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駆逐艦『雷』工藤俊作艦長「敵兵を救助せよ」、サー・フォール卿の恩返し

2010年10月29日 21時45分09秒 | 歴史
 1998年5月天皇皇后両陛下は、イギリスを訪問されました。この時、第二次世界大戦で、日本軍の捕虜となった元イギリス兵たちが、戦争中の捕虜虐待(泰緬鉄道での強制労働等)の賠償を日本政府に求め、天皇へ謝罪を求めて、反日運動を活発にしていました。
 当時は日本の財界がイギリスに積極投資をしている時期で経済的に親密度が増しており、イギリス世論も、新しい関係を重視するものや、あくまで日本政府を非難し謝罪を要求するものなど様々で、新聞も大きく取り上げました。
 この元捕虜たちは、日本軍を恨んで激烈な反日活動をしていましたが、細川首相の時に、すでに講和条約で終わった問題にもかかわらず、この元捕虜に謝罪し、「慰謝料は在英の日本企業から払わせる」と発言したものですから、大変な混乱を生じてしまい、在英日本人会は大騒ぎになったこともありました。そしてこれによって問題が泥沼化したのでした。
 天皇皇后両陛下が到着後、エリザベス女王と馬車に乗ってバッキンガム宮殿に向われるパレードで、イギリス国民が歓迎する中、元捕虜の何人かが背中を向けて抗議したほどでした。この元捕虜たちの事前に天皇訪英を阻止しようとする反日運動がもりあがるなかで、1998年4月29日英タイムズ紙に、ある投稿が掲載されました。
 サー・サミュエル・フォール卿による、「戦時中、日本帝国海軍に捕虜になったが、友軍以上の処遇を受けた」とする一文でした。この投書は読者に感動を与え、以降この反日活動は急速にトーンダウンしていきました。

 サー・サミュエル・フォール卿

 工藤俊作・駆逐艦「雷」艦長


 工藤俊作 武士道精神の人
「英国兵四二二名を救助した駆逐艦「雷」艦長」
恵 隆之介  より

昭和十七年三月一日午後二時過ぎ、英重巡洋艦「エクゼター」(一万三〇〇〇トン)、「エンカウンター(一三五〇トン)は、ジャワ海脱出を試みて帝国海軍艦隊と交戦し、相次いで撃沈された。その後両艦艦長を含む約四五〇人の英海軍将兵は漂流を開始した。
翌三月二日午前十時ごろ、この一団は生存と忍耐の限界に達していた。結果一部の将兵は自決のための劇薬を服用しようとしていたのである。まさにその時「雷(いかずち)」に発見されたのだ。
一方駆逐艦「雷」は直属の第三艦隊司令部より哨戒を命じられ単艦でこの海面を行動中であった。
「雷」乗員は全部で二二〇名、ところが敵将兵は四五〇人以上が浮游していたのである。さらにこの海面は敵潜水艦の跳梁も甚だしく艦を停止させること自体、自殺行為に等しかった。
救助を決断した「雷」艦長工藤俊作少佐(当時)は四十一歳、山形県出身、当初は敵将兵の蜂起に備え、軽機関銃を準備し警戒要員を艦内主要箇所に配置していた。
ところが艦長は間もなく彼らの体力が限界に達している事に気づく。そこで警戒要員も救助活動に投入した。
一部英海軍将兵は、艦から降ろした縄はしごを自力で登れないばかりか、竹ざおをおろして一たんこれにしがみ付かせ、内火艇(艦載ボート)で救助しようとしたが、力尽きて海底に次々と沈んで行ったのだ。
ここで下士官数名が艦長の意を呈し、救助のためついに海に飛び込んだ。そしてこの気絶寸前の英海軍将兵をロープで固縛し艦上に引き上げたのである。
一方サー・フォールは、当時の状況をこう回顧している。
「雷」が眼前で停止した時、「日本人は残虐」と言う潜入感があったため「機銃掃射を受けていよいよ最期を迎える」と頭上をかばうかのように両手を置いてうつむこうとした。その瞬間、「雷」メインマストに「救助活動中」の国際信号旗が掲揚されボートが下ろされたのだ。
サー・フォールはこの瞬間から夢ではないかと思い、何度も自分の腕をつねったと言う。
一方「雷」艦上ではサー・フォールを一層感動させる光景があった。
日本海軍水兵達が汚物と重油にまみれた英海軍将兵を嫌悪しようともせず、服を脱がせてその身体を丁寧に洗浄し、また艦載の食料被服全てを提供し労る光景であった。
当時「石油の一滴は血の一滴」と言われていたが、艦長は艦載のガソリンと真水をおしげもなく使用させた。
戦闘海域における救助活動は下手をすれば敵の攻撃を受け、自艦乗員もろとも遭難するケースが多々ある。この観点から温情ある艦長でさえごく僅かの間 だけ艦を停止し、自力で艦上に上がれる者だけを救助するのが戦場の常識であった。ところが工藤艦長は違った、しかも相手は敵将兵である。
さらに工藤艦長は潮流で四散した敵兵を探し求めて終日行動し、例え一人の漂流者を発見しても必ず艦を止め救助したのである。救命活動が一段落したとき艦長は前甲板に英海軍士官全員を集め、英語でこう訓辞した。 「貴官らはよく戦った。貴官は本日、日本帝国海軍のゲストであ る」と、そして艦載の食料の殆どを供出して歓待したのである。 今年(2008年)七月、サー・フォールは来日し、日本人有志と共に工藤艦長墓前で顕彰祭を挙行する。 サー・フォールが戦後六十三年抱き続けた工藤艦長への思いはここに達成されるのである。
 (この記事での日付は2008年のものであり、来日はその年12月8日となり、89歳(2008年)になるフォール卿は、義理の息子に車椅子を押してもらいながら12月8日の「工藤中佐顕彰式典」に臨み、亡き工藤艦長はじめ帝国海軍に感謝を述べた。)


