奨学金

奨学金事業を行うにあたり日々感じたことを綴ります。

大学改革(その1)

2006年12月05日 | 奨学金
大学が独立行政法人化されてから、「大学改革」という言葉を良く耳にする。奨学金事業を行っていると、大学側と接することも多く、大学側の意気込みが伝わってくる大学と、そうでない大学に真っ二つに分かれる。
大学職員が一生懸命になり、多くのサービスを提供しようとして、企業や私どものような団体に頻繁に足を運ぶ大学もあれば、言葉だけが先行し、全く職員に覇気が感じられない大学がある。
はっきり言って、国公立大学の事務職員は一体何を考えているのか、単に自分の職場であり、学生のことなどきっと二の次なのだろう。今、本当に学生のことを考え、生き残りをかけて頑張っているのは、私立の大学である。
昔と違い、学費も文系であれば、年間で20~30万程度の違いである。大学が提供する環境やサービスを考えると、国公立に入学するメリットはほとんど無い。
国公立大学の職員が公務員意識を無くさない限り、堕落するだけで、今のままでは再生はあり得ない。いくつかの国公立大学が潰れてからでしか、理解できないような大学職員は、極端な言い方をあえてするが、一度全員解雇したほうがいいと感じる。
横浜のとある公立大学は、行政側からの「大学改革」に戸惑い、何度も学部の名前を変えたり再編したりして、混乱しているようだが、学生抜きの改革では、単に混乱を招くだけで、何も解決しない。
大学を運営する職員が、企業や奨学金財団に足を運べば、多くの魅力ある提案が得られるはずである。例えば、寄附講座にしても、単に講座枠を企業に与えるだけではなく、企業が求める人材を育成するため、企業側の人事と一緒になり、企画を立てることもできるはずだ。行政でもトヨタでもJRでもANA等どこの世界でも、求める人材は、「自ら考え行動できる人材」「どこの世界に行ってもコミュニケーションが取れる人材」を求めている。行政や企業とタッグを組み、企画を考え、行政や企業も一緒になり育成状況をチェックするような、新しい発想を持つべきである。
また、昨今、貧富の差が確実に広がっている。政府自民党の政策だから、自民党を国民が選ぶ限り、この路線が変わることはないだろう。大学全入時代といえども、一定レベルをクリアーする人材を育てている大学に入学するためには、お金持ちの師弟であることが条件になってしまう。
教育にはお金が掛かる。しかし、学びたい学生が学べない状況もまた社会の損失である。ぜひ、国公立は、国公立大学としての特色を生かすとともに、私立大学の取り組みを見習ってほしいものである。