、この二つを結合したものであると承知していただきたいのである。即ち本書でいう密教とは、ヨーガと真言密教と、
この二つをむすびつけて生まれた新しい技術であるということである。
なぜ、そういうことをしなければならなかったのか、というその理由を語ることはそのまま、密教の法を解説することにもなるので、読者はここのところをよく知っておいていただきたいのである。
引用文のなかにしるされているごとく、行きづまった大乗仏教は、ヨーガの技術にその打開の道を求めた。さきの頃で述べたごとく、精神の高度の飛躍は、その前提に、感覚器官の高度の増幅がなければならぬ。しかし、大乗仏教には教えだけあって、なんの技術もない。大乗仏教という教えであり、教えをあきらかにするだけのもので、技術というべきものはなんにもない。つい
に行きづまることは当然であり、やがてヨーガの技術に救いをもとめるのはさらに当然というべ
きことであった。
かくして、金剛大乗、真言密教が生まれた。ヨーガには、さきにあげた通り、ジョルジューオリヴィエ教授の表現を借りていえば、五つの能力開発技術がある。それは、①第四次元の理解、合複雑な全体をとっさに把握する能力、③第六感の獲得、④無限に発展した道徳意識、⑤とくに
われわれの悟性には不可解な精神的特質、というものであるが、これらの能力開発の技術は、それがそのまま大乗仏教にとり入れられたわけではない。おのずから、ひとつの偏向傾斜があった。
それは当然のことで、大乗仏教の指導者たちは、この技術を彼らの信奉する仏教教義とその目的に沿って取り入れた。一般的でないと思われる技術は捨てられ、あるいはごく一部の指導者にだけつたえられ、あるいは変形された。こうして秘密仏教というあたらしい教義と体系が完成した。しかし、多くのすぐれた開発技術は、この仏教教義を完成させるための補助的技術に変容さ
せられてしまった。あるいは形骸だけがとどめられた。これが、秘密仏教の「行法」であった。
これを究極的に完成したのは、日本密教、すなわち真言宗の開祖空海であった。秘密仏教がインドから中国につたえられ、そのころ中国にわたった空海がそれに接した時点において、秘密仏教はまだ完全にはできあかっていなかった。その混沌たる素材を取捨選択して、これをいま見る
真言宗というかたちにまとめ上げ、整然たる宗教にしたのは空海であった。それはまさに大天才のみがなしとげることのできる偉業であったが、同時に、秘密仏教はあまりにも整然と様式化された日本的なものになってしまった。それまでかなり残っていた密教的な部分はほとんどかげにかくれ、一-法」は、様式化された宗教儀式になってしまった。
しかし、それは、当時の目本の国情や、文化水準を背景にしたとき、やむを得ないことであったのである。というよりもむしろ当然であったというべきだろう。そうしなければ宗教として存
立することができなかったのである。
だが、そのために、いまいった通り「法」はその力を失った。宗教的に様式化され、儀式化されてしまった「法」では、真の能力開発は困難である。というよりもそれは絶望に近い しかし、それはそれでいいのだ。真言密教というものが、宗教であって能力関発の技術ではな
く、仏教という信仰のワクのなかで教えを説き礼拝をつづけているだけでよいなら、それはそれでいいだろう。それに、ほとんど儀式化された「法」であっても、天分のある才能が懸命の努力を集中するなら、「法」の成就も不可能ではない。やってやれないことはないのである。けれども、それは何世紀にひとりというような稀有の才能を必要とするのではないのか。そういうすぐれた頭脳によれば、様式化された法のあとをたどって、ついにその源泉に到達し、そのなかに秘められた法の技術を発見し、体得することもできよう。あるいはまた、頭脳ではなく、熱烈な信仰が、そこへ導いていってくれることもあるかも知れぬ。だが、それは、万人に期待できることではない。
要するに、真言密教成立の当時と全く時代が変ってしまった現在、真言密教が、他の宗教と根本的にちがうその本来の任務をほんとうに果たそうと思うならば、真言密教は大吝く変わらねばならぬ。真言密教はナみやかにその原点に立ちもどり、「法」を技術としてシステム化しなければならぬ。そうして、だれでもが平易にまなべる体系を編成ナることである。
それは決して「法」を解体し、「法」を壊滅してしまうことではない。むしろ、そうすることによって法が生きるのである。また、それは決して宗教の解体ではない。
法によって高い知的能力を得たならば、人はおのずから高い道徳意識、倫理観を持つものである。

人が宗教的教えを必要とナるのは、知的能力が低いからである。要するに、愚かだからである。人の道徳意識が低いのは、知能、精神能力が低いからだ。ほんとうに知能が高くなれば、人は、いま人類の持っている程度の宗教意識などけるかに超えたもっと高い倫理観を持つ。オリヴイエ教授のいう「無限に発展した道徳意識の保有」である。
教え(宗教)による人類の道徳意識の開発は、すでに限界に達してしまっている。
見よ。

地上にあまねくくりひろげられている人類のこの大愚行を。殺し合い、奪い合い、罵り合い。
どこに「知恵あるヒト」のおもかげがあるか? 「大愚人類」そのものではないか?
要するに、バカにいくら結構な教えを説いてもだめなのだということだ。
もっと忌憚なくいわしてもらうならば、(これは私がいうのではない。みんな密教の神サマが
おっしやるのであります)ちっとましなバカが、しょうのないバカに一心に教えを説いているというのが、いまの宗教のすがたというものではないのか?
宗教だけではない。科学と技術だってそうではないか。見さかいなくいい気になっていろんなものをつくり出し、あとで公害だ有害物質だと困っている。こういうおろかなことは、もう少し人類の知能が高くなったら、そんなバカなことはたのまれなくともしなくなる。要するに知能が低いからだ。
政治も、経済、思想も、みんなそうだと、あなたは真実思わないか?
要するに、すべて、″ヒトの知能が低い″ことに原因があるのである。
この世界を住みよく、たのしいものにするのには、革命ごっこよりもなによりもまず、ヒトの知能を高めることだ。そう、あなたは思わないか?
さて、話をもとにもどそう。
教えの限界とはヒトの知能の限界だ。
密教はその限界をうち破るのである。
技術によって超能力をあたえ、いっきょにヒトを改造して、宗教などという低い次元をいっぺんに飛び越し、想像を絶する叡智を持った、高い倫理的生物をつくり出そうというのだ。
それが、密教だ。
求闘持法《明星》の秘密

私はこのことを念力の護摩の修得に際してさとった。
先年、私は、念力の護摩法の伝授を受け、悉地成就の修行に入った。けれども、その行法の次
第を、何十ぺん何百。へんくり返しても、念力の火は出なかった。煙さえたちのぼる気配はなかっ
た。私かそのままその法の次第を忠実にくりかえしていたら、永久に念力の火は出なかったであ
ろう。出るはずがないのである。念力の護摩法の次第を、いくらくりかえしたって火は出ない。
そんなことで出るのだったら、今日までに、何百人、何千人の阿闇梨が念力の護摩を焚いていた
だろう。真言密教の念力の護摩法だけでは、ぜったいに火は出ない、それは、密教の技術によっ
て、サマーナ気を克服したとき(274頁参照)、はじめて肉体から火焔を発することができ、念力の
護摩は完成するのである。絶望した私は真言密教をはなれ、身を転じて古代インドの秘密経典に
むかった。
私はそこでインドの聖典、バガヴァットーギータを続み、そこに念力の護摩の秘法がかたられ
ていることを知った(口絵写真参照)。そこから、ギータと不二の関係にあるヨーガに入った。ヨ
ーガに本当の念力の護摩があることを知った。ヨーガにおける私のいのちがけの修行がはじまっ
た。ヨーガの技術でなければ念力の火は出ないことがわかったからである。真言密教の念力の護摩法次第は、ほんの心おぼえ程度のものに過ぎず、これでは、だれがどうしたって火の出るはずがなかった。いや、この肉体が火となるための「法」としては心おぼえ程度のものですらなく、むしろ、バガヴァツトーギータの聖句のほうが、はるかに示唆に富んでいるといえた。ヨーガの念力の護摩は、ただ単なる観想の羅列ではなく、どの生理器官をどのように統御しどのように動かすという現実的具体的な「技術」があった。この技術によってトレーニングすれば、多少なりと素質のある者だったら、必死の修行によって念力の火を出すことは不可能ではない。真言密教の念力護摩法次第だけでは、大天才といえども不可能にちかい難事である。この秘密を知らずして、古来、いく人の密教修行者が、念力の護摩の次第と秘伝を前に、血と汗の絶望をくりかえしたことであったろう。思えばツミな″次第″である。
これと全くおなじことが、真言密教につたえる「求聞持聡明法」についてもいうことができる。求闘持とは、古書に、『見聞覚知のことを憶持して長く忘れず、師なくして天地の感応を待つ、これを″求″といい、教なくして真如妙理を覚る。これを″聞″といい、一度覚るとながく忘れない、
これを″持″という』とあるように、求闘持法とは、ヒトの大脳を強化して、博覧強
卸、比類なき記憶力と聡明さをあたえる秘法であるが、これをなん十。へんなん百ぺん行法の次第通りに修行したところで、その結果は、おそらく念力の護摩とたいしてかわらない結果におわるであろう。生命を賭して修法すれば、多少の効果はあろうが、宗祖が体験を以て示したような霊験を得ることはまず難い。なぜならば、真言密教の「虚空蔵菩薩求聞持法」には印信観想による
精神集中の「法」はあるけれども、現実に生理器官である大脳皮質そのものを動かす「技術」を持っていないのである。ヨーガの「聡明法」は、どの器官をどう使ってどのように大脳皮質を動かすかという「技術」がある。また、それだけではない。根本的にちがうものがあるのである。
’それは、まったく根本的にちがう。
拙著「変身の原理」で求闘持聡明法についてかたって以来、私は、十指を越える真言僧侶、阿閉梨がたから、手紙あるいは直接、この法の修行について相談をうけた。そのほとんどは、自分も一度ないし数度にわたって求聞持法を修したが、いっさい効験がみられなかった。修法の行じかた、あるいは心構えに越法のところがあったのであろうかというのであった。また、何度か修してみて、あの行法にそんな神秘的な力がひそんでいようとは思われぬというものがあった。なかにはお気の毒にも健康を害してしまって、再起不能になったと訴えてきた阿閉梨もおられた。
お気の毒であるが、当然なのである。
真言密教の阿開梨がたが、いくら求闘持法をくりかえしても、成就できないのは当然なのである。もちろん、絶対に、とはいわない。万人に秀いでる天才、英才であったら、その極に達することができるかも知れぬ。しかしまず、不可能にちかいというべきだろう。
私か発見した密教の「求闘持法」でなければ、まず不可能にちかいといってよいであろう。こ
の法については章をあらためてくわしく書くが、ここで、求聞持法の秘密の一端を明かそう。まず、最初、真言密教の求聞持法を述べてみる。
『比の法を修するには、東南西三方の晴れたるところを最上とする。東方のみでも悪くはない。