 (「教科書が教えない歴史」自由主義史観研究会より)

 驚くべきことに、本会理事の岩田義泰先生(終戦時、陸軍少佐)は、そのとき近くのジャワ島のバタビヤにおられ、この海軍の敵兵救助劇についても噂で聞いていた、と先日伺った!  しかしながら、工藤艦長も、それを知った陸海軍の将兵も「美談」や「手柄話」として語る者はなく、フォール卿が語り始めるまで、日本国民に知られることはなかったのである。
  この奇跡の実話が多くの人々に知られるようになったのは、偶然、恵隆之介氏がフォール卿に関するリポートをラジオで聞いたことに端を発する。

  《2003年6月13日、私はNHKラジオの朝の番組「ワールドレポート」を聞いて、強い感動と驚きにとらわれていた。それはロンドン発のリポートで、ラ ジオのリポーターは「なんでこんな美談が戦後、日本で報道されなかったか、不思議でならない」と興奮を抑えながら発言していた》(恵著『海の武士道』)  
 
 そして、実行委員長の平沼赳夫衆議院議員が挨拶で述べたのは、こうした美談は「雷」だけに限らないということだ。  

おそらく、開戦劈頭のマレー沖開戦のことなどを念頭においての発言であろう。
 恵隆之介氏が、実際にイギリスの元海軍士官から伝えられた衝撃の逸話をぜひ紹介しておきたい。

「戦艦『プリ ンス・オブ・ウェールズ』に乗務していたグレム・アレン元大尉が『偉大なる帝国海軍』と前置きして私にこう発言した。『旗艦および随伴戦艦レパルスが戦闘 能力を失ったと見ると、日本海軍航空隊は一斉に攻撃を止めた。そして護衛駆逐艦が両艦乗員の救助活動を開始したが一切妨害しなかった。さらに我々を救助し た駆逐艦が母港のシンガポールに帰港する際も日本海軍は一切攻撃を行わなかった。我々は帝国海軍のこれらの行為に瞠目し、敬意を払うようになった』  

アレン大尉は、その後重巡洋艦エクゼターに転属、ジャワ沖開戦で撃沈され、帝国海軍に救助された。なおジャワ沖海戦時、沈没直後の英海軍艦艇から乗員が帝 国海軍艦艇に向かって懸命に泳ぐ姿が見られた。尋問の結果、『日頃から上官が、万一の時は日本海軍艦艇に向かって泳げ、きっと救助してくれる』と発言して いたという」
(恵隆之介「『敵兵を救助せよ』のそれから」『正論』平成20年10月号)
元陸軍少佐の岩田義泰先生にも一切語ることのなかった「美談」があるという(いうまでもないが、先生はご自分で「美談」などという言葉を口にされることはない)。「どんなことがあったんですか? 聞かせて下さい」と食い下がる私に、先生は「そんな大げさに話すようなことでもないし…」と謙遜された。  

これが、日本人の武士道なのか。
 他にも歴史の奥底に埋もれている多くの「工藤艦長」がいるにちがいない。  

日本人が忘れさせられた記憶を取り戻してくれたフォール卿と、式典挙行にご尽力された恵隆之介氏に感謝したい。


工藤艦長の敵兵救出の話は、フジテレビのアンビリーバボーでも放映され、ご存じの方も多いと思いますが、私はこの回を見ておらず後にインターネットの動画よりこれを見て、非常に感動しました。もっと多くの方に知っていただきたい話だと思いました。さらに開戦時、20歳の若き士官だったフォール卿は、戦後、ことあるごとに、この救出劇と日本の武士道を語り、イギリス国内における反日感情を緩和する役割を果たしてきたということです。それは日本を快く思わない戦友に厳しい目を向けられることでもあり、簡単なことではありませんでした。さらに以下のような活動もされており、日本人は、フォール卿の親日活動に深く感謝すべきであろうと思います。このことも日本人にもっと多く知られるべきでしょう。

アメリカ海軍機関紙『プロシーデングス』1987年新年号にも、フォール卿は「騎士道(Chivalry)として工藤艦長の行動を執筆した論文を7ページにわたって掲載し、アメリカ海軍軍人をも驚嘆させている。

さらに、1992年、スラバヤ沖海戦50周年記念式典がジャカルタで行われ、その式典にてフォール卿は記念講演を行った。ここでも工藤中佐の功績を称え、 『日本武士道の実践』と強調した。会場からは、万雷の拍手とスタンディングオベーションが起こったという》(恵隆之介『敵兵を救助せよ』公式サイトより)  

フォール卿は工藤艦長と「雷」乗組員に救助された人生を『マイラッキーライフ』と称し、1996年に自伝を上梓した。


http://www.youtube.com/watch?v=jLdX2ngSepY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=vbHIC_CLDhk&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=qhxMP9RrLwk&feature=related


 関係ないけど、うちの庭に来たホシミスジ蝶です

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