運動会で思い出す庄和町の学校給食廃止騒動 (2006.10.11)

2006-10-11 17:22:28 | Weblog

今日、運動会に行ってきました。今ごろやっているのは幼稚園か保育園です。最近の小学校・中学校は、運動会は9月中にすませてしまう。夏休み明けで子どもらが勉強気分にならない9月にすませてしまうそうです。

庄和町を全国的に有名にしたのは、庄和町が学校給食廃止を打ち出した時です。“庄和町”でブログ検索したら、10年以上たった今でも話題になっていました。産経新聞のコラム“産経抄”が書いたことがことの発端のようです。(10月2日産経抄)

10月2日の“産経抄”の一部を引用すると、こうです。
<今から思えば、平成4年に埼玉県庄和町(当時)の神谷尚(たかし)町長が打ち出した学校給食の廃止は、子供の教育における学校と親の役割分担を論議する絶好の機会だった。町長の考えは、廃止で浮いた分を、外国人の英語指導助手を雇ったり、子供会館を建設したり、教育投資に回したいというものだ。これに対して、弁当づくりの負担をいとう母親の反発は強かった。議論がかみあわないまま、町長の急死によって立ち消えたのは残念だ。>
今でも、こんな論調の新聞があるのかと、まず思いました。

平成4年は、今から14年前。わが家も子どもら3人が義務教育中。もっとも私は、町のことは“かみさん”とこそ、思ってはいなかったが典型的埼玉都民だった。庄和町では、PTAを中心に全町あげての反対運動が起こったのです。

私には、町内の論議とは恐らく別の点に関心があった。ちょうどその時期に、学校給食にある“食の安全性の問題”などから、“給食を食べさせたくなくて弁当を持参させる”親たちの運動が全国にあった。けっこう大きな問題になっていた。先ワレスプーンで食べさせたくないといった運動なら覚えている人も多いでしょう。弁当持参の子どもたちが学校側から阻害されるようなことまであった。
文部省は、学校給食はただ昼食を食べる事でなく、教育の一環なのだ・・・とかなんとか・・・・。庄和町行政は、文部省のいう給食の教育意味を、真っ向から否定し給食廃止をしようとしたことになるのです。

廃止の本当の目的は知りません。老朽化した給食センターの費用の問題だったのかもしれなない。ともかく町のお母さんたちは結束して立ち上がって、庄和町行政側の提案を撤回させた。産経抄のいうように、“議論がかみあわないまま、町長の急死による立ち消え”は、違うのではないかと思っています。

その時、庄和町行政に怒りを感じたことを、ついでに書いてしまいます。

子どもらが小学生の頃には、運動会には必ず行っていました。しかも、保護者席に人のいない朝一番の開会式から出かけていました。場所取りシートだけはぎっしり埋まっているのに、誰もいない保護者席の中を、子どもたちは、堂々の入場行進をします。<見てやってよ・・・・、子どもたちには、この行進が晴れ舞台なんだから>。

ここで、正確に何年何月何日と書けないのですが、入場行進が終わって開会式に。庄和町立南桜井小学校です。8時40分ごろに校長先生のお話が始まりました。そこに、ねらいを定めたように、校長先生のお話をかき消すように、町役場の全町向け放送。“大きな音量”で、いつもの調子のゆっくりした“お知らせ放送”です。「・・・・・給食廃止は中止と決定しました・・・・、繰り返してお知らせいたします・・・・・・・」。壇上で校長先生の居場所を失った苦虫顔をはっきり覚えています。

偶然ではすまされない。その頃、町内の小学校は同じ日に運動会をやっていた。その事を役場(教育委員会)が知らないはずはない。
庄和町行政は、学校のこと、子どもたちのことを、ほんとうは、なんにも考えていなかったのだ、と強く思いましたね。

 【おまけ】

*今、旧庄和町いや春日部市で、旧庄和町役場の図書館計画を、春日部市との合併時の約束どおり実施するよう、請願署名活動がなされています。給食廃止運動の時の署名者は、2万7000人だったそうです。今9月1日現在、春日部市の人口は、24万2101人、旧庄和町地域は、3万7385人です。

*庄和町は計画していた図書館のための費用2億円を持参金として合併したわけです。強く約束の実行を求めても請願署名は一回、一人分しか書けません。


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