道場の東壁に小窓をつくる。これは虚空蔵の似沢である明星の光を道場にさし入れるためである。また、朝日夕月の光を本尊にあてる意もあり、あるいは小窓に絹を張り、黄色の種字の字を書いて、そこから、明星の光をとおして本尊にあてるためでもある』
とまず場所を制定し、つぎに、さだめられた本尊の印明を百万べん、五十目あるいは百日に読誦するのであるが、日蝕または月蝕の時に結願するよう開白(はじめること)しなければならぬとある。
けれども、密教の求聞持法では、べつに場所はえらばぬのである。静かな場所でありさえすればよい。また、いつはじめてもよいのである。明星を拝するのも、行のはじめに際して、あるひととき、星と月に対すればよいのである。
また、これこそが密教のもっとも奥義とするところなのだが、弘法大師空海は、求聞持法の成就の体験を、
『―阿国大滝の岳にのぼりよじ、土州室戸の崎に勤念ナ。谷響を惜しまず、明星来影す。
言々』
と語っている。すなわち、阿波の大滝にのぼり、土佐の室戸岬でこの法の修行にはげんだところ、谷はこだまし、明星があらわれるなど、法にいわれている通り現証があり、法が成就した、
というのであるが、これは、空海のひとつの表現であって、これをそのまま鵜呑みにしてしまうからいけないのである。これはどこまでもひとつの表現なのだ。
伝にいわく、
『明星来影す、とは、結願のときに、香に火を置き、明星を拝するに、四方が暗く明星が見えねば悉地就成ではない。暗くても星が現ずれば下品の成就であり、四方が少々晴れて星が現ずれば中品、天に暗なく、ことごとく晴れて星現ずれば成就、四方が晴れても星現ぜざれば悉地成せざるなり』
とあるが、これがちがうのである。まるっきりちがう。
こういう口伝や奥伝をたよりにいくら修行しても、気の毒だが、求聞持法は成就しない。
明星とは現実の明星ではないのである。
大脳のある部分をある方法で刺激すると、目の前に光が見えるのである。
その光は、かたちも色も大きさも、いろいろに見えるが、意識を記憶の座に向けて沈静させる
と、つめたい、やや黄色みを帯びた白銀色になって、しずかに目のなかでまたたく。それはちょうど明星そっくりに見えるのである。
これが明星なのだ!
268頁をもう一度、読みかえしていただこう。
″頭のかかの光明に日を向けるならば″
とある。これがそれなのである。
ある特殊なトレーニングにより、この部位(大脳の視床下部のあたり)の刺激が、目のなかに光を浮かばせるのである。目をある角度に向けると、目を開けていても閉じていても、ポッカリと光が浮かんで見える。
この光が見えるようになると、記憶の座が自由にあやっれるようになるばかりでなく、さまざまな、奇蹟としか思えぬような力がついてくる。
これが、「求聞持法」の明星の秘密である。大空を百年ながめて空中の明星を見つめていても、ムダだ。明星はわが大脳のなかにあるのだからI。
このことは、密教五〇〇〇年の歴史に、私がはじめてっかんだ秘密である。私以外にこれを知る者はついになかった。求闘持法の秘密を私はついにつかんだ。私はそれを誇りに思う。
これをもとにして、私は、私の「求闘持聡明法」を編成した。これは、今までの「法」などというアイマイなものではない。生化学と生理学をもとにした「技術」である。正しい指導のもとに訓練を積めば、必ず、だれでもできるようになる技術である。
本来ならば、こういうことは私の、「太極秘伝」として、ごくかぎられた者だけにひそかにつたえてゆくべきものなのだろう。だが、私はこれをひろく公開する。なぜならば、私は、世界中の人びとがこの法によって知能を高め、いっさいの愚行-殺し合い、奪い合い、罵り合い、にくみ合いから遠ざかってほしいのである。
求聞持聡明法は、人の知能を三倍にナる。
しかし、その半分でもよい。人類の知能が今の水準より平均一・五倍飛躍したら、この世
から、犯罪も戦争もいっさいなくなる。そういうものがあるのは、人間が愚かだからだ。求闘持法によって知能指数が倍加したら、そういうものがいかに愚かで馬鹿々々しいことか、大人が子
供のヶンカが馬鹿々々しくて見ていられないように、いっさい、しなくなる。
私や、私の周囲のごく一部の者が、この法によっていくら賢くなろうとも、それがなにになろう。世界の大勢にどれはどの影響があろう。よしんば、私か、この法によって、古今無比の大聖者と仰がれるほどの力を持とうとも、世界のどこかで、権力を握っている馬鹿が、核バクダンのボタンをひとつ押したら、それっきりなのである。世界中はふっ飛んでしまう、古今無比の大聖
者もいっしよに!
まあ、古今無比の大聖者ともなれば、事前にそれくらい察知して、安全な所に待避してしまうであろうが、世界中が壊滅して、助かった者も核の灰に汚染されて半死半生ばかりという世のなかに、自分とごく少数の一族だけが生き残ってなにになろう。ノアの方舟の時とは状況が全くちがうのである。
このままでゆけば、核戦争がはじまるのはぜったい確実である。私にははっきりそれがわかる。この大愚行だけはやめさせなければならぬ。
革命よりも、階級闘争よりも、人種闘争よりも、なによりも、いま、人類に必要なのはこれだ。これが根本的に人類を救う道だ、とそう私は思う。ヒトの知能が二倍になったら、いま、人類がかかえているあらゆる問題はすべて解決してしまう。そう、あなたも思わないか?
私か、この求聞持法を惜しげもなく公開し、ひとりでも多く、一目でも早く、修得してほしいとねがうのは、そのためなのだ。
さて、はなしが少々よこにそれたが、この大脳の部位のことは、インドのヨーガの指導者も知っており、ヨーガのほうでは、この部位のことを、
「頭のなかの光座の座」
とか、
「梵の座、梵の裂け目」(brahma randhro
とか、
「サハスララーチャクラ」
と名づけ、頭の中の光明がかがやいている部分であると考えている。しかし、これも解釈がちがっている。
頭のなかに光明がかがやいているのではない。私の発見した求闘持法とおなじ原理である。大脳のある部位を、あるエネルギーで刺激すると、あるひとつの物質が分泌され、それが脳の神経組織を刺激して、目に光を感じさせる。                  『- それが、頭と目の微妙な角度のちがい、刺激の相違で、目のなか、目の前、および、頭のなか、というように、光の浮かぶ場所がちがうのである。
求聞特法の湯合は、目の前の、やや上方、ニメートルから三メートルくらいのところに浮かんでみえる。目の角度と、瞳孔の絞りかたによっては、はるか遠くの空に小さくかがやくように
(ちょうど明星のように)見えないこともない。もし、人里はなれた山のなかであったら、明けの明星のように見えることもできるだろう。私の経験では、目のななめ上方一メートル内外のところに見えるようにするのが、一番、″上品″のようである。
目を閉じて、目の奥の上方、つまり、ヨーガでいう”梵の座”のあたりに、光明を感じさせる
技術は、頭の角度と、脳の刺激する揚所が、求聞特法と少しちがう。したがって、これは、求聞持法ではなく、ちがう力を発現する。また別な法である。この法については、またあとで別に章をもうけて説明しよう。

(サマーナ気統御の技術》と《護摩法》の合体
おなじような例がいくっもある。
たとえば″五相成身観”である。
これは、真言宗徒がかならずおさめねばならぬ金剛界法という法のなかにあり、密教門でもと
くに重要な観法とされる行法である。
凡夫がホトヶという超能力者になるまでの過程を五つに分け、修行者は、ひとつひとつその境界を体験してゆくのであるが、これが、いずれも密教の重要な修行課目になっており、あきらか
に密教から出たものであることがわかる。
しかも、真言密教では、印と観想の二つからなる”観法″であるが、密教においては、観法だ
けではなく、特殊な技術による鍛 練によって生理的器官を動かし、実際に五つの境界に対応す
る力をつける訓練となっている。
また、真言密教においてもっとも重要とされる金剛界九会マンダラもそうである。金剛界九会
マンダラは、凡夫がホトケになる九つの段階と、ホトケというものの力、ホトケのはたらきを図
像にえがきあらわしたものであるが、要するに、ホトケの説明である。
もっとも、真言密教は、このマンダラにもとづいて、前記した金剛界法という行法を編成し、
。観法″によってこれを修行者に体得させようとする。これは、一般仏教、顕教が、その修行方
法として、ただ、経典の読誦と、念仏、唱名題目しか持だないのに対し、一段と進歩したすぐれ
た修行方法であるというべきだが、しかし、これも、真言密教が″観法”だけであるのに対し、
密教は、九会マンダラにあらわされた九つの力を実際に体得させる訓練技術を持っている。
例をあげれば、微細会マンダラがそうである。これは九会マンダラのなかの東南方に位するマ
ンダラで、ホトケの微妙幽玄にして不可思議なる智恵の力とはたらきをあらわすものである。
密教には、実際にこの力を生ぜしめる訓練がある。
真言密教では、ただ、。観想″による″観法″しかない。現実にそういう″力″を持たせると
ころの″技術″がない。
276頁を見ていただこう。
。あきらかに、微細会マンダラは、ヨーガのこの訓練から出ている。ナくなくとも、この訓練に
よって得られる力を背景にしたものであることは間違いない。
これは、密教の技術で、胸の部分の或る部位に力を集中することによって得られる力である。
-こうしてみてくると、真言密教がとるべき道は、おのずから明らかであるといわねばなるまい。真言密教の行法は、密教の技法をとり入れることにより、本当の力が生ずるのではないのか?
そういうと、密教がそんなにすぐれたものであるというなら、密教は真言密教をはなれて、密教独自の道を歩んだらよいではないかという意見が出るかも知れない。その通りである。それでもよいのだ。そういう道もあると私も思う。
しかし、それにもかかわらず、私か真言密教にある価値を見出すのは、その表現様式である。おもしろいことだと思う。
様式だけになってしまっている(と私が思う)真言密教の、その様式が、なかなか貴重なのだ。
私が体得した密教の秘奥の技術を、さて、どのように表現しようかと、その様式を考えてゆくと、結局、真言密教の様式がいちばん便利なのである。たとえば、私の体得創案した「求聞持法」は、ヨーガの技術から発見したもので、真言密教の「求聞持法」とは全然ちがう。そのことは、前の項でおわかりになったことと思う。
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Thirty-seven department seven items   三十七科七道品    

2021-10-01 19:00:45 | 近未来
 

 三十七科七道品とはつぎのようなものである。

四念処法-‐-身念処法 受念処法 心念処法 法念処法

四正断法--断断法 律儀断法 随護断法 修断法

四神足法--‐欲神足法 勤神足法 心神足法 観神足法

五根法--信根法 精進根法 念根法 定根法 慧根法

五力法-信力法 精進力法 念力法 定力法 慧力法

七竟支法-択法覚支法 精進覚支法 喜覚支法 軽安覚支法 捨竟支法 定覚支法 念竟

 支法

八正道法-正見法 正思惟法 正語法 正業法 正命法 正精進法 正念法 正定法

以上である。

 

この七科目、三十七種のカリキュラムは、

 1、瞑想

 2、実践

 3、lapas(練行)

に分類できる。

 四念処法・五根法は、瞑想である。

 四正断法・五力法・七覚支法・八正道法は、実践と瞑想である。

 四神足法は、特殊なtapasである。

 神足とは、神通力(超能力)のことで、この四神足法は、超自然の神通力を得るための四種の

修行法である。前に述べたわたくしの{召aはこれに属するものである。

 この七つの科目のうち、tapasを中心に、瞑想と実践の科目をとり入れて修行するのであ

る。どの科目をどうとり入れて、どのように訓練するかは、聖師が決定する。

219-------一霊性完成の方法と体系

Thirty-seven departments and seven-way items are as follows.

Four-minded method --- Thought method, Accepted method, Mind method,

Four straight cutting methods--cutting method ritual cutting method escort cutting method cutting method

Four Gods Act --- Gyokushimpo

Gone method-Shine method, Shinjin method

Five power method-power method, spiritual power method, mind power method, constant power method, repulsion method

Nanakuma support method-choice method support method, sensation support method, Kisaku support method, light safety support method, abandonment support method, fixed support method

Supporting law

Eight Masamichi method-Masami method Masamiko method

That's it.

These seven subjects, 37 kinds of curriculum,

1. Meditation bowl

2. Practical practice

3. Lapas

Can be classified.

The Shimonen method and the Gone method are meditations.

The four straight cutting methods, the five power methods, the seven senses method, and the eight Masamichi methods are practice and meditation.

The Shigami foot method is a special tapas.

Kamikashi is a mythical power (super power), and this four-god foot method has four kinds of spears for supernatural power.

It is a practice method. My {call-a belongs to this.

の う ち Of these seven subjects, focusing on tapas, training is carried out by incorporating subjects of meditation and practice.

The The saint decides which courses to take and how to train.

219 ------- Method and system for completing spirituality
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科学におけるヒトの改造 Human remodeling in science

2021-09-18 16:09:56 | 近未来

Human remodeling in science


 

In addition, General Electric Co., Ltd. has released a "pedipreter" (walker) for the US Army.
I'm making it. Like the long legs of stilts, it is an instrument that can be walked with a huge stride when attached. Unlike stilts, this metal leg has knees and manic joints that let you know if it's balanced and adjust it. With this instrument, we'll be able to straddle a small building and walk a kilometer in five or six steps.

In the future, you can combine these types of instruments and devices to not only walk on stride or lift heavy objects, but also every action-swim long distances at great speeds, a day or two. You will be able to easily swim around the bottom of the water and jump from branch to branch.

Obviously, this is not just a kikai, it is a'human amplifier assimilated into human work.

"And humans and machines have entered a new relationship. The two are virtually indistinguishable from each other.
A relationship that seems to be-cyborg is a term coined for such hybrids, "G.R. Tiller gives a new definition for cyborgs.

However, the ultimate in human cyborgization will be the amplification of the cerebrum, which is the center of human intelligence, rather than the hands, feet, and lungs. It has already begun. Scientists are working on technology that connects the human brain directly to computers. The year 2018 predicts that it will be possible by that time.

Then you will be asked how to embed a computer.

Research seems to be proceeding in this direction. But in reality, the opposite can happen. In other words, it is not unthinkable to put biological parts → 腦 in a computer. It is a complete synthesis of human and human. Combined marriage between humans and machines! It seems like that is happening.

Sci-fi writer Isaac Asimov predicts the creation of a new mixed race of humans and machines. So is that the culmination of human remodeling in science? Eventually, we'll be wondering if we're talking to mechanized humans or humanized machines.
Or, even myself, I don't know which one.

Thus Homo sapiens disappears.

Will humans be quietly absorbed into machines without the extinction consciousness that they will come out? Or, on the contrary, the last Homo sapiens is the achievement of the scientist who created such science. One day, while praising, suddenly the consciousness disappears in the machine? If so, this is exactly the history of 100 million years of human beings and the existence of human beings. It can be said that it is the great nonsense of the century when all the shields were put on in that moment.

 

 

科学におけるヒトの改造

 

また、ゼネラル・エレクトリック社は、アメリカ陸軍用に「ペディプレター」(歩行器)を
つくりつつある。竹馬の長い足のように、それをつけると巨大な歩幅で歩きまわることのできる、器械である。竹馬とちがってこの金属の脚には膝や躁関節があり、バランスがとれているかどうかを知らせ、調節する仕組みになっている。われわれはこの器械をつけることにより、ちょっとしたビルなどひとまたぎにし、一キロの道を五、六歩で歩いていってしまうようになるだろう。

将来は、この種の器械や装置を組み合せて、大またで歩いたり、重い物をかるがると持ち上げたりするだけでなく、あらゆる動作――長い距離を非常なスピードで泳いだり、一日も二日も水底を泳ぎまわったり、枝から枝へとびうつったりを、やすやすとやってのけるようになるだろう。

明らかに、これは単なるキカイではなく、それは人間の働きに同化した『人間増幅器である。

「や人間と機械は新しい関係にはいった。二者が事実上見分けられないほどたがいにり合
っているような関係――サイボーグとはこのような混成生物にたいしてつくられた言葉である」とG・R・ティラーは、サイボーグに対して新しい定義をくだす。

しかし、ヒトのサイボーグ化の究極は、手や足や肺ではなく、結局、ヒトの知能の中枢である大脳の増幅ということになるであろう。すでにそれは始まっている。ヒトの脳とコンピューターを直結する技術に科学者たちはとり組んでいる。「西歴二〇一八年」は、 その頃までにそれは可能になるであろうと予測している。

そういうと、いかにコンピューターを埋めこむのかと聞かれる。

いう方向に研究はすすめられつつあるようである。だが、しかし、実際にはその反対のことも起こり得る可能性があるのだ。つまり、コンピューターのなかに、生体部品→腦ーをおくことだって考えられないことではないのである。それは、ヒトとキカイとの完全な合成である。人間と機械との複合結婚!、そういうものが起こりつつあるように思える。

SF作家のアイザック・アシモフは人間と機械の混血した新しい生物種ができることを予言している。すると科学におけるヒトの改造の極致は結局それなのか?そのうち、われわれは、機械化したヒトに話しかけているのか、ヒト化した機械に話しかけているのか、わからなくなる日がやってくるだろう。
あるいはまた、自分自身でさえ、そのどちらであるのかわからないというが。

かくしてホモ・サピエンスは消えてゆく。

ヒトは、自分たちがい出ほろびるという絶滅意識を持たぬまま、しずかに機械のなかに吸収されてしまうのか?あるいは、かえって、最後のホモ・サピエンスは、これほどの科学を生み出した科学者の功績をほめたたえつつ、ある日、突然、その意識を機械のなかに消してゆくのであおうか?もしもそうだとするならば、これこそまさに、一00万年のヒトの歴史と、ヒトという生物の持つすべての盾をその一瞬にかけた世紀の一大ナンセンスというべきだろう。
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科学におけるヒトの改造 6 Human Remodeling in Science 6

2021-09-06 16:06:37 | 近未来
「それは、ちょうど、ユュナツミルクがクラッチのように働き、成長という、から廻りしていた細胞のエンジンに、ギヤがはいったようであった…」

 

成長をうながす他の物質について、各種の実験が終わってから、研究は第二の段階へはいった。百におよぶニンジンの外植体"(個体からその一部を分離し、体外で培養して得た個体)が、たったひとつの容器のなかで、培されたのである。これらの細胞はそれぞれ違った経過をたどる。非常に大きくなるのもある。順次、分裂して、フィラメント状になるのもある。

 

酵母菌のように芽を出すものもある。さらにあるものはーーそしてこれがこの話の要点だ細胞塊となり、根を出しはじめる。固体培地へ移してやると、緑の芽をかき出す。ふたび土壌へ移して培義してやると、普通の根と茎と花と種子のあるニンジンになった!

 

今から亡の年前に、オーストリアの生物学者G・ハーバーランドは、このような、栄養生殖《結性生源)が、いっか実現することを夢みていた。その夢を、スチュワードは現実のものにしたのである。その後の実験から、ニンジンの初期の歴のひとつからとり出した細胞のほとんどどれでも、先に述べたように、無性的に個体にまで成長させることができることが実証された。

 

スチュワードが難関を突破して以来、べつの研究者たちはタバコについて同様な実験に成功した。

これは,ニンジンの場合とはまた少し違った培養の操作手順を苦心して見出さねばならなか

った。それぞれの植物により、その培養条件は違っているもののようである。これと同じことが、まもなくほかのどんた植物でも成功すると考えられている。

 

ところで、

間習は、これと同じことが動物細胞についてもできるかどうかということである。

その答は、決して不可能なことではない、というものである。

 

もちろん、それは容易なものではない。

 

大体、実験室で細胞を培養することは、けっして新しい技術ではない。けれども、たった一個の細胞をもとに、これを薄層の組織にまで成長させる方法が発見されたのは、つい十数年まえのことである。普通は、たった一個の細胞では、栄養培地中におかれても分裂できない。故ウィルトン・アールが、ある方法を発見してこれに成功した。が、これらの培養細胞は、分裂増殖して大きくはなっても、器官などの構造体を形成する気配をほとんど示さない。器官の形成は、多分、隣りにある別の組織から出てくる化学物質によるものだと思われている。ある程度の見当はついており、現在、その点の究明に研究がすすめられつつある。正直いって、まだ、細胞培養と察官の開には、橋がかけられていないというのが実状である。

 

 

 

 

 

だから、動物細胞を栄養培養してひとつの完全生物にまですることは、ニンジンやタバコの場合のように、スムーズにはゆかない。けれども、生物学者はけっして不可能だとは考えていない。

 

時間の問題だと思っている。すでに、スチュワードが突破口を開いたと確信している。現代の最も鋭い科学者のひとり、故J・B・ホールデン教授は、クローン人のできる可能性をもっとも真剣に考えていたひとりであった。彼の見解では、われわれはすでに植物においてやりとげてしまっているのだから、培義細胞から有機的な組織体をつくる方法を、つか必ず発見するだろちし、これによって、人類発展の可能性を劇的に高めることになろう」と確信し、 つぎのような未来展望をしている。

 

彼によると、競技運動家とか舞踊家のクローンは若い人からとってもよいが、大部分のクローンは少なくとも五〇歳以上の人からつくられるであろうという。クローン人は、社会的に高く評価されるきわめてすぐれた業績を上げた人たちからつくられる。ただその場合、その成功が単なる偶然にもとづいたものでないように注意されることはもちろんであ。

また、彼はこうもいう。

 

『たとえ、その才能の評価に多少疑問はあっても、珍しい才能を持った人からつくったクローン人も同じように有益であろう。たとえば暗にいつまでも適応できる人とか、痛みを感じない人、東洋の日の行者のように、内識のなかに起こっていることを見破り、それをコントローできる人はどー。

 

 

"It was just like Yunatsu Milk acting like a clutch and gearing into the engine of the cells that were spinning from the point of growth ..."

 

After various experiments on other growth-promoting substances, research went into the second phase. Hundreds of carrot explants "(individuals obtained by separating a portion of an individual and culturing it in vitro) were cultivated in a single container. These cells are different. It can be very large, and it can be split into filaments in sequence.

 

Some sprout like yeast. What's more-and this is the point of this story, the cell mass that begins to take root. When transferred to a solid medium, green sprouts are scraped out. When I moved it to the soil again and cultivated it, it became a carrot with ordinary roots, stems, flowers and seeds!

 

A year before his death, Austrian biologist G. Harborland dreamed of achieving such vegetative reproduction. Steward made that dream a reality. Subsequent experiments demonstrated that almost any cell from one of the early history of carrots could grow asexually into an individual, as mentioned above.

 

Since Steward broke through the obstacles, other researchers have succeeded in similar experiments on tobacco.

This has to be painstakingly found with a slightly different culture procedure than for carrots.

It was. It seems that the culture conditions are different for each plant. It is believed that the same thing will soon succeed in any other plant.

 

by the way,

The practice is whether the same can be done for animal cells.

The answer is that it's not impossible.

 

Of course, it's not easy.

 

In general, culturing cells in the laboratory is by no means a new technique. However, it was only a dozen years ago that a method was discovered to grow a single cell into a thin layer of tissue. Normally, a single cell cannot divide even when placed in a nutrient medium. The late Wilton Earl discovered a method and succeeded in doing so. However, these cultured cells show little sign of forming structures such as organs even if they divide and proliferate and grow larger. The formation of organs is probably due to chemicals coming from another tissue next door. I have some idea, and research is currently underway to investigate this point. To be honest, the reality is that there is still no bridge between cell culture and the opening of the inspector.

 

 

 

 

 

 

 

Therefore, culturing animal cells into a complete organism does not go as smoothly as in the case of carrots and tobacco. But biologists never think it's impossible.

 

I think it's just a matter of time. I'm already convinced that Steward has made a breakthrough. One of the sharpest scientists of our time, the late Professor JB Holden, was one of the most serious about the potential of cloners. In his view, since we have already done so in plants, we will surely find a way to create organic tissue from cultivated cells, thereby dramatizing the potential for human development. I am convinced that it will be improved, and I have the following future prospects.

 

According to him, clones of athletics and dancers can be taken from young people, but most clones will be made from people over the age of fifty. Clone people are made up of people who have achieved outstanding achievements that are highly regarded in society. But in that case, of course, be careful that the success is not just a coincidence.

He also says:

 

"Even if there are some doubts about the evaluation of that talent, clones made from people with unusual talents would be equally beneficial. For example, a person who can adapt forever, a person who does not feel pain, a person who can detect what is happening in the inside and control it, such as an oriental day performer.

 

 

 

 

 
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脳  爬虫類脳・哺乳類脳・人間脳|3つの脳の構造でわかる人間の三大欲求

2021-03-09 08:52:39 | 近未来













 




3つの脳 爬虫類脳・哺乳類脳・人間脳


僕たち人間は、3つの脳を同時に併せ持っているとする『脳の三位一体論(triune brain)』という仮説があります。




  • 生きるための爬虫類脳

  • 感じるための哺乳類脳

  • 考えるための人間脳


この3つの脳の特徴から、人間の三大欲求がわかります。

それは、「生きたい・関わりたい・成長したい」です。

この3つの脳の特徴を理解することで、ビジネスではマーケティングやブランディングに役立ちます。また、3つの脳の違いをうまく利用できれば、掲げた目標を達成しやすくなります。

もしも、あなたが人間についての理解を深めたいなら、3つの脳の違いについて知っておいてください。

3つの脳 (脳の三位一体論)


1960年代に提唱された『脳の三位一体論(triune brain)』の仮説によると、人間の脳は太古の脳の基本的構造を保ったまま、地層のように次の脳が付け足される形で進化してきたと考えられました。

  1. ワニやトカゲのような原始爬虫類の脳

  2. ウマやイヌのような旧哺乳類の脳

  3. 急速に発達してきた新哺乳類の脳


そのため、人間は「3つ脳」を同時に併せて持っているとしています。


脳の三層構造

脳の三層構造

















「3つの脳の進化」はマクリーン氏による仮説


この「3つの脳の進化」の仮説は、アメリカ国立精神衛生研究所の脳進化学者ポール・D・マクリーン(Paul D. MacLean)博士によって提唱されました。

1990年に刊行された著書『The Triune Brain in Evolution(邦訳:三つの脳の進化)』では、人間に起こる衝動は、爬虫類から継承された反射脳によって生まれると解説されています。

この「3つの脳の進化」の仮説は、2000年代以降の多くの比較神経学者によって否定されていますが、脳の構造や特徴を理解するには、すごく分かりやすいモデルです。

3つの脳の特徴


例えば、お腹が空いたら食べ物を求めますし、のどが乾けば飲み物を求めます。暑ければ汗をかきますし、寒ければブルブル震えます。これは爬虫類脳が関係しています。

愛する子供を目の前にしたら大好きな感情が抑えられず、思わずニッコリと笑顔がこぼれてしまうかもしれません。これは哺乳類脳が関係しています。

たとえ大好きなタバコであっても、健康のためにはガマンして禁煙をしているかもしれません。これは人間脳が関係しています。

3つの脳の特徴をまとめると、次のとおりです。


3つの脳の特徴

3つの脳の特徴




 

ひとつずつ、特徴を解説していきます。



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爬虫類脳(反射脳):脳幹


ワニ

 

 

 

 

 

 

 

『脳の三位一体論』の仮説では、爬虫類脳はもっとも古い脳とされています。頭蓋骨の内側の一番下にあり、「原始爬虫類脳」「反射脳」とも呼ばれます。

自律神経の中核である脳幹、大脳基底核、脊髄によって成り立っていて、本能を司る脳として交感神経や副交感神経をコントロールしています。その役割は、おもに生命維持です。

無意識でする心拍や呼吸、体温調節、食べ物や飲み物を摂ること、性行動に関係しています。また、身の危険を感じた時に反射的に体が反応するのは、この爬虫類脳の領域です。

爬虫類脳をひと言でまとめれば、生きるための脳です。

爬虫類脳の特徴は生命維持のための防衛本能


爬虫類の特徴としては、縄張りに対しての防衛本能があります。

人の場合はパーソナル・スペースと言いますが、あまりにも自分のそばに赤の他人が近寄ってくると、なんだかイヤな気分になりますよね。それは、爬虫類脳の「安全でいたい」という防衛本能が働くからなんですね。

爬虫類脳は生きるために必死なので、自己中心的であり、目の前の短絡的な欲求しか頭にありません。

マクリーン氏によると、爬虫類のコミュニケーションは

  • あいさつ

  • 攻撃・侵略

  • 求婚・求愛

  • 服従


の4種類しかないとしています。

もしも人間が爬虫類脳だけなら、支配するか支配されるか、奪うか奪われるかといった、まるで『北斗の拳』のような殺伐とした世界になってしまうんですね。

爬虫類脳は新しい行動が嫌い


またマクリーン氏によると、爬虫類脳は先祖からの記憶に満ちていて、先祖の命令どおりには働くが、新しい場面に遭遇した時にはうまく機能せず、先祖の記憶に束縛されるとしています。

つまり、「過去の経験則にこだわり、新しいことは嫌い」という性質があるんですね。『安全でいるためには、今までと同じことをしておけば良い』ということです。

この性質のおかげで、僕たち人間はせっかく目標を掲げたのに、なかなか新しい行動にチャレンジできないという事態に陥ります。



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哺乳類脳(情動脳):大脳辺縁系



 


馬二頭

 

 

 

 

 

『脳の三位一体論』の仮説では、哺乳類脳は爬虫類脳の次に古い脳とされています。爬虫類脳を覆うように脳の中央に位置していて、「旧哺乳類脳」「情動脳」とも呼ばれます。

扁桃体、海馬体、帯状回などが含まれる大脳辺縁系で成り立っていて、快・不快の刺激に結びついた「喜び・愛情・怒り・恐怖・嫌悪」といった衝動性の感情をコントロールしています。

イヌやネコなどの哺乳類は、トカゲやヘビといった爬虫類とは違って感情が豊かですよね。この本能的な感情によって、愛情を表現したり、不安や恐怖を感じたり、危険や脅威から逃避したり、外敵を攻撃します。

哺乳類脳をひと言でまとめれば、感じるための脳です。

哺乳類脳の特徴は情動による群れ行動


哺乳類の特徴としては、群れで行動することです。

哺乳類脳によって得られる愛情という情動は、自分と近い遺伝子を継承する確率を高めることに役立ちます。これは仲間と協同して子育てをする集団行動や、非力な子供の育児や保護といった母性的な欲求・本能の源泉です。

また、群れのトップであれば、より確実に自分の遺伝子を残すことにつながります。あるいは、優秀なリーダーに付き従えば、種を守ることにつながります。

僕たち人間がコミュニティーを築いたり、その中で自分を重要な存在だと思われたいのは、この哺乳類脳の性質が関係しているんですね。さらには、権威に弱い性質も、この哺乳類脳の影響かもしれません。

犬が人間の赤ちゃんを守るのは哺乳類脳の性質?


YouTube動画では、犬が人間の赤ちゃんを守ろうとする心温まる映像を見かけますよね。それは本能的に仲間内の弱者を守ろうとする、哺乳類脳の性質なのかもしれないですね。

人間脳(理性脳):大脳新皮質


 

本を読む男性

 

 

 

 

 

『脳の三位一体論』の仮説では、人間脳はもっとも新しい脳とされています。脳の一番外側にあり、「新哺乳類脳」「理性脳」とも呼ばれます。

大脳新皮質の両半球(右脳・左脳)から成り立っていて、認知能力、言語機能、学習能力、創造的思考能力、空間把握能力などをコントロールします。

人間脳をひと言でまとめれば、考えるための脳です。

人間脳の特徴は論理的な思考


僕たち人間と動物を隔てるものは、自分自身について考える内省能力であり、内省によって得られる未来への思考能力です。

自分自身や未来を考える能力があるからこそ、理性的であり、学習したいと感じ、目的意識を持って行動することができます。

  • 「創造的なことをしたい」

  • 「目標達成したい」

  • 「成長したい」


という考えは、内省できるからこそであり、未来を想像できる人間脳の性質によるものなんですね。

もしも未来への思考力がなければ、禁煙をしようとか、ダイエットをしようとか、将来を見据えて勉強するようなことはできません。

また、人間脳の理性があるからこそ、お腹が減ったからといって簡単に食べ物を盗むことはしませんし、ムカつくからといって簡単に人を殴ることをしないんですね。

3つの脳でわかる人間の三大欲求と三大意識


もう一度、3つの脳の特徴を見てください。この3つの脳の特徴から、人間の三大欲求がわかります。


3つの脳の特徴

3つの脳の特徴




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

爬虫類脳は、生命維持のために安全意識が働きます。生きるために食べ、休み、身の危険が迫ったら反射的に体が動きます。「安全でいること」、これが爬虫類脳の欲求です。

哺乳類脳は、情動が生まれることで仲間意識が働きます。愛情を感じ、仲間と協同することが種の存続につながります。「仲間を作ること」、これが哺乳類脳の欲求です。

人間脳は、未来的な思考ができることで目的意識が働きます。目の前の本能の支配から逃れ、未来のために行動をしようとします。「成長すること」、これが人間脳の欲求です。

脳の三大意識を図式化してみる


3つの脳の階層順で脳の機能をイラスト化してみると、「人間の三大意識」としては、次のように表現できます。


人間の脳の三大意識

人間の脳の三大意識




 

 

 

 

 

 

 

ピラミッド型にした理由は、「爬虫類脳・哺乳類脳」の影響力が「人間脳」よりもはるかに大きいからです。

この階層を見てみると、人間の三大欲求を表したERG理論や、マズローの5段階欲求説と似ていることがわかります。

3つの脳が連動することが人間の苦悩


人間脳はもっとも高次で複雑な情報処理を行う部位であるとされます。

ですが実際は、人間脳だけでは高度な情報処理はできず、哺乳類脳や爬虫類脳などと連動しながら高次な情報処理を実現していると考えられています。

ようするに、3つの脳は切り離して機能させることはできないんですね。

マクリーン氏は、爬虫類脳・哺乳類脳・人間脳の3つの脳が同居していることが『人間の苦悩』であるとしました。

なぜなら、人間は進化が速すぎたために3つの脳の連携がうまくいかず、度々、影響力の大きな爬虫類脳や哺乳類脳に支配されると考えたからです。

『人間の苦悩』が進化の速度によるものかは定かではありませんが、多くの人が次のような苦労をしていると思います。

爬虫類脳と哺乳類脳に支配される人間脳


例えば、あなたがダイエットを考えたとします。

もしも3つの脳を切り離せるとしたら、人間脳だけが働いて、たんたんとダイエットを進めることができるはずです。

ですが実際は、爬虫類脳は「なんで今までと違うことをするんだ? 甘くておいしいケーキは目の前にあるぞ」と抵抗し、哺乳類脳も「ダイエットって面倒だから嫌い・・・」と抵抗します。

その結果、「・・・そんなに無理してダイエットしなくても、いいか」と挫折してしまいます。

逆に言えば、爬虫類脳と哺乳類脳をうまく連動させることができれば、目標達成はしやすくなるということですね。

人間脳を鍛え、脳にストレスを与えないことが大切


熟考が得意な人間脳は、脳にストレスがかかることで働きが弱くなります。つまり、プレッシャーがかかっていたり、疲れていると、爬虫類脳の短絡的思考になりやすいということです。

ですので目標達成をしたいのであれば、なるべく脳がストレスを受けない状態にしておくことが大切です。

さらに、人間脳である、やる気や思考力を司る「前頭連合野」を鍛えることで、短絡的な欲求をコントロールしやすくなります。

マーケティングに応用する3つの脳の欲求


3つの脳の欲求をマーケティングに応用するためには、影響力の大きな爬虫類脳や哺乳類脳から訴えるようにします。

爬虫類脳に訴えるには


爬虫類脳に訴えるには、防衛本能である「安全・支配」のキーワードを利用します。

例えば、勝利を強調することで「安全を確保したい」「支配したい」という欲求に訴えることができます。また、楽ができることを強調することで、現状維持による「安全を確保したい」欲求に訴えることもできます。

さらに、不安や屈辱を強調することで「誰からも支配されたくない」という自由への欲求に訴えることもできます。

ターゲットが男性であれば、性的な欲望に訴えることで興味を引くことができます。

哺乳類脳に訴えるには


哺乳類脳に訴えるには、「好き嫌い・仲間」のキーワードを利用します。

例えば、疎外感や孤独の危機感を強調することで、「嫌われたくない」「どこかのカテゴリーへ所属したい」という欲求に訴えることができます。また、仲間内での特別感を強調すれば、「好かれたい」「カテゴリーの中で優れた存在でいたい」という欲求に訴えることもできます。

ターゲットが女性であれば、「愛される存在になる」ことを訴えれば、興味を引きやすくなります。

爬虫類脳と哺乳類脳に訴えるコツ


爬虫類脳と哺乳類脳に訴えるには、いずれにしても『短期間での解決策』であることを強調することが大切です。この2つの脳は、短絡的な欲求を求めるからですね。

例えば、次のようなキャッチコピーを使います。

例え




  • 「たった2週間で変化が実感できます」

  • 「今すぐ解決できます」



人間脳に訴えるには


人間脳に訴えるには、「成長・成功」のキーワードを利用します。

例えば、問題解決や達成感を強調することで「成長したい」という欲求に訴えることができます。また、新しいことを強調すれば、「新しい知識を手に入れて成功したい」という欲求に訴えることができます。

さらに、効率を強調すれば「失敗したくない」という欲求に訴えることもできます。

人間脳に訴えるコツ


人間脳に訴えるには、『長期間に渡る解決策』であることを強調します。なぜなら人間脳は、未来的な思考をするからですね。

例えば、次のようなキャッチコピーを使います。

例え




  • 「この先行投資が、あなたを一生涯守ってくれます」

  • 「一度テクニックが身につけば、この先、路頭に迷う心配がなくなります」







ポール・D・マクリーン博士の『脳の三位一体論』は、進化の過程によって人間の脳には「3つの脳」が同居しているとした仮説です。

シンプルに言えば、人間の脳は反射的な爬虫類脳と、情動的な哺乳類脳と、理性的な人間脳の三層構造で構成されています。

この3つの脳の特徴をまとめると、人間の三大欲求がわかります。

それは、「生きたい・関わりたい・成長したい」です。

ただし、人間脳の欲求である「成長したい」という願いは、度々、爬虫類脳や哺乳類脳に邪魔をされます。なぜなら、爬虫類脳は変化を嫌う性質を持っていて、爬虫類脳や哺乳類脳の影響力は人間脳よりもはるかに大きいからです。

いかに爬虫類脳と哺乳類脳の影響力を味方につけるか、あるいは無視できるかが、目標達成では大切なんですね。

次の記事では、爬虫類脳や哺乳類脳の影響力がはるかに大きい理由と、目標達成の解決策を解説します。
Next⇒「古い脳 VS 新しい脳|脳の特徴でわかる人生の苦悩と解決策












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ユヴァル・ノア・ハラリとは何者か? 人類史の先に見据え

2020-12-02 14:46:13 | 近未来


世界的ベストセラー「サピエンス」の著者、ユヴァル・ノア・ハラリ教授の数多くの講演の中で「人間が成功した理由」についての講義です。この講義で彼は「想像力」という単語を使い、どのように人間が他の動物を追い越し最終的に地球を支配できたのかについて話しています。

文章が比較的短く簡単で、話し方もゆっくりで簡潔にしていくので、英語の講演や演説の聞き取りに初めて挑戦される方におすすめです。内容も面白いです。

今日も楽しんでください。

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資本主義の後  GAFAの次に来るもの」と「ポストデジタル資本主義」 

2020-11-18 17:03:11 | 近未来
GAFAの次に来るもの」と「ポストデジタル資本主義」



2020年

1――ポストコロナにおける大きな潮流は「GAFAの次に来るもの」の模索

新型コロナウイルス感染拡大の収束に依然目途が立たない中、コロナショックを契機として私たちの生活や働き方が変化している。

例えば、厚生労働省は、新型コロナウイルスを想定した「新しい生活様式」の実践例を示し、ショッピング、食事、娯楽・スポーツなどの日常生活、勤務形態や会議といった働き方について新しいスタイルを提唱する。また、「Withコロナ」に対応するために採用したリモートワークを、ポストコロナでも恒久化するという企業も出てきている。

コロナショックはどのように世界を変えてしまうのだろうか。この問題意識に対して、筆者が考える方向性の一つは、コロナショック以前から顕在化し始めていた本質的な変化がそのスピードを加速度的に高め、ポストコロナにおいて大きな潮流になる、ということである。では、本質的な変化とは何か。筆者は、それは「GAFAの次に来るもの」と交差してくるのではないかと考えている。

コロナショック以前に起きていたこととして、まず指摘すべきが「プラットフォーマー資本主義」である。米国のGAFA(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)や中国のBATH(バイドゥ、アリババ、テンセント、ファーウェイ)といったプラットフォーマー企業が覇権を握っていた。彼らは私たち消費者にとっては優れたサービスの提供者であり続け、各産業において破壊的ともいえる影響力を持つに至っている。「Withコロナ」でも彼らプラットフォーマー企業はデジタル・テクノロジーを利活用し様々な対策・施策を打ち出すことで、コロナショックをテクノロジーの社会実装の機会へと転じるとともに、業績を伸ばしている。

しかしその反面、批判が高まっていることも事実である。例えば、データ独占が競争を阻害する問題やプライバシー漏洩問題にかかわる批判が主に挙げられる。筆者自身、GAFAがリードする米国式のデジタル資本主義、そして「株式会社中国」による中国式のデジタル資本主義が物質的な豊かさを求めるあまり、損なわれているものがあるのも確かと考えている。そうであるならば、もともとの長所を活かしながら、GAFAの次、「株式会社中国」の次が模索されるべきであろう。

"What comes after GAFA" and "Post-digital capitalism"

2020

1-The big trend in post-corona is the search for "what comes next to GAFA"

While the spread of the new coronavirus infection remains uncertain, the corona shock has changed our lives and working styles.

For example, the Ministry of Health, Labor and Welfare presents practical examples of a "new lifestyle" that assumes the new coronavirus, and proposes new styles for daily life such as shopping, eating, entertainment and sports, and working styles such as work styles and meetings. In addition, some companies are making the remote work adopted to support "With Corona" permanent even in post-corona.

How will the corona shock change the world? One of the directions I think about this awareness of the problem is that the essential changes that began to manifest before the corona shock will accelerate its speed and become a major trend in the post-corona. .. So what is the essential change? The author thinks that it may intersect with "what comes after GAFA".

The first thing that should be pointed out before the corona shock is "platformer capitalism." Platformer companies such as GAFA (Google, Apple, Facebook, Amazon) in the United States and BATH (Baidu, Alibaba, Tencent, Huawei) in China were in control. They continue to be excellent service providers for us consumers and have come to have devastating influence in each industry. Even in "With Corona," these platformer companies are using digital technology to come up with various measures and measures, turning the corona shock into an opportunity for social implementation of technology and improving their business performance.

However, on the other hand, it is also a fact that criticism is increasing. For example, criticisms related to the problem of data monopoly hindering competition and the problem of privacy leakage are mainly mentioned. The author himself thinks that the American-style digital capitalism led by GAFA and the Chinese-style digital capitalism by "China Co., Ltd." are undermined because they seek material affluence. There is. If this is the case, then GAFA and then "China Co., Ltd." should be sought while taking advantage of their original strengths.
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 ホモーエクセレンスとは?  What is Home Excellence?

2020-11-18 16:57:55 | 近未来
つまりあたらしい人類だ。

ホモーサピエンスとは、ほかならぬわれわれ自身のことであるが、ホモーエクセレッスとは、どういうヒトか?
ホモーエクセレンスとは、ホモーサピエンスが持だない特別な能力を身につけた「優秀なるヒ
ト」という意味である。ある人たちは、この未来人に、ホモーインテリダンス(聡明なるヒト)と
いう名をつけている。
では、この優秀なる未来人、ホモーエクセレンスは、どういう特殊な能力を持っているのか?
彼の持ついくつかの特長をあげてみよう。
「未来の種属、超・ヒトは、おそらく、三・九という脳発速度係数を持つだろう」
と、世界的に著名な人類学者、パリ大学のジコルジューオリヴィエ教授は、その著「ヒトと進
化、過去現在そして未来」のなかでこう謡りはじめる。
「(こういうきわめてすぐれた生物の能力を、それよりはるかに劣ったわれわれが、あれこれい
うことはできないが)とにかく、この超・ヒトの知的能力は、辛うじて想像することができる。

それは、たとえば、
1 第四次元の理解。
2 複雑な全体をとっさに把握する能力。
3 第六感の獲得。
4 無限に発川した泄徳心識の保有。
5 とくにわれわれの悟性には不可解な精神的な特質。

などである。
わたしは、脳発達度係数三・九をもっ生き物の体のかたちや、すばらしい知能や、われわれにはとうてい理解できない行動がどんなものであるかは、想像力のゆたかな人達にまかせることにする。われわれがメクラであるのに対して、われわれの後継者たちは千里眼の持ち主なから(芦沢玖美訳・みすず書房刊)
と述べている。
オリヴィエ教授は、出版社の紹介文によると″パリ大学理学部人類学教授であり、人類学、解剖学のかず多い論文のほかにいくつかの著書を持ち、そのなかでも「人類学的解剖学」はフランス学士院宣を受けた。自己の専門分野の研究に多くの業績をあげているばかりでなく、若い研究者の育成にも心をそそぎ、フランス人類学の名実ともにすぐれた指導者である″と記されている。
まさに、当代一流の科学者であるといわねばならない。
その科学者が未来人ホモーエクセレンスの出現を、このように予告しているのである。




ホモーエクセレンスの資格

桐山 請雄 師




ここにひとつの技術がある。
その技術によって訓練すると、ヒトはだれでもいくっかのすぐれた力を持つようになる。その力をあげてみよう。

一 極度に発達した知能――いちど目にふれ、いちど耳にしたことは、ぜったいに忘れることのない削憶力。どのように複雑な構造でも組織でも、瞬間的に分析し、推理し、理解して、本質を把握してしまう演鐸と帰納の力。コトバという間接思考を経ない純粋思考から発する超飛躍的な創造力。
それは、ヒトの平均知能をI・〇とするならば、おそらく、二・五から三・五に達するであろう。このグループの最高の頭脳は、やすやす理解する。

ニ 感覚器官の増幅―彼は、不可視光線(赤外線、紫外線)を見ることができ、超音波を間く
ことができる。その異常感覚と高度の知能の結合からくる予知力。それらは、自分の肉体を思うままに統御する能力からくる。

三 環境の制御と創造―思うままに自分を変え、他人を動かし、集団や環境を、自分の理念の通りに創造してゆく。

四 物質を超え、物質を自由に統御する力。
五 無限に発達した道徳意識。







In other words, it is a new human race.

Homo sapiens is none other than ourselves, but what kind of person is Homo excelence?
Homo Excellence is an "excellent person" who has acquired special abilities that Homo sapiens does not have.
It means "to". Some people say that this future person is a homo-intelligent dance (intelligent human).
It is named.
So what special abilities does this excellent future man, Homo Excellence, have?
Here are some of his features.
"Future species, super-humans, will probably have a brain rate coefficient of 3.9."
The world-renowned anthropologist, Professor Gicorju Olivier of the University of Paris, wrote in his book, "Human and Advance.
It begins to sing in "Chemicalization, past, present and future".
"(We, who are far inferior to the abilities of these extremely good creatures, are all about this.
Anyway, this super-human intellectual ability can barely be imagined.

It is, for example
1 Understanding of the 4th dimension.
2 Ability to quickly grasp the complicated whole.
3 Acquisition of the sixth sense.
4 Possession of infinitely eruptive spirit of virtue.
5 Especially the spiritual qualities that are incomprehensible to our enlightenment.

And so on.
I will leave it to the imaginative people to decide what the shape of the creature's body, its wonderful intelligence, and the behavior that we can hardly understand with the brain development coefficient of 3.9. While we are Mekura, our successors are clairvoyant (translated by Kumi Ashizawa, published by Misuzu Shobo).
It has said.
According to the publisher's introductory text, Professor Olivier is a professor of anthropology at the University of Paris, and has several books in addition to his many articles on anthropology and anatomy, among which "anthropological anatomy". Received a French Bachelor's degree. Not only has he made many achievements in research in his field of specialization, but he is also enthusiastic about training young researchers, and he is an excellent leader in both name and reality of French anthropology. "
It must be said that he is a leading scientist of the time.
The scientist has thus foretold the emergence of the future Homo Excellence.

Homeo Excellence Qualification

Kiriyama, Master

Here is one technology.
When trained with that technique, everyone will have some great power. Let's raise that power.

Extremely developed intelligence-what I first saw and heard was the memorable power that I will never forget. The power of induction and induction that instantly analyzes, infers, understands, and grasps the essence of any complex structure or organization. Super dramatic creativity emanating from pure thinking that does not go through indirect thinking called Kotoba.
It will probably reach 2.5 to 3.5 if the average human intelligence is I. The best brains in this group are easy to understand.

D. Amplification of sensory organs-he can see invisible light (infrared rays, ultraviolet rays) and intersperses ultrasonic waves.
be able to. Predictive power that comes from the combination of that abnormal sensation and high intelligence. They come from the ability to control one's body at will.

3. Control and creation of the environment-Change yourself as you wish, move others, and create groups and environments according to your own philosophy.

4. The power to freely control substances beyond them.
Five moral consciousness that has developed infinitely.
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近未来 ハッキング  世界的ベストセラー「サピエンス」の著者、ユヴァル・ノア・ハラリ

2020-11-18 11:17:36 | 近未来


世界の碩学であり、世界的ベストセラー「サピエンス」の著者、ユヴァル・ノア・ハラリ教授の話の第三段です。

彼が2020年度卒業生に向けた公開祝辞です。世界中の誰より、更には自分自身よりも自分の行動をよりよく理解し予測できるものがあり、そしてそれが私達の行動や思考を支配するようになれば、どんなことが起きるでしょうか?おそらくそれがすでに進行しているかどうかわかりません。

ユヴァル・ノア・ハラリ教授は、その問題について警告し、将来の主人公である卒業生に人生の良い話を聞かせてくれる代わりに、今、私達人類が直面しているその問題に対する解決をお願いする内容です。彼の話を聞いてみましょう。


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人類の未来

2020-11-15 17:20:08 | 近未来
世界的ベストセラー「サピエンス全史」の著者、イスラエルの、ユバル・ノア・ハラリ氏と70年前の科学者市川亀久弥先生が同じ意見が驚いた。

 

人類は長い歴史を経ながらさまざまな進化を重ねてきた。ネアンデルタール人、ホモ・エレクトス 、ホモ・デ二ソワ人を経て、ホモ・サピエンスが生まれ、今日まで生き残ってきた。
ハラリ氏は、「人類の進化は続いている。科学技術の発展によって、人類は神のような存在に進化していく」と主張し、注目を呼んでいる。ニーチェの「超人」を思い出させる発想だ。

「人類は今、新しい目標に向かっていくべき時を迎えている。なぜならば、人類はこれまで飢え、戦争、病気といった3つの人類の敵を克服してきたからだ。紛争や飢餓は依然あるが、人類歴史上はじめて、飢えで死ぬ人より肥満が原因で死ぬ人間の数の方が多い。過去の人類史では見られなかった状況だ。2010年、世界で300万人が肥満による様々な病気で死去したが、その数は飢え、戦争、紛争、テロで亡くなった数より圧倒的に多い。欧米人にとって、コカ・コーラはアルカイダより脅威だ」

「20世紀までは労働者が社会の中心的役割を果たしたが、労働者という概念は今日、消滅した。新しい概念はシリコンバレーから生まれてくる。例えば、人工知能(AI)、ビックデータ、バーチャル・リアリティ(VR)、アルゴリズムなどだ。労働者という言葉はもはや聞かれない。労働者が今も有しているのは選挙権だけだ。そしてその選挙権すら余り意味がない。世界は余りにも急速に変化しているので、人間は方向性を失ってしまった。過去20年間で最大の変化はインターネットだ。誰もインターネットを拡大すべきだと話し合ったわけではない。全ての変化は政治とは関係なく決定されてきた。それは大変化の初めに過ぎない。今後、我々の生き方、職場、人間関係、人間の肉体すら変える変化に直面するだろう。そのプロセスでは政治や民主主義は大きな役割を果たさない」。

そして人類が神のような存在に進化するホモ・デウス時代について、「数世紀後ではなく、数十年後に到来するだろう。既にその進化は始まっている。人類もその領域に突入してきている。①バイオ・エンジニアリング、②サイボーク、③無機生命体だ。それらの領域で成果をもたらすならば、われわれは神のようになるだろう。例えば、20万年前の人類は石斧を作ることもできなかったのだ。人類は今日、宇宙船やコンピューターを作る。そして遺伝子の解明も進んでいる」

「一部の人間は神のようにスーパー記憶力を有し、知性、抵抗力を有するようになる一方、大部分の人類はその段階まで進化できずに留まるだろう。19世紀、工業化によって労働者階級が出てきたが、21世紀に入ると、デジタル化が進み、新しい階級が生まれてくる。それは“無用者階級”だ」

「製造工程の自動化で多くの労働者は職場を失っていく。軍隊でも同様だ。戦いはサイバー戦争であり、無人機が動員される。3D印刷機の登場で繊維労働者はいらなくなる。アルゴリスムスやロボットは工業分野だけではなく、サービス業でも人間から職場を奪っていく。タクシーもトラック運転手も同じだ。安全で安い自動操縦車が出てくるからだ」

 

 

市川亀久弥 氏は、″人類の社会システム史における最終齢の段階”と名づける項において、人類史における過去の変革をとりあげる。

 『まず、古代において、新しい社会的な方式としての農耕生産経済が発明されて、社会的生産出力が「社会的余剰」を生むところにまで到達して、大規模な神殿の造営能力を持つようになる

と、他の隣接氏族社会からの掠奪をまぬがれるために城壁をもうけたり、あるいはフルタイムースペシャリストとしての、戦闘人口を養いうる経済段階にはいっていく。つまり、軍隊を持つ段階にはいったわけである。

 もとより、こういう生産出力の増大は、地下水が湧き出たように突如として出現したものではなく、氏族共同社会としての、それまでの初歩的な社会システムのいくっかのものに、自然発生的にあらわれてきたものであるから、それまでの社会システムの制御パターンの中心部は、シャーマニズム(未開宗教のひとつ)におけるシャーマンなどに多少毛の生えたような、聖職者的レベルのものに統括されていたのであろうことが想像される。すなわち、祈祷や礼拝行事をつかさどることのほか、種まき、取り入れの時期の指示、あるいは供物の財産管理などより多くを出なかった。原始的な段階の神官を中心とするものであったと考えられる。

 しかるに、前に述べたような生産出力の増大-社会的余剰貯蓄――軍隊組織、というような社会システムが組まれてくると、それまでの神官や祭官を中心とした社会体制は崩れてくる。

 このような段階におきまして、ひとたび、近接の氏族社会とのあいだに戦闘状態でも勃発するということになりますと、それまでの社会システムのなかの、唯一の情報の蒐集伝達体制でもありました神殿を中心とする組織、すなわち、前述の原始的な神宮を中核とする組織は一転して、人びとの生命の安否にかかわる軍事的な計画や、その戦闘命令をつかさどる体制に転換するにいたるであろうことは、容易に想像できるわけであります』

 こうして軍隊ができあがると、たとえそれが史上もっとも原始的な軍隊であろうとも、それを指揮統括ナる司令官が存在しなくてはならない。

 『かくして、人類史上初の、ひとりの人物を中心とした、指示と命令のための絶対的な強さをもった制御パターンの体制が誕生することになってくるのであります。戦闘のはじまる前段階までは、前述の原始神官的な権限より多くを出なかったはずのひとりの人物と、それにまつわる人間関係が、戦闘の勃発を契機として、きわめて短日月のあいだに、強大な専制的権力と、それにまつわる官僚体制を生み出していくことになっていくのでありまナ』

 強力な司令官は、やがて全軍隊を統括し、「王」への階段をのぼり、ついに「王座」につく。

一砲兵少尉であったボナパルトが、やがて、「ナポレオンー世」として君臨した原型がそこにある。

 『事実(歴史における科学)の著者バナールも、これとほとんど同様な考え方によって、上古代の神官より、王への質的移行過程を考えてきております。これをわたくし流に申しますと、氏族共同体的な社会システムの、生産性が高まってきたある段階におきまして、原始神官と、それにまつわる制御システムのパターンに亀裂ができ、そのなかから、古代神聖王朝特有の強力な官僚的体制が、あたかも前述の脱皮を思わしめるようなプロセスをたどってあらわれてきたものであります』

 

 『図における人類史の模型的表示は、人びとによってこれまで承認されてきました時代区分を前提にして、社会システムにおける創造的発展のための二つの要因の、時間的な変遷を、(T)部と(C)部との相関関係を軸にして、これを時間のものさしの線上に対応させてみたものであります。つまり、図における破線は、生産出力の社会的な活性度(社会システムに対ナる影響度合)を、また実線は、アブソリューティズム(絶対制)としての、宗教的な価値観を軸とする社会プソリューティズムを背景にした価値の役割のあった人類史段階  

社会的な牟産出力

・(Positive l゛eedbackをして系を前向きに変える役割)

生産力と価値体系を含む制御パターンの活性度

SuperCaalt)(氏族社会)(古代社会)(中世社会)(近代社会)ほぶJS]1〔超人類社会〕

       国家の誕生

 

 生産力と生産関係の矛盾によって出現した小変革、すなわち

 〈宗教革命の形を合んだ社会革命〉の起こった場所

 

  

    開パターンの模型的規範、すなわちおの’おのの段階における慣習や価値基準にバックアップされた制御パターンとしてのモラルの、△社会的な活性度▽を表わしているものであります』
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ニーチェ  動物と超人のあいだに結ばれた綱だ。 Nietzsche A rope tied between an animal and a superhuman.

2020-09-02 13:29:33 | 近未来


 

森のそばにある最初の町に入ったとき、ツァラトゥストラは、町の広場に群衆が集まっているのを見た。綱渡りの見物ができると予告されていたからだ。ツァラトゥストラは群衆にむかってこう言った。 「超人というものを教えてあげよう。人間は、克服されるべき存在なのだ。君たちは人間を克服するたに、何をしてきた? これまでの存在はみんな、自分を超える何かを創造した。君たちは、この大きな満ち潮に逆らう引き潮であろうとするのか? 人間を克服するよりも、動物に戻ろうとするのか? 人間にとって猿とは何か? 物笑いの種だ。あるいは痛いほど恥ずかしいものだ。超人にとって人間もその猿と変わりがない。物笑いの種だ。あるいは痛いほど恥ずかしいものだ。

君たちは、虫から人間への道を歩いてきた。おまけに、君たちのなかにある多くのことは、まだ虫のままだ。昔、君たちは猿だった。

いまでもまだ人間は、どこかの猿より、もっと猿だ。

君たちのなかで一番賢い者も、植物と幽霊が裂けて混じり合ったものにすぎない。だからといって俺は君たちに、幽霊や植物になれ、と命令するだろうか?

いや、君たちには超人のことを教えてやろう! 超人とは、この地上の意味のことだ。君たちの意志は、つぎのように言うべきだ。

超人よ、この地上であれ、と!

兄弟よ、俺は心からお願いする。

この地上に忠実であれ!

地上を超えた希望を説くやつらの言うことなんか、信じるな!

人間は、1本の綱だ。


動物と超人のあいだに結ばれた綱だ。


──深い谷のうえに架けられた綱だ。


向こうへ渡るのも危険。途中も危険。ふり返るのも危険。ふるえて立ち止まるのも危険。 人間の偉いところは、人間が橋であって、目的ではないことだ。

 

Upon entering the first town by the forest, Tsaratustra saw a crowd gathering in the town square. It was foretold that he could see a tightrope. Tsaratustra said to the crowd: "I'll tell you what a superhuman is. Humans are the beings to be overcome. What have you guys done to overcome humans? Are you trying to be a low tide against this big tide? Are you trying to return to an animal rather than overcoming a human? What is a monkey for a human? A kind of laughter, or painfully embarrassing. For superhumans, humans are no different from monkeys, they're kind of a laugh, or they're painfully embarrassing.

You have walked the path from insects to humans. Besides, many things in you are still bugs. You used to be monkeys.

Humans are still more monkeys than any monkeys.

The wisest of you was nothing more than a mixture of plants and ghosts. But will I command you to become ghosts and plants? ‥

No, let's teach you guys about superhumans! Superman is the meaning of this earth. Your will should be stated as follows.

Superman, on this earth!

Brother, I heartily ask.

Be true to this earth!

Don't believe what they say about hope beyond the earth!

Man is a rope.

It is a rope tied between an animal and a superhuman.

── It's a rope hung over a deep valley.

It is dangerous to cross over. Danger on the way. It's dangerous to look back. It is dangerous to shake and stop. /> The great thing about human beings is that they are bridges, not their purpose.
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